第37話「はるくん」と呼んだ某妹からは逃れられない運命だった

 どうしよう、どうするべきか。可愛い妹ちゃんからキスをされるのは、本来なら嬉しいことだ。

 元々は男装女子として近づいて来た泉ちゃんに、キスが出来るかどうかをあいつに言われた挙句に、結局出来ずに終わっている。


 その時から事あるごとに邪魔されて来た泉ちゃんにとってみれば、これが最初で最後のチャンスのはずなわけで。


「晴馬センパイ……好きです」

「……泉ちゃん、落ち着いて? 泉ちゃんの想いには応えられないんだよ?」

「だったら、なおさらです。わたしに思い出をください……」


 彼女の膝の上に自分の頭を乗せたまでは良かった。それなのに偶然にも、両腕は古びたベッドのコイルスプリングに絡まっていた。

 泉ちゃんの仕掛けた罠などではなく、本当に偶然だったのは彼女の反応を見ても明らかだ。


「センパイ、ごめんなさいです。このベッドもしばらく使っていなかったので、きっとそのせいだと思います。だけどベッドの老朽化がわたしにチャンスをくれたのなら、わたしにもチャンスをくださいっ!」


 ここは泉ちゃんの昔の家で、確かに住んでいたらしい。彼女の部屋も寂れた感じに見えたのはそのせいだった。それが最近になって、壁と天井に俺の顔写真を貼りに来ていたとなれば、ベッドまでは触らないはずなので、こんな偶然みたいなアクシデントが起きてもおかしくない。


「分かったよ泉ちゃん。元はと言えば俺が逃げたのが良くなかったんだ」

「センパイ……」


 ……と見せかけて、両腕はすでに自由が利くようになっている。ここは大人しくされるがままな泉ちゃんのキスを受けるのは避けて、体を起こして彼女を抑え付けて叱ってあげることにする。


「センパ――」

「泉ちゃん、そうはいかな――っ!? あっ!」

「えっ……?」


 膝の上にあった自分の頭は思いの外重かった。それに加えて、急に自由を得た両腕は力を入れ過ぎたせいで、彼女の両肩に手を置く予定が押し倒す羽目になってしまった。これではまるで襲うカタチに見える。


「あ、いやっ、ち、違うんだよ? こうするつもりじゃなくて、説得を……」

「晴馬センパイ……このまま、センパイからキスを……ください」


 何とも弱々しい泉ちゃんの顔が真下にあって、最初からこうなることを望んでいたようにも見える。両腕が動かせなくなっていたのは偶然だったのに、結局は彼女をベッドで押し倒している。


「い、いいのかな? もう止められないよ……?」

「はい……今度こそ、センパイのキスを――わたしに」


『ドンッ! ガシャーン……!』

 どこかでガラスが割れた音が聞こえた。

 

「へ? な、何だ?」

「そんなことより、センパイ……早く……」

「……泉ちゃん」

 

 制服シャツの泉ちゃんは、上三つくらいまでボタンを外し、胸元が少しだけはだけていて理性を失いそうな予感さえしている。

 あともう少しで彼女の唇に届くところまで迫った時、その位置から動く事の出来ない声が聞こえて来た。


「へぇ……? 危ない目に遭わされていると思って来てみれば、ふぅん? そういうことなんだ?」

「さ、さやめ!? な、何でここに」


 あとほんの僅かなキスをしようかと思う位置で、自分の顔は奴のいる所に向けながら動けずにいる。何でここにいて、そもそも部屋の場所まで分かったっていうんだよ。


「晴馬センパイ、早く……ください」

「え、えっと……」


 物音がしたのは聞こえているはずだし、さやめの声にも気づいているはずなのに、泉ちゃんは目を閉じたままでずっとキスを待っている。ここまで来て彼女にしないままでやめるのは駄目な気がして来た。


「泉ちゃ……」

「はーるー? しちゃうんだ? 意気地なしなはるくんが本当にしちゃうんだね? それでもいいよ? いいけど、その子にしたらそのキスはわたしにもするんだろ? ねえ、はるくん……」

「……そ、それは、えっと……」

「センパイ……? えっ!?」


 実はさやめの存在に気付いていなかったらしい泉ちゃんは、なかなか迫って来ない俺の様子にようやく気付いたようで、キス待ちのままで硬直していた。


「どうするつもりなのかな? するの? しないの? あはっ、してもいいけど~?」


 キスを待つ泉ちゃんにキスをすることは出来る。出来るけど、すぐ近くには不敵な笑みを浮かべているさやめがいて、泉ちゃんにキスをしたら、さやめにもキスをしないといけなくなる。


