第42話「許すぞ……?」と恥らうお嬢にキュンとした件
「晴馬君はキスくらい簡単に出来るはずだよ? お姉さんに助けられたお返しをしなくちゃだしね? 優しくされて嬉しかったよね?」
やはり道迷いから助けてくれたお姉さんは、リイサで合っているみたいだ。そうは言っても、さやめにしたことを言われないように口を塞ぐしかないなんて、さやめや円華がいる前で出来るはずがない。
「ねえ、してくれるよね? 簡単でしょ?」
「晴馬はこの女子にキスをしようとしているのか? それとも噛むのか?」
「いや……し、しないよ」
少し離れた所で黙りこくっているさやめは放置しとくとして、リイサをどうするべきなのか、それとも円華を先にこの場から離すべきなのか、
そうして思い悩んでいると、つんつんと袖を引っ張りながら顔を赤くしている円華が何かを言いたげにしている。
「……な、何かな?」
「そ、そのな、わたくしは晴馬になら許すぞ? いや、して欲しい……」
こんな奥ゆかしい女子だったかなと思ってしまうくらいに、傍にいる円華を可愛く思えた。
「こらこら、後から来といて横取りとかありえなくない? だったらあたしもするべきだよね。あたしも許しちゃうし! 晴馬君の口塞ぎを待っててあげるね! あ、それともレイケに一言断りを入れる? それともこの子かな?」
リイサにキスをすることは確定らしいし、円華も恥ずかしそうにして俺の反応を待っている。肝心のさやめはずっと大人しくなっているだけに、このまま素直に応じてしまうのは、仕方が無いことなのかもしれない。
「(……はるくん)」
「え?」
気のせいか、小声で呼ぶ声が聞こえて来る。この場にいるのはキスを待つリイサと、恥らう円華と言葉を発さないさやめの三人だけだ。
「まさか、さやめ?」
「こっちへ来いよ。来たらすぐに耳を近付けて」
「ま、まさか噛みつかないよね?」
「早くしなよ」
お返しに耳たぶを噛んでくる予感がしないでもないので、恐る恐る耳を近づけてみると、意外な感じでさやめの顔が近づいて来た。
「……許す」
「へ?」
「今は許す。だから、言うことを聞け」
「い、いや、くすぐったくてよく聞こえないんだけど? 何が?」
少し離れた所で、リイサと円華が期待に満ち溢れさせた顔で俺の行動を待っている。それに引き換え、さやめはこそこそと耳打ちをしていて、あざとい感じを受けている。
「そのまま、さやの手を握る」
「え、う、うん」
「……じゃあ、転ぶなよ」
「えっ? なん――うわっ!?」
さやめに言われるがままに手を握ると、そのまま引っ張られるようにして廊下を走り出していた。
『えー!? 晴馬君とレイケで逃げるんだー?』
『晴馬ー!? ど、どこへ行くのだ? わたくしも行くぞ』
さやめの行動に意表を突かれたのか、呆気に取られたままのリイサはその場で声を張り上げ、円華に至っては追いかけようとしていた。
「さ、さやめ? ど、どこに行くんだよ?」
「うるさい! 黙って走れ」
さやめの手に強引に引っ張られながら、しばらく人のいない廊下を走っていると、どこかの部屋に入らされていて、入った途端に手と動きは解放されていた。
「あれ、この部屋って美織センセーに呼ばれた時の……」
「……ムカつく」
「え、何が?」
「ムカつくムカつくムカつく! はるのくせに!」
「か、噛みついたのはわざとじゃなくて、偶然っていうか……もしかして痕が残っているとか? ど、どうすれば……え、えっと、さやめの体に傷をつけたのは本当にわざとじゃなくて、でも許せないなら殴っていいから、だからごめんっ!」
これはもう意識を飛ばされるくらい殴られても仕方のないことであって、そのことを怒っているのかと思いながら、目を閉じてさやめからの仕置きに備えた。
「違う……違うっての」
「……ん? え?」
「じゃなくて、何でなずきが晴馬に――」
「な、何もされてないからね? お、俺はただ、お嬢の屋敷から迷って帰れなくなった時に助けてもらっただけで、偶然の出会いというか何というか……」
「偶然なんかじゃない……でもそんなことより、さやは晴馬の何?」
「俺の?」
「さやが晴馬に何かした? 何で臭いとか言うかな……」
「く、臭くない。そうじゃなくて、さやめの匂いは俺の好きな香りってだけで、だからあの……」
もしかしたら誰もいない密室で泣かれてしまう恐れがあったので、この際正直に言ってしまった。
「好きなんだ……ふぅん? じゃあ、嗅ぐ?」
「いやっ、だから学園の中じゃそういうことしないから!」
「それじゃあ晴馬の部屋でしてくれる?」
いつもの強気すぎるさやめと違って、随分と距離を近づけて来ている気がする。リイサがちょっかいを出して来たことに、何か関係があるのだろうか。
「リイサと何かあるの?」
「……はるには関係ない。話を誤魔化さないで、返事しろ! するんだろ? 部屋で」
「話すなら、し、してやる」
「あはっ、上から目線? はるのくせに? それを聞いてどうするつもり? まさか、優しくされたからなずきにも優しくするつもりがあるわけじゃないよね」
やはり留学先で何かの因縁があったみたいだ。ここまでムカついているということは、何か屈辱的なことでもされたのかもしれない。それを聞くのは簡単だとはいえ、聞けば部屋でしなくてはいけなくなるのはどうなのだろうか。
「優しくされたら優しくするだろ?」
「お嬢様とはどうするつもり?」
「円華とは別にどうもならないだろ。別れるわけでもないし」
「……好きじゃないんだ?」
「好きだけど、それがさやめに何の関係があるんだよ」
「――じゃあ、さやのことは? さやのこと、好き?」
何やらさやめの様子がおかしい気がする。そう思っていても、返事をしないと解決しないような気がした。今までキスやら何やらをして来たものの、さやめも俺もそれだけを気にしたことが無いだけに、何故今になって聞いて来ているのか、それが気になってしまった。
「お、お前はどうなんだよ? ただの一度も言ったことが無いくせに、俺には聞くの?」
「晴馬が言うべきことであって、さやじゃない」
「何だよそれ……じゃあ俺も言わない」
「逃げるんだ? さやの体に傷をつけておいて答えられないとか、どこまでヘタレ馬なんだか」
「と、とにかく学園の中で言ったりやったりしない。さやめが隠していることだって山ほどあるわけだろ。そういうのを教えてくれない限り、俺は言わない」
こんなことを言うつもりは無かったのに、どうして言わなくてもいいことを言ってしまったのだろうか。
「――さやは……はるくんに会うために頑張って来たのに、どうしてそういうこと言うの?」
「……え」
「バカ野郎ッ! へたれ! 変態!」
一瞬視界が真っ暗になったと思ったら、上半身がよろけていて、激しい痛みが頬の辺りから伝わって来る。どうやら気づく間もなく頬を爪でひっかかれたらしい。
気づいたら部屋に一人残されていて、さやめはどこかに行ってしまったみたいだった。ここにいても仕方が無いので廊下に出てみると、そこには円華が立っていた。
「晴馬、レイケは?」
「どこかに行ったよ」
「そうか。そ、そのな、お昼を一緒に食べないか? わたくしと一緒に……」
さやめとのこともあるのに、円華には何と答えればいいのだろうか。
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