あなたが日本語を読めるはずがありませんから!

@sibirakkusu

第1話(前) 剣と魔法と前世の記憶

「あはははは! 見事盗み出したものですね!

 確かにその書物は王家の秘密ではありますが、

 あなたのような盗賊には一文字たりとも読めるわけがありません!


 何故ならば!


 その"万物創造教本・異世界言語写本"はこの世界の文字で書かれてすらいない!

 七代続いたこの神聖エフェルトベルグ家でさえ異世界言語の翻訳半分に四代かかり、私の代で手こずって全然進んでいない始末!

 隠し部屋に辿り着き、盗み出してそれは見事ご苦労様でしたが、さあ、……あの、そんな熟読してないで、……そんな、またまたぁ、あのあの、


 ……読めてませんよね? だって文字、異世界言語です。

 高度な活版印刷技術による謎すぎるこの書物は、古いくせにキレイで魔力の欠片も

籠もっていない。だからどんな賢者様だって読めなかったんですよ?

 ……くぅ、不安がらせて! なんて小賢しい! どうせ読めてないくせに!」


「……こたい、物理学の、きほん、から、さいしんの、研究成果、までを、ここに……」


「だから音読禁止ー! お家の秘密の読み上げは死刑ですからぁーッ!

 ええい、賊めっ、……どうやらあなたは万物創造教本異世界言語写本の著者と同じ、にほんじん? ……のようですね。耳も尖ってないし!

 ……捕らえます、ここで、私が!」


 あまりにも神々しい二振りの剣があった。聖なるかな聖なる聖剣、光の剣と炎の剣、クラウ・ソラス。無限の火力を空間の鞘にと封じ、敵にとそのままぶつけるもの。

 人はこの太陽を直視することすらできないだろう。竜すら遺伝子に刻まれた絶対王者の存在に畏怖するであろう。生かしてやっているのはこの火であり、この火が死ねというならそれは最早宿命なのだと。


 日本語の教科書を読みながら、目の前には対極的に幻想的な聖女がいる。脳が狂いそうだ。ここはどこで僕は誰だ。自分は貴族の屋敷に忍び込んだファンタジー世界の盗賊であったはずなのに、この本を読んでいると、どうにも別の人格を思い出す。思い出すという言葉では届かない、別の世界に思いを馳せる。


 その、別の世界観をこの魔法使いに適応させるのならば、……聖剣なんてもの、よくよく見ればただの高温の金属、構成する元素を赫灼なるまで震えさせ、改めて熱量を剣の形状へと抱え込む、直接触れたものだけに光輝の全てを叩き込み斬り伏せる、真空に包まれたただの最強の剣、というだけのもの。


 ならば素材は把握した、現象は確認した、対象は金属を熱することで圧倒的な光輝を放つもの、まさしく魔法、人にして人ならぬ術を行使するもの、

 だがそれは人の歴史でもう認識されたものだ。


 ならばそれはただの触媒だ。

 

 成長に至る知識を獲得し、例外となる物質を遮断し、接触する大地を分解し、素材とする元素を収集し、利用すべき触媒を掌握し、成長への環境を構築し。光輝には闇暗を、白には黒を、究極の剣には究極の鎧を、その魔力を以て創造する。


 これは、この世で最も暗黒であり、

 これは、この世で最も堅牢であり、

 これは、この世で最も軽量であり、

 これは、この世で最も不変である、

 光を弾き、熱を棄却し、斬撃を通さない、魔法さえ誕生したこの世における究極の――、


 後に人が人の手で完成させたであろう闇の衣は、聖女の剣の熱量によってその経緯を省略されてここに成る。

 大地だったものは輝剣に絡みついて根を張った。

 黒に覆われ窒息するのが科学技術の課題点、だがそれも魔力が解決する。無限に輝き続ける金属触媒に失活という現実は失われていた。


 魔力がこの世にあろうとも、元素の種類が増えるわけでもない。できないことをできるようにする魔法というものは、結局のところ、人の科学の後押しでしかない。


「……タダモノではないみたいですね。やっぱり、読めていたんですか、異世界の教科書。何者ですか、賊。あなたはこの世界の人間ではないのでしょう?

