第41話

「そうね、訊いたあたしがわるかったわ。そんなことどうでもいいもんね、ごめんね」

 くにちゃんは口に手を当て、屈託のない笑いを浮かべながらいった。

 気がつくと目の前のカウンターに、注文もしていないのに刺し身、煮物、おでん、焼き魚などが並べられていた。

 ひと通り料理を出し終えたくにちゃんは、カウンターの向こう側で丸椅子を持ち出して大好きな冷酒をやりだした。

 客がいるわけでもないのに、結構グラスを空けるピッチは早かった。人生経験の豊富な女性たちは、流れるような饒舌さで話題を何度も差し替え、話の内容はかみからしもまで幾度も行ったり来たりを繰り返した。

 ずいぶんと話が盛り上がって、やっとひと息ついたとき、

「……あたしきょうは何だか酔いが廻って……ちょっと飲み過ぎちゃったみたい。わるいけどきょうはこのへんで切り上げるわ。あんたあたしを送ってくれる気がある?」

 占い師は弓削の顔を見ていった。

「僕はいいですよ」

 弓削は突然のことに気が削がれた気分がした。と同時に、青山墓地の近くのアパートが目に浮かんだ。

「何、もうお開き? せっかく貸し切りにしたのに……」

 くにちゃんは残念そうな顔をしてグラスを持ち替えた。

「くにちゃん、ごめんね。また今度ゆっくり飲むから」

「いいのよ、気にしなくて。誰でもそういうときってあるから。それより早く家に帰ってゆっくり休んだほうがいいわよ」

 占い師はくにちゃんに頼んで冷たい水を一杯もらい、息もつかずに咽喉の奥に流し込んだ。グラスをカウンターに置くと同時に椅子から立ち上がり、煙草を吹かしている弓削のほうを見て帰り支度を目で促した。

 店を出ると、いつもと違ってまだあちこちに営業中を報せる店の看板の灯が点いている。弓削は占い師の腋に腕を差し入れ、抱えるようにしながら後ろを振り返ると、くにちゃんが店の前で心配そうな顔をして見送っていた。

 タクシーを拾うのに大きな通りに向かって歩いていると、占い師が躰を預けるようにして、

「……いままであんたの望むことすべて叶えてやっただろ、一回くらいあたしの我がままを聞いてやろうという気はあるかい?」

 と、呂律の廻らない調子で訊いた。

「そりゃあ、僕のできることであれば……」

 弓削は物分りのいい人物を装ってそうはいったものの、頭の中に得体の知れない不安が閃光のように過ぎった。

 占い師は陰翳の濃い繁華街の灯りの中で、弓削の顔をまじまじと見据える。弓削は占い師のいわんとしていることがまだよく理解できなかった。くにちゃんの店ではあれほど体調がわるいと話していたのに、店を出てから何分も経ってないいま、弓削に焦点の合わない視線を投げかけている。

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