第35話 何かの危機で「ひいっ」と声を出した件
「ちょっとそこの男子、お話があるのでこちらに来てくれますか?」
「へっ? 俺ですか? 俺は晴馬じゃないですよ?」
「来るのか来ないのか、来なければ一生来れなくしますけど、それでもいいなら……」
「い、行きます! ど、どこへ行けば? というか、俺だけですか? 他にも男子はいますよ?」
「あのバカと仲良くしているのはあなただけ。理解したなら黙って付いて来る!」
カイの妹である泉ちゃんと一緒に、学園を抜け出してきた俺はカイの家でもあり、泉ちゃんの家でもある所にお邪魔していた。
「だ、大丈夫なんだろうか」
「何がですか?」
「いや、ほら、泉ちゃんは早退届を出しているだろうけど、俺は黙って帰って来てるし……カイが気の利いたことをしているとも思えないんだよね。泉ちゃんの兄のことを悪く言うわけじゃないよ? でも何というかね」
「センパイに悪いことをさせてごめんなさいです……でもでも、わたしのお家なら……ううん、お家じゃ無いとセンパイに近付けない気がしていたんです。悪いことをさせちゃって、何だかすごく泣きたく――」
「えっ、いやっ……泉ちゃんのせいじゃないからね? な、泣かないでね? ねっ?」
全面的に俺が悪いのに、どうして人の家の前で女の子を泣かせているのだろうか。こんな所を誰かに見られる心配はさすがに無いとはいえ、妹ちゃんを早退させて自分も堂々とサボっている時点で、すごくイケないことをしているような気がしてならない。
「晴馬センパイ、あの……」
「な、何かな?」
「家はどうでしょうか? センパイから見ればみすぼらしいかもですけど、センパイがいいならセンパイと……」
「え? 家?」
さっきまで泣きそうになっていた泉ちゃんはいつの間にか、いつも通りの表情に戻っていたかと思えば、自分の家を見てくださいとお願いをして来た。
正直言って、俺なんかが他人の家を見たところで実家のレベルと比べることも出来ないし、至って普通の一軒家にしか見えなかった。
近所に関しては閑静な住宅街と言ったところだ。昼間のせいなのか、辺りを歩く人の姿は見えない。
「えっと、いいと思うよ」
「……じゃあ、入ってくれますか? わたしのお家に入ってくれたら、ウンとおもてなしをして……それから、センパイに沢山の時間を過ごして欲しいなって思うんです。ど、どうでしょうか?」
「へ? 入るのは別に構わないよ? そんな大げさにしなくても、カイが帰って来たら帰るけどそこまででよければ……」
「約束……ですよ? カイが帰って来るまではセンパイは帰らないんですよね?」
「まぁ、サボって来た俺と違って授業が終われば自然と帰って来るだろうし。それでいいよ」
「や、やったです! さぁさぁ、センパイ! どうぞ上がってくださいねっ!」
「う、うん」
泉ちゃんの言葉の意味を特に疑うことも無く、至って一般的な一軒家の中にお邪魔することにした。そもそもさやめなんかと違って、学園の中の女子は一部先生を除いて、変わった女子が多いわけでは無い。
お嬢にしたって、付き合うようになってからは可愛らしさも垣間見えるほどまでになっていたし、カイの妹でもある泉ちゃんも、そんなに変わった感じがある子だとは思っていなかった。
少なくとも家の中に入るまでは――
「――で? あの妹についてはそれだけですか? 雨洞カイ」
「は、はい。ですんで、帰る家ってのはどっちかというと本家の方というか……あいつは旧姓を使う時があって、昔住んでいた家に帰ったりしますが……何で俺にそんなことを聞くんすか? レイケなら簡単なことのはずでは――」
「――うるさい! レイケだから何でもかんでも出来るとでも? ヘタレ馬の友達だけあって、雨洞もヘタレだったなんて、ガッカリなんだけど」
「い、いや、俺はそこまで妹にベッタリする兄でもなくて、むしろ晴馬のことがそれだけ好きなら、レイケがずっとあいつに張り付いていれば問題は起こらないかと……」
「学園のこともあるのに、晴馬にくっついておけとでも?」
「で、ですよねぇ……す、すみません」
――と、学園のどこかの一室では説教されまくりのカイが大変だったとか何とか。それはともかくとして、泉ちゃんの家の中に入るとすぐに、リビングルームに案内された。
ごくごく一般的で驚くことはないものの、何故か少し寂れた感じのように見えたのは気のせいだろうか。
「え、えーと……家の人はいないの? それとも俺と同じで、学園都市では家族と一緒に暮らしていないのかな?」
「そ、そんなはずあるわけないじゃないですか。兄のカイだって帰って来る時もありますし、両親もいますよ」
「だ、だよねぇ。こんな早い時間に家の中にいるのは不思議な感じを受けちゃったものだから、ごめんね」
「晴馬センパイってやっぱり優しくて好きです! わたしを……妹にして欲しいですっ!」
「え? い、妹!? そ、そんな勿体ない言葉だよ。俺はそんな大した奴じゃないし……」
「き、決めたんです。だから、その……わたしのお部屋に来てください! ここだと自由が利かない……」
「んん?」
「さ、センパイ。沢山センパイとお話したいので、わたしのお部屋に!」
学園や寮に来ていた泉ちゃんの弱々しさは、どこへ行ったのだろうかと思うばかりに、ぐいぐいと俺の腰を後ろから押しまくって、家の奥にある泉ちゃんのお部屋に案内されているみたいだった。
「そんなに嬉しくしているなんて何だか照れるなぁ」
「ふふっ、わたしもですっ! これで、このお家なら大丈夫です! ようやくなんです……」
「うん?」
「あのレイケでもきっとここへは来れませんから。だから、センパイは安心してくださいっ! わたし、守りますから!」
泉ちゃんの純粋無垢な気持ちは素直に嬉しいと感じつつも、言葉の端々に何となくの違和感を感じながら、泉ちゃんの部屋の前に着いた。
「晴馬センパイは下がいいんですよね?」
「ん? 何が下なの?」
「忘れちゃいました? 晴馬センパイの寮でも同じでしたよ。レイケが来るまではですけど」
そういえば上から目線の態度に弱いなどと、あらぬ誤解と方向に匙を投げられたような。さやめが上からの態度すぎるからこそのものであって、さすがに誰にでもそれをやられるのは何とも言えない気になる。
「というわけですので、晴馬センパイ……」
「えっ? うわわわっ――!?」
部屋の前まで優しく押してきた泉ちゃんの手が、いきなり突き出すようにして部屋の中へ押してきた。これはもしや、そういうことの始まりなのだろうか。
彼女の部屋の中を見渡す余裕もなく、振り返るとそこには、弱々しくしていた泉ちゃんの姿はすでに消えていた。
「――い、泉ちゃん?」
「泉って呼びましょうよ? わたしの兄なんですよ? そうですよね、兄者……」
「ひっ……!?」
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