第十六章 ジセキ  ―真崎 定理―



 十二月十一日 午前六時


 一睡もできなかった。

 何も手につかない。何も考えたくない。


 考えたくないのに、頭の中には次から次へと色んな情景が浮かんでくる。

 鮮明に焼付いた相原の死に際の言葉が、何度も繰り返し頭の中に浮かんでくる。


 ごめんって何だよ。謝るくらいなら最初から僕の秘密を探ろうとするな。

 どうしようもないじゃないか。話したら神に殺されるかもしれないし、そもそもお前たち普通の人間は僕のやっている事を決して許そうとしない。

 だからルール作りの事だけは誰にも知られちゃいけなかったんだ。

 それを知ろうとするんだから、殺されても文句は言えないじゃないか。


 何が「守ってあげられなくて」だ。上から目線で語るなよ。

 お前がどうやって僕を守るんだよ。神と喧嘩でもしてくれるって言うのか。

 それとも警察から守ってくれるのか。ただの高校生にそんな事出来るわけないじゃないか。


 ――警察。そう、警察だ。

 相原は僕が警察から尾行されていると言っていた。

 だからこそ最近は特に尾行に注意しながら慎重に行動していた。

 その結果、僕のルール作りは家でしか出来なくなり、行動に制限が掛かった。


 そうか、そういう事か。

 僕の行動に制限をかけて、僕の邪魔をする事が相原の目的だったんだ。

 やっぱりアイツは僕の敵だったんだ。

 つまり、尾行されているなんて真っ赤な嘘だ。彩女から聞いたとか言ってたけど、それも僕に信用させるために言ったんだろう。あるいは、彩女すら僕を貶めようとしているのかもしれない。


「こんな事をしている場合じゃない」


 完全に目が覚めた。

 相原を殺した事を少しでも後悔していた自分が馬鹿みたいだ。


「とにかく今は出来る事をしないと。……そうだ、ルールがあの時変えたままになってる」


 改めて思い出す。今のルールは相原を殺すために作ったルールなので、早く犯罪者を殺すルールに変えなくてはいけない。あの時のルールのままなら、犯罪とは無縁の関係のない人間まで死んでしまうかもしれない。

 思い立ってからすぐに携帯を開き、メール画面を起動する。画期的なアイディアは浮かばないままなので、とりあえず適当なルールにする。


『犯罪者は死ななければならない』


 そんな適当なルールを打ち込んで、送信。激しい耳鳴りを確認した。


「いった……。なんか、強くなってないか?」


 気のせいだろうか。何となく今までよりも、耳鳴りの音が大きかった様な気がしたのだ。

 寝不足のせいだろうか。一睡もしてないのだからそういう事もあるだろう。

 そんな風に適当に自分の中で早々に決着をつけて、ノートを開いて今後の作戦を立てる事にした。

 

 

 ――二時間後。


 あれでもないこれでもないと色々思考を重ねた結果、僕はとある事に気が付いた。

 気が付いた事をノートにも書き出しながら整理していく。

 まず、僕が今まで作ったルールを確認しよう。

『人間は暴力をふるってはいけない』

『拳銃は絶対に撃ってはならない』

『法を犯した者は自殺しなければならない』

『過去一年間から現在に至るまで、以下にあげる条件のいずれかを満たした者は自殺しなければならない。また、これから以下の条件を満たした者も同様に自殺をしなければならない。①他人に対して、治療が必要になる程の怪我を意図的に負わせた者、及び殺人を犯した者。②他人の財産を不当に盗み出した者』


 自然と作っていたルールだけど、これらには法則性がある事に気が付いた。ルールという物の性質上当たり前なのかもしれないけど、極めて重要な事だ。

 まず必要なのは、主語の選定。

 「人間は」「法を犯した者は」「以下の条件を満たしたものは」という様に、ルールの中には必ず対象を指定するための主語が存在する。

 この主語を間違えるだけで、無関係な人間を殺してしまうルールが出来上がる。ここは絶対に間違えるわけにもいかない。

 その上で、確実に言い逃れの出来ない物を選定しなければならない。


 この三つ中では、一つだけ確実な成功例は「以下の条件を満たしたもの」だった。

 これに関しては解釈や知識の違いでどうにもならない物だからだろう。細かく条件を指定した甲斐があったと言うわけだ。

 だから主語に関してはもう考える必要はない。強いて言うなら、何か重大な犯罪を思いついたら書き加えていくくらいのものだろう。


 問題は、その指定した人物を「どう殺していくか」というところだ。

 自殺という手段に訴えれば、その前に何かしてやろうという気持ちが生まれるのでアウト。他人にやらせると言うのも、誰も見ていない所で犯罪を犯されたらアウトだ。


 そうだ。それなら、誰も見ていない場所がなければいいんじゃないか?

