第5話 ハイキック

 俺がプール脇でシュシュシュシュシュシュっと化石を研磨していると、不意に人型の影が差した。

 むっ? なんだ、こんなところで化石を磨くんじゃないと怒りに来たのだろうか? そう言われたら正論過ぎるので素直に帰るつもりだが。

 そう思いチラリと正面で俺を見下ろす人物を見やる。

 それは今しがた秒で猿渡を振った輝刃だ。

 眉を寄せる輝刃は、何やってんだコイツ? と言いたげに複雑な表情をしている。俺だってプールの端で化石磨いてる奴がいたら何やってんだコイツ? って思うしな。


「小鳥遊君……何やってんの?」

「見たらわかるだろ。石磨いてんだよ」

「それはわかるわよ。なんでプールの端で石磨いてんのって話?」

「別にどこで石磨いててもいいだろ」

「そりゃまぁそうだけど」


 なぜか輝刃は俺の隣に腰を下ろすと、怪訝な表情で磨かれていく石を見やる。


「小鳥遊君って変な人って言われない?」

「それはお互い様だろ? 龍宮寺財閥の娘がレイヴンやってるなんて」

「あぁ、あたしのこと知ってるんだ」

「今さっきお前に秒でフられた男が言ってた」

「彼告白と同時に海パン脱ぎだしたんだけど? あれなんなの?」

「そういう病気だ。興奮と羞恥が極限にまで達してしまうと恥部を露出してしまうんだ」

「えっ、ほんとに!?」

「嘘だ。ただの変態なだけだ」

「…………」


 輝刃はなんじゃコイツと言いたげに俺を見やる。

 そうこうしているうちに徐々に化石が磨かれ、ただの赤茶けた石が元の色を取り戻していく。

 汚れを落とし、日にかざしてみると、深いブルーが光を反射して美しい虹色に煌めいた。

 なぜこんな綺麗な色になるかというと、鉱石が化石化して成分がかわり、石の中で層状構造が出来上がる。その層ごとに光り方と反射色がかわり、日に当てると虹色の光を発するのだ。

