1-8 「泣いていい?」

宰相に向けた緊急を要する報告があったため、エリスはルキウスを護衛につれて駅で早馬に乗り換えた。駅は街道沿いに点在する施設で、使者が馬を休ませたり、乗り換えたりしながら伝令を急がせることができた。


この伝馬制度は昔からあったが、長い間機能を停止していた。出資元は帝国だったが、地元貴族の私用に使われるようになり、皇帝が制度の停止を命じた。これを復活させたのがアルベルトであり、街道の安全確保と、地元貴族の権力の制限を実現したことが功を奏した。


二人は馬を乗り換えながら都への道を急いでいたのだが、最後の一区間だけは馬車に乗り込んだ。都に着き次第アルベルトへの報告を行うため、一度睡眠を取る必要があったからだ。


石畳の上をけたたましく走る馬車の中では、とても安眠などとれるものではないが、寝ないよりはましだ。エリスもこれで熟練した旅人でもあった。このくらいの悪条件でも、眠るべき時には眠れる体になっている。


枕元にはルキウスが腰掛け、エリスが腰掛けからずり落ちないように見張っていた。昔、といってもほんの二年ほど前までのことなのだが、ともに旅をしていた頃はよくこうしてエリスとマリーの寝顔を見守っていた。


なんだか知らないうちに、ルキウスには妹が二人もできたようだった。もっとも、出会ったときにはすでに二人ともたくましく、兄として守ってやるようなことはほとんど何もなかったのだが。


近頃は任務の困難さからエリスの失敗も目立ち、隊員達の敬意を受けているのは間違いないが、その身のこなしや機微、とっさの判断力が信頼されているとは言えない。だが、三人で旅をしていた頃のエリスは、ルキウスから見ても優れたスカウトだった。マリーとルキウスの戦闘力を活かした攪乱、戦闘戦術には、何度も助けられている。


町で募集されている何でも屋向けの依頼や、小規模な傭兵向けの仕事の方がエリスに合ってるんだろう。今のような、エリス将軍なんていう地位は、向いてなさそうだ。しかし、魔王に目をつけられては仕方ない。本人もこれで、なかなか楽しんでるようだし、悪くはないだろう。


ときどき体を押し込んでやりながら、都への到着を待った。馬車が王都の城門に到着したのは、日もとうに暮れた頃だった。門番に向け、御者とエリスが身分を示す手形を示し、参内の許可を求めた。規則に従い、緊急の謁見許可を城内に確認し、通行を許される。


馬車は王宮の入り口に止まり、そこでエリス達が降りる。エリスは先にルキウスを本部に戻し、休息を命じた。ルキウスや参謀はエリスの一人歩きを注意しているが、頑として護衛を連れようとしない。確かに都でエリスに手を出す怖いもの知らずはいないだろうが、万が一ということがある。だが、「えーやだめんどくさい」の一言でやり過ごされる。


言っても聞かないので、ルキウスは指示に従い帰還した。参謀が起きていれば、まずは事情の報告をするだろう。


エリスが謁見の間に入ると、すでにアルベルトが座って待っていた。懐から手紙を取り出したエリスは、まずそれを手渡した。受け取りながら魔王は、エリスに着席を促す。


「ふむ」


手紙を一瞥して、エリスの様子をうかがう。


「負傷したのか?」


右肩を気にして体をひねっているのが気になったようだ。


「ちょっとね。エルティール城に一人、やばいやつがいた。私もマリーも危ないところだった」

「マリーが? 前列が破られるほどとは、それはなかなかの強者だな」

「うん。うちの怪力君以上かもね」

「素晴らしい。それは朗報だ」

「でも、それより重要なことがあるでしょ?」


アルベルトは手紙をテーブルの上に置くと、椅子に深く腰掛けた。少し言葉を選び、残念そうに言った。


「馬鹿息子からの報告が届いたことは、おぬしの方にも伝わっているだろう。そのときに改めて、現状を維持し、危険を回避するように命じるべきだったかもしれんな」

「え?」


エリスとしては、諜報部のトップとしての責任を果たしたつもりでいた。この仕事を果たさないなら、自分は何のためにここにいるのかを疑われてもおかしくない。そのくらい当たり前のことをしたはずだったのだが、アルベルトはエリスの行動を歓迎していないようだった。


