1-2 「大丈夫。絵は下手だけど、文章はちゃんと書けるから」

第三親衛隊は、およそ二年ほど前に編制された新設部隊になる。設立者はアルベルト。威勢衰えたりといえども、広大な領土を有するロムリア帝国の宰相を務める男だ。帝国東方を治める王でもあり、若年からの才覚と勇猛、知謀と、何よりも冷酷さを以て政敵を排し、宰相の座についた。意思さえあれば帝位の簒奪も思いのままと噂され、国内に並ぶ者のない権力者として君臨している。


苛烈な処断のためについたあだ名が魔王。ブランデルンの魔王。それが、アルベルト・ヴィッセンバッハの名声を象徴していた。


アルベルトがシュミで作った第三親衛隊だが、その統率は十五歳の隊長エリスに一任されていた。まだ幼く、まして女子のエリスに部隊を任せるに当たって、アルベルトが一計を案じた。何しろ、部隊の設立メンバーは全員が罪人だ。何かしらの罪で捕らえておいた者達の中から、特殊な才能を持つ者だけを選りすぐって寄せ集めたのが第三親衛隊。そのような無法者達をまとめ上げるには、隊長としての力量が必要なのは当然だった。


そこでアルベルトが気を利かせ、エリスに汚れ仕事をさせた。謀反の計画を暴かせ、関係者および、一族郎党を皆殺しにさせたのだ。正確には、エリスが直接手を下したのは首謀者数名だけだったが、わざと話を大きくして広めた。


おかげで魔王の寵臣、魔王の手先、忠実なるしもべとして伝わるようになり、幾度かの残虐な行為の後には、エリスにも立派な異名が与えられていた。それが、魔女、である。


魔王のために贄を捧げる者。それが魔女だが、今日の魔女の手土産は、数枚の報告書だけだった。


「いい加減、報告書の書き方くらい覚えてくれんかね」


魔王も魔女には甘かった。同じ事を別な人間がしでかしたら、前線勤務に回されるだろう。


「何があり、何が起きたかが分かればいいんでしょ」


箱から出された数枚の紙に書かれていたのは、要領を得ない落書きとメッセージだった。


「何があり、何が起きたか分からないから言っているんだが」


とんとんと、渡された紙の、主に絵の部分を指さした。その絵が何を表しているのかは分からない。とりあえず、多分人間なんだろうなという輪郭をしている。


「大丈夫。絵は下手だけど、文章はちゃんと書けるから」


確かに、字は綺麗だ。申し分ない。だが、字が書けるということと、文章が書けるということは違う。


「この、『うわー、やられたー』という部分は、必要なのか?」

「そこがないと、私たちが潜入した時に交戦したことが伝わらないでしょ?」


ならば素直に、「潜入し、交戦した」と書けばいいのではないか。そんなことを思ってみるが、そういうやりとりが無駄であることを、アルベルトも学習している。ため息をつき、アルベルトは居住まいを正した。


「では、最初の報告書から順に、儂に分かるように報告してくれ」


この謁見は、臣下が主君に状況を報告するために開かれている。王国諜報部の総責任者が、最重要議題について報告する会議なのだ。出席者は二名。いつもこの二人で行われることになっている。あらぬ噂が立つこともあるが、事実は違う。


エリスの態度は、最高権力者に対するものとしては全く相応しくない。このような物言いを、他の家臣達の前でさせるわけにはいかないという事情がある。しかしながら、アルベルト自身はこの少女の不遜な態度を楽しんでいる。魔王に対して言いたいことを言える人材は多くはない。エリスを除けば、同年代の、古くからの側近に限られる。どの顔ぶれも、ずいぶん老けてしまった。


生来、アルベルトは異質な人間が好きなのだ。泣く子も黙る魔王アルベルトを前にして、好き放題言ってのける子供と話すのが楽しくて仕方がない。だから、エリスとの謁見はいつも二人きりだった。


「じゃあまず最初」


いくつかの丸みが描かれている紙を抜き出した。ほかの絵に描かれているのが人間なら、ここの丸みのいくつかも人間なのだろう。すこし細長く表現されているのは、きっと背の高い男・・・ではなく、馬だろう。隣の四角で馬車を表現しているに違いない。