 全ての人間が、お互いを監視している状態なら――誰も犯罪を犯そうとは思わない筈だ。

 携帯を取り出し、メール画面にルールを入力する。


『外出する際は必ず殺傷力の高い武器を持ち歩かなければならない。その武器を使用して以下にあげる条件のいずれかを満たした者を目撃者と協力して直ちに殺害する事。①他者に対して、治療が必要になる程の怪我を意図的に負わせた者、及び殺人を犯した者。②他人の財産を不当に盗み出した者。また、上記のルールを完全にするために一時間ごとに交替制のパトロールを行う事。一時間を経過したのち、近くに居る人間に交代するものとする』


 思いつくままに入力すると、想像以上に長くなってしまった。でも、これなら完璧じゃないだろうか。

 上手いルールを作れた達成感と共に、送信ボタンを押す。

 しかし、耳鳴りは全く鳴らなかった。


「――どういう事だ?」


 いつもと違う現象に戸惑っていると、携帯が震えてメールの着信を知らせる。

 送信者は、いつもルールを送っている神からだ。


『二つ以上のルールを確認しました。設定できるルールは一つだけです』


「は?」


 意味が分からない。

 送ったメールは一通だけだ。なのに、二つ以上のルールを確認したって?

 内容を懲りすぎた? でも、今まで散々細かく条件を指定したルールが問題なかったのに、これがダメな理屈が分からない。


「くそっ! なんだっていうんだ!」


 もう一度内容を確認してみる。目を皿のようにして何度も確認する。それでも、なぜこのルールがダメなのか全く分からない。一体何をどうすればいいっていうんだ。

 その後、何度も内容を確認して言い回しを少しずつ弄ってみたものの、遂にルールが発動する事は無かった。

 作戦用のノートは文字と斜線でぐちゃぐちゃになり、ストレスをぶつける様に書きなぐっていたために所々が破けている。


 僕はこれ以上部屋に籠っていても無駄だと判断し、とりあえず頭をリフレッシュするために外に出る事にした。

 目的も無く適当に町を徘徊する。

 適当に歩いていたはずなのに、いつのまにか日課になっていたパトロールのコースを歩いていた。

 外はもう夜になっていて、人通りもほとんど無かった。

 たまに人を見かけても、それが犯罪者なんじゃないかという疑念に駆られて憎しみが湧いてくるので、あまり良い事は無かった。

 大体、僕がこんな事をしなければならないのも全部お前らのせいじゃないか。

 お前らが皆、品行方正な優等生ならこんな事しなくていい筈なのに。

 もう適当に犯罪犯してそのまま死んでくれよ。


 そうやってイライラしながらしばらく歩いた後に、とある可能性に思い至った。

 ――もしかして、この町にはもう犯罪者は居ないんじゃないだろうか。

 犯罪者を殺すルールのまま何日も町を徘徊していたのだ。この町にいる犯罪者が全て居なくなっていたとしても何もおかしくない。

 もしそうなら、これから先ルールが有効かどうかの確認も難しくなってしまう。

 こんな状態で世界を変えるルールなんて、どうやって作ればいいのだ。


 そういえばあれからかなり時間が経ったけど、ルールのお試し期間っていつまでだったっけ?

 期限の事は完全に忘れてた。一体どれだけ猶予が残っているのかも調べておかないと。

 メールの受信箱を確認する。そういえば最近、迷惑メールの整理もしていないから受信箱にメールが溜まりまくってるな。

 画面をスクロールして、最初のメールを探す。


「……あれ、見つからない」


 見逃したのだろうか。もう一度最初に戻って順番にメールを確認する。


「無い、無い……メールが、消えてる?」


 最初に作ったルールである『親は子供を怒ってはいけない』は、神からのメールが届いた当日に作ったものだ。その日付を確認して、同じ日時のメールを探してみる。しかし、その日付のメールは存在しなかった。


 どうしよう。期限が分からなくなった。

 でも分からないのなら尚更、とにかく急いでなるべく早くにルールを完成させないと。

 そう決意してから顔を上げると、唐突に目の前にロングコートの男が現れた。


「なっ……え?」


「しっ! あんまり大きい声出さないで」


 僕が驚きで絶句していると、ロングコートの男はその風貌に似あわない甲高い声で、僕を制した。

 この声、聞き覚えがある。ていうか、ほぼほぼ間違いなくこいつは――


「離れた所にタクシーを停めてある。そこまでついてきて」


 そう言って男は僕の手を取り、僕を引っ張って歩き出した。その手はやはり目の前の男には似つかわしくない小さくてやわらかい手だった。いつかの様に――いつもの様に。は僕を引っ張って夜の町を連れまわした。



