妖剣、乱舞
夜が明けて、日の高くなるころ。飛鳥たち一同は、楼月館から出城へと向かう街道の程近く、深い竹林の中に身を潜めていた。新発田の私兵たちは、数は少ないながらも優秀なようで、味方である飛鳥にもその気配を掴む事は難しかった。
飛鳥の役目は、陽動。隠密に長ける私兵たちの時間を稼ぐため、彼女が先陣を切って移送隊を掻き乱す。危険な役目に、
その傍らには、
尼ヵ谷と鷺橋、二国の命運が掛かった一戦を前に、飛鳥の脳裏には、今朝方の新発田の姿が蘇る。
『いくら康人とて、奥の手も無く事を起こしたわけではあるまい。背後には、あの居士もいる。』
私兵たちに指示を出しながら、そう言った新発田の表情には、相変わらず深い眉根の皺が刻まれていた。
『飛鳥よ。なにごとかあれば、最後はお前の判断で動け。きっとそれが、党首様の為になる。』
不吉な予感を感じさせる言葉に、しかし飛鳥は、ただ頷く。その予感あればこそ、この男は私を呼び戻したのだ、と。
(鬼が出るか、蛇が出るか。)
やがて、低い駆動音が風に乗って聞こえてくる。街道の向こうに姿を現すは、装甲車が数台と、周りを固める私兵たち。それに加えて、忠松の
来たか、と独りごちて、飛鳥が操舵を握る手に力を込める。
移送隊はゆっくりと、周囲への警戒を解くことなく歩みを進める。竹林の一団は、息を呑んでそれを見つめていた。
やがて竹林の中で、ひょーぅと、鳶を模した鳥笛の音が低く響く。一回。二回。……三回。
――合図だ。
飛鳥が
「邪魔だっ。」
それも想定の内と、飛鳥が手近の兵に勢い任せに斬り伏せる。炭素鋼の刃が閃くと、甲冑はさぱりと切れて、兵は血飛沫を上げて倒れ落ちた。
「賊だっ。あの女剣士だあっ。」
誰とも無く、兵の中から声があがる。呼応するように飛鳥は鉄騎を繰って、殺到する兵たちの中へ飛び込んでゆく。鉄騎が駆け抜け、一閃、二閃と白刃が踊れば、その度に血飛沫が舞い上がる。
所詮は急揃えの私兵といったところか、身軽に地を駆ける飛鳥に釣られる様に、次第に兵や重機があの装甲車から引き離されていった。
今のところ、手はずに狂いは無い。飛鳥は刹那に判断すると、また踵を返し、
――ずぅん、と、車内に鈍い振動が響き渡る。
人質たちの乗る大型装甲車の少し前方、先導を担っていた装甲車の車内。証明の落とされた内部には、異様な雰囲気が漂っていた。
壁一面に、宗教的文様の描かれた札や掛け軸が、四方に立てられた蝋燭の明かりに照らされている。内部に備えられているのは、どこか実験室を思わせる器具の数々。その中心、畳敷きに改装された床の上で、一人の老人が俯いて座っている。
僧侶のような衣装を纏ったその老人が顔を上げると、深い皺が幾重にも刻まれた顔が揺れる火に照らされた。
「
酷くしわがれた声で、老人が呟くとまた、ずぅん、と車外から振動が伝わってくる。
外の喧騒も、この装甲車の中からでは、遠い世界のことのように思えた。
「お前が出なさい。よき余興は、我らの主を喜ばせるだろう。」
その一言に呼応して、車体の奥、蝋燭の火の届かぬ暗がりから、ゆらりと影が立ち上がった。
気だるさを隠そうともしない足取りで、陰はゆっくりと装甲車の外へ歩いていく。ひひ、と、老人がしわがれた声で笑えば、影――大鎧に身を包んだ剣士は、扉に手をかけて外へと踏み出した。
――一際大きな唸りを上げて、鉄騎が
(そろそろ、か。)
やがて一組の親子が装甲車から飛び降りると、一人の女性を連れ立って出てきた新発田が、再度鳥笛をひょーぅと鳴らす。撤退の合図だ。
