第1話(後) 剣と魔法と前世の記憶2

「こら暴れるな、さあごーもんしますよごーもん! あなたの知ってること、全部吐かせますからね!」


「ご、拷問だと……?」


「拷問です」


「聖女が拷問をするのか……?」


「え? 聖女って拷問したらダメでしたっけ?」


「あまりよくないと思う……」


「でもあなたのお仲間の女の子、もう拷問されてますよ」


「な、なんだとっ、おい、やめろ! いったいあいつになにをしやがってるんだ!」


「授乳手コキの刑だそうです」


「授乳手コキ……?」


「こまいことは聖女よくわかんない」


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「私、これを読まないといけません。でも、これ読まれるのは困るんです。

 これ、元々の持ち主はあなたのなのですよね?

 にほんごが読めたこと、あなたの名前がソーマだったことを踏まえるに、どうにもそれは正しそう。でもそれってやっぱりおかしくありません?

 この本、私のおばーちゃんのおばーちゃんのおばーちゃんが、どこかのどこかで拾った本だそうです。

 あなたもしかして、すっごい過去からずっと眠ってて最近起きたとかいう感じじゃありません?」


「……確かに、そうだな」


「半分嘘ですね」


 異世界転生したことを昨日思い出したのだ。だいたい合ってるだろう。


「……私の勘だと、ソーマさん、にほんごに触れて初めてにほんごが読めることに気づいた、 って、感じですケド。

 いいでしょう。わかりました。あなたも実際の所、なにがなんだか全然わかんなかったんですね。

 あなたの物語がはじまったばかりで、世界観すら覚束ない、世間知らず。

 どうせあなた、特にやることもないのでしょう?

 盗賊団のアジトに帰ったところで、貴族から少しばかりのお金を盗んで食いつなぐ毎日。今まではまだ子供だからと甘くしてもらえますが、どこかであなた達は、こちら側に仲間入りしなければ生きていけない」


 だから盗賊の成人の儀式は、腕前を金持ちに見せつけるための試験でもある。

 有能な盗賊は飼ってもらえる、こともある。

 子供の時期だからこそ許される、人に戻るための最初の好機だった。


「ねえねえ、人間、お金を与えないとしっかり働いてくれないじゃないですかー?

 あなた、定期的にお金を与えられるのならば、私の先生になってくれます?

 ううん。願ったり叶ったりでしょう。

 役割は予期せぬものでしょうが、この家に仕えることが、あなた方の最終目的だったのですから」


「……断れば死刑だろ?」


「断る意味もないでしょうに。あなただってこの本を読みたい。向かうべき道は同じでしょう?

 あなたがにほんご読めると知られたくありませんので、表向きは、私の護衛として雇いますので。

 さあさあ、お勉強しますよ。あなただって読みたいんでしょうに」


 万物創造教本・異世界言語写本という仰々しいネーミングをされているからには、

 聖女にとってこれは万物創造のための教本であるようだ。

 ……そんな内容だっただろうか。理論がどうだろうと現実にはおおよそ影響がない。筋トレした方がまだレベルも上がるだろう。


 ……どういう内容だったか、忘れた。

 昨夜にそでの文章を読んだぐらいだったので、教えるにしても思い出そうと、

 ぱらぱら捲ってみると、……元素周期表が見えたので、ジャケットを外した。

 中身が入れ替わっていたのか、そもそもこれ物理の教科書じゃない。


「やっぱり読めてますね。教科書。

 ほらほら、なんて書いてあるのか、教えてくださいよ」


 ……読めはする。ただの教科書だ。

 ……あー懐かしい、やったなあ、これ。……程度の感想しかなかった。

 お家の秘密にするほどの必殺技はこんなところには記述されているはずもない。


「……なーんか、じいっと読んでますね。ソーマさん」


 ……僕にとって、これはあくまでも前世を呼び起こすためのきっかけだった。

 そして前世のことをふつふつと思い出す。あの頃は、そう――。


 ……盲目的に崇拝してしまっていた教授に従って博士後期課程にまで進学し、何の成果も出さないままに三年の月日は流れ、専攻の不一致から一般企業からも研究機関からも嫌煙されて就職先は決まらず、ずるずると大学に残り続けるも年齢ばかりが積み重なっていき、教授は引退し、面倒を見てくれる人がいなくなり、厄介者扱いされ……。


