第十七章 ソウシツ
十二月十二日 午前一時
彩女を処分してから、僕はしばらくその場に佇んでいた。
黄昏ているわけではない。後悔しているわけでもない。
ただ次に何をすればいいのか分からなくなり、茫然としていただけだ。
タクシーでここまで連れてこられている間は彩女の処分の事で頭が精一杯だったので、流されるままについてきてしまったのだけど、よく考えてみれば僕はこの陽菜埠頭まで自力で来たことが無い。
一度目はトラックに積み込まれてここまで来て、帰りは彩女の家の車で帰った。
二度目である今回も、彩女が呼んだタクシーに乗って来ただけだ。
要するに僕は、ここからどうやって帰ればいいのか分からないのだ。
頼みの綱のタクシーは、僕らを下した後何かを察したのか早々に帰って行ってしまったし。
――まぁ、別にいいか。同じ陽菜町内なんだから、適当に歩いてれば帰れるだろう。
そんな風に適当に行動指針を決めて、とりあえず歩き出す事にした。
すると、すぐにサイレンの音が聞こえてきた。
その音は段々と近づいてきていたので、とりあえず手近な倉庫を壁にしてなるべく隠れながらその場を去る事にした。
どんな事情があろうと警察になんて関わりたくない。偉そうに正義を振りかざしておきながら、その実何も成し遂げていない様な連中だ。僕の方がまだ真面目に世界を平和に導こうとしている。
不覚にもここで相原の知識が役立つことになった。ごっことは言え、相原は僕に尾行を撒きながら行動する方法を教えてくれていた。
視覚的なものだけじゃなく、意識的な死角を突いて移動する方法。それを実践した上であくまで怪しまれない様に自然なスピードで移動する。
僕の敵に回り、僕が殺した男の知識を利用するのもどうかと思ったけど、もう死んだ人間の事なんて気にする事は無いと直ぐに気を取り直した。
パトカーは近くをぐるぐると回っている様だったけど、なんとか見つからずにその場を後にする事に成功した。
……
「どこだここ」
一時間近く歩いた後、僕は完全に迷子になっていた。
見慣れた街並みはいつまでも現れる事は無く、鬱蒼と生い茂る森の中に一直線に入って行ってしまった。
森の中とはいえ、一部だけ草が生えてない場所が道の様に続いていたので、とりあえずそれに沿って歩き続ける事にした。
すると、少し開けた場所に出た。
その中心に、この森の中には似つかわしくない立派な建物が立っていた。
一見するとただの家だけど、なぜかその家は玄関の扉が破壊されている上に天井がとれていた。
天井がとれるってなんだ。自分で言ってて中々に意味不明だが、その家は本当に天井が無かった。
正確に言えば天井らしき物体は付いている。それが家の上部に付いていたなら間違いなく天井と言えるのだけれど、何故かそれは二階の壁にくっついていた。
「人の気配もないし、このままだと帰れないし……とりえず入るか」
家主も居なそうだし気にする必要も無いと判断して、破壊された入り口から中に入る事にした。
入って最初に目についたのは、やけに広いリビングに、一般家庭のものよりも広めのキッチン。奥には部屋が二つ程あって、部屋の端には二階への階段が設置されていた。
「普通の家……っていうか、別荘みたいな感じかな」
この場所に宿泊に来たわけでも無いので、気を使うことも無く適当に部屋を荒らしていく。この場所を示した地図やら何やらが無いかの確認だ。
物を仕舞っておくような家具はそれほど多くなかったので、確認は直ぐに終わった。奥の部屋も見てみたけれど、地図らしきものは見つからなかった。
「何も無いな、ここ」
一階には想像以上に何も無かった。印象としては、買ったばかりの別荘って感じだ。
一階への興味は早々に失せたので、とりあえず二階へ上がる事に。
階段を上がると直ぐ右手に扉があった。どうやら二階は一部屋しかないらしい。
この扉の先は天井が無いんだよな、なんて考えながら扉を開けると、そこには想像以上の光景が広がっていた。
「なんだこれ……ぐちゃぐちゃじゃないか」
部屋の中には簡素なベッドと本棚、それに作業机があった。
