第4話

幾度となく手応えの無いライブを行ってきた晶出会ったが、その日だけは違った。


自分達が掻き鳴らす轟音の中、人が踊り、狂い、羨望の眼差しで自分達を求めている。

晶は音楽をしていて、初めての高揚感を味わっていた。

ステージとフロアを区切る柵越しに自分に伸ばされる沢山の手。

晶はステージのギリギリまで行き、音と声で応える。

今まで自分の立ち位置からほとんど動くこともなかった晶が自分から客に歩み寄っている。

会場がどれだけ盛り上がろうともただただ静かにギターを鳴らし続けていた晶。

その変容ぶりに翔也は驚きながらも、晶と同じように初めての高揚感を感じていた。

気がつけば、晶達は全ての観客を熱狂に包んでいた。



「晶!今日のお前最高かよ!なんだよあのステージ!!!」


ステージをはけた後、翔也はキラキラとした眼差しをして晶の肩を激しく掴んだ。

その掴んだ手のひらも、掴まれた晶の肩も滝のような汗に濡れていた。

晶はぼんやりした面持ちで呟くように言う。


「俺も、分かんねぇ。なんか、翔也に言われてステージ見たらさ。本当に人がいっぱいでさ。

俺、お前に言われるまで全然気付いてなかったんだぜ?

まだまだ飯食えるレベルじゃねぇのは分かってんだよ。

けど、こんなに沢山の人が俺らを求めてくれてる。そう思ったらなんかたまらなくってさ。

『気付かなくてゴメン、ありがとう』

そう言いたくて仕方なくなったんだ。」


晶に伝い落ちる大量の汗の中に、密やかに涙が混ざる。


「晶、そんなに感情出すことねーじゃんか。

俺なんか隠そうとしても全部出ちまうから、お前のそのクールな感じがカッケーなって思ってたんだけど。

ファンに全力でぶつかってるお前の方が最ッッ高にカッケーわ!」




自分自身の変化に戸惑いながら晶は帰路につく。

翔也の言葉を何度も反芻する。


感情を出さないんじゃなくて、出せる感情が無かったんだ。


まざまざと思い知った。

この変化は紛れもなく男の所為だろう。

魂の成長。それは他者からの人気を得ることなのか、それとも人間らしい心を得ることなのか。

晶には判断がつかなかった。


家の扉を開けると、いつものように男がいた。

ローテーブルに湯気の立つコーヒーがひとつ。

誰と対する訳でもないのに、男は日がな一日、晶の世話を焼くとき以外は正座してコーヒーを飲んでいた。

いつ見てもコーヒーには淹れたてのような湯気が昇っていた。


「順調ですね。」


男は晶を見ずに言った。

なんとなく今日の変化を見透かされたような気がして居心地が悪い。


「何をさして順調って言ってんのかは分かんないすけど。まぁ特に悪いところはないっすね。」


男は何も応えなかった。




それからまた一年、時は過ぎた。

晶のバンドは益々ファンを増やし、行うライブの規模も大きくなっていた。

勢いをつけようと翔也は進んでライブの本数を増やした。出れるイベントがあるのなら利益は度外視で、とにかく本数だけを重ねていった。

晶はステージを重ねるごとに、そこに色濃く自分の居場所をみるようになっていた。

がむしゃらに色んなところに顔を出したおかげで徐々に知名度も収入も増えていった。



男との奇妙な共同生活も続いていた。

昼前に起き、ランニングをし、男による座学を受ける。

それは間違いなく晶の生み出す楽曲に影響を与えていた。

男が来てから晶の作ったもの達はそれまでとは一線を画す出来であった。


晶の部屋、晶は男とローテーブルに向かい合って座っている。 それぞれの前に湯気の立つコーヒーが置かれている。

なにもない時はこうして言葉を交わすでもなく座っている。

最初こそ、自分の部屋に他者がいる居心地の悪さにいたたまれない思いがしたものだ。

ましてや居るのはなにも語らない能面のような男だ。

慣れとは恐ろしいもので、晶はそんな男が目の前にいたところで、すぐになんの感情もわかないようになった。

そのある種の無神経さは、良くも悪くも細かいことに拘らず、周りに流されやすい晶の特技とも言えなくもない。


晶は改めてまじまじと男を見た。

全てが恐ろしく整っている顔だ。

なのに、目をフイとそらした次の瞬間にはどのような顔だったのか朧げになっている。

その速度は、男の顔に格別に印象的なパーツがあるとかないとか、そういう次元での話ではなくなっている。

こういうのも悪魔の力というのだろうか。


「あんたが来てから二年半くらい経つけどさ。

本当色々変わったよ。環境も、俺自身も。」


「結構ですね。」


「なんだかんだ悪魔の力使ってんじゃね?あんた来てから売れ始めてんだけど……なんてな。」


男は晶の耳にスッと手を伸ばすと、次の瞬間凄まじい力で捻り上げた。


「だだだだっ!なんで?!」


男は晶の耳から手を離した。


「私はイミテーションが嫌いだと言ったでしょう。」


晶は耳を抑えて蹲っている。


「確かに知識は授けていましたし、体力向上の指導もしました。しかし、それを自分の中に吸収してアウトプットするまでの作業は貴方一人で行ったことです。」


男はコーヒーを一口啜る。


「あと半年。」


不器用な笑みを晶に向けた。

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