ある女は夢に沈む

薄暗い部屋の隅で私は天井を見上げている。時々目の前に光が舞い、星空を見ているように感じた。こんな時には、危機を察知して、過去に解決策がないかと走馬灯が流れるものではないのだろうか。そう、ボーッと考える。


もう疲れてしまった。薬もお酒も効きやしない。もう、決心したんだ。


「彼はこれによって呪縛から開放されるかしら」


私は黒と灰色のストールを持ち、ドアノブにかけて、勢いよく足を滑らせた。首にサラリと鎌のようにストールがめり込んだ。


「私を芸術にしてね」



目を覚ますと私はいつもの絵を書く時の服装ではなく白いスーツを来ていた。就職活動の苦い思い出を思い出してしまう様で気分が悪かった。私は大学を出てから、一度、社会に出た。でも、絵を描くことを諦められなくて、有明さんのアトリエに入った。


目覚めた場所は薄暗く、周りに人の気配を感じる。何かの集会か何かだろうか。香水の匂いとペンキの匂い、押し入れの匂いの混ざった、なんとも不思議な空間だ。まるで有明さんのアトリエみたい。


スポットライトが一点に集まり、螺旋階段の踊り場に機械仕掛けの主催者らしきものがそこにいた。誰かに似ているような気がしたが主催者の話し声で思考が邪魔された。


「ladies and gentleman.ようこそ我がmarketに。今年の『像』は素晴らしいものばかりです。さぁ品定めを始めてください」


会場が明るくなり、『像』が布を被った状態で配置されているのが見えるようになる。当然、明かりによって周りが見え、周りの状態を確認することが出来た。


そこには異形のもの達がいた。影を集めたようなもの、かのピカソの絵のようなキュピズムのもの、触手を持つもの。


別に驚きはしなかった。どれもこれも同じあのアトリエの者たちが生み出したものだったから。


ただ、唯一主催者らしきものだけが異質。


どのようなものかと、試しに布をめくってみた。そこには木の刺さった人間がいた。正確に言うと木の挿さった人型の『像』があった。


しかし、人間にしか思えない。それらには確かに人間味が、生命力が感じられた。


その時、ふと自分を客観視すると背筋が凍った。この行為はまるで人間が人間をペットショップの犬や猫を見るようなものではないか。


すぐにここから離れようと出口を探しているとなぜか自然と私の目を引く『鉄像』があった。


その『鉄像』は会場の中心に置かれているにもかかわらず人目を集めてはいない。通り過ぎる人はその像に罵声を浴びせては去っていく。


私はあたかも自分とその『鉄像』しかこの空間にない気さえした。柵に歩み寄る。


その『鉄像』は背中から大きな桔梗の木が刺された踞る男。それはその桔梗の重さに耐えかねボロボロと自壊している。鉄の肌からは根が飛び出し、ちょろちょろと水が流れていた。まるで男は泣いている様。


詳しく見ると私は言葉を失った。


私は『彼』を知っている。同じアトリエで絵を書いていた大学の後輩の彼だ。


彼と私は互いに刺激し合える間柄。また、姉弟の様な関係。



しかし、絵は不思議なもの。彼と私は真逆だった。


彼の絵は人気を博し、私の絵は理解されなかった。だけど、彼は「彼の作品」という型に囚われたが、私は自由に描くことが出来た。私はその度、自分を、絵を傷つけた。罪悪感がそうさせた。


ある時思った。私は芸術になりたい―。私の血、肉全てを作品としたい―。彼を助ける絵に―。


そんな『彼』が今、目の前にいる。それも私が望んだ作品という形で。だがまだ完成しきってはいなかった。どの『像』より確かな生命力を感じた。彼を『像』にしてはいけない。だから私は『彼』の胸から大きな桔梗を引き抜き、言った。


「貴方は愛を得ることに執着したのではなく、得させられていたのでしょう。そうすることによって周囲に調和が生まれるから。もう楽になりなさいよ。代わりは私がするから」


そして私は達成感とともに自分の胸に刺した。視界が暗転し目覚めるとそこは柵の中だった。あぁ、やっと願いが叶う。柵の向こうの彼に、私は笑顔を隠せなかった。頬に一粒鉄の塊が落ちる。意識が遠のいていく。体が固くなっていく。微かな声で


「すいません、これ買います」


と聞こえた気がした。私はやっと理解される。


「私を芸術にしてね」


そう心から願い、私は『像』になった。

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