第9話
「ねえ、凛」
「ん?」
「私が人の夢を覗けるっていったら信じる?」
「頭大丈夫?」
「殴るぞ」
「おお怖い怖い。そんなことしたら美琴のほっそい腕の方が折れちゃう」
「このやろう覚悟しときな」
「ちょっ、顔から殺気出てるって」
今日の夕食は回鍋肉だった。私はこれが「ホイコーロー」と読むのだとほんの数十分前に知ったばかりだ。母に「今日はカイナベニクだ、私食べたことなかったかも」と言ったところ、憎き妹が私を笑ったのだ。しかも隣の家に聞こえるのではないかというくらいの大声。母は肩を震わせ、父は『あの夢』以来、どこか余所余所しい態度。まさに地獄絵図が出来上がっていた。
私に今日焼け止めを塗っている憎き妹、凛はそれをまだ引っ張るつもりらしい。私に体力があったらただじゃあ済んでないからね、凛?
「で、さっき言ってた夢が覗けるとかなんとかって何?」
今更なんだバカ凛、と心の中で毒づくが、そういえばその話をしていたことを思い出した。会話が脱線しすぎてわからなくなっていた。
「そうそう。私、他の人の夢を覗けるみたいなの」
「で、それを信じるかって私に聞いたの?」
「まあそうなるかな」
「逆に信じる人がいると思うの? 頭の病院に連れてかれるだけだよ」
さいで。
わかってはいたけれど、このことを誰かに話しても電波な女だと思われるだけだ。
それもそうだ。私だって逆の立場だったらそう思う。信じようとも思わないだろう。
つまりはこういうことだ。
裸のLEDがぶら下がった部屋の隅のベッドの上に裸の女。その人が妹に日焼け止めを塗りたくられながら『夢を覗ける』と言っている。さて、あなたはこの人の言うことが本当だと思うでしょうか。
信じる人、いや、信じようとする概念すら浮かんでこないのではないだろうか。そもそもこの話を聞いて、『なんでLEDが裸のままなんだ』とか『同性愛?』と、全く見当違いなことを考えている人も少なくないのではないだろうか。もしそうだったとしても私は誰も責めることができない。
ちなみに私も凛も同性愛ではない。
「でも覗けたらいいなって思うときもあるよ」
凛が私の背中を両手でさすりながら言う。日焼け止めがひやっとする。
「なんで?」
「そりゃあ、楽しそうだから? 他の人がどんな夢を見てるのか気になるし」
「気になる人がいるの」
「美琴ちゃん……お慕いしておりました」
「やめろ」
繰り返す。私も凛も同性愛ではない。
「ああ、この病弱な背中! 舐めてさしあげたい程に美しい!」
「この変態が。冗談はそこまでにして」
「んふふ……じゅるり」
再度、繰り返す。私も凛も同性愛ではない。多分。
「ほらほら、脚をこちらに出してごらんなさい? 私が濡らしてあげる」
「言い方な。日焼け止めを塗ってるだけだろうが」
「もうっ、恥ずかしがっちゃって」
「ごめん本気で寒気した」
「傷ついた」
「そのままずたぼろになってしまえ」
「無慈悲」
この部屋は基本的には無音だ。たまにそれが寂しく思えてしまうときがある。
だから凛がこの部屋に来る朝と夜、この数十分が実は結構な楽しみになっていたりもする。もっとも、こいつにはそんなこと教えてやらないけれど。
さすがにスキンシップが過ぎる気もするのだが。これが所謂『陽キャ』というやつなのか。
「これでおわり、と」と凛。私の右足を両手でぱん、と叩き、笑顔のまま私の部屋を去る。
まったく、嵐のような人だ。
その時、私は自分が笑顔になっているのに気づきはしなかった。
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