「出かける前に説明したように、西部軍の補給線が襲撃を受けた」


両手を挙げて万歳しているような人々が、「おなかすいたー」と言っているのは、補給が途絶えた兵士たちの姿なのだろう。


「出動前の調査により、補給線の経路上にある町、エルハルスで不審な者たちの密会が行われていることを突き止めた。それで、まずはそいつらの屋敷に潜入したわけなんだけど」


次の資料の人々は、手に何かを持っていた。一人は棒、一人は箱、一人は半月を手にしていた。見慣れているアルベルトは、このくらいなら理解することができる。剣と盾と弓を持った戦士たちを描いたものだ。


「敵の人数と装備は? どうして交戦した?」

「だって、敵が多かったんだもん。私はニンジャじゃないんだよ」


第三親衛隊の基本戦術は二段階に分かれていた。今では五十人近くの部隊になってはいるが、担当する仕事は多い。全員を一つの任務に割り振れるわけではない。隊長自ら出馬する最重要任務といえども、投入人数は二十人が限度だ。傭兵含め、同数以上いる可能性のある屋敷に対して最初から襲撃をかけるやり方は、エリスの好みではなかった。


まず屋敷の調査を行う。出入りする人数、風体、装備、職業など。敷地の地形。侵入可能な経路とタイミング。退路と撤収用馬車の潜伏場所の選定。それらを把握した上でエリスが単独で潜入を試み、交戦不可避となったところで戦闘部隊が突入して時間を稼ぐ。


それが第三親衛隊のやり方だった。一つ残念な点を上げるなら、エリスの隠密能力はそれほど高くはない。たいていどこかで発見され、結局は隊員たちが実力行使に出ることになる。


「屋敷にいた連中は、首謀者と傭兵に二分されると思う。傭兵らしい男たちに指図をしていた奴らは、全身鎧をそろえていて、剣の心得、それも集団戦の経験があるような感じがした」


言いながらエリスは、指折り何かを数えている。数え終わると、はっきりと言い切った。


「装備が統一されていない、傭兵風の男が七人。全体の統率をしていた一番偉そうなのが一人と、その副官らしいのが二人。残りの一般兵が十人。わかってると思うけど、私が見た人数しか数えられないから」

「装備に特徴は?」

「金属鎧の兵士はいなかった。剣も鎧も、統率されている男たちの装備は、帝国では一般的な物。特にブランデルン王国の兵士の支給品でよく見かけるやつだった」


そういう重要な情報こそ報告書に記すべきだと思うが、エリスらしき丸が「あーみつかっちゃったよー」とか、「とつげきー」とかそういうことしか書いてない。


次の資料ではこれもやはりエリスなのだろう、「はっけん!」という台詞が強調されている。


「戦闘の間に回り込んでさらっと文書を確認したら、ランカプールの印が押された物を見つけた。けどあいつら用心深くて、重要な連絡には暗号を使ってたから、たいした収穫はなかった。暗号、いる?」


「念のため、写しておいてもらおうか」


手近な紙に見たままの暗号を書き出していく。写生すらまともにできないエリスだが、文字はきれいに書き写すことができる。アルベルトは、いつもそれを不思議に思う。


「それで」と、次の紙をアルベルトの前に置く。横たわるように重なった人々が死体を表し、それらを手にかけた人物が黒く塗られている。


「この黒いのは?」


魔王の問いに対する答えは、「あ、そいつが誰だかわからないから、謎の人物っぽくしてみた」。なるほど、と、また一つエリスの表現技法を習得した。離れたところに描かれた人物の台詞が目を引いた。


「けいかくどおり、とあるが?」

「そう。まさに計画通りだったの」


手始めに捜査を行った屋敷からは、多くの情報を入手できなかった。しかし、さほど大きくもない町で、素性の知れない戦士たちが集会をしていたとなれば、情報の方向性が間違っていたとは考えにくい。エリスが確認した情報から、次のとっかかりを見つけられるはずだった。


