031:密議は伯爵邸にて。

 

 ライラック・キル・ギュルダン伯爵。

 ヴァルグラムという戦時においても周辺都市及び隣国との交易においても要所となるこの都市を領土にもつ彼の富は、庶民では想像することすら叶わない。

 当然、彼の屋敷ともなればその地位に相応しいだけの重厚で絢爛なもの。


 また、この堅牢な城塞都市の中央、三重の城壁の最も内周の城壁内に位置するその屋敷はいくつもの都市をもつアルム王国の中でも王都に次いで安全な場所であると言えるだろう。


 そして現在、その屋敷の一室にはギュルダン伯爵とその執事兼補佐を務める初老の男の姿があった。


 ギュルダンは椅子に座り、机に広げられたここら一帯の地図の一点を睨みつけながらいくつもの書類を机の上に並べていく。

 本人は並べているつもりだろうが、傍から見れば無数の紙が散乱していようにしか見えないだろう。


 指揮官の名簿、失った私兵の数、冒険者ギルドからの報告、ウルガの森の過去の調査記録などなど。


 ギュルダンの横に無言で立つ執事の男は残り僅かとなった水差しをグラスへと注いだ。


「……被害は計り知れんな。まったく忌々しい。一体どうなっているというのだ」


「はい、旦那様。警邏第1小隊に至っては壊滅。旦那様の私兵で指揮官を務めていた有能な者も全て失いました。しかも極めつけは、それだけの被害を出しておきながら未だなんの成果も得られていないということにございます」


「ありがとう、アルバス。嫌な事実を教えてくれて」


「勿体なきお言葉です、旦那様。しかし残念ながら、最も目を背けることの出来ない事実を私は提示しておりません」


「……あぁそうだな。今急を要する最大の問題は───エルビス家の次男の一件だな……」


「はい……」


 ギュルダンは分かりきっていても、もう一度問わずにはいられなかった。

 心から嘘であって欲しいと望んでいたからだ。


「本当に事実なのだろうな。───エルビス家に死体が送られてきたというのは」


「間違いありません。旦那様に代わり、私を含め数人の従者がこの目で確認してまいりました。身につけていた鎧も警邏第1小隊のものに相違なく、顔や体躯からもエルビス家の次男に間違いございませんでした。───首が綺麗に切り離されておりましたが」


「……そうか。未だ信じられんな。死体が送られてきた日時から元凶はやはり例の新生ダンジョンとみてほぼ確定なのだろう。なぜ新生ダンジョンに小隊を壊滅させられるだけの戦力がある。報告が上がっている他2つの新生ダンジョンとは似ても似つかん。……あぁ不運だ。なぜよりにもよって我が領地なのだ」


「旦那様、恐れながら申し上げます。問題なのは───」


「分かっておるわ。死体が送られてきた“意味”、だろ?」


「出過ぎたまねを」


 ギュルダンはため息をつかずにはいられなかった。

 なぜならこんなことは前例がなく、死体が送られてきた理由も不明なため対処が困難を極めるから。



 ───などという理由では決してない。



 むしろその逆。

 死体が送られてきた意味があまりにも明白であったからだ。


「警告、でしょうな。もしくは───」


「宣戦布告、か。ふん、どちらに転んでも最悪。かろうじて前者であった方がまだましだな」


 ここにきて、なんの成果も得られず警邏隊が壊滅したことが重くのしかかる。

 ほぼ確実だとはいえ、新生ダンジョンの存在を未だ確認できていない。

 それはつまり、他国の侵攻または妨害工作、強大な魔物誕生といった可能性を排除できないことを意味していた。


 実際ギュルダン自身も、時期ではない他国の侵攻の可能性は薄いにしろ強大な魔物の誕生及び移住は大いに有り得ることだと考えている。


「不幸中の幸いだったのは、駐屯兵団ではなく私兵の警邏隊をつかったことか。もし中央軍の奴らをつかっていたら王都への報告は免れなかった」


「旦那様、王都への報告はなさらないので?」


「当たり前だ。こんな失態、報告できるか。第2王子派の者共を盛大に喜ばせてしまうことになるぞ。少なくとも今回の原因の究明、もしそれが新生ダンジョンであるならば最低限以上の情報を手に入れる。王都への報告はそれからでも遅くはあるまい」


「かしこまりました。ではそのように取り計らいます。従者にも他言無用を徹底させておきましょう」


「いつもすまない。お前には長年世話になりっぱなしだなアルバス。……はぁ。私は静かに暮らしたいだけなのになぁ。馬鹿息子は冒険者になるなどとぬかし王都の養成学校へなんの断りもなく行ったしまうし。何やら新興宗教の不穏な調査報告書はあがってくるし。お次は面倒極まりない新生ダンジョン問題ときた。……不幸だ。不幸すぎる。なぜ私ばかり……」


「何をおっしゃいますか旦那様。私は好きで旦那様にお仕えしているのです。こう言っては不敬でありますが、他の貴族の方々と違いその高貴な身分に微塵の奢りもみせず、民のために真に頭を悩ませている姿には心から尊敬できます。そんな旦那様に幼少の頃より仕えさせて頂いていることは、私の密かな誇りなのでございます」


 表情を僅かに綻ばせながらアルバスは胸の内を吐露する。


「よしてくれアルバス。むず痒いではないか。それに私が頭を悩ませているのは無能ゆえだ。殿下のように聡明ならばこうも悩むこともなかっただろうに。さて、そろそろ嫌なことは忘れ夕食にしよう。妻を呼んできてくれ」


「かしこまりました、旦那様」


 ギュルダンは机に広げられた地図と様々な資料を片付けることなく、静かに椅子から立ち上がりそのまま部屋をあとにした。



 ───彼の不幸が未だ序章でしかないことを、知ることなく。

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