第十四章 最悪 

 十一月六日 午後一時


 一体何を間違えたのだろうか。

 俺のやった事は間違えていない筈だ。ならば、なぜこんな事になっている。

 目の前には大量の犯罪者のリストが広げられている。そのリストの最後は、全て『死亡』で締めくくられていた。

 会議室の前方で、この案件の指揮を命じられた佐々木警部が声を上げる。


「お配りした資料が、この三週間で自殺した犯罪者達の一覧です。更に、最後の三ページに至っては全て昨日一日で自殺した犯罪者です」


 会議室は静まり返っている。俺も、あまりの事態に着いて行けずにいた。

 俺の隣で藤崎が呟く。


「自分たちが振り回されてる間に――とんでもない事になりましたね」


 その感想は、俺も全く同じだった。

 犯罪者を意図的に増やしている何者かの存在を追って二週間弱。

 あれから何人か犯罪者を見つけて徹底的に絞った。刑事としての仕事ではないので、法律ぎりぎりの手段も取った。

 だが、そいつらは残念ながら本当にタダの犯罪者で、俺の行動が実を結ぶことは無かった。


 そうして手を拱いている間に、佐々木警部に「緊急事態だ」と呼び出しを受けた。

 指示されて向かった先の大会議室では、「犯罪者集団自殺事件捜査本部」と書かれていた。

 それから、用意された席に着席し冒頭の話に戻る。


「我々はこの事件を、宗教団体ゴッドの事件と同様の物である可能性が高いと判断しました。よって、本事件に特別捜査本部を設け、本格的な調査を行うとともに――」


 佐々木警部が捜査の全容の説明を始める。

 要約すると、ゴッドと同様に大規模な捜査を行うと言う事だ。

 そのために佐々木警部は俺の謹慎を解いて捜査本部に加わるように指示したのだ。

 この方が正式に捜査ができるので、俺にとってはありがたい。


 それから、佐々木警部の進行で俺が前方に呼び出され、俺が考えた捜査方法を説明する事になった。

 カメラの映像を監視する役と、尾行を行う役。これだけでも普通にやれば倍の人数を割いてしまうので、大規模な捜査本部が設置されたのはありがたい事だった。

 しかし、カザナミデパート放火事件の監視カメラを見た事は完全に無断で行った事なので話す事は出来ない。

 故に俺たちだけが尾行対象を絞った捜査を行う事になり、必然的に本部の人間とは別行動を取る事になる。

 既にこの手法の連携を確認したメンバーがいると伝えると、佐々木警部の後押しも手伝ってあっさりと今のチームでの捜査を認められた。

 佐々木警部への恩が増えたな。今度何かで対立した時は、せめて話をしっかりと聞いてやる事にしよう。



 そうして我々は、元の調査体制に戻る事に成功した。

 こうなってしまえば、別件での呼び出しなどそうそう掛かるものでは無い。別の人員で対処をしてくれる事だろう。

 俺の中では意図的に犯罪者を操る何者かの存在は気になったが、そこまで贅沢も言っていられない。とにかく今は、邪魔が入らずに操作が出来る事で良しとしよう。


 いや、邪魔は入らないとは限らないな。以前の清水の様に、目の前で逃げる容疑者を見つけてしまえば追わずには居られない者も多いだろう。ならば、せめてそこにも対応出来る様にしておかなければ。

 俺は一度放棄した拠点に元のメンバーを集め、捜査方針の変更を伝える事にした。


「念のために、今日からは容疑者一名に対して二名体勢で尾行を行う事にする」


 清水の表情がが少し曇っていた。以前の失敗を思い出したのだろう。しかし、俺はあの時の事を忘れると約束したので、その件には触れずに置いた。


「それでは、何かあった時のために役割を決めておきましょうか」


 そう言って藤崎が直ぐにチーム分けの提案をしてくれた。その内容も俺の考えていた通りだったので、俺が口を挟まずに済んだ。

 チーム分けの際、藤崎と清水は別のチームに分け、問題が起こった時の対処役として任命する事になった。単純に、個々の能力の問題だ。清水は尾行に向いていないというのもあるしな。