 長い時を経た光は本当に神秘的で、石の中に宇宙が閉じ込められているような複雑さとダイナミックさがある。天然の芸術品と言ってもいいだろう。

 隣に座る輝刃は、それをマジックでも見るかの如く瞳を輝かせながら眺めていた。


「綺麗……」

「ただの石とバカにできんだろ?」

「確かに……」

「やる」

「えっ? いいの? なんか凄く頑張って磨いてたけど」

「化石の良さを広める為だ。化石は一見ゴミのように見えてゴミの時も多いが、こんな感じでダイヤにも負けない美しい光を取り戻すこともある。それが面白い」


 俺はパンパンと手を払ってプールサイドから立ち上がる。猿渡のナンパ大作戦も失敗したようだし帰るかと思うと、俺達の前に厳つい男子生徒が立ちふさがった。


「よぉ龍宮寺。俺の誘いは断るのに、この野郎とは随分楽しそうだな」


 男子生徒の年齢は同年代ぐらいか。腕などは筋肉質だが少し腹が出ているし、俺が言うのもなんだがあまりイケメンではない。

 言葉にするなら自分をイケメンと勘違いしている髪型と眉毛だけカッコイイ奴。

 俺は視線で、この自分大好きそうな奴誰? と聞く。


「知らない。ナンパしてきた沢山の男子生徒のうちの誰か」

「なぁいい加減俺と付き合えよ。いいだろ?」


 男子生徒がそう言うと輝刃は大きなため息を吐く。

 どうやらナンパらしい。モテるってのも大変だな。いきなり海パン脱ぎだす変質者もいるし。

 俺はその間にやすりを片付け、プールを出ようとする。


「ちょっと小鳥遊君! どこ行く気よ!?」

「いや、後は当人同士の話し合いかなって」

「あたし今面倒なナンパ男に声かけられてるの! 男の子としてどうにかするべきでしょ?」

「あぁ俺男のくせにって言葉大嫌いなんで。それじゃああっしはこれで失れ――」

「お前ーー!」


 輝刃の飛び蹴りが腹に入って、俺の体はくの字に折れ曲がった。


「くそ、カンフースターみたいな動きしやがって……」

「お、おい!……こっちを放っておいて随分楽しそうだな!」

「鳩尾に飛び蹴りくらうのが楽しそうと思うなら、相当のマゾだと思うぞ」

「お前確か工作科のゴミ石拾い、シスコンの小鳥遊だろ」


 酷いあだ名である。


「龍宮寺、お前も見る目がないな。フィアンセを選ぶならもっとまともなのにした方がいいぞ」

「フィアンセ?」

「知らないのか? こいつ龍宮寺家に無理やり見合い話持ち出されて、慌てて家を飛び出してきたんだ。出雲の中なら実家も手出しできないからな」


 輝刃の方を見ると、彼女は何も言わず唇を噛んでいる。どうやら本当のことらしい。

 道理で金持ちのお嬢様がレイヴンなんかしてるわけだ。


「なぁ龍宮寺、実家には出雲で男作りましたって報告したいんだろ? なら俺を選べよ」


 ナルシスト気味の男子生徒がそう言うと、輝刃は奥歯を噛みしめて睨む。


「男作りに来たのは確かだけど、それはあんたみたいな自分をいい男だと勘違いしてるデブとは違うわ」

「……んだとテメェ。ちょっと顔が良いからって調子に乗りやがって」


 男子生徒の手が伸びかけた時、俺は二人の間に割って入った。


「なんだ小鳥遊? テメェやんのか?」

「お前今、俺がせっかく磨いた石をとろうとしたな?」

「はっ? 何の話だ」


 輝刃の手には俺が磨いた化石が握られている。奴の伸びた手は明らかに化石を奪おうとしていた。


「いくら俺の磨いた化石が美しいからといって無理やりとることは許さん」

「……何言ってんだコイツ? 頭わいてんのかお前?」

「俺が相手してやる。かかってこい」


 そうカッコよく言うと、ガタイの良い男子生徒のショートアッパーが俺の顎に入り、俺はカクンと膝から崩れ落ちた。


「よ、弱ぇ……なんだこいつ」


 一撃KO。相手も困惑する弱さ。


「み、見たか輝刃? 俺は腕っぷしも強い。お前を守ってやれるぜ?」


 だが輝刃は腕を組んだまま、男子生徒の足元を見ていた。つられて男子生徒も足元を見ると、倒れたはずの俺が脚に必死にしがみついていることに気づく。


「あまり石ころをなめてはいかんぞ。小さな石だって大きな人間を転ばせることくらいできる」

「う、うぜぇ……離せオラ!」


 お前の顔面でサッカーしてやると言わんばかりに、激しい蹴りを浴びる。俺は必死に耐え、思いっきり奴の脚に噛みついてやった。


「痛ってぇぇぇぇ!! こいつ噛みやがった! ふざけんじゃねぇ!」


 男子生徒は手加減なしの本気の蹴りを俺の顔面に入れると、視界が暗転して意識がプツリと切れた。



「はぁはぁはぁ、工作兵の分際で。こっちは戦闘用の強襲兵科だっつぅの」


 男子生徒が肩で息をしていると、目の前にはなぜか笑顔の輝刃の姿があった。


「ナイスファイト小鳥遊君。途中助けようかと思ったけど、男の子してたからそのまま見ちゃってた」

「何言って――」


 言い切る前に男子生徒はぐらりと倒れた。

 輝刃の惚れ惚れするようなハイキックが、男子生徒の首に突き刺さったからだ。


「ごめん、あなたには興味ないかな」


 時間を一秒ほど戻す

 輝刃は片足でダンッと踏み込み、腰を鋭く回転させると長い脚が弧を描きながら男子生徒の延髄に炸裂したのだ。 

 ピンと伸びた美しいつま先。容赦のないハイキックはたった一撃で相手の意識を刈り取るのに十分な威力を誇っていた。


「やっぱ根性ある男の子っていいわね」



 ――それから30分後。


 俺はプールサイドのベンチで気がついた。

 どうやらしばらくの間気を失っていたらしい。周囲を見渡してみても、先ほどの男子生徒の姿は見えない。

 すると両手にジュース缶を持った輝刃が俺の元へとやって来る。


「遅いお目覚めね」

「ああ……あの後どうなったんだ?」

「小鳥遊君がKOされた後、あたしがハイキックでKOした」

「そうか、お前強いもんな。前に出るんじゃなかった」


 よくよく考えればエリートのこいつを力でなんとかしようなんて不可能な話だしな。

 完全に蹴られ損である。


「それにしてもハイキックか……」


 俺は輝刃の脚を見やる。……さぞかし痛かったことだろう。


「脚見んのやめてくれる?」


 恥ずかし気に腰を引く輝刃。どうやら少し太いと自覚があるらしい。


「しょうがないでしょ。竜騎士は脚力鍛えるんだから」

「まぁ、龍宮寺は脚長いからあんまり気にならないけどな」

「そ、そう?」


 彼女はジュース缶を一つ俺に差し出す。


「なんだ?」

「守ってくれたお礼」

「勘違いするな、俺はお前に渡した化石を守っただけだ」

「はいはいそういうことにしとくわ。ねっ、他に化石もってないの?」

「あるぞ」


 俺はじゃらっと小さな化石をぶちまける。


「ねぇ、さっきくれた青い石みたいなのってどれ?」

「磨いてみないとわかんねぇ。多分このちょっと黒いのとか怪しい」

「やすりある?」

「ある。お前磨くのか?」

「なんか面白そうだし。当たりくじみたいよね」

「お前……化石の良さがわかったか……」


 嬉しい。ただただひたすらに嬉しい。

 プールサイドで輝刃と共に小さな化石を研磨する。周囲の視線が先ほどの比ではないくらい集まっているのがわかる。その中にハンカチを噛みしめた猿渡がいてウザイ。

 後からギャーギャー言われそうだと思っていると、輝刃の磨いていた化石がピキピキと音をたててヒビが入った。


「ちょ、ちょっと小鳥遊君、割れそうなんだけど」

「あぁあ。力任せにゴリゴリやるから。卵磨くみたいにやらないと」


 と言ってるうちに輝刃の磨いていた化石が割れ、中からちっちゃいフナ虫みたいな小さな虫が、生きた状態でこんにちはした。

 俺はそれを見て口がポカンと開いた。


「こ、これはまさかスリーリーフインセクト!? しかも生きてるだと!?」


 古代虫の一種で、非常に希少性が高い。しかも生きているとなると研究者が泡吹いて卒倒するレベルだ。

 恐らく何百年もの長い間、石の中に閉じ込められていたのだろう。それでも生きているとはまさに太古の神秘、いや奇跡とも言える。

 が――

 それを発見した虫嫌いの少女カグヤがその価値をわかるはずもなく。


「キャアアアアアアア!!」


 乙女絶叫と共に石を投げ飛ばし、プールの排水溝にスリーリーフインセクトは吸い込まれて行った。


「お前ーーーーー!!」

「化石とか大嫌い!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る