第41話「噛むぞ!」と歯を見せた時に可愛かった件
「その両手は肩に置くだけ? もっと触れる場所なんて他にあると思うけど、分からないか?」
さやめの言う通り壁の仕切りが無くなった俺の部屋では、お互いの着替えシーンは、見ようと思えばいつでも見れる。さやめの場合は俺の着替えを見るよりも、すでにそこにいることの方が多いので、それには当てはまらない。
逆に俺の方は、挑発されまくりの状態でまともに見れないことが多い。それだけに隙を見て、上半身の着替えシーンだけは見たり見られなかったりしていた。
「こ、ここだろ?」
右手をすぐに肩から離し、さやめの前髪を掻き上げてほくろを探した。
「はぁ……ヘタレ馬。今はそれじゃないはずだけど? 左手も肩から離して、そのまま下におろしなよ」
「いやっ、それは……」
「もうしょうがないな、そこまで子供だったなんてね。こっそりと覗きはするのに、所詮はそこまでか。はるの左手を勝手に動かす! けど、文句言うなよ?」
右手は前髪を掻き上げたままで何故か硬直、左手というより自分の全身が、まるで金縛りにあったかのように動けずにいる。さやめのただならぬ雰囲気がそうさせているのかもしれない。
「はい、そのままなぞる。出来るだろ? それくらい」
「え、えーと……胸元の汗を拭けばいいと?」
「バカなの? その手は今どこに置かれているか見えているだろ? それに力を入れるだけでいいんだけど、そこまでヘタレ馬なの?」
「い、いやっ、ここは学園の廊下だよ?」
「だから?」
「だ、誰かに見られるし、さやめらしくないってば!」
実のところ授業中なこともありつつ、事前に通りがかったモナカちゃん先生と、美織センセーがいたおかげで、ものの見事に人の気配が無い廊下だ。
「誰もいないだろ? そもそも授業中だし。つまり、弱々しい晴馬が人の目を気にする必要はないわけ。監視カメラがー! とか、あれは今は誰も見てない。それに普段は誰が見ていると思う?」
「まさか、さやめ?」
「時々ね。だから、カメラは気にする必要なんてない。分かったなら、さっさと触れなよ? 触れたいんだろ? はるくん」
自分の意思ではなくさやめの指示によって、俺の左手……手のひらはさやめの右胸にのせられている。ここから動かすのはとても簡単だとは思う。
「し、しないぞ。い、言っとくけど、俺はその辺の男とは違うんだ」
「どんな風に?」
「か、軽くない!」
「後輩には軽くキスしたのに? それとお嬢様のお屋敷に上がり込むとか、あと、なずきに優しくされただけで惚れそうになっているとか、それから……」
「ご、ごめんなさい許して」
「……で?」
さやめの胸を思うままに動かすことさえすれば、たぶんコイツは俺を意のままに動かしたと満足するだろう。だけどこれでいいわけがない。こんなさやめの思い通りにはさせてやらない。
「お前、匂うんだよ!」
「――は?」
「だ、だから、その胸元のボタンをかけ直して汗をハンカチで拭くか何かしろってば! さやめの体から匂いがするんだよ!」
「……匂い?」
こういうことは女子に言ってはいけないことくらい分かる。ましてちょっと興奮状態になっているさやめは、本人が気づかないくらいの火照りで汗をにじませているし、匂いというより何かの香水の香りがピンポイントで、俺の鼻につきまとっている。
「んん、そんなに強くつけてないはずなのに……」
どうやら相当気になったらしく、さやめは俺から離れて腕やら何やらを鼻でスンスンと嗅ぎまくっている。
「おい! 変態馬! さやのどこが匂うって?」
「だ、だから、近づくなって言ってんだろ! さやめ自体が匂うんだよ!」
これはある意味で、距離を取る作戦でもあったし、少しは自分の立場的なものと場所をわきまえろという警告みたいな意味でもあった。それなのに、どうやらかなりさやめの逆鱗にふれてしまったみたいだ。
「――っ!? いっ……いってぇぇぇえぇ!? え、な、何だ!? 腕に痛みが」
「女子にそういうこと言うバカは噛むゾ、バカッ!」
「もう噛んでるってば……つぅー……」
「言っとくけど謝らないからな! バカ馬! 逆にバカ馬がさやに謝れっての」
「あ、痕に残ったらどうしてくれるんだよ! しかもこれから夏服で半袖が目立つのにー」
「うるさい! もっと強く噛むぞ? それに、さやの為にも痕を残しとく方がいい!」
怒りまくった猫のように歯を出しているさやめを、一瞬でも可愛いと思ってしまったが、負けてはいけない。
ただやられて謝りたくなくなるのも俺の
「さやめちゃん、あの、あのさ……」
「何? 土下座? じゃあ、両手を床につけて頭を擦りながら謝りなよ?」
さやめは両腕を組みながら見下すようにして俺を見ている。ジッと見ながらも、すっかりと油断をしているようだ。
「さやめ、ごめん! ……と見せかけて、お返しだー!」
「え、な、なにっ!?」
咄嗟のことで避けられなかったようで、腕組みをしていたさやめの両腕は、何故か万歳をしていた。そしてその姿勢のままで目を閉じていた。
「ふがっ……げっ!?」
「やっ――」
「ち、違う! 違うんだよ! そうするつもりじゃなくて、さやめの腕に噛みつくつもりで……」
どこをどう噛みついたかは口が裂けても言えないので、このまま頬をぶん殴られて意識を失うことを選択する。
「――へー? なんだ、そういう危ない関係? へぇ……あたしも希望しよっかな?」
てっきりさやめからの鉄拳が飛んでくる……そう思って黙って目を閉じて待っていたのに、さやめは顔を真っ赤にしたまま、半泣きのような感じになっていた。
そんな状況の中で、まさかあのカノジョに見られていたなんて全く予想していなかった。
「リイサさん……? え、何でここに」
「さん付けいらないし。晴馬くんは、学園の廊下で一体ナニをしていたのかな? 教えてくれる?」
「何って、立ち話を……」
「あれあれ? そうだったかなぁ? あたしが見たのは、そこにいるレイケの胸に――」
「わーわーわーわ!?」
危険だ、全てが危険に思えた。肝心のさやめはリイサと目を合わそうとしていないし、俺には握りこぶしを作って、力をぎゅうぎゅうとためている様に見える。
「黙って欲しい?」
「も、もちろん!」
「じゃあレイケがいる前で塞いでくれる?」
「へ? ど、どこを」
「要はさー言わせなければいいんだよね。だから、口を塞いで欲しいなー。晴馬くんの口で! それ希望!」
道迷いで出会ったリイサは優しいお姉さんに見えた。それなのにここにいるリイサは、さやめ以上に危険で、逆らえないような……そんな雰囲気と気配を感じてしまった。
「そ、それは……」
「塞ぐのが無理なら噛んでくれてもいいよ? レイケにしたことをあたしにもね」
「う、ううっ……」
『噛むとは何事だ? まさか晴馬……貴様」
さらには円華まで参戦!? 通りがかりか、それとも気になって来てくれたのかは分からないが、この状況はかつてないほどの危機なのかもしれない。
どっちも危険で、逃げられない。どうすればいいのだろうか。
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