第56話 龍宮寺姉妹のリップスティック戦争

 出雲に差す緩やかな昼下がりの日の光。

 ショッピングエリアにある喫茶店にて、輝刃は同ランクのレイヴンの少女達とティータイムを楽しんでいた。

 

「さすが輝刃様は素晴らしい――」

「わたくしも祖父のパーティーに出席を――」


 オープンテラスにある円卓には、輝刃を中心とした育ちの良い少女が数人、品のある話に花を咲かせていた。


「皆さん苦労されているんですね」


 輝刃は天使の微笑みと共に顔を傾けると、美しいゴールドの髪がサラサラと揺れる。社交もお嬢の大切なスキルと割り切り、話の合わない人間とでも友好関係を結ぶ。

 彼女のような上流階級の人間には、それと釣り合う優秀な友人がコミュニティを作る。


 そんなお嬢様たちのお茶会。

 一見するとウフフおほほほですわですわの秘密の花園的雰囲気を持つ。しかしそんな空気に物怖じしない人間がいる。

 それは――


「今日さー、彼氏が他の女といるとこ見ちゃって。そっこうで別れたわ」

「ミキあんた今月入って三人目じゃない? 早すぎっしょ」

「っていうか浮気する方が悪くない?」

「男がゴミなの確定だけどさー」


 ギャル:gal――文学名ギャル科ギャル目

 英語のgirlガールが由来とも言われ、時折独自の文化を形成し流行すら作り出すこともある少女達。

 その種類は多岐に渡り、アウトロー系やコギャル、姉ギャル、ママギャルなども存在する。

 出雲の学生にも一定数存在する種であり、主に4,5人の小さなコミュニティでありながらその影響力は大きく、特によそのコミュニティを侵食するには絶対的な力を持つ。


 本来交わらないはずのお嬢様チームとギャルチームがカフェで隣同士になった。


「あぁそうだ聞いてよ、今日強襲A(ランク)の澤田センパイがリップ捨ててるの見ちゃってさ。それゴミ箱から拾ってきたんだよね」

「マジィ? あの超イケメンの澤田センパイ?」

「マジマジ。これな」


 ギャルたちは市販のリップスティックを見てテンションを上げる。


「それちょうだいよ。舐める舐めさせて!」

「やだよ。これはあたしが拾ったんだから、後でべろべろする」

「矢島マジキメェ」


 デヒャヒャヒャヒャヒャと馬鹿笑いがカフェに響く。

 お嬢様チームの数人は顔をしかめ、その喧騒に耐え切れず席を立つ。


「すみません輝刃様、あまり空気が良くないようですので」

「申し訳ありませんがまた日を改めて……」


 箱入り娘のお嬢様たちにはいささか刺激が強い会話。

 聞くに堪えぬと、少女達は申し訳なさそうにペコペコ礼をしてから去っていく。耐性のある輝刃は気にしないでと言って友人達を見送ると、一人飲みかけのティーカップを傾ける。

 その間もギャルたちはリップの話で夢中だ。


(使いさしのリップをゴミ箱から拾って来るって、どんだけ必死なのよ)


 輝刃――嘲笑。

 ギャルたちの浅ましい行為に心の中で嘲りの笑みが出てしまう。彼女達は間接キスの為にゴミを漁り、想い人の私物で興奮している。

 正直痛いとしか言いようがない。いやそこまで性に貪欲な姿勢はある意味見習うべきかもしれない。一瞬自分がゴミ漁りをしている姿を想像して笑ってしまう。

 考えられない。自分には無理だ。発情した男子生徒じゃあるまいし、そんなお下品、いやお下劣と言ってもいい行為プライドが許さない。

 内心そう思いながらティーカップを傾ける。本日のお茶はアールグレイ。芳醇な味わいと深いコク、爽やかな香りが鼻腔を抜ける。


「悠悟ー、お前リップスティック落としたぞ」

「あーそれもう使い切ったんだよ。ゴミ箱に捨てといてくれ」

「これが女子のリップなら回収するんだがな、野郎のはゴミだな」


 カフェの前を偶然通りかかった悠悟と猿渡。

 目の前で自販機隣にあるゴミ箱にリップスティックを放り投げる猿渡。


「…………」


 龍宮寺輝刃はお嬢である。

 兵器会社叢雲社長の次女であり、各界にも顔が利く自他ともに認めるスーパーお嬢。金銭感覚が狂っていると言われたくないので、基本的に持ち物は普通の学生が身に着けるものと同レベルのもので揃えている。

