雷雨の回想

――廃寺での顛末から、二日目の夜。飛鳥と忠松、それに新発田率いる私兵の一団は尼ヵ谷の国へ強行軍を続けていた。未だ続く忠松捜索の一隊を避け、山野に分け入って。

決行前夜となる今日になって、一同は楼月館を見下ろす古ぼけた地蔵堂にたどり着き、身を隠していた。


満月から二日、少しばかりやせ始めた月を見上げて、飛鳥が一人ぼんやりと腰掛けている。傍らには、あちこちに小さな傷の付いた二輪バイクが立てられていた。

繰り返し、飛鳥は思案していた。鷺橋の国で過ごした日々と、それらに背を向けて旅立った日のことを。置いていった者たちの大きさを。


りぃん、りぃんと虫のなく音に心を預けて、一人。

ふと、背後から草に踏み入る足音を聞いて、飛鳥はふっと微笑んだ。


「お前も月見か、新発田。」


問いに答えるでもなく、新発田は少し距離を離して腰掛ける。


「忠松は。」


「寝ているよ。しばらくは俺を睨んでいたがな。」


そうか、と小さく答えて、飛鳥はまた月を見上げる。再開してからこちら、緊張の走っていた二人の間に少しだけ穏やかな雰囲気が流れた。


何年ぶりだろうか、と、どちらともなく問いかける。淡い月光に照らされて、二人の目の前には在りし日の幻が浮かぶようであった。


飛鳥と新発田、それに郷士友井家の娘であるひたきは、幼い時分からきょうだい同然に育てられた幼馴染である。

喧嘩っ早い飛鳥に、控えめながらも強い意志を持つひたき。そんな二人に挟まれて、かつては新発田もさんざっぱら野山を駆け回り、時には剣の腕を競い合っていた。


「ひたき様は、何故尼ヵ谷に。」


「鷺橋のためだ。お前がいなくなってから、あの方にはそれだけだ。」


飛鳥がたずねれば、声音に後悔を滲ませて新発田が答える。


殿、この国の党首は幼いひたき様一人だった。鷺橋を守るには、どうしても飛曾家の助けが要る。」


「そうか。……ずっと前から「人質」だったんだな、ひたき様は。」


そうして、また少しの間沈黙が流れる。


「なあ、飛鳥。そろそろ聞かせてはくれまいか。」


沈黙を破るように、新発田が問いかける。声音は穏やかながら、その瞳の内には強い意思が除いて見えた。


「何故、親父殿を斬らねばならなかった。」


「お前ならば、うすうす分かっていようよ。」


自嘲気味に笑って飛鳥が答える。


――それは今から五年前の、雷雨の夜。剣生一名をつれて東京を訪れていた郷士が、宿の自室で斬られ、死んだ。名を友井頼冶よりはる。当時の鷺橋郷士、ひたきの父親である。

嫌疑が掛かったのは、同行していた剣生、飛鳥。すぐに捜索は始まったが、彼女は忽然と姿を消した。宿にただ一揃えの水兵セイラー服、剣生の証だけを残して。


「内通だよ。親父殿は大陸側と通じて、日本ひのもとという国そのものを揺るがそうとしていた。」


搾り出すように、飛鳥が告げる。苦悶と共に吐き出されたその一言に、新発田はただ無言で頷いた。飛鳥の言うとおり、うすうすは気づいていたのだろう。塾頭である彼ならば、当時のことを探るのも容易い。


飛鳥はひざを抱え込むようにして俯き、またとつとつと語りだす。


「偶然だったよ。書斎で書状を見つけて、親父殿を問い質して。……節穴だよ。十数年同じ館で過ごして、あの人にあんな一面があろうとは、少しも見抜けなんだ。」


「それは、皆同じだ。」


新発田が、飛鳥の自嘲を諌める。


「……ことが明るみになれば、ひたき様も連座となるだろう。それだけは、どうしても避けたかった。」


そういうと、飛鳥は顔を上げて新発田に微笑みかける。その目には薄らと涙が滲んでいた。


「結局、私たちは似たもの同士ということさ。国の為、誰かの為と言い訳をして、罪を背負うことでしか前に進めない。お前を責める権利なんて、私にありはしないんだ。」


「似たくないところばかり似てしまうのが、というものなのだろうさ。」


そういうと新発田は立ち上がり、来た道をまた、草を踏み分けて帰ってゆく。


「遅くまですまなかった。お前ももう休むといい。」


「ああ、そうしよう。」


先ほどよりも高くなった月が、二人を照らす。

飛鳥はまた、すこしばかり月を見上げて佇むと、二輪バイクを押して地蔵堂へと帰っていった。

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