だがそんなものよりも目に引いたのは、部屋中に散らばった紙の山だった。
部屋の中で台風でも発生したかのような散乱振りだ。
とりあえず手近にある紙を一枚拾い上げてみるけれど、見ても何が書いてあるかさっぱり分からなかった。
でもこれだけ本やら書類があるなら、中にはこの場所が分かる物があるかもしれない。僕は散らかっている紙を片っ端から拾い上げて確認していった。
しかし、散らかっている紙からは有益な情報は見つからなかった。ここまで動きっぱなしだったせいもあり、頭も働かないのでかなり雑になっていたかもしれないが。
続いて本棚を確認しようと思ったけど、一冊ずつ手に取って調べるのは疲れそうなので、とりあえず作業机の上にあったパソコンを開いてみる事にした。
パソコンを使う上で最低限の知識はあったので、とりあえず適当に中を探ってみる。デスクトップ上にはアイコンがほとんどなく、それどころかハードディスクの中はまるで買ったばかりの新品のように何のデータも見つからなかった。
このパソコンも外れかと諦めかけた時、偶然にもGPS機能を発見した。
――これは助かる。早速現在地を確認して、携帯に入れてあった陽菜町の地図と照らし合わせた。
「だいぶ町の外れにあるな……こんな位置だとルールの有効範囲に誰も居ないじゃないか。早く帰らないと」
陽菜埠頭から歩いてきた方向と照らし合わせて、帰りのルートは何とか見つける事が出来た。すぐにパソコンを閉じて、その場を離れる。
それから僕は、ただただ歩き続けた。
歩きながら考え続けた。
どうすれば犯罪者を皆殺しにするルールを作れるのか。
どうすれば世界は平和になるのか。
いや、正確には平和なんてどうでもよかった。
僕はただ、助かりたいだけだ。
この役割を終わらせて、さっさと日常に戻りたいだけだ。
なんだか思考が纏まらない。そういえば、昨日はまともに眠れなかったんだっけ。
そんな事を考えていたら、周囲がだんだん明るくなってきた。今日も徹夜してしまった事になる。これで二徹目だけど、不思議と眠気は感じられなかった。
そんな事より早くルールを作らないと。早くこの森を抜けださないと。
フラフラとした足取りで、答えの出ない問題を考え続ける。
その足取りは完全に不審者だったけど、周りの評価なんて今の僕には関係無かった。
そもそも不審者という単語がまずおかしいんだ。
何から比べて「不審」なのか。考えてみればそれは、なぜか当たり前の様に皆が唱える「常識」から外れているというだけの表現だ。
この力でルールを作れば、常識なんていう固定概念は完全に吹き飛んでいく。
デパートに灯油を撒くなんて行為が不審でなくてなんだと言うのだ。それを、当たり前の物だと思い込ませる力を僕は持っている。
――そうだ。それなら身の安全の確保も簡単にできるじゃないか。
森を抜けて少し人通りがある通りまで出て来たところで、僕はそう思い至った。
不審者と間違えられて通報でもされたら堪らない。携帯を取り出して、ルールを打ち込んでいく。
『自分と関係の無い人間の事は完全に無視しなければならない』
そう打ち込んで、メールを送信する。すぐに耳鳴りの合図が返ってきた。
「痛ッ……これで、とりあえず通報はされないだろ」
通報の心配さえなければ、僕がどういう行動をしても関係ない筈だ。あとはゆっくり次のルールを考えればいい。
次のルールをどうすればいいか手がかりを見つけたわけでも無い。でもだからと言って何もしなくていいわけがない。
ルールを作らないと。それだけで世界を変える、たった一つのルールを。
……
そうこうしている内に、いつの間にか周りには見慣れた光景が広がっていた。最近毎日パトロールで歩いていたルートの一つだ。間違いようも無い。
「――ちょっと、休憩するか」
見慣れた光景に安心したところで、急激に疲労が襲ってきた。
一体どれだけの間歩いていたのだろう。もう何時間も歩き続けた気がする。
僕は街路樹の囲いの石材に腰を下ろして、少し休憩する事にした。
母親が居たら「そんなところに座るんじゃない」と怒られていただろうな、なんて考えながら周囲の人を観察する。
