×××:とある少女の別れと出会い。
彼女の座る席は息苦しく重い空気が漂っていた。
ここは王都でも有名な冒険者の集う酒場なので、周りからは絶えず誰かの騒ぐ声が聴こえてくる。
難易度の高いクエストを終え、仲間とその喜びを分かち合う者たち。
幸運にも希少価値の高い素材を手に入れ、上機嫌に仲間と酒を酌み交わす者たち。
特別なことは何も無いが騒ぐ者たち。
非常に様々だが、皆に共通するのは笑顔であるということ。
達成感や充実感に満ちているということだ。
しかし、彼女の座る席だけは違う。
まるでそこだけ空間ごと切り取られているかのように、不気味な沈黙が支配していた。
むしろなぜ、この酒場にいるのか不思議なほどだった。
「…………はぁ」
彼女を含め5人の女性が席を囲んでいる。
そのうちの1人がグラスに注がれた酒を飲み干し、荒々しく机に置きながらため息をついた。
ますます居心地が悪くなった彼女は何も言わない。
当然食欲は完全に失せているので、何かに口をつける気にもなれない。
未だグラスに注がれたものが少しも減っていないのは彼女だけだ。
「これで何回目?」
「……たぶん5回目……ですね」
「…………はぁ」
「もう嫌っ。……ほんと嫌」
「あーあぁー。なんでこうなるんだろうな〜俺にはさっぱりだぜ」
「…………」
嫌な視線が複数彼女に突き刺さる。
それを敏感に感じ取った彼女は俯いたまま、その視線を避けるように頭を上げようとはしない。
逃げ出したくてたまらない。
部屋に閉じこもり鍵をかけベッドの中で小さくなっていたい。
「ねぇ、こんなこと言いたくないんだけど───」
「───抜けるよ」
「え?」
「…………」
「…………」
「…………」
彼女にはもう耐えられなかった。
今日だけならまだ良い。
だがここ数ヶ月間ずっとではもうさすがに限界だ。
直接的なことは何も言われないことが、逆に彼女の心をすり減らした。
だから彼女は───自分から切り出したのだ。
「今までありがと。みんなのおかげで冒険者としてこれまでやってこれてすごく楽しかった。Cランクなんて私からしたら本当に凄いところまでこれたなって思う。……でも、皆はもっと凄い。私が足引っ張ってるのわかる。だから私は今日で抜けるね。───じゃあ、ばいばい」
言い終わると同時に、彼女は走って酒場から出ていった。
「あ、待ってユマ───」
「……やめておきましょう。これで良かったのかもしれません」
「そうだぜ。正直、お荷物感あっただろうが。俺はやっとこの時がきたかーって思ったぜ? これから先のこと考えるとこれでいいって」
「なんてことを言うのッ!! ユマルと私たちは同じ村で育った仲間なのよッ!? よくそんな酷いこと言えるわねガルネア!!」
「おいおい俺だけ責めるなんて筋違いだぜ? じゃあなんで誰も追いかけないんだよ」
「…………」
「…………」
「私は追いかけようとしたわ!! アミルが止めなければこんな話してない!!」
「だったら追えばよかっただろうが。そんなに追いたきゃ、止められようが追うだろ普通。でもそうしなかったのは、お前も内心これで良かったと思ってるからじゃねぇのか?」
「そ、それは……」
「ほらみろ。結局、テメェはアイツが自分から言い出すのを待ってただけの卑怯者だろうがよ」
「なんなのよその言い方は!!」
それからも残る女性たちの口論は白熱していったが、周りの人間たちは気にも止めない。
なぜならここでは、そんなことは日女茶飯事なのだから─────
++++++++++
酒場を飛び出した彼女の名は『ユマル・ミルキア』
女性のみで構成されるCランク冒険者パーティー『黒椿』のメンバー……であった女性である。
黒椿の彼女たちはある共通点を持っている。
それは全員『アギナ村』の出身であるということだ。
ゆえに彼女たちは冒険者の仲間であると同時に、幼少時代からの友人でもある。
『黒椿』はギルドでも一目置かれるほどの優秀なパーティーだった。
ヴァルグラムにあるギルドでは特に有名だ。
なぜなら、彼女たちのパーティーは異例のスピードでCランクに駆け上がったからである。
しかも全員が元村娘であるということも、彼女たちが注目を集めた理由であった。
そんな彼女たちが王都に行く決意をするのに時間はかからなかった。
これは田舎で育った者なら珍しくない。
王都とは田舎出身の者にとっては一種の憧れ。
いつかは王都に住みたいと夢見るものなのだ。
そのために冒険者となる者も少なくない。
───しかし、現実はそう甘くなかった。
Bランク昇格クエストの5回連続失敗。
それが、彼女たちが王都に来て味わった最初の壁であった。
いや、冒険者としての初めての壁であったのだ。
逆に言えば、彼女たちは冒険者が当然乗り越えなければならない苦難と挫折を今まで経験していなかったのである。
