笑顔の連鎖

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

笑顔の連鎖

杉山はタクシーの運転手である。

東北の地方都市であるタクシー会社に勤めている。杉山が話好きかというとそうでもなく、そのため客との会話に詰まることもままある。

無難に天気の話をしたり、子連れであれば子どもの歳を聞いて「可愛い年頃だ」と言ったりする。客の方も一通りのやりとりをした後は、スマホをいじったり窓の外を見たりと特に関わりを求めない方が多いので、杉山は初めと最後の会話をすれば良いかと思うようになって来た。


そんな時、1人の女性客を乗せる事があった。冬が近い時期で、時間は9時を過ぎていた。

この街は雪が深い地域のため、冬は皆が活動を停止して家にこもっているーと思うほど夜間の外出が減るので、タクシーの売り上げはさほど儲かるものではない。


そんな折、その女性客は駅から走ってやってきて、杉山の車に乗った。


「月が丘まで」


30には届くか届かないかという年頃だ。身なりはきちんとしていたが、そう高級なものを身につけているわけではない。

ただ、杉山がうっかりと声をかけてしまうほど、彼女の表情にはウキウキとした明るいものがにじみ出ていた。


「何か…良いことでもありましたか?」


声を掛けてから、杉山は迂闊な質問を後悔した。客によってはそのような質問を嫌う人もいる。

しかしその女性客はとても明るい声で返してくれた。


「ええ、なんていうのかな…お芝居を観てきました」


「お芝居?こんな街で?」


「駅の東口のコンサートホールです」


彼女の話によると、杉山でも知っている女優が主演のミステリー劇が上演されたのだという。


「それは良かったですね」


「ええ、ホントに。ずっと前から観たかったんです。こちらに引っ越してきて観られと思ってもいなかったので、思い切って観にきました」


思い切って、という言葉を不思議に感じて杉山はどういうことか聞いてみた。


「ひと月のお小遣い、全部使ったんです」


聞けば彼女はこの街に越してきたばかりの専業主婦で、ひと月の小遣いは一万円だと言う。6ヶ月の赤ん坊を、出張の多い旦那と2人で育てている。


「今晩は久しぶりの1人での外出なんです」


旦那の休みと、公演の日が重なったので迷った末にチケットを購入したのだそうだ。ギリギリだったため、残りの席は一万円の席しか空いてなかったが、帰って良い席が取れたと彼女は笑った。


主演女優が客席に登場して、席がその側で嬉しかったとか、その女優から華やかは香水の香りがしたとか、とても楽しげにその女性客は語った。


そのせいか、目的地にはすぐついたような気がして、杉山は驚いた。


料金は3千円と少し。


杉山はその少しをまけて伝えた。

その人はたいそう喜んで杉山に感謝の意を示し、杉山も少し気分が高揚する。


バックミラーで見ると、その人は杉山のタクシーに深々と礼をしていた。


(こんな夜もあるんだな)


杉山は少しだけ笑った。


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