「……うっ、ううう……っ」


「泣いたーッ?! ちょ、そーまさんっ! そーまさん?!」


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「……はーい、よしよし、いい子だから泣かないでねー。前世で嫌なことあったんだよねー、もう大丈夫だからねー」


 聖女感。


「うっ、ううう、……ありがとう、聖女……、もう大丈夫だから……っ。……前世で?」


「はあ。生まれ変わりでしょう。あなた。このそーまそーいちろーの。時系列的に」


 異世界という考えがこの聖女にあるかはともかくとして、そう納得してくれているのは楽だ。


「ふむ。転生体というだけで興味深いです。

 赤ん坊の時からその記憶使えていたら、賊になんか落ちぶれてもないでしょう。実際どうなんです? あなた、私ぐらいなら瞬殺できるんですか?

 あの闇の衣以外に、どんな魔法が使えるんですか?

 ……闇の衣、あの黒い布、なんなんです?

 斬れない、刺せない、溶けない、熱を通さない、重さを感じない、術者がいなくても残存する。

 欠点と言えば触ると手が真っ黒になることぐらい。

 叩かれた衝撃を殺せるわけではなさそうですが、これ以上ない魔法の服になりますね。……ホント、なんなんです?」


 ……あたりはついている。製造方法も思い出した。前世の科学がぶち当たった課題を、魔術によって強引に突破して、黒い防壁を成長させたのだ。


「間違いなく最強の盾になる、……どうだこれ、量産できるか……、金になるのか……?」


「ダメ。お家の魔法の恩恵はお家にだけ使います。私が強くなれるならそれでいいのです。あなたは私の物です。あなたの魔法も私だけのものです。そこはよく理解してください」


 ……でたらめな方を向いていた記憶がかちかちと連結し、霧がかった脳が晴れていく。これまで役に立たなかったから思い出せなかっただけで、記憶自体はずっと残っていたのだ。


「……あー、頭がまとまってきた。いいぞ、そろそろ交渉できる」


「あ、急に強気ですね。賊」


 これまでは前世の記憶があろうとも使えなかった。

 使えるようになったのは、聖女による光輝の魔法を目の当たりにしたから。

 前世を思い出したトリガーは教科書でなく彼女であったらしい。

 秘密にしなければならないのは、僕一人では黒布を生成できず、聖女の魔力を利用してやっとなんとかなった、ということ。

 あと、もう一回同じことをやれと言われても失敗する可能性が高い。


「おい聖女サクラ。お前の攻撃は一切僕には通用しない。

 ご自慢の光の剣も、例の黒布の前では消滅する。それはお前も見ただろう」


「……さっきほっぺたヤケドしてませんでしたっけ?」


「……さっきまでは記憶が混乱してたんだ。

 ……ともあれ、こっちには最強の盾がある。その気になれば、この屋敷が爆破されたとしても僕は無傷で生還できるんだ」


「ふーん。嘘、ではないかな。でもそーまさん。それは脅しですね。やれるかやれないか、自分でも半信半疑って感じ?」


 ……異常に勘のいい聖女だ。やれはする。ただコントロールできるかは微妙なところ。

 だがハッタリで負けるのは盗賊の名折れだ。


「試してみるか?」


「……ふぅん? ……どうぞ?」


 ……相手も同じか。ハッタリで負けるのは聖女の名折れ、

 今後、どちらが上に立つのかがここではっきりと決まってしまう。


 自信ありげに立ち上がり、屋敷の壁に触れる。昨夜は雨、湿気っている。材料は潤沢にある。詠唱は同じでいい、――魔力を以て、灰と成す。やることはほとんど同じ。ぷすぷすと、壁が削れていく。魔術のあり方からして、爆発魔術は誰にでもできる基礎の基礎だ。

 ……だからいつもやっているチキンレース。

 魔法は手で触れていることが大前提、爆発させようものならば自分が吹き飛ぶことも大前提、爆発に指向性もなにもなく、自分の手のひらを中心として炎が吹き荒れるというだけ……、爆発魔術は誰にでもできるというか、自爆するなら誰にもできるというのが正しい。


「……わかりました。止めてください。……物騒ですね。勝てそうもありません。

 生かしてあげているのは、そちらの方だと? 私が、生かされているのだと?

 強い方が主導権を握る。なるほど道理ですね。

 ……ならばそーまさんの望みは何なのですか。お家が欲しいのです?」


「ああ、そうだな。だがぽっと出の盗賊にすんなりくれてやって反発されるのもダルい。だからしばらくはお前に預けておいてやるが――」


「つまり私を嫁にしてやる、ということですか」


 ……おおっと?


