039:偽りの勇者様。


「急いでみんな!! 門はもうすぐそこよ!! 門を抜けたらすぐ森に逃げ込んで!!」


 ウマルは必死に声を上げる。

 まだ歳若い彼女が自分の命さえ危ういこの状況で、他人のことを考え行動できたのはなぜか。

 それはウマル自身分からなかった。

 怖くないわけがない。


 その証拠にウマルの足はガクガクと震えている。

 身体も痙攣したように上手く動かなかった。

 生まれて初めて死を間近に感じたのだから、なんら不思議なことではない。

 それでも彼女が身体を動かせたのは、偏に生への渇望だろう。


 心には底知れない恐怖と混乱だけがあった。

 突如現れたあの存在はなんなのか。

 なぜ自分たちの命を奪おうとするのか。

 なぜ自分たちは命を奪われなければならないのか。

 なぜ、なぜ、なぜ────


 そのとき、ウマルは最も見たくないものを見た。

 心臓が跳ね、急激に呼吸が乱れる。

 いつの間にか流れていた涙によって見えずらくなった視界に───絶望が映る。


「そんな……」


 自分たちの村を地獄へと変えた黒ずくめの集団のうちの1人が、門を塞ぐようにどこからともなく現れたのだ。

 ウマルを含め、逃げようとしていた者たちは恐怖に身を竦めた。

 誰しもが理解したのだ。

 自分たちはこれから───死ぬのだと。


 (助けて……お姉ちゃん……)


 吟遊詩人の歌うお伽噺など嘘っぱちだ。

 勇者様なんてどこにもいない。

 誰も助けに来てくれはしない。

 あるのは抗いようのない“死”だけではないか。

 ウマルは己の運命を呪った。

 心の底から。


 不意に黒ずくめの姿がブレた。

 戦闘などしたことのないウマルにはそうとしか見えなかった。

 しかし───自分が次の瞬間には死んでいるだろうことはわかる。

 そのどうしようもない恐怖がウマルの瞼を閉ざさせた。

 何も見えない暗闇の中、歯を食いしばり、覚悟とともに来るであろう痛みをじっと待ち───


「───〈バインド〉」

 

 聞き慣れない声が聴こえた。

 続いて何かを切り裂く音も。


「もう大丈夫だよー」


 そのどこか気の抜けるような声に、ウマルはゆっくりと目を開ける。

 そこに居たのは1人の男。

 金の絹のような髪に白い肌。

 纏う雰囲気はどこか高貴さを感じさせ、そしてとても気だるそうな目をした男だ。


 だが、彼が貴族ではないことは一目瞭然だった。

 それは彼の服装。

 不格好に大きなリュック。

 傷物のジャケットとズボン。

 使い込まれたブーツ。


 しかし、そんなことは些細なことだ。

 今のウマルには、彼が全く別の存在に見えた。


 それは───


「勇者……様?」


「……いや、違います。俺は勇者じゃありません」


 きょとん、とする彼を見てウマルはこんな時だというのに固まってしまう。

 しかし、すぐに自分が今すべきことに思い至った。

 

「た、助けてください勇者様!! 家族が……村が襲われているんです!!」


「あ、分かりました。なら助けますね」


「えっ……」


 とても不思議な人だった。

 こんな時だというのに、彼が一縷の恐怖や緊張も感じてるようには思えなかったのだ。

 さも当然のように。

 日常の一幕であるかのように彼は───『助ける』と言ってくれたのである。


 そんな違和感を感じたのはウマルだけではないようで、共に逃げようとしていた人たちもただ黙って彼を見ていた。

 だが、だからこそと言うべきだろうか。

 なぜか、自分たちは助かる。

 彼は負けない。

 絶対に負けない。

 そんな確信がウマルにはあった。


「ほんとに……いたんだ……」


 ───勇者様って。


 ただゆっくりと敵に向かって歩いてゆく彼の背を見ながら、ウマルは静かにそう呟いた。

 


