029:無垢な天使。

 

 ガタガタ、ガタガタ。

 森の中を進む馬車は時折大きく揺れ、決して乗り心地がいいものでは無い。

 ここはアギナ村と城塞都市ヴァルグラムを繋ぐ一本道。

 頻繁に利用されるために最低限の整備されているとはいえ、当然中心都市のそれとは比べるまでもない。

 ……おかげで尻が悲鳴を上げっぱなしだ。


「本当にまいってしまうな。なぜ我らがこんなことを」


「まったくですね。だから平民に騎士を任せるのはよした方がいいと言ったのです。それも重役まで」


 ヴァルグラム警邏第2小隊の不帰の報告。

 隊員12名。その中には隊長、副隊長、国家迷宮鑑定士の資格保持者まで含まれていたという。

 この損失は計り知れない。

 大きな失態だ。

 今まで保ってきた勢力の均衡を完全に崩壊させてしまうほどに。    


 そもそも、我ら警邏第1小隊と平民の寄せ集めでしかない第2の連中が今まで同列に見られていたことがおかしいのだ。

 騎士とは貴族がなれるもの。

 幼少の頃より騎士になるべく研鑽を積んできた我々のような貴族が。


「でもまぁいいさ。新生ダンジョンなんてそうお目にかかれるものじゃない」


「待ってください。まだダンジョンだと決まったわけではありませんよ。第2の連中がどこぞで怠慢しているだけということも」


「それはさすがにないよアイヴァン。アイツらは自分たちの立場をよーく理解してた。真面目さだけが売りの連中だったからな」


 しかし第2がなき今、予てからの悲願である警邏隊統一もいよいよ現実味を帯びてきたな。

 ずっと不満だったのだ。

 わざわざ隊を分け平民のみで構成される第2などを作り、我々と同列においたことが。

 隊を別に作るにしても優劣をもっと明確化すべきだった。

 そうすればアイツらがあれほどつけあがることもなかった。

 まったくもって忌々しい。

 だがまぁいい。

 それももう終わる。


「それにしてもなぜ我々が第2の尻拭いなどせねばならぬのか。第2の失態は第2で償うのが道理でしょう。伯爵様直々の命でもなければ、父上に直訴しているところです」


「仕方ないだろ。今第2の立場は危うい。隊の長を失い、しかも“ダンジョン関連の任務”を失敗したのだ。ククッ、奴らもこれから大変だろうよ。さらに奴らは伯爵様の身辺警護が主な任である我々と違い、街の治安維持という極めて格の低い役割がある。数だけは多い第2とてこれ以上人手を割くわけにはいかぬのだろうよ」