「そそそそう、神聖エフェルトベルグ家の名、頂いていくため、形の上では、そうして貰おう」


「なんで照れてるんです?」



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「いいですよ。私、どうやってあなたのことを手懐けようか、ずっと悩んでたんですよ。育ちが悪いでしょう。いつ裏切られたものやらわかんないのは、使い勝手が悪い。

 ならいっそ上に立って貰う方がいいでしょうね。

 あなたが気に入らなくなって、裏切るのは、私から。それまでは従ってあげましょう。

 だ、け、どー。やること同じですよね。

 私もあなたもお家のため、共にがんばるのです。

 だってあなた、私からすべてを奪ったとして、次なにやったらいいのかわかんないでしょう? 元々の人生の目的が、盗賊からの卒業だったわけで、それ叶ってしまいましたものね」


「……やりたいことぐらいある。学校に行きたいんだ。ガキの頃からの夢だった。文字が読めるようになりたい」


 ……思えば前世、ずっと学生だったから、影響を受けていたのだろう。

 二十七歳まで学生だったのにまだ学校に行きたがっていたのか……。


「……あなた、文字読めますよね?」


「あーあー読める読める! いろんな文字を研究したいんだ! 学校って研究機関だろ!」


「まあともあれラッキーです。私も聖女柄なのかなんと都合がいいことで。いけますよ、学校。というか誘おうとしてました」


「……あんた、そもそも学校行く必要あるのかよ?」


 もともと能力のある人間が学校に行くのは時間の無駄だ。

 学校は弱者を育てる機関、この聖女様が通ったところで暇をするだけ、そんな暇があるなら働けばいい。強いやつが学校に行ける世界のなんと平和なことだろう。

 あいにく聖女は多忙である。日本じゃないのだから、この異世界で履歴書を気にすることもない。


「必要あります。徴兵令ですから。外敵を排するための訓練はお国に住む以上は必須科目です。

 私がここまでしてあなたのこと勧誘してるのもそれなりにワケがあってですね。

 護衛、欲しいんですよ。同じ年齢の。あなた、私と同い年でしょう?