 ……そう、にほんじん、なのですか」


「……ああ僕は、その日本人、帝都大学大学院ドクター三年生、……相馬宗一郎」


 なのか。現代人が、異世界に転移したことを、今の今まで、忘れていたのか。


「ソーマ! ……ま、まさか、その教科書の著者ですか! 裏に名前が書いてありました!」


「裏にマジックで書くのは著者じゃなくてその本の持ち主の名前だ……」


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 帝都大学大学院ドクター三年生、相馬宗一郎は就職が決まらず鬱になり、病院に薬を貰いに行く際にトラックに轢かれて死亡。次の生命にと転生することになる。

 転生先であるここは、地球ではない。ならば異世界だ。赤ん坊の頃の話だ。覚えていない。


 転生前の自己紹介を思い出したのも、神聖エフェルトベルグ家の秘密であるところの万物創造教本・異世界言語写本を盗み見たからだった。

 裏にマッキーで転生前の自分の名前が書いてあった。

 前世がフラッシュバックして鬱になりそうだ。


「……なんで僕が転生前に使っていた教科書がこんなところにあるんだ……?」


「なんでもナニも神聖エフェルトベルグ家の家宝です家宝ー! あなたのじゃあないですからね!」


「だから裏に名前書いてあんだろ」


「私はまだにほんご上手く読めませんから!」


 神エフェ聖女様の耳がぴくぴく動いている。


「読めないのか。これがな、漢字って言ってな。アイって書いて、ソーって読むんだ。で、この馬がマ。馬の形をよく見てみろ。なんだか馬っぽい形状してるだろ。だから馬なんだよ」


「そ、そんなことぐらいお爺ちゃんに習いました!」


「じゃあ読めるじゃねえか。なんて読むんだ?」


「そーま、そーいちろー」


「なら僕のだ」


「ほんとだ!」


 教科書をぐいーっと引っ張っていた手が急に離れる。納得されても困る。

 ……前世遡行のついでに、今世の記憶も走馬灯のように思い出してしまった。


 僕がどこ様の出身だったかはともかく、今の所属である盗賊団に赤ん坊の頃に誘拐され、育てられた。子攫いは流行りだし、子供は外に落ちている時代だ。魔力量も属性もほとんどが先天的で、兵士の強さは出生で決まる。

 高家の子を誘拐することが自軍の強化には一番手っ取り早い。


 ただし、優秀な人間は馬鹿ではなく、ただでは子供を攫わせない。おおよそ、奪われるのはいらない子だ。存在自体の都合が悪い子を、盗賊に引き取って貰い、育てて貰う。

 ある意味ではウィンウィン、誘拐先がそれなりに愛情を持って育ててくれたのならば、その子はそれで幸せだろう。


 つまり僕は出処不明で、誰かの都合が悪かった存在で、魔術的才能を持たなかった落ちこぼれだ。


「……ともあれ聖女様、神エフェの家宝、頂いていく……ッ!」

「ちょ、まっ、待ってくだッ、くださ! あと神エフェって略すなー!」


 ――僕の魔術属性は《アイゼン》。物体を鉄の棒にするか煙にする程度にしか使えない、コソドロ魔術だ。ただ逃げるにはこれで十分、足の速さには自信がある。

 灰に汚れた手を翳し、聖女様の清楚なフリルを指の先で軽く触り、汚く汚し、汚れを触媒とし感染拡大……ッ!


 ――魔力を以て灰と成せ――!