「ひたき様っ。」
「飛鳥、さんっ……。」
女性――剣生服に身を包んだひたきが、飛鳥を見て驚愕の色を浮かべた。飛鳥は纏わり付く兵を鉄騎の突撃で薙ぎ払い、装甲車の元へ駆け抜ける。
「飛鳥さん、ああ、いつ振りでございましょう……っ。」
ひたきが、感極まった声を上げる。飛鳥はひたきの目を見て頷くと、横にいる新発田にちらりと目配せを送った。新発田がそれに応じるように、ひたきを抱え上げると、飛鳥の乗る二輪の後部に乗り込ませようとした。
「よくやった飛鳥。お前達は一足先、に……っ。」
その時。がぁんと音を立てて、飛鳥が大立ち回りを演じていたのとは反対側の側面から、大きな振動が起こる。新発田が体勢を崩すと、続けて二度、三度、砲撃のような衝撃が装甲車を襲い、やがて装甲車は煙を上げて横転した。
飛鳥が慌てて衝撃のもとを見やれば、そこには、かの大鎧の剣士が、横蹴りを入れた格好のまま立っていた。
「目の前で、人質全員掻っ攫われましたァ、ってのも癪だからよ。」
「アンタぐらいは、オレと一緒に来てくれや、姫さん。」
一目で、異様と分かる立ち姿であった。黒の大鎧には、至る所に機械部品が仕込まれていることが見て取れ、全身を這うような赤の機械配線は見るものに血管を想起させる。肩には身の丈ほどの野太刀を担ぎ、頭部を覆う兜の面部分には、能面の不動を思わせる意匠があしらわれていた。
「貴様、何者っ。」
飛鳥が、鉄騎を降りて構える。背後では、新発田とひたきが、何とか装甲車から這い出てきている気配が感じ取れた。
剣士は、飛鳥のほうをまじまじと見やると、しばし逡巡するように沈黙した。飛鳥が、足を擦るように間合いを測ると、
「オレが、何者ってか。」
そう言った刹那。――剣士の姿が、ふっ、と消える。
「っ、貴様……っ。」
「知りたきゃこの面、割ってみなぁッ。」
突如、目の前に現れた剣士の一撃を、飛鳥が何とか防ぐ。重い、重いその一撃に、飛鳥は砂埃を上げてあとじさった。装甲車を容易く破壊する胆力から放たれる一撃は、人の域を超越している。
「舐め、るなっ。」
飛鳥も負けじと、野太刀を振り払って刃を打ち込んだ。剣士はそれを手甲で打ち払うと、今度は野太刀を横薙ぎに振りぬく。さっと後ろに飛びのくが、かわしきれなかった剣戟が浅葱の着物を切り裂いた。
「貰ったぁッ。」
その隙を突くようにして、剣士が大上段から野太刀を振り下ろす。すると今度は飛鳥の姿がふっと掻き消え、振りぬかれた野太刀の上に、音もなく舞い降りた。
「こちらの、台詞だっ。」
一歩、野太刀の上で大きく踏み込んで、飛鳥が渾身の面打ちを叩き込む。鈍い金属音を響かせて、剣士の兜が、割れ落ちる。
その下から現れたのは、日に焼けた肌に、短く揃えられた浅茶の癖毛。顔の左上半分を痣に覆われた、女剣士の貌であった。
「お前、
「会いたかったぜ、飛鳥ぁッ。」
驚愕する飛鳥を他所に、剣士――薊が、野太刀から手を放す。支えを失って体勢を崩す飛鳥の腹に、薊は鋭い横蹴りを叩き込んだ。ひゅうっ、と飛鳥の口から空気が抜け、肋が嫌な音をあげる。その勢いのまま、飛鳥は二度、三度地面を跳ねて転がっていった。
「こんな下らねェ仕事でお前に合えるたぁ、僥倖だな。」
薊は野太刀を拾い上げると、ゆっくりと飛鳥のほうへ近づいてゆく。兜割りの余波で、額には大きな傷が残り、血を流していたが、その負傷すら意に介す様子はない。
……いいや、意に介す必要すらなかった。その傷の周りには急速に桃色の新しい肉が作られ、すでに塞がり始めている。