 しかしそれでも彼女が所持しているリップスティックは一本3000円とかなり高級品。対する今捨てられたであろうリップは300円程度の大量生産品。

 彼女がそれに興味を示す理由は万に一つもない。


「…………あった」


 ギャルたちは必死にゴミ箱を漁る輝刃を見て、何やってんだろあの人……と思う。



 リップスティックを大事に握りしめて共同部屋に帰って来た輝刃。

 軽く一安心し、自分の掌に握られているものをまじまじと見やる。

 なんの変哲もないリップスティック。メンソレータムと書かれた肌荒れにきくシンプルなもの。

 この時期男女問わず誰が持っていてもおかしくないそのアイテムに、輝刃は心臓を高鳴らせていた。


(これ……小鳥遊君の……)


 先刻下品とまで思ってしまった女子生徒と同じ行動をとってしまった。

 だがそのことに後悔はない。庶民のゴミ漁りとお嬢のゴミ漁りでは品格が違う。ゴミ漁りノブレスオブリージュと呼んでほしい。

 誰がやろうとゴミ漁りはゴミ漁りなのだが、そんな言い訳でもしないと今まで積み上げてきたお嬢のプライドが音を立てて崩壊する。


「どう、しよう……」


 キャップを開くとすり減って、プラスチックの芯が見えかけている。つまりそれほどこのリップスティックは彼の唇を行き来したというわけだ。

 途端に卑猥なアイテムに見えてきて、輝刃は耳まで顔を赤くする。


『舐めさせて~』

『べろべろする』


 ギャルたちの言葉が頭をよぎる。


「あ、あぁ! 唇乾いてきたしリップでも塗ろうかな~」


 輝刃自己暗示に入る。言葉に出すことによって己の正当性を示す。

 震える手でリップをゆっくりと自分の唇へと近づけていく。


「あれ、姉さんそんな食い入るようにリップ見てどうしたんですか?」


 ビクンと心臓が跳ねる。というより口から内臓が出てたんじゃないかと思うくらい驚いた。

 声をかけてきたのは授業を終えて帰って来た、目つきの鋭い白衣姿の少女。彼女が今見つかりたくない人物NO1、龍宮寺稲妻いもうとだった。


「な、なんでもないけど」


 輝刃は慌てると不審に思われると思い、ゆっくりリップスティックのキャップを閉じ、何気ない動作でスカートのポケットにしまう。

 が、そこは姉妹。姉の小さな変化に気づく妹。


「姉さん……そんなリップ使ってましたっけ?」

「えっ? つ、使ってたわよ」

「姉さんのリップって確かピーチの匂いがするやつじゃなかったでしたっけ?」

「それもあるわよ。二本使ってるから」

「へー……結構安いの使ってますね」

「よ、予備だから!」

「……あまり関係ない話なんですけど、小鳥遊さんがそれと同じタイプのを使ってるんですよね……」

「へ、へーそうなの? あんまり興味ないから知らないけど」

「姉さん……。それ本当に姉さんのですか?」

「あ、当たり前じゃない」


 エクレの切れ長の瞳がすっと細くなる。そして自身の唇に触れる。


「じゃあ……乾燥してるんでそのリップ貸してもらえませんか?」


 貸してというより出せと言わんばかりに差し出された手。

 このただならぬ威圧感。輝刃――悟る。エクレはこのリップが小鳥遊のものだと気づいている。

 すかさず彼女はピーチの匂いつきリップを取り出す。


「こっちはもうないから。これ貸してあげるわ」

「いえ、メンソの気分なのでそっちで良いです。ないと言ってもあと一回くらいは使えるでしょう?」

「使えないから。もう全然ないミリも残ってない」

「姉さんリップを完全に使い切るタイプじゃないでしょ? どっちかって言うと新しいの使いたいから早めに切り替えるタイプ」


 来シーズンの相棒刑事ドラマに出れそうなほど、異常な洞察力を見せる妹。

 両者に見えない火花が散る。

 しばらくにらみ合った後、観念した輝刃は小さく息を吐いた。


「そうよ、これは小鳥遊君のリップ。捨てられてたのを拾ったわ」

「やっぱり。そうだと思いました。それどうするつもりなんですか?」

「どうするって……」


 用途を聞かれ、輝刃はカッと顔を赤くする。リップの用途など唇に塗る以外にない。

 しかしそれでは好きな人間の縦笛をなめるかの如く、リップスティックを己の性的欲求を満たす為に持っていることになる。

 このことを正直に伝えれば――


(想像エクレ)

