第21話「わたしを見て……」と後ろから弱々しい声
これはどういう状況なんだろう。どうしているはずのない奴がお嬢の家に、しかも厳格そうな父親よりも偉そうにしているんだ。初めからそういう予定だったとでもいうのか。
お嬢が言わせた言葉の意味は、お嬢を嫁として貰いますの意味なようだし、それが本当かどうかをさやめは聞いて来ている。お嬢を彼女にして、彼女のことをきちんと見てあげなよと言っておきながら、それを確かめに来ている辺りがあざとすぎる。
「と、とにかく、円華!」
「は、はい」
「手を」
「……はい」
両親の前で照れながら、お嬢はそっと手を差し出して来る。お嬢とシたことといえば、手を繋いだということだけ。キスなんてしていないのだから、これが正解のはず。
「はぁ……それが晴馬のしたこと? 円華とはまだそんな程度? そんなことではまだまだ……追いつくこと、追い付かせることなんて不可能だね」
「何だよそれ……大体、おじょ……円華とは出会ってからそんなに日が経ってないんだぞ? そんな浅い日数でどこまで仲良くできるっていうんだよ!」
「日数? 時間? 関係無い。出会ったその日から運命なんて動くもの。そうだろ、晴馬? わたしと出会ってから動き始めたってことにちっとも気づかないなんて、本当に思い出のままで止まってしまったのかな? 駄目だよ、はるくん……」
運命だとか思い出だとか、人様の家でコイツは何をほざいているんだ。円華と手を繋いだままなのに、全然血が通っている感じがしないくらい、自分の手が冷えて来ている気がする。
「は、晴馬……ありがと。レイケが来ているなんて、知らなかった。今度また、ワタシと会って欲しい……約束を……」
「ご、ごめん、円華……学園でまた一緒に話をしようか」
「約束の証に……晴馬にセップクを――」
「いやだから、それは――」
断る余裕もなく、お嬢の方からされたかされないかくらいの口づけを、頬の辺りに感じてしまう。しかもご両親のいる前で! これはもうそういう意味になる?
「……繋ぎの絆、証を与えた。晴馬、此度はすまなかった。レイケがいる以上、ワタシは何もしたくない。ここで別れを」
「円華? ちょっ――」
お嬢は間違いなくさやめを嫌っている。それなのに、ご両親はさやめに審判を委ねた。これではお嬢もたまったものじゃないはず。親に言葉を伝えれば、俺とお嬢の関係はこの時点で、契りの関係になっていたと言ってもいいだろう。
それがまさか、さやめの裁決で決まるだなんて、そんなのはお嬢も嫌だったんだ。そんなことを心の中でぼやいている間に、俺だけがお嬢のお屋敷から追い出されていた。全てあいつのせいだ。
「……帰るか」
とはいうものの、ここが果たして学園都市の中なのか、そうでないのかさえ見当もつかない。まさに途方に暮れるという、何とも最悪な展開に陥っている。数少ない小遣いでタクシーを探しても、学園都市までいくらかかるのかなんて、想像もしたくない。
「くそっ……何であいつ、あいつのせいで俺の学園生活は……」
「わたしのせいなの?」
いると思ったその声は、いつもの通り俺の背後から聞こえて来ている。最初こそそうは思えなかったけど、よくよく考えれば悪趣味を通り越して、タチの悪い嫌がらせだ。
こんな声に相手していては、この先もいいことなんて起きそうにない。そう思った俺は、声に振り向くことなく道を進みだした。
「あっれぇ? 聞こえていないの? シカトぶっこんでるってやつ?」
「聞こえない。聞こえてないぞ……」
俺が後ろを律義に振り向かなければ、その内に飽きて離れていくはず。さやめは自分に興味を持たれなければ、それ以上は気にしなくなるタイプだ。ここはとにかく、ただ前に進むのみ。
「……ねぇ、振り向いてくれない? どこに行くっていうの? あなた一人で帰れるとでも思ってるのかな。晴馬一人でどうにか出来るわけがないんだけど、ねえってば!」
これもさやめの作戦であり、あざとすぎる言い方だ。さやめなんていなかったんじゃないか? 思い出の妹はきっと、俺だけの思い出であってレイケさやめは別人なんだ。きっとそう、そうに違いない。
「……はるくん、お願い……こっちを、わたしを見て」
「うっ?」
「はるくん、わたし……わたしだよ? さやめなの……さやめを置いて行かないでよ」
こんな弱々しい声は初めて聞くかもしれない。振り向いたら、もしかして本当のさやめちゃんが泣きながら俺を待っているんじゃ?
周りには見渡す限りの塀だらけ。果たして、普通の道路に出ることは可能なのだろうかという不安もあった。それだけに、俺を呼び続ける女の子の声がいつまでも途切れないのは、きっと本物のさやめだからに違いない。
「さ、さやめちゃんなんだね? ご、ごめんね。今すぐ振り向くから、だから泣かないで」
「……うん、泣かないから。だから、わたしを見て――」
これはもう思い出のままの弱くて大人しくて、いつも兄代わりとして慕ってきたさやめちゃんに間違いない。
「さやめちゃん……! う、あぁぁ……」
「どうしたの、お兄ちゃん……? あはっ! 何を怖がっているの?」
振り向いたら思い出の女の子が、泣きながら俺を見た途端に、満面の笑顔を浮かべていると思っていた。それが何度目の後悔と恐怖なのか、そして学習しとけよと自分に言い聞かせ続けたい。
「お、お前……何で真後ろにいるんだよ? 何で泣いてないんだよ……反則だろ」
「泣かないって言ってたけど? 泣いたなんて一言も言ってないし。はるくんは変わらないし、変わっていないんだね、そこが良くも悪くもあるんだけれど。はるくんは予想以上に成長出来ていないね……お姉さんはがっかりだよ」
「お姉さんだぁ? さやめは俺のハトコで妹だろ? 何、世迷い言をほざいてんだよ!」
「うん、はるはそう思ってるよね。小さな男の子の時って、身近にいる大人しくて弱くて、泣いてばかりの女の子を勝手に妹にするっていう変な思い出を作りたがるよね。あはっ、面白いね」
何だって? 思い出を改変しているとでも言いたいのか、コイツ。そんなはずはない。コイツは妹みたいなもので、俺よりも弱くて――あれ? 本当にそうなのかな?
「ふふ……とりあえず、晴馬はお嬢の家から追い出されてしまったわけだし、ここからあのせまっ苦しい寮に戻る為には、わたしが必要なわけ。分かってるよね?」
「く、くそ……ここはどこだよ?」
「じゃあ……手を出して」
「は?」
「……はるくん、お願い。わたしと手を繋いで欲しいの……」
「うっうう……しょ、しょうがないな。さやめは泣き虫だから、そうやって上目遣いで兄に頼って来るあたりがあの頃と変わらないぞ、全く! ほら、手を……
「あはっ――はるくんは本当に頼りになるお兄ちゃんだよね。わたしのはるくん……その手を離しちゃ嫌だよ?」
「あ、当たり前だろ」
「そう、それでいいよ……はるくん」
一瞬寒気のようなものを感じたものの、思い出のさやめちゃんはあの頃と何も変わっていないみたいで安心出来た。彼女に手を引かれながら、白い塀しか見えない場所からようやく抜け出せそうだった。
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