 方針の確認が終わった所で、時計を確認すると時刻は午後四時に差し掛かっていた。この時間からでは尾行対象を探すのも難しいだろう。

 本格的な捜査は明日の朝から行う事としよう。

 


 十一月六日 午後三時  ― 一瀬 彩女 ―


 ――これはまずい。最悪だ。

 今日の午前中から、警察署にいる連絡係と急に連絡が取れなくなっていた。

 今になって連絡を寄越したと思えば、新設された捜査本部に入る事になったから今までの様に動くことは出来ないとの事。

 しかも捜査本部の詳細を聞くと、どうも定理君に関係がありそうな話が出ていた。


 定理君が何をしているかは分からないけど、ここ数日の犯罪者の大量自殺に関わっている事は多分間違いないと思う。

 だって、定理君の近くにいる時だけ、その自殺行為に何の疑問も持たない自分がいたから。後になって我に返るとその事を実感できる。

 多分、最近になって急に付け始めた携帯のストラップが関係してる。そのストラップの正体も調査しているけれど、どうにも上手くいっていない。


 それよりも、今は警察の捜査を何とかしないと。

 私は自分のパソコンの電源を落とし、父の書斎に向かう。

 今日はたまたまこの時間に家に居たので、私にとっては都合が良かった。


「お父さん、今少し時間いいかな?」


 書斎のドアをノックし、返事を待つ。


「なんだ、何か用か?」


 返事のバリエーションがそれしか無いのだろうか。この声を聞く度に、私という存在が眼中に無い事を実感させられる。お蔭で多少の無理を通すことも出来るのだけど。


「お願いがあるの。予算の事についてなんだけど」


「なんだ、何か問題でもあったか?」


 父が少し不機嫌そうな声になる。予算の交渉は本当に慎重にしないと、下手な事を言えば父の逆鱗に触れてしまう。

 私は慎重に言葉を選び、言った。


「未来の分を前借りとか、出来ないかな? もちろん後になって増やせとか言わないからさ。元々予定してた分だけでいいの。お願い」


「なんだ、そんな事か。構わん、いくら必要なんだ?」


 父の声色が落ち着いたのを確認して、私は胸を撫で下ろす。おそらくもう一度交渉するのは無理だろう。これで最後だと思わなきゃ。

 私は必要な分の金額を伝え、予算のやりくりについて必死に考えた。




 十一月七日 午後五時  ―真崎 定理―


 各所で僕を巡ってそんなやり取りが繰り広げられた次の日、そんな事は全く知らない僕は、いつもの様に学校帰りのパトロールを敢行する。

 いつものルートをいつもの様にぐるぐる回る。以前の反省も生かして、たまには普段見ていない場所にも目を向けながら。

 すると、商店街に差し掛かった所でたまたま放課後を満喫していたらしい相原に声を掛けられた。


「ようテーリ! こんな所で会うなんて奇遇だな!」


 その台詞は奇遇じゃない時に使うものだ、なんて思いながら仕方なしに返事をする。


「僕もたまには放課後にブラブラしたりするよ。忙しいから行っていいか?」


「いやいやいや待った待った! 折角会ったのに即解散なんて冷たい事言うなよ! お前の行きたい所に合わせるから、ちょっと駄弁りながら一緒に歩こうぜ」


 なんだろう、今日はやけにしつこいな。

 正直動きにくくなるから断りたかったけど、行先を変更する事にならないのなら別に断る理由も無い。断ったらむしろ不自然だ。

 僕は溜息をついてから、「少しだけだぞ」なんて言って相原の同行を許可した。商店街を歩くのには、二人でいた方が不自然では無いだろうし。


「よーし、じゃあ決定な! で、どこ行くんだ?」


「いや、何も考えてない。歩きたいだけ」


 実際にはパトロールの意味があるんだけど、そこを話すわけにはいかないからな。歩きたい、というのだけは本当だから嘘はついてない。


「歩きたいってお前そんな性格じゃ……。まぁなんでもいいや。それより、さっき仕入れた一大ニュースがあるんだけどよ――」