「ほらほら~せっかく押し倒しているのに、何をしているのかな? んー?」

「く……うぐぐぐ」

「晴馬センパイ、わたしは受け入れますから。わたしのお部屋に来てくれて、お話が出来て……後はキスだけで、それだけでいいんです。たとえその後に起こることが分かり切っていたとしても、センパイにして欲しいんです……お願い……します」


 こうまで言われたら、もう考える余地なんて意味は無い。さやめの存在は一先ずこの場から消し去って、押し倒したままの泉ちゃんにキスをすることにした。


「――ふふん……へぇ?」


 鼻で笑う奴を尻目に、俺は精一杯の気持ちを込めて泉ちゃんにキスをした。彼女の唇は柔らかく、ずっと緊張をしていたのか、小刻みに震えていた。

 好きでいてくれてありがとう……そんな気持ちをキスに込めて、彼女とのキスを終えた。


「あ、あの、晴馬センパイ……わ、わたしは本家に戻りますっ……どうせ外には兄が来ているはずですから。その、ありがとうございました。好きです、センパイ」

「あっ――泉ちゃん」


 本家に? ということはここは旧家だったのか。男装女子だった時の泉ちゃんは榛名はるなと名乗っていたけど、そういうことだった。

 取り壊すことなく時々来ていた家に、きっと勇気を振り絞って招き入れてくれたに違いない。


「……お前、何でここに来れたんだよ? こんな外れの閑静な住宅地のことなんか、レイケが知り得ないことのはずだろ?」

「き、聞いただけだし。晴馬のことは他の男子から聞き出した。わたしにだってそういう権利はあるし」

「お前が俺以外の奴に話しかけたのか? な、何でそこまで……」

「はるくんのことが心配だったの……」


 予想の出来ない答えを言い放って来た。他の男子とは恐らくカイのことだと思われるが、レイケから声をかけられることはないと聞いていただけに、そこまでしてどうしてなのだろうと首を傾げるしかなかった。

 

「俺のことが、好きなの?」

「――はるくん、わたし……」


 さっきまで威勢よくしていたさやめの態度は既に無く、じっと見つめて来る目の前の女の子は、ずっと思い描いていた女の子そのものだった。

 ここはさっきまで泉ちゃんと一緒にいた部屋。それなのに今、目の前にいるのは、弱々しくて大人しいさやめちゃんだ。


「あの、あのね……はるくん。わたし……」

「う、うん。な、何かな、さやめちゃん」

「特別なの。はるくんがわたしの全て……はるくんの為に頑張って、留学して学園のみんなから特別って思われるようになって、そうなった状態ではるくんを迎えたかったの」

「じゃ、じゃあ、僕が学園に来るのを待っていたんだね?」

「そうなの……全てははるくんの為だったんだよ? はるくんのお嫁さんに相応しくなるために、頑張ったの。だから、はるくんにして欲しいなぁ……」


 そうだったんだと思うしか無く、確かにいつも俺の為だけにしてくれていたことを考えれば、今までの行動や言動、さらには今こうしてここに来ていることに合点がいく。


「し、して欲しいって、それはその……」

「あの子にしてあげたでしょ? わたしにしてくれたら、許してあげる……」

「キ、キス?」

「早く……」


 こうなることが運命だったのだろうか。思い出のさやめちゃんにキスをすれば、そこから今まで分からなかったことの全てが、分かっていくというのならそれをすればいいんだと思えて来た。

 本当にこれでいいのかと迷う自分と、さんざんさやめちゃんから特別だと思われて来たことに対して本当にそうなのかと、どうにも葛藤が始まっていた。


「――ちっ」

「え?」

「早く、して欲しいなぁ」

「もう少し、待ってくれるかな?」

「どうしていつまでもさやを待たせるの? さっさとしないと邪魔が……」

「ん? え?」


『晴馬ー! 悪い! 泉のことで……あ』


「カイ? あ、そうか。鍵とかかけに来たんだね。ごめん、今すぐに出るよ」

「のろ馬……」

「んん? え、何? どうしたの?」


 弱々しいさやめちゃんはどこかに消え失せたらしく、俺の後ろに立つ彼女は嬉しそうに、それでいて嘲笑うかのように腕組みをしながら俺をじっと見つめている。


「あはっ! あははっ、はるくん……キミは運命からは逃れられないよ?」

「う、運命?」

「クスッ……」

「と、とにかく帰ろう」


 泉ちゃんと色々あり、その流れでどうやら助けに来てくれたさやめちゃんだったけど、まだまだ特別な意味も運命だという言葉の意味も分からないままだ。


 今回は助けられたと思いながらも、レイケ・さやめとの運命を知るにはそう簡単には行かないみたいだ。


「まだまだ逃さないからね、はるくん?」

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