更に一歩、二歩。薊は飛鳥の命を刈り取らんと、歩みを進める。
「何をしている、飛鳥っ。」
その前に、装甲車から這い出てきた新発田が立ちふさがる。薊は苛立たしげに舌を打つと、再度野太刀を構える。
飛鳥は、何とか刀を杖に立ち上がるが、呼吸もままならない。
「お前は、二厘でひたき様をっ。」
「邪魔だ、ってんだよッ。」
薊が、野太刀を新発田へ打ち込む。凄まじき剣捌きであったが、新発田はその荒削りな剣筋をしっかりと見切って、体をかわしていく。
しかし、飛鳥は薊の目に、妙な光の宿っているのを感じていた。おぞましい予感に、駄目だ、と声を上げようとするが、喉から漏れるのは、ひゅう、ひゅうというか細い呼吸ばかり。
装甲車の元から、ひたきが駆け寄ってくるのが、目の端に映る。
「いい加減、にィ、ッ。」
いらだつ薊が野太刀を振り上げるのを見て、新発田は一歩、大きく踏み込む。薊の耳に、ふっ、と言う呼吸音が届くよりも早く。渾身の一撃は、心の臓を貫いた。
「……悪ィなぁ、そんなんじゃ、死んでやれねェよ。」
「な、にぃ……っ。」
胸を貫かれたまま、薊が嗤う。砕けた鎧の下からは、赤黒く光りながら鼓動している腫瘍のような肉塊が除いていた。
驚愕する新発田の腕を握りこむと、もう片腕をきりきりと軋ませながら、大きく横へ振りかぶる。
「とく、ゆきぃッ。」
大きく喘ぎながら、飛鳥が声を振り絞る。それを嘲笑うかのように、薊が剣を振りぬくと。
――新発田の上体が、音とともに千切れ飛んだ。
ぽた、と、飛鳥の顔に血が降り注ぐ。
薊は、愉快げに、くく、と声を上げて嗤った。
「ははッ、見たか飛鳥ァ!この剛剣を撃ちし後、敵の五体上下真っ二つに裂けェ!散りたる血の荒滝の向こう、裏見の洞が如く見透かす魔道の一撃!誰が呼んだかうらみ胴、このアタシの妖剣さね!」
「きさ、まァッ!」
正体を失った飛鳥が、震える足で薊に突っ込んでいく。薊は野太刀を構えることすらせず。足払いで飛鳥を転がすと、また声を上げて笑った。
「よい、余興であった。」
不意に耳元で、しわがれた老人の声が響く。飛鳥が驚いて顔を上げると、先ほどまでは影もなかった暗雲が空を覆い、その中に、巨大な老人が立っている。
妖術と呼ぶほかない、その立ち姿こそは、装甲車に控えていたあの老人、康人の軍師である居士の姿であった。
「飛鳥、さんっ。」
装甲車の方から、ひたきの叫ぶ声が聞こえる。目線を向ければ、先ほど切り伏せたはずの兵たちが、生気を失った貌のまま血を流して、ひたきを拘束している。
「逃げてっ。今は、逃げるのですっ。」
「おーおー。お優しい姫さんだこと。」
薊はそれを笑うように、見せ付けるように。足元で苦しむ飛鳥に野太刀を振り上げて。
「ああああああッ。」
鉄の拳に吹き飛ばされ、それを阻まれる。装甲車の残骸を踏み越え、飛び出してきたのは、忠松の
忠松は急いで飛鳥の体を拾い上げると、ひたきの方へ重機を向きなおさせたが、その前には先ほど亡骸となったはずの兵たちが幾重にも立ちふさがる。目の端には、街道の向こうまで飛んでいった薊が、立ち上がってくるのも見えていた。
「行きなさいっ。」
ひたきがそう叫ぶと、忠松は意を決したように、鉄の
……いつの間にか怪しき暗雲は去り、ひたきは居士の乗る装甲車へ連れ去られていく。
後には、新発田の亡骸だけが残された。
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