 決して上手く誤魔化せたとは思えないけど、何故か相原は適当に納得してくれた。多分、そんな事よりも仕入れたネタを話したくて仕方が無かったんだろう。

 まったく、飽きれた能天気さだ。

 僕はそんな相原の話を半分以上聞き流しながら(BGMと化している)、商店街の中を少し長めに歩き回った。


 今日のところは、進展なし。こんな所で自殺する人間もなかなか居ないだろうし、ルールを逸脱した人間っていうのも簡単には現れないだろうから仕方がない。

 とりあえず商店街はもういいかな、と商店街を出ようとした時。相原の口調が急に変わり、深刻そうな空気を醸し出した。


「テーリ、そのまま聞いてくれ。そのまま、適当に相槌を打っていればいい」


 ――なんだいきなり?

 今まで聞いた事の無い程真剣なトーンで話すので、さすがにこれは何かあったのだろうと思って僕は素直に言う事を聞く事にした。


「この位置なら口元も見えない筈だ。声もこの喧騒に紛れて聞こえない。今しかないと思ったんだ」


「なんだよ、何の話だ?」


 一応、人に聞かれても問題の無い様な返事をしておく。

 話の流れが完全におかしい。口元が見えない? 声が聞こえない? それじゃあまるで――


「テーリ、今警察に尾行されてる。なんでかは知らないけど気をつけろ」

「……は?」


 なんだその話。なんでいきなりそんな話になる。じゃあ、ここで会ったのもやっぱり偶然じゃなくて、その話をするために僕を探していたとでも言うのか。

 いや、それにしてもおかしい。なんで相原がそんな事を知っているんだ。


「一瀬さんに、聞いた。情報源は答えられないけど、確かな話だって」


「彩女が? いや、でも……」


 それもおかしい話だ。

 確かに彩女は、どこから仕入れたか分からない様な情報を知っている事がよくあった。あったけど、警察の情報なんて――


「とにかくそういう事だからよ、俺はもう帰るわ! 気を付けてな!」


 相原が急にいつもの調子に戻り、僕の背中を叩きながら言った。

 その言い方なら「気を付けて」も不自然な発言にならないだろう。まさかそんな所にまで頭が回る奴だったなんて思ってもみなかった。


 相原が大袈裟に手を振りながら去っていくのを遠目に眺めながら、僕はさっき言われた事の重大性を噛みしめる。

 彩女がどうしてそんな事を知っているのか。それも確かに重要な話かもしれないが、それよりも尾行されていると言う事実の方が問題だ。

 まず、それを彩女が僕に教えてくれている時点で彩女は僕の敵じゃない。僕のやっている事を知っているにしろ知らないにしろ、僕の味方をしてくれているのは確かだ。


 なら今は尾行の事だけ気を付ければいい。

 今後は廃ビルに侵入するような目立つ真似は控えよう。慎重に行動するんだ。

 パトロールに関しては、ただ歩いているだけなので多分問題ない。問題はルール作りの方だろう。ルールを作る時は必ず家に帰ってからにしなくては。

 決意を新たに、僕はその後一時間程のパトロールをしてから帰路に着いた。




 同日 午後八時  ―神狩 司―


 本日の尾行は順調だった。丸一日全く邪魔が入らずに尾行が実行できたため、逆に拍子抜けを食らってしまったくらいだ。

 しかし、尾行が順調だからと言って収穫があったわけでは無い。強いて言うなら真崎君が放課後にフラフラしていたのが気になったが、高校生が寄り道もせずに真っ直ぐ帰る方が珍しいと思う。

 彼に限ってはどちらかと言えば一目散に帰りそうに見えたのだが、また偏見だのなんだのと清水に言われそうなのでそこは考えない様にしておいた。

 途中で友人と合流していた事も考えればそこまで不自然な行動でも無かっただろう。あの友人は活発そうに見えたしな。

 今までの捜査で真崎君が町を徘徊していた事を確認出来たのは計三回。不自然な徘徊ではあるので、これが連日ともなればもう少し踏み込んだ捜査も考えなければならないだろう。