それこそが、あまりに上手く行き過ぎていた彼女たちが持ちえない経験だった。
ゆえに脆かった。
苦難にぶつかった時の彼女たちはあまりに脆かったのである。
積もり積もった不満は表面化することなく、最もパーティーに貢献していないと思われる者に向けられた。
───その矛先こそが、ユマルだったのだ。
疾風の如く走るユマルとすれ違う人々が、その速さに何事かと時折振り返る。
Cランク冒険者ともなればその身体能力も目を見張るものがある。
たとえ彼女が“詠唱者”───『スペルキャスター』であったとしても。
しかし今のユマルにそれを気にする余裕はない。
もしかしたら溢れ出る感情が多すぎて、自分が全力で走っていることにすら気づいていないかもしれない。
耳の辺りに冷たいものが当たる。
それはユマルの涙。
哀しみだけじゃなく、いろんなものが混ざって流れた涙であった。
ふいにユマルは立ち止まる。
そして、自分がいつの間にか王都中央にある噴水広場まで来ていることに気づいた。
酒場から噴水広場までの距離を考えれば、どれだけ夢中で走っていたかがよく分かる。
(何やってるんだろ……私……)
ユマルは糸が切れた人形のようにペタんと広場にあるベンチのひとつに座り、空を見上げるようにして目をつむった。
ようやく解放されたのだ。
あの居心地悪い場所からようやく。
───なのに。
(なのになんで……)
唇がわなわなと震えだした。
そしてそれはいつしか嗚咽へと変わる。
感情が決壊し、涙がボロボロと剥がれ落ち彼女のローブを濡らした。
ここが外だということなどすでに頭になく、ユマルは子供のように泣き声をあげる。
やがてその泣き声に呪詛が混じりだした。
己を呪う呪詛の言葉だ。
なぜ自分には才能がないのか。
なぜ自分だけ強くなれないのか。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ────。
しかしその嘆きは全て自分へと向けられている。
ユマルには仲間が、友達が悪いなんて考えは欠片程もなかったのだ。
悪いのは友についていけなくなった自分。
込み上げてくるのは、友と同じ道を歩めないことへの深い悲しみと自己嫌悪だ。
髪を掻きむしる。
何度拭っても涙は溢れて止まらない。
これからどうすればいいのだろう。
村に帰ろうかな。
悲しみに加えて、そんな未来への一抹の不安がユマルの心をよぎったとき───
「あの、大丈夫ですか?」
声がかけられた。
若い男の声だ。
そこでようやくユマルは気づく、ここが噴水広場であるということに。
とりあえず返事をしなくては。
未だその瞳には涙が浮かべられたまま、ユマルは顔をあげた。
「大丈夫、です。す、いま、せん」
泣き止めていないせいか言葉が上手く出なかった。
本来なら恥ずかしいと思っただろうが、正直今のユマルにはどうでも良かった。
もう一度涙を拭い、ボヤけた視界を鮮明なものへと変える。
そこに居たのは戦士然とした若い男性。
髪はブロンドで、少年のようなあどけなさが残る端整な顔立ちをしている。
(私の方が歳上かな?)
ユマルは静かにそんなことを思う。
「あの……」
「あ、僕はガウェインです。ガウェイン・マクガイア。冒険者やってます。ランクは今『C』です」
しぃ、、シィ、C……Cっ!?
「Cっ!?」
「うわっ、びっくりした。ど、どうしたんですか?」
一時的にではあるが、驚きが悲しみを塗りつぶす。
「私と同じなの!? その若さで!? ……ねぇ、ほんとにランク『C』なの? 失礼だけど、ギルドカード見せてもらえる?」
「え、えぇまあいいですけど。そんなに珍しいですか? 歳は貴方とさほど変わらないと思うのですが……。えっと、これがギルドカードです」
ユマルはガウェインからギルドカードを受け取り、目を通す。
そしてすぐさま目を見開くこととなった。
それは彼が本当にCランクの冒険者だったからではない。
彼が『ソロ』のCランク冒険者だったからだ。
もはや驚きを通り越して可笑しくなってきた。
なんて世界は広いのだろう。
自分の悩みがあまりにちっぽけだ。
上には上がいるとよく言われてきたが、こんなに上がいるのだろうか。
「あはははははっ。はははー。はーはー。あーしょーもない」
「ど、どうしたんですか!?」
見た目はどこにでもいそうなただの青年ではないか。
優しそうな目をした、どこまでも普通の青年。
どれほどの才能、どれほどの努力をすればソロでCランクの冒険者になれるのだろうか。
血の滲む、なんて表現すら生温い。
桁が違い過ぎて想像することすら叶わない。
ユマルはもはや羨ましくもならなかった。
単純に凄いものを目にした驚きと感動だけが、ユマルの心を埋め尽くしたのだ。
「君、本当にすごい人だったんだね」