「うえ? え、きゃ、きゃあああああああーッ! こ、こら賊! 賊ーッ!」


 さあモノを煙に変えて目眩ましとして逃亡だ。

 すっぽんぽんなのが見えないのが残念だが、どうせ灰にまみれて色気も無い。


 駆けながら、手をぐーぱーして具合を確かめる。

 先程は前世の記憶が戻ったという謎の勢いで、謎の魔術を行使していた。

 前世の記憶、……現代知識、現代科学、先鋭科学か。

 ……前世の就職には何の役にも立たなかった知識だが、どうやらこの世界の戦闘には使えるらしい。

 ……使い方をよく覚えていない。

 まるで夢のようだ。起きた直後には内容を覚えているけれど、すぐに現実に塗り潰される。


 呆けていた。最後の石壁を、飛び跳ねて抜けようとした時、足に何かが絡みついて、

 ……顔面を打った。


「んがッ!」


「お、お家の秘密です! そう容易く盗まれるわけもないでしょう!

 ……いやいや残念でしたね、賊。聖女たるものお家の裏門にぐらい一瞬でワープできるんですよ」


「……着替える時間はなかったようだな」


「や、やかましいです! あんまりじろじろ見るな!」


「……ちっ。……あーわかったわかった。諦めるよ。どうせ本気で盗むつもりもなかったんだ。……知ってるだろ。度胸試し。盗賊は一人前になるために、楽そうなお家からどーでもいー物を盗む儀式をするんだ」


「……ええ知っています。毎年恒例のはた迷惑なやつ。こちらも急襲時の稽古になりますしね。悪意が無いなら裁くことはできません。厳重注意して飯抜きで三日ぐらい牢屋に入れとくのが定番というもの。

 それも成人の儀式なのでしょう?」


「よくおわかりで。助かるよ」


「だがあなたは死刑です」


「……おいおい僕は平穏な神聖エフェルトベルグ家愛好家だぜ?」


「うらわかき聖女様をすっぽんぽんにした罪で死刑!」


「せめて偉大なる盗賊として殺してくれ……!」


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 足に絡みついた枷はさすがに灰にはできなかった。

 灰の魔術は出来損ないの、盗賊が得意とする魔術である。拘束具に対策ぐらいする。

 動きを封じられたコソドロなんてものはおおよそ雑魚だった。兵隊に囲まれればお手上げである。無勢に多勢、お家の周囲には盗賊仲間が数人控えていたものの、この分だと逃げているだろう。


 牢獄に入れられ、しばらくしたら尋問、何も答えずに数日経過できれば盗賊として一人前。

 ここまでは先輩に聞いていた通りの内容だった。


「……さぁて。尋問交代です、あなたは席を離れて構いませんよ。

 ……いえ、ここより先はお家の秘密ですので。

 ……おっと、そのことは内緒にしておいてくださいね?」


 尋問用の怖い顔をおっさんは立ち去り、地下の檻には昨日の聖女様と二人きりになる。さっきの人は顔が怖くてもう少しで泣くところだった。

 可憐な小娘が尋問官、……もう安堵でしかない。はぁー、落ち着く……。


「……尋問中に落ち着かないでくださいな」


「まだ灰被ってるぞ、聖女様」


「誰のせいで! あとちゃんとお風呂入りましたから!

 ……いいから、質問に答えなさい。……あなた、どこの誰ですか?」


「聖女様が直々に問う内容なのかよ」


「……そういう内容でしょう? 自覚がないので?」


 お家の秘密である魔術書らしき教科書を読み、内容を把握、真っ黒な魔術防壁を築いた。結果、神話級の魔力を持つ聖女様の攻撃を一撃でも防いだ。

 これはもう英雄である。


「あなた、この本、読んでいたでしょう?」


「盗賊がみんな文字読めないと思うなよ。僕は努力家で一生懸命勉強したんだ」


「勉強もなにも、にほんご、私しか読めませんから。そも、にほんごの書物はこれしかない。

 ……ならばあなた、うぅんと過去の人なのですか。耳も丸いし。あやしい、とてもあやしい」


「わるい、つまらん見栄だ。読めてないのに読めていたふりをしていた」


「嘘ですね。……賊、あなた、教科書を読んで知ってはいけないことを知りましたよね」


 ……知ってはいけないこと。

 なんだろう。(転生前の)大学の現代物理の教科書に聖女的な禁忌なんて記述されていたか。


「……気づいていなさそう?

