第14話

「どうかしたのか?」

「じつは、私、会社を辞めようかと思ってるんです」

「えッ!」

 弓削はあまりにも唐突な香織の言葉に一瞬耳を疑った。

「……以前からずっとそのことを考えてたんですけど、なかなか決断することができなかったんです。ところが、ついこの間父が交通事故に遭って入院したという連絡が母から入ったんです。だからこれを機に故郷に帰ることにしました」

 香織は情事の直後とは思えないほど冷静な口振りで話した。

「もうそれは決めてしまったことなのか?」

 弓削は香織の顔を上から覗き込むようにして訊いた。

「……」

 香織は目を逸らせた。

「それで、お父さんの具合はどうなの?」

「たいしたことはないと母はいうんですが……聞いたとこによると、大腿骨にヒビが入って歩行が困難で、しばらく入院しなければならないらしいんです」

「それにしても、何も会社を辞めなくたって休暇をとって帰ればすむことじゃないのか」

「それも考えたんですけど……部長さん、正直なところ、私のことどう思ってます? 私ももうこの年齢だし、かといっていますぐに結婚する相手がいるわけでもないから……」

「そりゃあ、香織とこうなったことに対して責任は充分感じているよ」

「いや、別に私は部長さんを責めているわけじゃないんです。私だって子供じゃないからそんなことぐらいちゃんとわかっています。それに、いまでも部長さんのことが嫌いじゃないから……。でもこのままいつまでもこの関係をつづけるわけにもいかないと思うんです。だからこれを切っ掛けに遠く離れようと……」

 そこまでいって香織は顔を背けた。その香織の目からひと筋の泪が枕に流れた。

 弓削はその泪を見てとった瞬間、もう二度と逢うことができないという寂寥の気持にとらわれた。次の言葉が口をついて出てこなかった。香織もそれきりそのことに関して口を閉ざした。

 沈黙に支配されたベッドルームには何かを予感させる空気が横溢しはじめている。

 弓削は躰の向きを変えると、香織の気持を推し量るようにそっと腹部に掌を載せた。生暖かな感触が掌に伝わってくる。慰撫するようにゆっくりと右手を上下に何度も動かす。香織は目を瞑ったままで弓削を感じていた。

 その夜、弓削と香織はこれまでのふたりを省みるように何度も情交を交わし、未練を残さないようにする気持がいつもより烈しい行為にさせた。――

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