 俺は煙草に火を着け、翌日以降の捜査方針を頭の中で整理した。



 …………


 

 しかし、現実はそう上手く運んだりはしない。

 やはりというか、翌日以降の尾行では再び邪魔が入るようになった。


 ある日はホームレスが道路を占拠して渋滞を作り、人ごみが多すぎて尾行が続行できなくなったり、またある日は不審火が立て続けに起こっていたりと。そんな調子だ。

 全く尾行が出来ないと言うわけでは無いのだが、一日に尾行できる時間が極めて少なくなってしまっている状態だ。これではまともな捜査は出来やしない。

 ホームレスが道路を占拠した日は俺が出向いて直接聴取を行ったが、ギリギリの手段を使って脅しても「酔っていた」だの「なんとなく」だの、肝心の動機ははぐらかされてしまった。そのホームレスも何故かすぐに保釈金が支払われて釈放を余儀なくされる始末だ。


 ただし、ここまでである種の推測はついた。

 我々の捜査を妨害している何者かは一定水準以上の金銭を有しており、且つかなり広く顔が効く人物と言う事になる。

 そんな人間は決して多くない――というのが普通なのだが、この町では少し勝手が違う。この陽菜町には昔から、病院にしろ警察署にしろ何故か規模の大きい組織が多いのだ。

 警察に至っては、外部から陽菜警察署に所属されるのは栄転だとまで言われる程だ。歴史的背景が関係しているらしいが、そこまでは俺は知らされていない。


 それ程大きな組織の上層部であれば誰であれ一定水準以上の金銭と人脈を保持している。更に厄介なのが、そういう人物への捜査は警察上層部が介入してきて非常にやりにくい様になっている点だ。

 可能な限り警察上層部や組織のトップに近しい人物に探りを入れてはいるが、捜査は難航し、ほぼ進展なく停滞してしまう始末だった。



 そして月を跨いで現在、十二月一日。カザナミデパートの放火に関する容疑者の尾行は、まだ着手していない人物が二十人も残っている。

 尾行を二人体制にした事も相まって、捜査は完全に遅れを取っていると言わざるを得ない。並行して捜査を妨害している人物の割り出しも行っているのだから、進まなくても仕方がないと言えるだろう。いっそそちらに全てのリソースを割く事も考えたが、それこそ相手の思う壺になってしまう。


 更に悪い事に、俺たちのチーム以外の捜査本部の捜査も、そのほぼ全てが間接的に妨害されているらしい。

 間接的に、というのが厄介な所だ。本来警察は最低でも状況証拠が無ければ大きく動くことは出来ない。俺はそんな事は完全に無視しているが、他の人員にとってはそれがかなり問題となっているらしい。


 そんな経緯で何も掴めないまま時間が経過してしまっている。

 雲を掴むような捜査に、捜査員も段々と憔悴してきている。解決を焦ってばかりでは何も進展しないのは理解している。少しは気を緩める時間も必要なのかもしれないな。

 せめて情報が、後に捜査の役に立つ事を祈る。




 ――では、この辺りでこのは締め括ろうと思う。勘の良い人間なら既に察しただろうが、お前はこれでチェックメイトだ。





 十二月一日 午後十時  ― 一瀬 彩女 ―


「なにこれ、どういう事?」


 私はパソコンに映し出されたその文章を見て、直ぐには理解が出来なかった。

 神狩司の捜査拠点に侵入し、本人が使っているパソコンにアクセスする為の仕掛けを施したのが十月二十日の事。

 それ以来毎日チェックさせて貰っているこの「捜査日誌」は、神狩がマインドコントロールに対する対策としてつけていたものらしい。これを見るだけで捜査の状況が把握できるのだから、私にしてみれば棚からぼた餅の素晴らしい情報収集ツールだった。


