第1話:夜中:マンションの一室にて(side:星見アヤメ)
♪~♪~
森林の静かな音が部屋の中で響く。
今かけている音楽はリラクゼーション音楽の一つです。
涼風に合わせて、木々がお互いを頬ずりし、葉がざわめいています。木々たちの声の中に鳥の澄んだ鳴き声が響き渡り、鳥たちも好きな相手にアピールしていると考えると、応援してしまいます。
森林の音を聞きながら、ポプリを傍に置く。今日のポプリはラベンダーのポプリ。ラベンダーの上品な香りで、リラックスさせてくれて、とても好きです。
ゆらゆらとロッキングチェアに座ってくつろいでいれば、まるでここが森の中にいるような感覚に陥っていきます。
ああ、このまま森林の奥にある花畑で埋もれていきたい……。
バタン
「ただいまー、と」
扉をあけ放つ音とともに、ラベンダーの花の香りの中にシンナーのにおいが混じってくる。
……残念ながら、この幸福な時間はあっけなく終わりを告げたようです。
折角の安らぎの時間を壊したが、冷静に、いつものことであると心を落ち着かせながら、声をかける。
「お帰りなさい、ジェダル。今日も遅かったですね」
彼は同居人のジェダル。今年の春ごろから一緒に暮らし始めた私のパートナーである。お母さんがあまり帰ってこなくなり、一人でいることが多くなってきたため同居人がいることはうれしいのだが、彼はいろいろと粗暴なところがあり、ちょっとイラつくことがある。
だけど大丈夫。私はずっと人に迷惑かけないようにしてきたのだから、どれだけ嫌なことがあっても顔色変えずに対応でき……
「ん?なんだよ、なに怒っているんだよ?」
「怒っていません!」
本当にこういうところがイラつくのだ。簡単に私の気持ちに気付いて、それを指摘して、わざとなのではないだろうか。
もうリラックスする気分にもならなくなってしまったし、このままBGMを消しておく。どうやらジェダルもテレビの電源をつけているようだ。
『〇〇高校の五十嵐 大地選手、リハビリ後であるため心配する声もありましたが、100m走の市大会にて新記録を出す華やかなスタートを……』
どうやら陸上のニュースが流れているようだ。でもこの選手って、確か……
「ああ、それと……ほらよ、今日の宿泊代だ」
「きゃっ!も、もう、投げないでくださいよ!」
考え事をしていると、ロッキングチェアに座っている私の膝の上に袋をポイっ、と落ちてくる。その中にあるものを一つ一つ摘まんで確かめてみると、その中身はいくつかの硬貨と数枚の紙幣がありました。どうやらそれはお金のようです。毎日昼間は外に出かけて、お金を稼いでくるのです。
『住まわせてもらっているんだから、金くらい払うのは当然だろ?』
それが彼の言い分です。こういうところは律儀というか真面目というか……。
そういった真面目なところはもっと他の場面でも出してほしいものです。
「それで、今日は何を描いてきたのですか?」
「いつも通りだよ、俺が描きたいと思ったものだ。題名としては、そうだな……『深き世界の光』といったところか?」
何なのでしょうか、そのタイトルは……。
ジェダルはいつも昼になると街中へと出かけています。どうやら路上でスプレーアートを行い、それを売って稼いでいるようです。ただ、毎回タイトルがそれだけでは分からないものばかりで……。
『私は眼が見えないのですから、もっと詳しくいってください!』
最初のころ、言い続けてきた言葉だ。だけど一度たりとも聞き入れてくれたことはなかった。
何時ものように彼の言葉の一つ一つに不満に思っていると、ふとシンナーの匂いの中に嫌な匂いが混じっています。
鉄臭い、嫌なにおいが……。
慌てて椅子から立ち上がり、彼に駆け寄ります。
「お、おい、いきなりなんだよ」
彼が慌てた声を出す。自分の体を動かして振りほどこうとします。体格差的にすぐにでも振りほどかれそうになりますが、絶対に振りほどかれたりしません! そのためにもより強く抱き着きます。
「絶対に離しません!ジェダル、貴方どこか傷をしているのではないですか!」
「傷なんてして、つっ!」
強く抱き着いた拍子に、ぬちゃり、とした嫌な触感がしました。彼の袖をめくって、一つ一つ丁寧に触っていくとそこには、横一線に皮膚が裂かれ、その上からざらざらとした触感、さらに動かしていくと、肉を触っているかのように生温かな感触が……。
「ジェダル、腕に傷があるじゃないですか、なんで正直に言ってくれなかったの!」
「こんな傷、つばでもつけていれば治るだろ」
本当にこの
そんなこと、我慢して聞き流せばいいのに……。
我慢し続ければ、より傷つくこともないのに……。
「じっとしていてくださいよ、すぐに治療しますから」
「……ふん、勝手にしろ」
自分がいつも使っている包帯とガーゼ、それから傷薬を取り出します。先程触れた場所と同じ場所にガーゼを当てて、大きさを確認してから鋏でガーゼを切っていきます。
これくらいであれば目が見えない私でもできます。……周りの人は間違って傷を負ってしまわないか、と怖がっているけど、本当は私だっていろいろとできるのですから……。
ある意味、こうやって哀れなものを見ないでくれるのは、この人くらいなのでしょう……。
そんな考えが浮かぶが、すぐに頭を振る。彼はただ粗暴なだけの自己中心な人なだけです。傷口に薬を塗って、ガーゼで保護。そして包帯で傷口を固定します。
「これで大丈夫ですよ。もう、すぐに喧嘩に走らないでくださいよ」
「別に俺の勝手だろ……」
本当にこの人は……。
そのままてきぱきと片付けていく。一つ一つ、元あった場所に戻していきます。少し気まずい雰囲気になってしまった。でも悪いのはあちらなのだから、こちらが謝ることはないはずです!
チク、タク、チク、タク……
時計の針の音とTVの音だけが響き続ける。どうしても気まずい雰囲気に耐え切れなくなってきます。どうしてでしょう、他の人相手であれば別にこんな時間、なんとも思わないのに……。
「……その、ね?喧嘩の原因についても、描いた絵についても、もう少し詳しく教えてくれても……」
ゴーン、ゴーン……
鐘の音が、聞こえる。
この近くには鐘の音が鳴るような施設はありません。この音色は私があの招待状を受け取ってから、0時になるといつも鳴る音。招待状を受け取り、戦うことを決意した人たちにしか聞こえない音……。そう、いつもの戦いの時間になったのです。
緊張で体が強張ってしまう。また、あの戦いが来るのです。私たちの願いのために、他者から奪う戦いが……。
ふと、手のひらが暖かくなります。
ごつごつとした触感。強すぎず、だけど存在がはっきりとわかるほど強く握ってくれています。隣を見上げます。きっとそこには、彼の顔があるのでしょう。
「大丈夫だ、俺に任せておけ」
ああ、なんででしょう……。この一言が、なぜかいなくなってしまった兄さんのことを思い起こさせるのは……。
その握られた手を握り返し、いつもしている眼の包帯を解く。皆嫌っている、私に光を届けない瞳を開きます。
「大丈夫よ、ジェダル。いつものように『代行者』として、必ず勝利をおさめましょう」
そして、世界は変わる。私たちを戦いの舞台へと導かれます。その瞬間、どこか肉が腐るようなにおいが一瞬します。この瞬間のせいで、どれだけここが煌びやかな場所になる、と聞いていても信じられないでいます。
今日の舞踏会は、どのような戦いになるのでしょうか……。
ただ、願うことは一つです。どうか、ジェダルが傷つかず、無事に終わりますように……。
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