『えっ、姉さん小鳥遊さんのリップを間接キス目的で所持……ちょっと姉の感性を疑いますね。レイヴンとして学ぶよりもっと倫理観を学んだ方がいいんじゃないですか?』


 正論を浴びせられるのは火を見るよりも明らか。


「リ、リサイクルよ。こういうプラスチックをリサイクルして恵まれない子供たちに」


 咄嗟に出た嘘。しかしこの嘘は彼女本人を苦しめる。


「へー、じゃあわたしにください」


 そう言ってエクレがすっと何かを差し出す。

 それは札束だった。


「どこにリサイクルに出すのかは知りませんが、そのお金でリサイクル資源を大量に購入してください。かわりにそのリップはわたしが貰います」

「違うからリサイクルってお金で解決するものじゃないから!」

「面倒ですね、そんな子供でもわかる嘘並べず、素直に小鳥遊さんのリップ舐めたいって言って下さい」

「な、舐めないわよ!」

「な、舐めないんですか!?」

「舐めるが当たり前みたいに言わないで! てか、あんた舐める気だったの?」

「いえ、わたしはシェフに頼んでリップのソテーにして食べます」


 さすがにカフェにいたギャルたちもドン引きだろう。


「エクレさすがにそれは変態すぎでしょ」

「何言ってるんですか。そういう目的でゴミ箱から拾ってきた姉さんは同じ穴のムジナですよ」


 輝刃――ダメージを受け、膝をつく。まさかの実の妹から変態扱い。重ねて言う。龍宮寺輝刃はお嬢であると。ついでいうと当然ながらエクレもお嬢である。


「あんたに恥じらいはないの!?」

「すみません、わたし実利をとるタイプなので。姉さんこうしてても埒があきませんので勝負しましょう」

「勝負?」

「ええ、これで」


 そう言って輝刃はゲームのコントローラーを差し出す。


「VRゲーだとわたし有利すぎますのでレトロなレースゲームにしましょうか。勝った方がそのリップを手に入れるということで」

「大丈夫? あんた昔あたしの赤甲羅で泣かされたことあるのよ?」

「それは昔の話です。いつまでもそのままだと思ってると痛い目みますよ」



 ――1時間後


「あんたなんでそんな緑甲羅ぶつけるのうまいのよ!?」

「まだまだですね……と言いながらバナナ纏ったまま体当たりしてこないで下さい!」


 レースゲームに没頭する二人。


「なんじゃ主ら騒がしいぞ。外まで聞こえておる」


 そこに犬神が帰って来て注意するが、二人は耳に入らない程ゲームに熱中している。


「全く、何をそんなに熱くなって――痛っ」


 犬神、自身の唇にピリッと痛みが走る。テーブルに置かれたリップ賞品を見つけると手をのばした。


「龍宮寺、どちらのかは知らぬが借りるぞ。……なんじゃもうほとんどないではないか」


 彼女がリップを自身の唇に塗るところでエクレがようやく気づく。


「あ、あーーーー!!?」

「な、なんじゃ?」

「い、犬神先輩……使っちゃいました?」

「使ったが何か?」


 てかりを見せる犬神の唇。

 あちゃーと額を押さえる姉妹。


「なんじゃまずかったのか?」

「それ……小鳥遊君のなんです」

「小鳥遊の?」


 最初意味がわからずポカンとする犬神だったが、徐々に意味を理解し顔を真っ赤にする。


「ただいまー」←最高に間が悪い男が帰って来た声

「小鳥遊ぃぃぃぃ!!」

「え、えぇえぇなんで怒ってるんですか!?」


 犬神はリップスティックを剛速で彼の額に叩きこんだのだった。



 後日――

 小鳥遊のリップ取得選手権は不発に終わってしまった二人だが、発想の転換を行う。

 相手のリップを貰うのはリスクが勝ちすぎる。しかし自分のリップを渡すのはノーリスクである。

 その作戦を思いついたのは姉妹同時。二人は抜け駆けなどはせず、堂々と交渉を持ちかけることにしたのだった。


 キッチンで夕食の準備をしている悠悟の後ろに回り込む姉妹。


「ねぇ小鳥遊君、最近乾燥しない?」

「えっ、まぁそうだな季節柄」

「これあたしのリップなんだけど使ってみない? すごく良い匂いがするわよ」


 悠悟はピンク色のリップを受け取ると、へーとなんの躊躇いもなく自分の唇に塗った。


「つっ!?」


 あまりの迷いのなさに輝刃の方が赤面する。


「桃か。けっこう匂いきついな」

「た、小鳥遊さん! こっちのも使って下さい!」


 今度はエクレがレモンの匂いがするリップを差し出す。当然使用済みのものである。それもまた悠悟は躊躇なく使用する。


((めっちゃ普通に塗ってる))

(くぅ、これじゃあたしだけ意識してるみたいじゃない)

(これだから小鳥遊さんは卑怯なんですよ)


 やらせておいて酷いことを思う姉妹だった。


「うわ、重ねて塗ったら変な匂いになった」

「あ、あら~そうですか?」

「ありがとう二人とも」


 悠悟は二人にリップを返すと再び夕食の準備に戻る。

 姉妹は自分の手に戻ってきた、悠悟使用済みリップを見て手を震わせるのだった。


 その後彼女達がそのリップをどうしたかはわからない。


 余談だが犬神がリップを使うたびに悠悟を睨むようになったとか。

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