 ……時にあなた、仲間意識は強い方です? 昨晩周囲をうろついていた盗賊の女の子、捕まえています」


「……盗賊に仲間意識なんてあるものかよ」


「そう? 機嫌を取るに越したことはないと思いますケド。

 いいです。こちらの要求は二つ。万物創造教本異世界言語写本の内容を黙秘なさい。それと、私に」


「……ん?」


「私ににほんごを教えて欲しいなー、なんて?」


「……」


「なんで黙るんですかあ」


「もっと色っぽく言ってみろよ、聖女様」


「ば、ばかにして! くらえ、すごく眩しい光!」


「くっ、すごく眩しいやめろこらやめろ!」


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 実際の所まだ僕はこの万物創造教本異世界言語写本つまり大学で使ってた物理の教科書の価値を把握していない。剣と魔法の世界の住人が生前クソの役にも立たなかった物理を学んでどうなる。

 ……どうなったんだっけ?


「ふぅん。あなた、もしかして咄嗟の行動すぎて自分のやったこと覚えていないと。キューソネコカミ?

 この眩しい光も、防げないようですし。あ、意地悪でやったんじゃあないですからね、意図はありましたからね、あの闇の衣で、防げるのかなあって思ってですね」


「闇の衣……?」


「大魔王のバリアーみたいなやつですよ。あの空間が歪んだと思うぐらいの真っ黒の。

 触ると手が真っ黒になったやつ。あなたが地面から魔術で引き出したのでしょう?」


「いや、咄嗟のことで、どうやったのか覚えていない……」


「ふふん。嘘かどうかなんてすぐわかりますからね。さぁて聖女ソードによってあなたの化けの皮を剥がしてやりましょう。

 魔力を以て、剣と成す! 聖女ソード展開! ぶぅいんっ、ぶぅういんっ、ぶぉんぶぉん! さあ! 身を守らねば焼き尽くされてしまいますよ! この凄い眩しい光は、ほとんど太陽! 触ると熱い!

 さあさあ! 先程のように守ってみせなさい! この、……あの、守らないと、ほら、熱いですって、

 ……ねえ、ほらしっかり、闇の衣を、ね? ほーらもう炎の剣があなたの頬に触れちゃうぞー?」


「ぶ、あああ、熱ッ、熱熱! あっチイイイイイイイイイイイイイイイイッギャアアアアアアアアアアア死ぬーッ!」


「えぇ……? きゃ、きゃあああああああ! 人が! 人が焼けている! 誰か水! 水ー!」


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「……で、なんなんですあなた。なんでバリアー使わなかったんです。熱いって教えたげたのに」


「わ、忘れたんだよッ、だ、だからその教科書、返せッ、とりあえず読ませろ。僕のだろっ」


「にほんごで、ソーマさん。でしたか。そう呼べばよろしいので?」


「ああ、こっちでもそう呼ばれている。……偶然かこれ? まあいい。ソーマでいいぞ、聖女様」


「私はサクラといいます。そう呼んでくださってもかまいませんよ、賊。

 ……おっとつい癖で呼吸をするように喧嘩を売ってしまいました。……でなくて、

 私、名前をにほんごで書きたいのです。今すぐに。どうしても。だから、お願いします。

 にほんごを、教えてください」


「……だから待て。僕も混乱しているんだ。……急に前世の記憶を思い出したんだからな」


「ぜんせ?」


「……それはいい。サクラ、サクラだな。……なら漢字で書けるか。こうして、こう書くんだよ」


 両腕は拘束されているので、足で土床になぞって書いてやった。桜。日本の木だ。縁のあるやつだ。


「こうですね! 《桜》! ああ、きれいな字です! これで、やっと」


 子供のように喜ばれると、教えてやった甲斐もある。

 この程度で人の為になるなら前世の記憶も捨てたものじゃない。


「あーこれでやっと私もこの本に名前を書けました。はいこれで私のものですからね。名前書いてありますし。しかもにほんごで。

 あなたの名前よりおっきく書きましたからどっちかと言えば私のですよねコレ」


「ガキか! このクソ聖女! 教えて損した! 嘘教えればよかった!」


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