 それに新生ダンジョンの可能性が僅かにでもあるのならば、我々が調査すべきというものか。

 帝国や連聖国に先に領有権を主張されては厄介だからな。


 これからのことに思いを馳せながら笑みを浮かべていると、馬車から伝わる不快な振動が止み、馬の嘶きと共に馬車が停まった。


「着いたぞ。馬車から降りしだい隊列を組め。これよりダンジョンの視察及び調査、状況次第で攻略を行う。型は言うまでもないな」


「はっ!!」


 隊長の言葉に対し私を含めこの場の全員の声が重なった。

 すぐさま機敏な動きで順々と馬車を降りていく。

 馬車を降りるまで気づかなかったが、不気味なほど霧が濃いな。

 隊列を組みながら私はそんなことを考えていた。


 ……まぁ、霧などどうでもよいな。


 それは、あまりにも美しかった。

 魔性とでも表現すべきか。

 今初めて見たにも関わらず私はすでに虜だ。


 全てを飲み込むかのような純黒の神殿。

 いや、神殿というよりは祭壇と言った感じか。

 禍々しく不気味な雰囲気のなかに神秘的な魅力が同居している。

 これがダンジョンだとはとても信じられない。


 ……欲しいな。


 私がそんな決して叶うことのない願望を抱いているときだった。



「───完全な隠蔽能力。本当だった。真実だった。厄介。すごく厄介。報告しなきゃ。報告。報告」



 後ろから女の声が聞こえた。

 すぐさま振り向いたが……誰もいない。

 気配すらない。

 そもそもこの隊に女はいないはずだ。


「気のせい……か」


 まあ気にすることもあるまい。

 今はこのダンジョンを少しでも長く見ていたい。


 それから我隊の国家迷宮鑑定士の資格を持つイスガン様がこのダンジョンの階級を鑑定した。

 結果は『D』

 油断はできないが我々にとって脅威とはなりえないと判断。

 隊長は調査から攻略へと移行すると宣言した。


 願ってもないことだ。

 これ程まで美しいダンジョン。

 中を見れないなど生殺しもいいところだ。


 号令と共に隊列を崩すことなくその黒き祭壇へと上がり、そこから下り階段をおりていく。

 間近で見ればより迫力と美しさが際立つ。

 私の心はより一層高揚した。


 階段を下り先へ進むと、2つの扉と2つのレバーのある部屋に着いた。

 ……ふむ、なるほどな。


「いかがいたしましょう、ルゼフ隊長」


「フンッ。どうせ我らを分断する仕掛けだろう。どうやら我らの人数を割けばどうにかなると思ってるらしいな。片腹痛いわ。なぁ皆の者よ」


 隊長の言葉に賛同の笑い声が響く。


「面白い。素直に目論見に乗ってやろうではないか」


 それから隊が2つに分けられ、私は隊長のいる方の隊に組み込まれることとなった。


「先の合流地点で落ち合おう。くれぐれも独断で先へ進まぬ事だ。いいな? イスガン」


「はっ!」


 そして両サイドにあるそれぞれのレバーを同時に倒せば、それに呼応するように分けられた2部隊の間に凄まじい勢いで壁が現れた。


 ……タチが悪いな。


 予想していたとはいえ一瞬言葉を失ってしまった。


「では、行くぞ」


 だが、どうやら動揺していたのは我々隊員だけだったようだ。

 隊長の声には一切の怯えがなく、その短い言葉だけで士気は回復した。

 さすがルゼフ隊長。

 貴方が王都へ行かずヴァルグラムに留まってくれたことを心から嬉しく思います。


 私たちが進むのは左の扉だ。

 隊長自らその扉をゆっくりと開ける。


「おい」


「はっ。───《フォロイングライト》」


 魔法の光により明らかとなった扉の先に広がるのは、樹海だった。


「視界が悪い。慎重に進むとしよう」


 それから木々の合間の道無き道を進んでいく。

 しかし……魔物が1匹も見当たらない。

 明らかにおかしい。

 このダンジョンの階級は『D』

 生まれて間もないダンジョンだ。


 ではなぜ────



 カサッ


 カサカサカサカサカサッ


 カサカサッ


 カサカサカサカサッ



「ん?」


「なんだ、なんの音だ」


 突然、草木を分ける葉擦れの音が辺りから無数に聴こえ始めた。

 明らかに今まで聴いていた我々のものでは無い。


「全体止まれ。索敵の型だ」


「はっ」


 しばらく警戒を強める。

 だが───何も起こらない。


「なにも、ないですね」


「あぁ。……不気味だな」


 そしてしばらくして再び探索を再開した。

 相変わらず魔物は1匹もいない。

 その代わりとばかりにトラップがやたらと多い。


 だが、トラップなど隊長がいる限り脅威ではない。


「次、右手の樹を警戒。さらに半歩先の地面にもだ」


「はっ」


 我らが隊長は“見破る”ことに恐ろしく長けている。

 ゆえにトラップなど無意味。



 カサカサッ



「ん、またか」


「……そのようですね」



 カサカサッ


 カサカサカサカサカサッ


 カサカサカサカサカサカサカサカサッ



「……またこの音か。お前ら、一応け────」


「アァァアアアァァアアアッ!!! 目がァァァアアア!! 目がァァァアアア!!」


「な、なんだっ!! どうした!!」


「グワァァァアアアアッ!! 見えないッ!! 見えないッ!!」


「どうした何が起きている!! 誰か状況を説明しろ!!」



 ───混乱はあまりに突然だった。



「た、隊長!! 攻撃です!! 何者かに狙撃を受けていると思われます!! 魔法詠唱者リーグ並びにキャント、両者目を負傷した模様!!」


「なんだとッ!! まずい。総員、守護の型だ急げ!! 最高級薬の使用を許可する!! 使え!!」


「はっ!!」



 ───そして、混乱はさらに加速する。



 私は隊長から最高級薬の使用許可をもらい、すぐさま行動しようとした。



 だがその時───何かが羽ばたく音が聞こえた。



 反射的にその音の源へ全員が視線を向ける。

 そして、私たちは出会った。




 ……いや、出会ってしまった。




 彼の戦いで滅んだとされる神話上の存在───熾天使様と。




 私たちは呼吸すら忘れ魅入ってしまった。




 この世のものとは思えないほどの美しさだったからだ。




 熾天使様は上空から我々を見下ろし、そして───



「マスターーーーー!! 見ておられますかぁぁぁあああ!! 私が今からマスターの聖域に土足で踏み込んできたこの無礼で愚かで身の程を弁えていない羽虫共を滅ぼします!! 見ててくださいね!!」











 あぁ、神よ。

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