 神聖エフェルトベルグ家にもいるにはいるのですが、少しでも強い方がいい。欲を言えば最強が欲しい」


「それこそ必要か? 僕なんかうろちょろしたところでむしろ邪魔だと思うが」


 初対面の時使われた聖女ソードは護衛ごと外敵を焼き尽くす。

 神話級の魔力量を保有する聖女が、守って欲しいなどとは話がおかしい。


「はいはい皮肉結構ですよ。他ならぬあなたが私の弱点を見抜いたのですからね。責任ぐらい取って」


「おおそうだったそうだった」


 弱点ってなんだ。


「で? 責任は取っていただけるので?」


「……どうすりゃいいんだよ」


「それはもうギアスですよギアス。強制魔法。

 婚姻したフリぐらいはしたげますが、婚姻契約までするのはお互いにまだリスキーですし、だから、かるーい契約。

 お互いを傷つけないこと、お互いのピンチには全力で助けることを、誓い合いましょうか。そしたらお互いに、そこそこ信用できますね。同意します?」


「便利なもんだな」


「同意とみなしますね。はい、私の目をよく見てね」


 小さなてのひらで頬を覆われた。

 身長差のせいで上目遣い、それが魔眼でなければ恋をしてしまいそうだ。


「……ふぅん。面白い前世」


「おいこら、お前何見たっ?!」


「なーにもみてませーん。ええっと、いいよ。つぎは、めー、つむってね」


 言われるがままに目を瞑る。この時点で強制をかけられているようだった。

 頬に触れられ、見つめ合って、目を瞑って、この次にすることなんて一つしか思いつかなくて。


 ……想像通りに柔らかい唇が唇に触れ、

 反応する暇もなく舌を入れられ、

 ……ツバを入れられ、

 えげつない量のツバを流し込まれ、

 高濃度の魔力をぶちこまれ……、


「ぶはあッ! こらこのクソ聖女! 人の口になんてもの流し込みやがる!」


「あ、こら大人しくしろ! 魔力流すの! 体内に直が一番効率いいんだからね! 大人しく飲め!」


「飲めるか!」


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「……おいサクラ、訓練の時間だぞ」


 不機嫌そうな生意気そうな少年が現れた。成人はまだしていなさそう。

 聖女にタメ口をきくあたり、こいつも同い年かと思われた。なんとなくキライなタイプだった。


「あらケント。わざわざ探しに着てくれてご苦労さま。でもあなた、訓練キライだったのでは?」


「お前がやれって言ったんだろ。付き合ってあげてるんだ、ありがたく思え」


「いいよ別にもう。付き合わなくても」


「なんでだよ」


「よかったね、ケント。別のパートナー見つかったから。あなたはもう訓練しなくてもいいし、学校にも行かなくていい。お望みどおりここでのんびり暮らせるね」


「……はァ? なんだよ、なんだよそれ」


 状況を分析すると、このケントという少年はこの聖女の元々のパートナーであり、一緒に学校へ通う予定だった。だがしかし僕が後から登場し、このケント少年の代わりとなってしまった。

 もともとケント少年は「訓練もイヤ、学校もイヤ、でもお前が言うから仕方なくやってやってるんだぞ」というスタンスであり、それは聖女への淡い恋心から来る思春期らしい反発心だったのであろう。

 しかしここで僕というライバルが登場して混乱している。

 立場としてはイヤイヤ付き合ってあげてるんだぞ、本心は聖女と一緒にいられて嬉しかった、しかしそこでこんな年齢の近そうな謎の男が横から出てきたら、それはもうムカつくだろうな。

 気持ちはわかる。


「……弱そうな男だな。なんだサクラ、お前、こんなやつをパートナーにするのかよ。止めたほうがいいんじゃないのか?」


「あなたがイヤそうだったから別の男見つけてきたんでしょ。私が誰をパートナーにしようとケントには関係ないよね」


「……ばーか。関係ねーよ。だがお家が困るだろう?

 こいつが弱かったら仕事が増えるんだぜ。冗談じゃない。それは勘弁してくれよ」


「それがねケント、そーまさん。すごく強いの。ほんとよかったあ、あなただと不安だったしね」


「……んだと?」


 火に油を注ぎ続ける聖女の図。


「……盗賊あがりが、俺より強いわけねーだろ?」


「……あァ? 実戦も知らねー貴族のボンボンが、僕と戦いになるとでも思ってんのかね?」


「二人ともなんで喧嘩しそうなんです? え、そーまさんの方が正しいですよ。ケントじゃ相手にならないでしょうし。痛い目に遭いたくなければ謝った方がいいのでは?」


 血管が切れる音がした。……隣で。深く同情しよう。これはプライドを守るための戦いなのである。

 好きな女にここまで言われて、退けるものか。

 だがこちらとて、選ばれた男として立ち向かわねばならない。


「……おい盗賊。決闘だ。どっちが上だかはっきりさせるぞ」


「上等だ貴族野郎。引きこもりに現実の恐ろしさを教えてやるよ」


「なんで二人喧嘩してるんです?」


「だいたいお前のせいだ!」


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「ま、いい経験値になるでしょう。ケントはそこそこ強いですし、普通に戦えばそーまさんとて勝てないでしょう」


「……なんだよ、さっきと言ってることが違うぞ」


「さあて。私も、学校に通う前にそーまさんの実力を確認しておきたかったですし、ちょうどいいと思って」


「……はん。あの野郎のプライドが粉々になってもしらねーぞ」


「どうでしょうね。あなた、何か勘違いしていそうですけど、あなたの実戦経験なんて、訓練において何の役にも立たないんです」


 ……なんだそれ。


「よく言うじゃないですか。訓練しか知らないやつが実戦で勝てると思うなよ。逆もまた真ですよね。実戦しか知らないやつが訓練で勝てると思わないでくださいよ。

 ねえ賊、あなた、状況に応じて臨機応変に対応できるから実戦経験は強いんだ、とか思ってそうですが、訓練ってそれほど想定外なこと起きません。

 急所狙い禁止、殺すの禁止、逃走禁止、服脱がせる魔法禁止、奇襲不可能。

 こんな縛りで盗賊がまともに戦えます? 彼ならできますけどね。そう練習してきたんだし」


「地力が違う」


「そうですね。きちんとした訓練してたやつの方が、弱い雑魚と実戦を続けてたやつより、ぐうっと強いのは当たり前ですよね。

 おやまさかそーまさん、戦闘論理が道端のスライムから学べるとでも?

 スライムを狩り続けれていればレベルが99になるとでも?