ルールのお蔭で、通行人は僕の事を気に掛けるどころか視界に入れる素振りも無く通り過ぎていく。
これなら、しばらく休憩していても大丈夫そうだな。
そう考えて、少しだけ目を瞑ろうとした時だった。
「きゃあ! ひったくり!」
遠くから女性の悲鳴が響いて、僕は悲鳴の方向に視線を向けた。
最初に目に入ったのは、突然の事に驚いてしまったのか地面に座り込んで叫んでいる女性。その視線の先を追うと、顔を隠して女性もののバッグを小脇に抱えた男が走り去ろうとしていた。
――ルールを変えた途端これかよ。どれだけ犯罪を犯せば気が済むんだオマエラは。
怒りに身を任せて、携帯を取り出す。そして、ルールを記入した。
『人の物を盗んだら、即座に自殺しなければならない』
一秒で打ち込み、すぐに送信。疲れていてもメールスキルは衰えない。
耳鳴りが鳴り響くと同時に、ひったくりの男が頭を抱えて倒れ込んだ。
「あああああああ! 何をしてるんだ俺は! なんでこんな事を!」
ルールの変更に戸惑っているのだろう。そりゃあそうだ。
死ななきゃいけないという感情が急に芽生えたら誰でも狼狽える。ざまあみろ。
ルールの適用を見届けて、少し気持ちがスッキリした。
あいつがどう自殺するかも興味ないし、休憩する気分でも無くなったのでこの場を離れようと立ち上がったその時――
「キミ、ちょっといいかな」
長身の男に声を掛けられた。爽やかな外観とは似つかわしくない鋭い目を僕に向けて、僕の肩を掴んでいる。
なんだこいつ。何の用だ?
「陽菜警察署の藤崎という者だ。ちょっと君の携帯を見せてくれるかな?」
「え……警察? なんで、ですか?」
とりあえず聞き返した僕だが、この状況がマズい事だけはすぐに理解できた。携帯には今しがた作ったルールが残ったままだからだ。
「今追いかけている事件と関係があるかもしれないんだ。いいかな?」
柔らかい口調で笑顔で話しかけてくる男に対して、僕の警戒信号は最大限に鳴り響いていた。
――まずい、まずい、まずい!
そう思った途端、直前まで棒立ちで藤崎とやらの話を聞いていた僕の体が、まるでバネ仕掛けの様にぐるりと踵を返して、全力で走り出した。
僕もに自分の動きが信じられなかった。これが火事場の馬鹿力というやつか。
「――あ、コラ待て!」
考えるよりも先に体が動いたので、目の前の男もすぐには反応できなかったらしい。数瞬遅れて藤崎も僕を追いかけてきた。
すると突然、歩いていた通行人が藤崎の前に立ちふさがり、腹の辺りに組み付いて進行を妨害し出した。
「なんだお前、離せ!」
「へへへ……十万円、十万円……」
男が気持ちの悪い笑みを浮かべる。藤崎も必死にもがいているが、余程の力で掴まれているのだろう。藤崎の足は完全に止まって、飛び出してきた通行人を抑えるので精一杯になってしまった。
なんだか分からないけど、とにかく助かった。
僕はそのまま、とにかく全力で走り続けた。
一心不乱に、何も考えずにひたすら走った。
逃げなくては、という思いに従ってとにかく走り続けた。
後ろを向いても追手が来ている様子はなかったが、それでも安心できずに走り続けた。
――そして。
夢中で走っていると、僕はいつの間にか自宅の目の前に着いていた。
家の中に隠れて大丈夫だろうか、バレやしないだろうか。
考えながら自分の家を眺めていると、突然声を掛けられた。
「帰って来たのか、定理」
恐る恐る声の方を振り向くと、そこには僕の父親が立っていた。
「父さん……なんでここに?」
時計は見ていないけど、明らかに今は日中だった。この時間は仕事に行っている筈なのに、なぜ家の前に居るのだろうか。
「お前を待っていた。そろそろ帰ってくると思ってな」
「え、なんで待って……それにそろそろ帰ってくるって、なんでそんな事……」
「そりゃあ分かるさ。お前の事は何でも知ってるよ」
父親が意味深に笑う。普段から何を考えているか分からない様な男だったけど、今は更に輪をかけて考えが読めない。
混乱して何も言えない僕を見て、父親は不満そうに溜息をつく。