さらなる情報収集を継続しながら、エリスは本部に伝令を飛ばし、参謀の助言を仰いだ。それに従い、あえて第三親衛隊がこのあたりの捜査に乗り出したこと、先の屋敷から有力な情報を得て、次なる段階に進もうとしているという噂を流させた。


襲撃の後、特別な動きを見せず、捜査固めに徹していたのが功を奏したのだろう。相手としても気の抜けない時間が続いていた。そして、恐れていた事態が現実となったことを知り、隠蔽工作に走った。雇っていた傭兵たちに暇を与え、次の仕事を求めて出立したところで口を封じたのだ。


仮にも傭兵だ。技量のほどはさておき、数名で行動している傭兵を一人残らず始末するからには、手練れの襲撃者であるか、さもなければ多数であったことになる。装備の統一性、戦闘経験などから考えて、正規兵の仕業である可能性が高まった。その線で考えたとき、手持ちのキーワードはランカプールただ一つだ。


南に接する神聖帝国方面では最大規模の都市であり、帝国西方を担当するアルフレッド軍を後援する要衝でもある。ロムリア帝国において、ランカプール公爵といえば皇帝の遠縁にもあたり、何人もの大臣を輩出した名門中の名門である。さすがの第三親衛隊も、ランカプール公爵邸に押し入るわけにはいかない。


そこで再び参謀の献策に従い、ランカプールにアルベルトの疑念が向けられているという情報を流した。すでに王国では、ランカプールに向けて軍の出発が予定されている、と。


すると、死体が増えた。死亡者の身元を調べさせてみると、どうやら王国の兵士のようだった。口封じが大好きな謀略家らしい。誰が口封じをさせているのかまでは不明だが、誰かが誰かを通してさせていることに疑いようはない。その中継地点の一つと目されたのが、ランカプール城の警備隊長だった。


「というわけだから、どうせ早晩警備隊長も消されることになる。でも、警備隊長は消す方でもあったわけだから、むざむざ殺されるのを待ちはしないでしょ」

「それで、そいつが街から逃げ出すのを待って捕らえた、と」

「そういうこと」


ふむ。と、アルベルトは考え込んだ。話の流れはわかった。しかし、ランカプール公はそれほどの愚物だっただろうか。公の後継者は使い物にならない人物だったが、公自身はそのような無能ではない。帝国に対する妨害などという大それたことを、公子ごときが企てるとも思えず、かといって公の対応としてはずさんすぎる。


果たしてこの展開、誰にとっての「計画通り」なのだろうか。エリスは、自分たちだと思っているようだが。


「それで、その警備隊長の尋問は終わったんだろう?」

「あー、うん。そうなんだけど」


エリスは口を濁した。言いにくそうに説明する。


「警備隊長に直接指示を出していたのは、ランカプール公爵の家臣、エルティール伯なんだって。例の屋敷があったエルハルスはエルティール伯領内にあるから話はつながるんだけど・・・」


アルベルトは首をかしげ、先を促した。


「警備隊長より先に消されちゃってるんだよねぇ」


話がますますややこしくなってきた。いくらでも補充がきく兵士レベルであれば、口封じで消し尽くしても問題はない。が、伯爵を暗殺したとなれば、それは戦争にもつながる重大事件となる。


「しかもエルティール伯だからさ」


アルベルトもエルティール伯という言葉を聞いたことがある。一時期、よく耳にしたはずだった。が、覚えていない。


「誰だったか?」

「・・・覚えてないの?」

「うむ」


エリスがあきれて見せた。物を忘れるという経験のないエリスではあるが、普通の人は記憶が薄れるものであることを理解している。だが、さすがにこれを忘れるのはいかがなものか、というのが率直な感想だった。


「おーさまのお世継ぎさんは、アルフレッド王子でしょ? そのお妃の出身は?」


言われてアルベルトも思い出した。


「あぁ、そういえばエルティール伯の姫だったな。いやぁ、アルフではなく、儂がもらいたかったんだが」


伯爵家の出自で魔王の後継者の妃になるということで、一時は話題になった。王家では反対意見も根強かったが、エルティール伯爵家がランカプール公爵家と同族のため、家格の低さには目をつぶることになった。