 そりゃあなるんでしょうが、その頃にはもう世界中の貴族がレベル5000になってるでしょうね。あなたって整備されていない道を進んだ方が大変だから成長できるとか言うタイプ?

 違いますよねー、きれいな道進んだ方が早く進めるに決まってるじゃないですかー」


「……は、上等じゃねえかッ。お気に入りの男の子泣かされても文句言うんじゃねーぞ!」


「……簡単だなあ男の子って」


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 真正面に敵がいて、そいつに突撃しなければ試合が始まらない。

 確かにこういう訓練は初めてだった。相手は万全の状態であり、しかも攻めてこない。

 肩と肩の位置関係は直線に、重心を落とし、顎を引く。

 左手はこちらを指し、右手は体躯で隠す。目線は広く。小さくまとまったものだ。

 そうされると、攻撃が当てづらい。見えている面積が狭いからという単純な理由である。

 正面からぶつかる場合、僕が選べる攻撃箇所は敵の左手のみ。

 守りを固める左手にわざわざ攻撃してやらねばならず、隠された右手で反撃される。

 ……なるほど、これが構えというものか。


 回り込もうにも、相手は常に崩さない。

 肩と肩の位置関係は直線に、重心を落とし、顎を引く。

 左手はこちらを指し、右手は体躯で隠す。そして目線は広く。


 こういった局面の打開策は、より上回る力でぶん殴るか、遠距離攻撃するか。

 体重差は小さい、鉄を投げたとしても避けられる。


 ……前世の知識の引き出してみる。前世において喧嘩の経験はゼロ、

 ただし現代人として刈り技と寝技と一本背負いぐらいは必須科目。知らないよりかはマシな程度。

 ……粒子砲ぐらい擬似的に再現できないのかと前世に問うてみれば、加速器なんてあたりまえに専門外である。前世は材料屋、必殺の遠距離攻撃は閃かない。


 ……辛抱強く待つ相手だ。ケントと言ったか。その構え、その戦法に慣れを感じる。

 幾度となく繰り返した戦闘マニュアルか。確かに、きちんとした訓練をしたやつは、戦い辛い。


 ……ならこちらとて、いつものままに攻めさせてもらうだけだ。

 地面を魔力源にできることが僕の魔法属性の最大の利点である。

 足裏から大地と共振する。魔力を以て灰と成す。

 軽くなった地面は僅かな風と共振によって徐々に浮遊し、煙となって視界を覆う。


 もくもくと立ち上がる煙にも意識を逸らさず、ケントは構えを解こうとしない。

 視界などもともと頼りにしていないと言わないばかりに。

 とはいえこちらの最強戦術、ここで攻めないわけにもいかない。

 魔力を流していた足裏で地面を蹴り、風に紛れて距離を詰めようとすると――、敵も、消えた。


 カウンター戦法じゃなかったのかよ。しゃがんでいるかのような低い姿勢のまま、敵は滑走する。見覚えがあるのは前世の記憶か、これは抜刀、俊足の居合抜き、隠していた右手から鋭い魔力を覗かせ、すれ違いざまに切り抜くか。

 もう一度、全力で地面を蹴飛ばし今度は前でなく上に飛ぶ。地表すれすれの戦いでは分が悪い。が、空中に飛ぶことを知っていたかのように魔力を籠めて……ッ。


「魔力を以て、剣と成す……ッ!」


 これは伸びる抜刀術。空中で方向転換できない人間を仕留める、長い棒による対空急襲。先入観があったのは、……前世の記憶のせいだろうか。


「……がッ? くっ……ッ?」


 偶然というかなんというか、相手の踏みしめていた大地が不安定だった。抜刀の際に大地に身を預けすぎたケントは沈んだ地面に足を捕られて傾いた。崩した姿勢のまま長く重い棒を振るえば、棒に身体が持っていかれて転びかける。

 局面は反転した。転びそうな相手に対してこちらは予定通りの対地急襲、魔法を使う余裕も魔力源もない、肩を捻り腰を捻り全身のバネの力を開放し、敵を打つ……!


