らんたのん

moga

らんたのん

 ぱちり。


 目が覚める。辺りを見回す。ここはどこ? 私はだれ? 嘘だ。嘘ばかりついている。忘れたふりをした。あなたは死刑です。わたしと一緒にしにましょう。らんたのんの声がした。僕は返す。おいおい。絞首刑はひとりぼっちの刑罰なんだぜ。バカなことを言うんじゃないよ。


 らんたのんは、けらけらと笑って、感電死したような声を上げている。なんだか寂しくなって、僕は少し大きな風船を身体につけた。風船は空に浮かんでいく。ぶら下がった僕のことなんて何も気にせず、天井をすり抜けて。


 おおよそ子羊二頭分の重さを支えているとは思えない。また適当なことを言って。らんたのんが非難の針を僕に刺す。町に赤い雨を降った。汚れちゃった。ごめんね。弁償はできないとおもうけど、かわりにこの杭をあげよう。


 この杭は、ただの杭ではないんだよ。オークションサイトで、一本十万円で売られていてもなんらおかしなことはないほど、すばらしい杭なんだ。らんたのんは冷ややかな目で僕を見ると、杭を奪って食べてしまった。ああ。なんてことを。それは、オークションサイトで一本百万円で売られていてもおかしくはないすばらしい杭なんだぞ。


 らんたのんは神と和解した。それは僕にとっては許せない事実で、ひどい裏切りだった。らんたのん曰く、神の右手には横笛のような刺青が入っていて、息を吹き込むと愉快な音が鳴るらしい。それは隣町の八百屋のおじさんだよ。どうやら、らんたのんは彼を神と勘違いしたようだ。僕がその勘違いを指摘すると、らんたのんは驚愕した。遠くの方から煙が上がる。火事かな。ざまあみろ。らんたのんが悪態をついている。燃えているのはどうやら彼の店らしい。


 僕の手の中に、知らない感触が飛び込んできた。レタスみたいだ。キャベツだよ。らんたのんが主張する。どっちでもいい。大事なのは、この憐れな葉物野菜がはるか上空を飛ぶ僕の元にやってきたということだけ。今も燃える隣町から来たのだろうか。恐怖を乗り越えここまでたどり着いた、その勇気に僕は万雷の拍手をおくる。君こそ勇者と呼ばれるにふさわしい。葉物野菜の英雄だ。


 照れているのか、葉物野菜は少し赤く変色している。気味が悪くて、僕はそれをらんたのんに押し付けた。間髪入れず、らんたのんはそいつを食べる。僕の手から、血が流れていることに気づいた。もしかしたら、葉物野菜に表れた赤は、僕の血だったのかもしれない。冤罪。あの葉物野菜にはなんの罪もなかったのかもしれない。らんたのんは僕の肩に手を置いて、あれが標準的な英雄の最期だと慰めた。言われてみれば、そうかもしれない。少し心が軽くなった。


 遠くに海が見える。らんたのんはそれを指さして、言った。海だ。海だよ。わたしと一緒にしにましょう。僕は答える。海にはとても怖いいきものがいるんだよ。あんなところ、行きたくないよ。しぬのなら、君が一人でしぬといい。


 死刑になるのは君なのに、どうしてわたしがしななくてはいけないの? らんたのんは不思議そうに問い返す。しにたいって言ったのはそっちじゃないか。僕はしにたくなんてない。死刑になってしまったから、しななくてはならないのは確かだけれど、できればしにたくなんてないんだよ。


 しょんぼりした様子のらんたのんを横目に、僕らは漂い流れていく。変わらず赤い雨は降り続け、知らない人の家の屋根に、赤い斑点をつけていた。


 あ。らんたのんはまた声を上げる。どうしたの? あれ、見て。らんたのんは僕の背後へ、三本目の右腕の人差し指を向ける。見ると、僕と同じような風船に、僕とは違って逆さ吊りにされた男がいた。


 かわいそうに。らんたのんが同情する。けれどその男はケロッとした態度で、僕たちに話しかけてきた。やあ。元気かい? この方向はダメだな。日が差して眩しい。日傘でもあればましになるかな? ああ。日傘はダメだ。日傘なんてさしたら、すぐに俺は下の民家の屋根を突き破って、蛇口を捻りたくなるだろう。それで水を出しっぱなしにして、優雅にコーヒーでも飲むんだよ。例えばその家の主なんかに邪魔されてしまったとしたら、どうしよう。俺はそいつを殺すだろうか。いや。それはダメだ。人を殺したら、死刑になる。あれ? もう死刑だったか? じゃあ何も変わらない? でもダメだ。そもそも日傘なんてどこにもない。無理なんだ。無理。無理。無理……。


 男はそのまま、僕たちには目もくれずブツブツと何事か呟きながら、離れていった。不思議な人だったね。らんたのんはけらけらと笑っている。僕は感電した。びりびり。ひどいな。なんてことをするんだよ。ごめんよ。そんなつもりじゃなかったんだ。らんたのんは謝罪した。僕が寛大な心でそれを許すと、らんたのんは次第に不鮮明になっていった。


 なんだか君がぼやけて見える。どうしてだろう。らんたのんは答える。修正されているんだよ。わたしは不適切なものだから。適切じゃあないんだよ。世論ってのは残酷なのさ。ああ。勘違いしないで欲しいんだけど、世論っていうのは君とわたしのことだよ。有象無象なんて関係なく、君とわたしだけのことなのさ。


 らんたのんはそのたくさんの手足で身振り手振りをしているけれど、ぼやけすぎてよくわからない。声もよく聞こえなくなってきた。修正。誰を? らんたのん? ほんとうに不適切なのは? わたし? 違うよ。わたしはらんたのん。あなたは? 僕は、よくわからない。修正されてしまった。じゃあしょうがないね。目を閉じて。開けていても意味なんてないよ。修正。誰が? わたしたち。世論。死刑になったのは? あなた。僕。わたし。


 らんたのんは死んだ。適切な選択を行ってください。僕は、らんたのんだった。わたしは言われるがまま、目を閉じた。


  * * *


 ぱちり。


 目を開いたはずなのに、視界が暗い。何かが目を覆っている。目隠し? なんで。ここはどこ? あれ? 僕は……。


 ざらざらとした感触が首にある。思い出した。ああ、そうだ。僕は今から。


 不意に、身体が宙に浮いた。でもそれは一瞬で、すぐに引かれるように落ちていく。ざらざらが首に食い込む。息が、できない。


 意識が不鮮明になっていく。修正。修正。仕方がないんだ。だって適切じゃあないんだから。


 ざまあみろ。遠くの方から、らんたのんの声が聞こえた。

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