 彼女に連れて行かれた先でタクシーに乗り込むと、そのまま車が発進した。


「もういいかな……これ外しても」


 そう言って、彼女は顔を引っ張ってそのままビリビリと剥がし、ボサボサのカツラと帽子を脱いだ。


「なんだって言うんだよ、彩女」


 やけに凝った変装を解いて現れた顔は、想像通りに一瀬彩女だった。僕は不機嫌を隠そうともせずに、不満たっぷりの声をぶつける。


「あはは、ごめんね定理君。ちょっと焦ってたから」


 彩女はいつもの調子で僕に謝罪した。それに対して僕は何も答えず、大きく溜息を吐き出した。

 ――はっきり言って、今はお前に構っている時間は無いんだけどな。


「尾行は大丈夫。ホームレスにお金を渡して、パトカーのタイヤをパンクさせておいたから。すぐには追いつけないよ」


 尾行って、まだそんな事言ってるのか。もうその嘘はいいんだよ。それに加えてまだ僕の時間を奪おうとしてるのか。早くタクシーから降ろしてくれ。

 とりあえず今は何も言わず、ただただ彩女の話を聞いておく。下手の事を言って、このまま変な所に連れて行かれたらどうしようも無いからな。


「私も今は警察に追われる身だから。下手な事は出来ないんだ。それでも、どうしても定理君と話がしたかったから」


 その言葉は、なんとなく聞き覚えがある。具体的には昨日、このくらいの時間に。

 それからタクシーは直ぐに停車し、僕と彩女は車を降りた。


 降りた先は、陽菜埠頭という名前の場所だ。海沿いにいくつかの倉庫が並んでいて、昼間は貨物船が出入りしている所らしい。

 普段はお目にかかる事すらないこの場所を僕が知っていたのは、あの事件の後に気になって調べたからだ。

 あの事件と言うのはもちろん、僕がヤクザの組長を自殺に追い込んだ時の事だ。

 偶然、では無いのだろう。あの時もヤクザに強制的に連れてこられた僕らは、彩女の車に乗せられてなんとか帰る事が出来た。

 その彩女がこんな所に連れてくると言う事は、なんだろう。


「あー、潮風が気持ちいいなー」


 彩女は海に向かって背伸びをしている。いつもの調子で喋っているように見えるけど、声が震えているのが丸わかりだ。


「あのね、定理君。これから私の言う事に、出来れば正直に答えて欲しいの」


 僕は何も答えない。答える必要が無い。どうせ、僕にとっていい話である筈が無いのだから。

 彩女は僕の方に向き直り、悲しそうな表情をしながらゆっくりと語りだした。


「――定理君、相原君を殺しちゃったでしょ?」


 ――驚いた。まさか、こんなにもストレートに言ってくるとは。

 この言葉は、相原の行動が自分の差し金である事も認めた上に、僕が手を下した事すら知っていると自白している様な物だ。


「なんでそう思うんだ?」


 僕は質問で時間を稼ぐことにした。もう殺すしか選択肢は無いけど、こいつを殺すルールを考える時間が欲しかったのだ。


「定理君の事は何でも知ってるんだよ」


「答えになってない」


「本当だよ。昔、定理君を病院送りにしちゃったあの事件から……私はずっと後悔してたの。だから、もうあんな思いはしたくなくて。それで、私の持てる全力を注いで……定理君をずっと監視してたの。ごめんね」


 そういう事か。昔から妙にタイミング良く現れる彩女の事を、変だと思わなかった事が無いわけじゃない。

 それでもそんな事が何度も起こるうちに慣れてしまっていた。不自然な事を、不自然だと思えなくなっていた。

 それも全部こいつの策略の上って訳か。厄介な女だ。


 つまりこいつは、僕のやっている事を全部知っているのだ。最初から、最後まで。

 そう考えると益々憎しみが湧いてくる。こんな覗き魔と友達だと思っていた自分が馬鹿みたいだ。


「でも、誤解しないでね。それも全部定理君を守るためにやっていた事なの。私は定理君の事を助けたくて、それで――」


「もういいよ、彩女」


 早口に捲し立てる彩女の言葉を遮って、伝える。

 僕の気持ちを、そして――永遠の決別を。


「もうお前の気持ちは分かった。この裏切り者」


「……ッ!! 違うの! 私は――」


「じゃあな、彩女」


 ポケットの中で、送信ボタンを押す。

 その画面には既に『人の秘密を知る人間は自殺しなければならない』と入力されている。

 直後に耳鳴りが鳴り、痛みに表情を歪めた僕と同時に、彩女の表情も急激に曇った。


「あ、ああ……こんな、こんな事って……」


 信じられない、という顔だ。僕がどうやって犯罪者を殺したのか、それを自分で体験してしまったからだろう。いくら情報では知っていても、実際に体験するのとはわけが違う。

 相原も同様に驚いていたが、彩女はそこからの行動が相原とは違った

 彩女は直ぐに海の方へ振り返り、速足で歩いて行った。

 そしてコンクリートの淵に足をかけてから、こちらを一瞥する。


「定理君、守ってあげられなくて……ごめんね」


 その言葉を最後に、彩女は躊躇うこと事なく海に飛び込んでいった。



 最後の言葉は――偶然にも相原と同じだった。

 

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