「回し蹴り――ッ?! つったぁ! ……くそ! おい鉄剣が折れたぞ! テメェ、靴先に鉄入れてんだろ! あぶねーな! 頭に当たったら死ぬだろ!」


「喧嘩にあぶねーもなにもあるか!」


「いえルールはありますよ。急所狙い禁止を言ったでしょうそーまさん。相手を殺したら、致命傷を負わせたら、ひどい怪我を負わせたら、負け。そんなの当然でしょう」


「誰が決めたんだよそんなこと!」


「法律」


「なら逆らえないな!」


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 ……しかし、興味惹かれることがあった。彼の鉄剣が回し蹴りで折れたのだ。

 確かに硬いものは折れやすい。普段からなのか模擬戦だからなのかは知らないが、鉄剣とは言え刃はなかった。殴る用の円柱だったならばただ硬いことへの利点が無い、というか、折ってくださいとしているようなものだ。

 製法の問題だろうか。一般的に、急冷した金属は硬くなる。強靭でしなやかな武器にしたくば温度管理は必須事項だ。だったら、これが魔法による鞘のない剣の致命的な弱点である。魔法は温度という要因をすっ飛ばして物体の形状を変化させるもの、急冷を越えた瞬間状態変化によって、通常ではありえない脆さの鋼となったのか。……このあたり、例の万物創造異世界言語写本に具体的な温度が記載されていたようなされていなかったようなだが――マルテンサイトとかオーステナイトとかどっちがどっちだったかすら覚えていないし――ともあれ前の世界ではできなかった製法を可能とするのは事実である。武器として優秀かはどうかはともあれ。一概に鉄やステンレスといっても膨大な種類があるが、彼にとっての最善な材料がなんなのか、興味がないわけでもなく……。


「なんですか二人とも、呆っとして。あれ? もう戦わないんです?」


「フェアプレイの精神のないやつと正々堂々戦ってられるかよ。俺とて無駄死にはしたくないさ」


「そう。死にそうだからケントは逃げるのだと」


「とことんまで煽ってくるなお前……」


 お互いに、想定外に相手が強かったため、手が出しづらくなった。今の打ち合いをもう一度すれば、負けるかもしれない。彼とてそう思ったのだろう。一騎打ちなんて柄でもない。

 考え事もしたい。なにせ鉄を鉄だと今初めて認識できたのだ。この世界においては、固くて黒い金属質のものは鉄であり、それが粉体状になったものが灰だと考えられ、無機物と有機物の区別さえ付いていなかった。魔法使いは原則一種類の金属しか魔石として使用できないとされてきたが(だからこそ鉄と灰の区別がされなかったのだが)、それは明確に否定できてしまう。彼と同じで、折れるからと実戦で使わなかったが、僕も鉄の棒ぐらい魔術で作れる。

 異世界人もなんの研究もせずただただ魔法を唱えていただけとも考えづらいが、電気すら発明されていないような文明レベルからして製法に通ずるには長い年月を必要とするのだろう。魔法では、鉄をゆっくりと冷やすことの方が難しい。


「おい、盗賊」


「……なんだよ貴族」


「お前、戦闘に使える魔法はないのか。昨夜の度胸試しもそうだったな。煙で目隠しすることぐらいしかできていない。後は身体能力に任せて蹴るか殴るかだけ、……なにを隠している。サクラはお前のなにを選んだ。……いや、いいか。サクラを守れるぐらい強いならそれでいい。……昨日の今日でサクラが選んだんだ。性格の悪いこいつが打算もなく盗賊なんて捕まえたりしない」


「打算ってなんですか打算って」


「お前からは早死にの星が見える。若くして強大な理不尽に轢かれて死んでしまうようななにかが見える」


 前世の死因でも見てんのか。


「あまりサクラを信用するなよ。弱いならさっさと白状しておけ」


「戦闘慣れしていないのは認める」


「……素直だな?」


 認めるというか今気づいた。レベル上げの余地が残っている。まだまだこんなものじゃない。


「だから僕はやっぱり学校に行きたい。ケントとか言ったな。お前もこの小娘と一緒に行きたかったんだろうが」


「べ、別に行きたくなんて」


「……行きたかったんだろうが、譲ってくれ。貴族ばかりずるいだろ。きちんとした訓練もできて、いい魔石も手に入って。せっかくのチャンスなんだ。譲ってほしい」


 研究とは組み合わせ総当たりであり、大量の素材がいる。盗賊の身分で魔石なんてもの、もったいなくて使っていられない。だが教育機関ならば実質タダ。大きいものに身を任せることがこれ以上の成長には不可欠だ。


「え? ケント行きたくなかったんですよね? ならそんな交渉するまでもないのでは? ほらほら、行きましょうよそーまさん。こんなやつなんて放っておいても全然大丈夫ですからー」


「いいからお前は黙っててくれ……」


 共通の敵を持つことによる男の友情が発生しつつある。

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