「だが、儂のところにはまだ、伯の死亡、暗殺の知らせは届いていないが?」

「知られたくない理由でもあるのかなぁ」


主従関係をたどるなら、必ずしも帝国まで連絡する必要はない。エルティール伯はランカプールの家臣に当たり、ランカプール公の主君はロンダリア国王になる。ロムリア帝国からすれば、家臣の家臣の家臣の死亡に過ぎない。


しかし、エルティール伯に関していえば、帝国宰相の第一継承権者の妻の実家になる。その報告が来ないのは筋が通らない。


「警備隊長はほかに何か知っていなかったか」

「あのおじさんの役目は、一個小隊程度の兵士たちの統率だった。エルハルスを中心として、西部軍のための輸送線を襲撃してたみたい。実際に馬車を襲うのは傭兵たちだったけど」


西部軍の司令官は、アルベルトの第一子、アルフレッドだった。アルベルトがそうだったように若くして戦場を駆け、功を上げている。現在では、良好な関係とは言いがたい神聖帝国に対する抑えとして、帝国西方を監視下においていた。


「ランカプール公がアルフに背き、補給を絶って襲撃しようとでも? そんなばかな」


帝国主力部隊の一つを、いかに有力公爵とはいえ、相手に回せるわけはない。アルベルトならばできたかもしれないが、魔王を基準にしてはいけない。たかだか数回馬車を襲ったくらいで、軍勢が疲弊するわけもない。まして、ランカプール家はエルティールとは同門だ。エルティールの姫がアルベルトの世継ぎの妃である以上、どうして次期後継者を襲う必要があるだろうか。


「おじさん、最終的な計画は知らされてなかったらしい。なんか、帝国に対してよからぬことをしようとしてるんだろうなっていうのはわかるけど、何をするつもりなのかまではさっぱりだって」

「だろうな。警備隊長では、そのくらいまでしか知らされまい。エルティール伯は核心にいただろうが」

「エルティールを調べてみる?」


それが正攻法だろう。今持っている情報から考えれば、そこが糸口になる。しかし、もう少し欲張りたいところだった。


「伯の死が報告されないのは理由があるはずだ。何かを企んでいることは間違いない。ならば、もうちょっと動いてもらおう。おまえたちが嗅ぎ回ってしまっては、何食わぬ顔で報告に現れる。それはつまらんな」

「じゃあ、どこ調べればいい?」

「警備隊長は、エルティール伯から、どうやって指示を与えられていた?」

「いつも直接指示されてたって」

「伯はランカプールにいたんだな?」

「お城で密会してたって言ってたから、そうなんだろうね」


アルベルトはしばし考え込み、ひとまず基本情報を集めることにした。


「エルティールとランカプールの城を見張り、出入りする人間の種類と人数、頻度を探れ。それから、エルティール伯の性格も調べておいてくれ。伯が野心家ならば事態は比較的小さいかもしれん」

「伯爵が堅実な人だったら?」

「大事かもな」


魔王の考えることはよくわからないが、次の任務が張り込み調査であることはエリスにも理解できた。


「私も行った方がいい? 時間がかかりそうなら都にいた方がいいかもしれないけど」

「おまえにも出てもらおう。儂からの指示が届き次第、すぐに城に突入してもらうことになるかもしれん。準備はしておけよ」

「うわぁ・・・伯爵の城攻めるの? 二十人で?」

「三十人は用意しておけ」

「三十人で城攻め? 頭、大丈夫?」

「なに、城を落とせと言っているわけではない。いつも通り、重要書類さえ目を通してくればそれでいい」


エリスもこれで何度も死にそうな目には遭っている。隊員が優秀なおかげで持ちこたえているが、いつまで続く保証もない。しかし、悲しきかな宮仕え。いくらエリスでも、主命に背くことはできなかった。


「あぁそれと」と王は付け加えた。


「伯爵の城とは限らん。ランカプール城に入り込む場合もあるから、気を抜くなよ」


決して口にできない言葉を胸に秘め、魔女は微笑みで返した。謁見は終了し、木箱を手にして立ち去った。

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