第6話「教育してやる」などと何故か笑っている彼女

 お姉さん先生の手の甲にキスをする……これは全然いいことではない気がした。それをすると学園での自分の態度や行動に制限をかけることになるからだ。


「ほらほら、早くして欲しいなぁ」

「い、嫌です」

「んー? どうしてそんなこと言うのかな? 晴馬くんはいい子だって知ってるよ。お姉さんの手に口をつけるだけで君のここでの生活はグッと楽になるよぉ?」

「それって、さやめがそう言ってるんですか?」

「んんー? 違うよぉ? 私だけが知っていることなの。だから、早くぅ……」


 女子だけがいつまでも強い学園なんてそんなのは何となく嫌だ。一番嫌なのは、さやめに好き勝手されること。今ここにいるお姉さん先生も、さやめの裏の力が働いているとしたらそこから引っ張り上げたい。


「自分で言いたくないけど、俺は普通なんです。だから、特別扱いされるのは嫌なんです。だからごめんなさい、先生」

「そ、それが本音……?」

「俺は平凡なんで、すみません。それにキスとかって、たとえ手の甲だけと言っても簡単にしていいものでは—―」


『ガンッ—―』


「う?」

「ふ……ふふふっ、ふふ………い、いい子ね。そう、私の晴馬くんはいい子なんだよ。逆らう言葉なんてあり得ないの。分かるよね……ねえ? 明空! 何とか言いやが――」


 目の前に優雅に座っていたお姉さん先生は、突然に立ち上がって座っていたイスを壁に勢いよく投げた。これは何かの夢だろうか。豹変しすぎじゃないのか? お姉さん先生は影番だったりするとでも?


「う、あ……先生、落ち着いて下さい! キ、キスに代わるものがあれば、それをしますからどうか落ち着いて!」

「――本当?」

「は、はい」

「じゃあ、イスから外して私の前で正座をして欲しいなぁ?」


 よく分からないままではあるけど、この人に変な態度を見せれば、さやめ以上に嫌な学園生活になりそうな予感がしたので、ここは素直に言うことを聞くことにした。


「こ、ここでいいですか?」

「それじゃあ、舐めてくれる?」

「ハッ? な、舐め……え、どこを?」


 お姉さん先生は何故かストッキングを脱いで、万全の態勢で素足になり、何ともスベスベそうな素肌を露わにしている。


「これは、もしかして足の指先のことを言ってますか?」

「おら、舐めな!」


 お姉さん先生はすでに言葉遣いが元々の性格、もしくはそれが本性なのか分からない言葉で俺を睨んでいる。これはもう逃げられないことかもしれない。二人だけの密室で、どうして自分だけがこうなっているのだろう。


「くっ……」


(駄目ですよ、美織センセー?) 


「え、あっ……あぁぁぁ……は、晴馬くん! 美織は誰かに心を乗っ取られていたの。だから、今のは忘れてね? そ、それじゃ、私は教室に戻るね。晴馬くんはもう少しここで心を落ち着かせてから戻って来てね」

「は、はぁ……?」


 何やらそそくさと部屋から出て行ったお姉さん先生は、壁のどこからか聞こえてきた謎の声で血の気が引いたらしく、豹変した姿はすぐに消え失せ、素早い動きでいなくなってしまった。


「何だったんだろう……」


 部屋の中で独り言を言いながら指導部屋から出て行こうとすると、背後から何かを感じた。振り返る前に、耳元で囁かれたのは昔の思い出を感じさせるような女の子の声だった。


「はるくんはわたししかだめなの。だから、ゆっくり後ろを振り向いてね?」


 これは夢? さっき聞こえたのは間違いなく、か弱いあの子の声だった。振り向けば、あの子が笑顔で待っててくれるとでもいうのだろうか。


 期待しながら体の向きを変えると、そこにいたのは銀色の前髪をかきあげる仕草を見せる彼女だった。思わず胸がドキッとしたのは勘繰られたくない。


「認めない。そう言ったはずだけど、凡愚だから理解しなかった?」

「お、お前何でそこにいるんだよ? だって今の今までお姉さん先生しかいなかったぞ! またどこからか隠れて見ていたのか? 悪趣味としか言いようがないぞ! それに認めないってなんだよ?」

「はるが他の女子にあれこれされるなんてことを許可した覚えはない。そしてそれをさせようとしている女も。わたしとの誓いを忘れた? 前髪をわざわざかきあげて見せているのに、ときめいている場合じゃないんだけど?」


 さやめが何を言ってるか分からない。だけど、胸がドキッとしたのは隠しようがないくらいに、俺は銀髪の彼女から目を逸らせずにいた。


「し、知らないぞ、そんなの! それで、何でまたお前がここにいるのか聞いてやってもいいぞ」

「聞きたいか?」

「い、言えるもんならな!」


 何なんだコイツは。何でこんなに変わってしまったんだ。そう思うくらいに、全身が麻痺したように身動きが出来なかった。


「はる……はるはわたしが教育してやる。他の誰でもなく、わたしが勝手なことをさせない。覚悟はいい? 良くなくてもしてもらうけれど」

「きょ、教育? な、何だよそれ。妹のくせにそんなこと言うのはどうかしてるぞ」

「やり方は色々ある。はるは平凡に、わたしは超凡に、ね」

「し、知らない。さやめの好き勝手に出来るとは限らないんだからな? 来たばかりの俺に、訳の分からないことをベラベラと言うお前もおかしいんだからな!」

「……あはっ、あははは……いいよ、それで。本当を知るにはまだ……」


 俺を見ながら不敵に笑うさやめが、思い出の女の子と同一人物だなんて認めたくない。それなのに、彼女の視線から逃れられない。


「不安だ。不安すぎる……」

「楽しみだね。ねえ、晴馬?」

「楽しくするのはお前じゃない。俺だけだから、覚悟しとけよ?」

「強がっちゃって、それも全てわたしの手で――」


 俺は普通。普通に男友達を作って過ごす。それには、妹であるさやめを何とかしないとダメだと改めて感じた。

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