「参謀からは何か言われなかったか?」

「参謀君は・・・注意を怠らず、無理をしないようにって、書いてたけど」

「そうか。それではおぬしには伝わらなんだか」


エリスには状況が飲み込めていない。


「あの、その手紙、伯爵の部屋の煙突の中に隠してあったものだよ? 偽手紙とかじゃないと思うけど」

「そうだろうな。あやつの叛意を明らかにした功績はたいしたものだ。後ほど恩賞を取らせる。何がほしい?」

「王子様の謀反の知らせって、もう届いてたの?」

「まさか。おまえ達より先にこれだけの情報を引き出せる部隊など、もう持ってはおらんよ」

「おーさま、分けわかんないから説明して。私でもわかるように」


王子の謀反の証拠ほど重要な情報があるとも思えないエリスは、納得がいかないようだった。身を乗り出し、両手を組んだアルベルトが、淡々と語り出す。


「エリスよ、おぬしは西部軍の補給線が襲撃されたという情報を、どう受け取った?」

「そんな馬鹿なって思ったよ? 私が持ってる情報と食い違ってるし」

「そうだろうな。当然それは虚報ということになる。アルフが儂に嘘をつくということは、どういうことだ?」

「それだけで謀反がわかったっていうこと? でも確認しないわけにはいかないでしょ?」

「無論、確認が取れるに越したことはない。だが、反乱計画を単独潜入で暴くのは危険が大きい。そういうものは、政治的に少しずつ探りを入れて暴き出すものだ」

「な、なら、最初にそう言ってよ!」


仮眠だけで潜入し、さらに何時間も馬を飛ばし、あげくろくに眠れない馬車で急いで帰ってきたエリスとしては、どっと疲れが襲ってきた。


「城への潜入なんてしたくなさそうだったからな、やれと言われるまではやらんと思っておった」

「・・・」

「おぬしは意外と働き者だのう。感心感心」

「泣いていい?」

「おぉ、よいぞよいぞ」


アルベルトが手招きする。エリスは横を向いて鼻を鳴らした。


「何にせよ、おまえが無事でよかったぞ。こんなことで失っては、儂も後悔しきれんからな」

「あぁそう、光栄でございますわ」


そっぽを向いたまま不満をもらしたエリスだが、そういえば、と思い出す。ランカプールで本部からの連絡を受け取ったとき、確かにエリスは、すぐに王子が謀反を企んでいる可能性に思い当たった。エリスが思いつく程度のことを、どうしてアルベルトやアルステイルが気づかないことがあるだろうか。


可能性としては、エリス達の調査不足で、補給線への襲撃があったことは疑われるかもしれない。だが、それと同じだけ、なかったことも疑うのが知恵者の性向ではないか? その場合は、直ちに西部軍の嘘、すなわち帝国への陰謀の可能性に行き着くのは当然だ。


そこでふと、もう一つの疑問がわいてきた。アルフレッドは、どうしてそんな嘘をついたのだろうか? それが嘘であることを疑われる可能性を考えなかった? そんな馬鹿な。エリスですら疑う情報を、魔王が疑わないわけがない。疑われたが最後、謀反の嫌疑までかけられてしまう。どうしてそんな危険を冒す。


エリスはアルベルトに向き直り、思いついた疑問を口にした。


「あのさ、王子様は何でそんな嘘の報告をしてきたの? 疑われるに決まってるじゃん?」


アルベルトは笑みを浮かべ、頷いた。


「いいところに気がついたの。そう、そうやって一つ一つ不自然なところを疑うことが大事だ」

「いいから、答えは」

「正しい答えはわからん。だが、いくつか考えられるな。準備が万端整ったのかもしれん。待ちきれなくなったのかもしれん。あるいは、エルティール伯の暗殺を機に、遅かれ早かれ露見すると思い、開き直った可能性もある」

「それって、つまり・・・王子様は、謀反をわざと教えてくれたってこと?」

「そうなるな。あれは猪武者ゆえ、ちまちまと陰謀を企てるのがめんどくさくなったのかもしれん」

「いいの? それで? お貴族様って、もっとこう・・・なんていうか」

「いるんだよ、中には。そういう大馬鹿者も」


「それにな」と、アルベルトが続ける。


「あの報告も、ただの虚報ではない。儂を討ち取るために練られた計画の一つだ」


エリスは首をかしげた。


「これから、儂とアルフは・・・というよりも、あやつに入れ知恵をしているアンリあたりだろうが、化かし合いをしなければならん」

「化かし合い? 謀反の証拠をつかんだのに?」

「儂としてはな、アルフを反逆者に指定して、討伐の兵を挙げるのはそれほど得にならんのだ」


魔王の語るところによれば、それでは正面衝突にしかなり得なかった。帝国の国力を以て反乱軍をすりつぶすような、そういう消耗戦を望むならかまわない。だが、もっときれいに、被害を抑えて勝利を得たいなら、一工夫する必要がある。


アルフレッドが周辺勢力の調略をすませていないなら、皇帝から討伐の勅許を得ることは十分な価値がある。その勢力を弱体化させることができるだろう。だが、すでに貴族達によって擁立され、その支持を確立している限り、討伐令にどんな意味があるだろうか。最初から正面決戦をする覚悟の相手に、正面決戦をするぞといっても脅しにならない。


それでもアルフレッドは、宣戦布告の通告ではなく、補給線に被害が出ているという虚報を送ってきた。これは謀反の宣言であると同時に、ノーガードで殴り合うような、短期決戦の果たし状でもあった。