 ++++++++++



 なんだろう。

 アギナ村はすごく綺麗。

 のどかで牧歌的、そしてどこかファンタジーな印象を受けざるを得ない。

 村の中央を流れる太い水路、そしてそれを渡るためにかけられた水路橋。

 至る所に緑が見え、なかには果実のなっている木もあるためとても色彩豊かだ。

 

 うむうむ。

 とても美しい村だ。


 まあ、それはこの虐殺劇がなければの話だが。


「な、なんなんだお前ら!!」


「や、やめ───ぎゃぁぁあああ!!」


「逃げろクリスぅぅうう!! 逃げろぉぉおおお!!」


「いやだぁぁあああ!!」


「助げぇぇぇ、助げぇぇぇ…………」


「お父さん!! 嫌だよお父さん!! 起きてよお父───ガファッ」


「やめで、ぐだざい、やめで、ぐだざい、おねがい、じまず、なんでも、じまず、やめ…………」


 普段はとても美しいアギナ村も、今は血を撒き散らしながら大地に転がる村人と、迫り来る死を拒絶しようとする悲痛な叫び、そして血と殺戮の匂いがあるだけだ。


 やっぱいいなーこの世界。

 俺はこの光景を見ながらそう思わずにはいられなかった。

 人が日常的に殺し合う世界。

 なんて素晴らしいんだろう。

 嘘に塗り固められ、ありとあらゆるものに我慢を強制される前の世界よりよっぽど綺麗な世界だと思う。


 これが自然でしょ。

 普通、生き物はいろんな理由で殺し合うもんでしょ。

 なぜ人間だけがそれを辞めよう辞めようと躍起になるのか。

 そんなことしたら増えすぎるだけだろうが。

 人間という害虫以下の生き物がさー。


「何者ダ、貴様」


「……勇者ではない、とだけ言わせて。恥ず過ぎるから……」


「フザケルナ。問ニ答エロ」


「答える必要はないでしょ。───だってお前ら、絶対に死ぬから」


 ところで、今俺は5人の黒ずくめの奴らに囲まれている。

 〈バインド〉からの剣でザシュッ、って感じで黒ずくめの奴を適当に殺してたら囲まれた。

 コイツら身体能力が超人的だけど魔力を持ってない。

 それは魔法に対してあまりに無力ってことだ。

 つまり、俺の敵ではない。

 〈危機感知〉にも反応ないし。

 

 とは言っても、ヤバい“魔道具”を持ってるかもしれないので油断はできない。

 だから油断してる風なことを言ってみたんだが、コイツらは距離を取りながら短剣を構えるだけ。


 んー、ほんとになんにもないのか?


「えーっと、2人助けようかなー。お前らが何者で何が目的なのかも知りたいし」


 コイツらから返事はない。

 凄い警戒されてる。

 でも───魔法が使えないんじゃ俺は倒せないと思う。


「───〈バインド〉」


 俺のその言葉に呼応して、5人はまるで棒のようにピンと伸びて地面に倒れた。

 戦闘にすらならない。

 うん、やっぱこの魔法凄い便利。

 さすがに一気に5人だから抵抗されてる感はあるけど、微々たるものすぎる。


「クッ……クソ。人間……風情ガ……」


「人間……ハ、全員、滅ビロ」


「人間ニ死ヲ……」


「人間ニ死ヲ……」


「人間ニ死ヲ……」


 …………。


 なんだろ、コイツらすごい気味悪い……。

 狂気じみたもんを感じる。

 それにしても、人間じゃないのかコイツらは。

 口振りからしてそんな感じだし、人間への恨みも結構深そう。

 まあ、それは大いに構わないけど。


 ──ん、そういえば確かに。


 コイツらからは人間特有のキモさみたいなもんが……少し薄いな。

 これはちょっと正体を知るのが楽しみだ。


「じゃあ、君と君で」


 適当に2人を選び、俺はそれ以外の残り3人の首を刎ね飛ばした。

 