「お前は本当にダメな息子だな」
「……なんでそんな事を言われなきゃならないのさ」
心底呆れたような態度に、段々と腹が立ってきた。右のポケットに手を入れながら父親を睨みつける。
「――そういう所が、尚ダメだと言っている。お前につけた名前の意味を、昔に教えたよな?」
「そんなの覚えてない」
「『誰かが決めた定義に従うだけでは無く、それを利用して定理を導く男になれ』だ。記憶力も欠けているとは。本当にガッカリだ」
「そんなの、小学生に聞かせる方がどうかしてる」
未だに意味を理解出来ていない。そんな言葉を小学生にかけてどうするっていうんだ。必要無いだろ。その意味を理解する事も、この父親の存在自体も。
「父に反抗するのならまだいいが、衝動に従って反抗しているのなら何の意味も無い。いい加減理解しろ」
「いい加減にするのはお前だ!」
我慢の限界に達した僕は、ポケットの中で作り上げたメールを送信する。
『息子に説教する親は自殺しなければならない』
すぐに耳鳴りを確認して、僕は勝利を確信した。
僕に逆らうから悪いんだ。僕は世界を救おうとしているのに、お前はただ妄言を繰り返すばかり。うんざりなんだよ。
「だから、お前はダメだと言っている」
――しかし、父親は何事も無かったかのように、平然とその場に佇んでいた。
「え、なんで――今確かに」
確かに耳鳴りが鳴った。ルールは確かに適用された。なら、なんで目の前の男は自殺しようとしないんだ。
困惑する僕を置き去りにして、父親は自分のポケットからスマートフォンを取り出した。
「『息子に説教する親は自殺しなければならない』? なんだこのルールは。意味が分からない上に、私を殺す以外何の役にも立たないルールだ。零点だな」
父親が自分のスマートフォンを確認しながら、そう言った。
なんで、なにが、どうなっているんだ? 僕が送った内容を見ているのか? じゃあ、今までメールを送っていた相手って、まさか――
「何を考えているか大体わかるぞ定理。だが、そうではない。私はお前の携帯を覗き見ているに過ぎない」
「覗き――え? どういう事……?」
「理解が遅い。お前の携帯は誰が与えてやったと思っている? その携帯は市販品では無い。私が作った特別性の物だ。現在画面に表示されている文字も、過去にどんな操作をしたのかも、全て私が確認できるようにしておいた」
思考が追いつかない。じゃあ、最初から全部分かっていたっていうのか。
でも、それならおかしいじゃないか。最初は確かにこいつにもルールが適用されていた筈だ。
「『親は、子供を怒ってはいけない』だったか。あの時はお前が携帯で何かを打ち込んでから母さんの様子がおかしくなった。何かあると確信して、すぐにお前の携帯を確認したよ。あのふざけたメールもな。それで全てが理解出来た」
「でも、それなら……今のルールは何で効いてないんだ」
当然の疑問だ。別にルールの事を知っていようが知るまいが、ルールの強制力からは逃れられない筈だ。
「私は神を信じない。そして、誰かの決めたルールに従うつもりも無い。私は私の信じる物のためにしか動かない」
「そんな……そんな事……」
そんな事があり得るのか。確かに、今までルールの効かない人間は何人か居た。だけど、それらは全て常識の通じない無法者ばかりだった。
強力な信念。揺るぎない心。
この男はそれを持ってルールを無理やり捻じ伏せたとでも言うのか。
メチャクチャだ。理屈が通じない。神の作ったルールに逆らうなんて。
「気が済んだか? では早く立ち去れ。私を殺そうとする者をこの家に入れるわけにはいかない。どこへなりと行くがいい。もう二度と、この家には近づくなよ」
「……っ、……はい」
その言葉に、僕は従う事しか出来なかった。
運動能力も知恵も無い僕に唯一あるのは、ルールを作る力だけだ。
それが通じない男に、逆らう事なんて出来る筈が無い。
たった二人の友人を殺した僕は、遂には帰る場所まで失ってしまった。
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