通例通りに戦争状態に突入すれば、お互いに戦力を集め、会戦と包囲戦を繰り返していくことになる。年単位の時間がかかるだろう。だが、最初に総大将同士の決戦を行えば、一日で天下の趨勢すうせいは決する。


「補給線に被害が出ています。そろそろもう保ちません、なんとかしてください。宰相自ら軍を率いてこれを解決してくれないと、西部軍が分解しちゃいますよ、と来るわけだ」

「ほっといたらどうなるの?」

「西部地域が略奪を受け、疲弊しているという流言が流れ、各地が動揺、儂の名声も地に落ち、帝国の統治能力が低下。あちこちで貴族達が蜂起し、そのときこそ大規模な反乱によって帝国を転覆させられるだろう」

「へー」


腹黒紳士達の考えることはえげつないなーというのが、エリスの感想だった。


「儂自ら行かずとも、将軍に兵を与えて向かわせることもできるが、そのときはその部隊を殲滅して勢いをつけるつもりだろう」


結局、西部の大部分を支配下に収められてしまっている以上、反逆者として討伐するか、アルベルトが援軍に向かうかのどちらかしかない。


「で、おーさまは援軍を出すつもりなの?」

「そういうことになるな」

「何でわざわざそんな危険を選ぶわけ?」


アルベルトの政策は過激なものではあったが、すべては帝国の再興、より強い集権国家の成立に向けたものだった。帝位の簒奪も思いのままといわれながら、一切帝位に手をつけず皇帝を保護しているのは、アルベルトには私腹を肥やしたいという意思がなかったからだ。


国家の代表者はお飾りでいい。実力者が影から支配する方が都合がいい。皇帝が実権を握れば、皇帝一族が世襲によって統治することとなり、無能な皇族が帝国を瓦解させてしまう。実力者が実権を握るならば、能なしによる混乱は避けられる。


たとえヴィッセンバッハ家が皇族になるのだとしても、皇帝一族が統治し続けるような未来は、アルベルトには我慢ならなかった。帝位継承にまつわる争いを軽減し、かつ実力主義を徹底するためには、実力者は帝位に就かない方がよいという結論に達していた。


そんなアルベルトにとって、帝国を長期にわたって蝕む内乱は望ましくないはずだ。だから、必ず魔王は短期決戦に応じる、というのが王子達の目論見だった。


つまり、西部軍はアルベルトを援軍要請の形で引きずり出して討ち果たすことを、魔王は西部軍の援軍要請に応じる形で出兵して返り討ちにすることを、画策することになる。お互いに、相手の陰謀を知りながら、まるで気づいていないかのような振りをしつつ、駒を動かすことになる。


必然的に、両者の主力軍は接近し、常に決戦の機会を窺うだろう。いつどこでその戦いが起きるかはともかく、普通の戦争よりも遙かに早く決着がつくことは間違いない。


「危険は危険だが、最善は尽くす。しばらく準備に時間がかかるからな、おぬし達はゆっくり休んでもよいぞ。あとは儂の仕事だ」

「あ、そ。じゃあそうさせてもらう。つかれた」


エリスは立ち上がり、軽く右肩を回した。


「それで、褒美は何がいい」


えーと、とエリスは上を向いた。もう一人参謀がほしい、というのもある。でも、これから魔王も忙しそうだし、戦略の遂行には人材が必要だろう。普通の人間なら喜ぶ地位や名声も、エリスの手には余っていた。金品にも興味がなく、強いていえば長ーい、十年くらいの休暇がほしかったが、さすがに無理だろう。


ふと思いついた。


「あれだ。エンピツ」

「エンピツ?」

「そう。いつも報告書描くときに使ってるあれ。あれの、色つきのやつがほしい」

「は?」

「黒ばっかじゃつまんないじゃない? 別に、黒しか作れないわけじゃないんでしょ?」

「報告書の書き方を覚える気は?」

「あると思う?」


アルベルトは考え込んだ。褒美をやると言ってしまった手前、だめともいいにくい。


「赤とか青とか黄色とかさ、紫とかそういうのもあったら、報告書描くの楽しくなっちゃうなー」


ちらっちらっと横目で魔王を見る。


「紫は無理だと思うが。青いエンピツも、そうとう作りにくいと思うんだが」

「へー、おーさまのくせに、褒美をくれるって言っておきながらくれないんだ?」

「わかった。作れるかどうか確認させておく。しばらく待て」


満足そうに頷くと、エリスは退出しようとしたが、ふと足を止めた。


「そうそうエンピツなんだけど、あれ、使いにくくない? 先っちょにいちいちはめ込むのめんどくさいし、ときどき取れちゃうし。もうちょっと改良できないの?」

「わかったわかった。その辺も調べさせておく」

「ありがとー」


もはや、孫にプレゼントをねだられる祖父のような姿だった。

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