「えっと、そこの君」


「…………」 


「そうそう、君だよ君。縄を持ってきてくれる? コイツらを縛っておきたいから」


 これまた適当に指名した村人Bの少年は、一瞬何を言われているのかわからないというような顔をした。

 まぁ、当然か。

 まだ混乱と恐怖が交じり合っているのが手に取るようにわかる。


 はぁー、しんどい。


「もう大丈夫。もう安全だから。ゆっくりでいいからさ、安心して縄をとってきてくれるかい?」


「……あ、はい。はい! 分かりました!」


 少年はそそくさと走っていった。

 これでよし。


 ───と、思ったんだけど。


「舐メルナヨ……人間ガ……」


「人間ハ……滅ビロ……」


 ドサり、と〈バインド〉で捕縛してた2人が倒れた。

 あっちゃー、毒仕込んでたんかー。

 それは予想外。

 あの少年が持ってくる縄は無駄になったな。

 まぁいいか。

 今更悔いても仕方ない。


 さて。

 困惑の視線をぶつけてくる村人たちにも対応せねば……もう、ほんと疲れる……。


「あ、あなた、あなた様は一体……」


 1人の老人が代表して口を開いた。

 その目に映るのは、あの黒ずくめの奴らに向けていたのと同じ困惑と恐怖の色。

 まあ、それが当然か。


「旅の者です。たまたまこの辺を通りかかったとき、悲鳴が聴こえてきたものでね。助けに来たんです」


「おぉ……なんと……」


 ざわめきが上がる。

 安堵の色が浮かぶ。

 しかし、そんな中にあってもまだ集まった村人から不安と恐怖の色は消えない。


 んー、どうしたものか。

 と、困っていると──


「勇者様!!」


「……え」


 1人の少女が俺の足に抱きついてきた。

 最初に声をかけたガキだ。

 それと同時に嫌悪感と吐き気が込み上げてくる。

 

 うぷっ、ヤバい……吐きそ……


「ちょ、ちょっと離れてねーお嬢ちゃん。さっきも言ったけど、俺は勇者じゃないからね……」


「いいえ! 勇者様です! 私たちを助けてくれました!」

 

 ぎゃぁぁあああ!!

 もう離れてくれ!! 

 吐いちゃうからぁぁあああ!!

 マジ吐きそうだからぁぁああ!!

 

 しかし、そんな吐きそうになる俺とは裏腹に、村人の表情は緩んでいく。

 どうやら、この少女のおかげで村人の懐疑的な色は薄れたらしい。

 はあ……何はともあれ結果オーライか。

 うぷっ。

 いいかげん離れてくれぇぇええ!!

 頼むよ……。


「な、なんとお礼を言ったらいいか……」


「いえ、いいんです。困ってるときはお互い様ですから……」


 離れろ!!

 言葉とは別に、俺の感情は未だ抱きつきっぱなしのこの少女に向けられている。

 離れる気配がまるで無い。

 どうすれば……


 ───突然、〈危機感知〉が反応した。


 この嫌な感じが“危機”の感覚か。

 

 ……いや、は?

 黒ずくめの奴は全員殺したはずだが。

 周囲を見渡す。

 すると、後方から高速で迫る存在がいることに気づいた。


「妹を……」


 え、何あいつ。

 それは、めちゃくちゃ長い槍を持った鬼の形相の女だ。

 優秀になった俺の動体視力がそれを捉える。

 その女の背丈の1.5倍……2mを越える槍、いや斧だろうか。

 先端に斧がついてるから斧か。


 ……ってか、なんであの女ここに向かって爆走してるんだろ。


「妹を離せぇぇええええ!!!!」


「お、お姉ちゃん!?」


 その女は勢いに乗せて俺に斧のような槍のような武器を振るってきた。

 まさか村を救った俺を襲ってくる奴がいるとは思っていなかったので、咄嗟に構えた使い慣れない剣でその勢いを受け流すことなどできるはずもなく。


「ヌギャラッ!」


 俺の体重を軽く凌駕した一振。

 あの小さな身体からはとても信じられないほどの怪力の一振だった。

 無様に俺は弾き飛ばされ、近くの納屋に激突した。


 …………。


 なんだってんだ。

 こんちくしょう。

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