「え、そうですか? そんなことないと思いますけど……ありがとうござい……ます?」
ガウェインの困ったような反応を見て、ユマルはクスりと笑ってしまう。
ソロでCランクまで登りつめ、しかもそれを誇ることも奢っている様子もない。
これだけの人間が人格まで優れているなんて一体何事だろうか。
神様は平等じゃないなーと、ユマルはとても清々しい気持ちで思った。
「ところで、なんで『ソロ』なの? Cランクのソロなんて私初めて見たよ。少なくとも西側にはいないと思う」
「そうなんですか。……あぁ、だからだったのか」
「ん、どうかしたの?」
「いえ……何やら周りから変な目で見られることがよくあるなぁ、と思ってましたので。なぜか誰にも話しかけられないし……」
それを聴きユマルはまた笑ってしまう。
この人は不器用なんだ、と思った。
友と別れた悲しみがそう簡単に消えることはないが、今この瞬間だけは忘れることができた。
「それで、なんでソロなの?」
「…………えっと、笑わないでもらえますか?」
「うん、笑わないよ」
「絶対ですか?」
「絶対」
「…………」
ガウェインは言いづらそうにしていたが、しばらくして意を決したように口を開いた。
「──強くなりたいんです」
「あははははは」
「わ、笑わないって言ったじゃないですか!」
「ごめんごめん。つい、笑っちゃった」
(不思議な男の子だなぁ)
ついさっき声をかけられただけなのに、ユマルは昔ながらの友達のように感じてしまっていた。
「また聴いていい? なんで強くなりたいの?」
「……言いたくないんですけど。また笑いますよね」
「笑わない! 今度は約束するから、ね! お願い!」
怪訝な目をする青年。
しかしユマルも譲るつもりはない。
というか、ユマルには確信があった。
この優しい青年なら、なんだかんだ話してくれるのだろうという。
しばらく視線が交錯し、青年がはぁーとため息を吐いた。
やっぱりなとユマルは思う。
───だが、少しだけユマルの予想とは異なる事が起きた。
今まで優しい青年、ガウェインの雰囲気が見て分かるほど明確に変わったからである。
青年の瞳の奥がどろりと濁る。
空気が一変し、急激に温度が下がったように錯覚した。
それは無意識にユマルが自分の杖に手を伸ばしてしまうほどに。
「悪を───」
青年の声はどこまでも冷たく、暗く、そして純粋で。
「悪を根絶やしにしたいんです」
まさに子供のような目標。
英雄に憧れた幼い子供が口にするような、あまりに素直なものだった。
しかしユマルは笑えなかった。
とても笑えるようなものではなかった。
それどころか少しだけ怖かった。
でも少しだけ───素敵だなと、ユマルは思った。
「って、馬鹿みたいだと笑ってください。ははっ」
夢でも見ていたかのように、次の瞬間には青年の雰囲気は優しいものに戻っていた。
「うん、素敵だと思う」
「え、そうですか? そう言われると……なんだか照れくさいですね」
ぽりぽりと頬をかくガウェインを見て、ユマルはまたクスりと笑う。
なんの巡り合わせかはわからないが、今日のこの出会いには感謝しないといけないなとユマルは密かに思った。
「うん。なんだか吹っ切れたよ。明日にでも村に向けて出発しようかな。ありがとね、えと、ガウェイン君」
「それは良かったです。えっと……」
「あ、自己紹介がまだだったね。私はユマル・ミルキア。よろしくね」
「ミルキアさんですね。よろし───」
「ユマルでいいよ」
「え、でも初対面の女性を下の名前で呼ぶのは……」
「あはは、こんなに喋ったじゃない」
「それはそうですが……はぁ。えーユマルさん」
「うん、よきかな」
女性慣れしていなささそうな青年の様子が、ユマルにはとても良く映った。
「そろそろ帰ろうかな。付き合ってくれてありがと、ガウェイン君」
「いえ、たまたま通りかかっただけですので」
「私、明日には村に戻ることにしたの。これからどうするか分からないけど、一度戻ってリセットしたくて。だからもう会うことはないかもしれないけど……」
「そうですか。でも、またどこかでお会いしたらその時はよろしくお願いします」
「うん、私もガウェイン君にはまた会いたい。今度は一緒に酒場にでも行こうよ」
「え……実はその、僕はお酒が弱くて……」
「あはは、そうなの? それは余計に楽しみだ」
それからユマルはガウェインと別れ、荷物を取りに宿へと戻った。
『黒椿』のメンバーと鉢合わせしないか内心ヒヤヒヤしていたが、そんなことはなかった。
ユマルは宿を移し、床に就いた。
いろいろなことがありすぎて肉体的にも、精神的にも疲れていたユマルはすぐに深い眠りへと落ちていった。
ユマルとガウェインが再会するまで────あと6時間。
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