 今日は父の取引先を招いてのパーティーがあるとかで、私は別宅の方で捜査日誌を覗き見ていたのだけれど、いつもと違う部屋の空気も相まってか、その文章に寒気が走る。


「いやいや、心配し過ぎでしょ私。いくら状況的にばっちりだからって」


 そんな独り言を呟いた次の瞬間――

 部屋のドアが勢いよく開かれ、どかどかと大きな音を立てながら武装をした警察が突入してきた。


「な、なに!? なんなの!?」


 それだけで私は状況を完全に理解したが、ここで冷静になっているようでは自白してる様なものだ。私は一応何が起こっているのか分からないという演技をした。


「いや、そんな演技は必要ねーよ、一瀬彩女」


 私の声に反応し、私を囲む警官達の奥から女の声が聞こえた。

 どこか冷ややかな笑みを浮かべて部屋に入ってきた女は、実際には会った事は無いが、私の良く知る人物――清水明梨だった。


「演技なんて、そんな……何の事?」


「この期に及んでまーだカマトトぶるのか、お前。神狩の日誌を見て分かってんだろ? この覗き魔め。もう既に、令状も出てるんだ」


「…………」


 その言葉に、私は逡巡する。

 状況は本当に最悪だ。今の話からすると、私が神狩のパソコンにアクセスしていた事は既にバレていたって事だ。神狩は日誌に嘘の捜査状況を書く事で、私にバレない様に秘密裏に捜査していたのだろう。日誌の事を信用し過ぎた私のミスだ。


 私は冷や汗を掻きながら、会話で時間を稼ごうとする。


「令状って言うけど、そんな簡単には出せない筈ですよね? 分かっていないのかも知れないですけど、私は一瀬財閥の――」


「一瀬彩女。一瀬財閥の会長である一瀬剛三剛三の一人娘にして、将来の跡取りとしての地位を約束されている。今は本宅に財閥の上層部を集めた会合があるため、別宅での待機を命じられている――だろ?」


 そこまで分かってるんだ。跡取りの話はまだしも、今日の私の居場所まで分かっているって事はつまり――


「当然、一瀬会長には既に許可を頂いている。娘のした事を報告したら、大変ご立腹の様子だったよ」


「じゃあ、今日のパーティーっていうのもまさか……」


「そんな物は最初から無い。会長は今頃、書斎の椅子の上で我々の報告を待っている頃だ」


「そう、そういう事……」


 状況は整った。これで父の助けは完全に期待できないって事だ。犯罪紛いの事にも見て見ぬ振りだったあの父が私に怒っていると言うのは意外だけど、おそらくそれは私の行為そのものに対しての怒りじゃない。

 何故警察の捜査が及ぶような御座なりな方法しか出来なかったのか、という怒りだろう。私だって、こんな失敗するなんて思わなかった。


「これで理解できたか? 一瀬彩女。無駄な抵抗は止めて、大人しく連行された方が良い」


「あははー。いやーせっかくのお誘いですけどね。遠慮させてもらいます」


 言うが早いか、私は隠し持ったリモコンのスイッチを押す。

 すると部屋の天井が大きな音を立てて勢い良く開き、上から縄梯子が降りてきた。もちろん、全て私が予め仕組んだことだ。


「なっ……なんじゃそりゃあ!? おい待て!」


 呆気に取られて動けない警官たちとは裏腹に、清水明梨はすぐに私に駆け寄って来た。さすがにエリート様は反応が良い。

 でも、残念ながらもう遅い。一台のヘリコプターに繋がれた縄梯子は、私が掴むと同時に上昇を始め、既に手の届かない所まで浮上していた。


「小さい頃からね。お小遣いをコツコツ貯めて作った仕掛けなの。自動操縦の無人ヘリも合わせると中々のお値段だったから、使う機会があってよかった!」


「くそ、小遣いって額じゃねぇだろ金持ちめ!」


 ヘリの回転音にかき消されない様になるべく大きな声で話す。いい感じに悔しがってくれてるし、せっかく逃げるんだから捨て台詞くらいは聞いて頂戴な。


「一回やってみたかったんだ、こういうの! 『じゃあね刑事さん、また逢う日まで!』なんちゃってー!」


 ヘリが別宅から遠ざかるのに合わせて、私はテレビで見た怪盗さながらの捨て台詞をお見舞いした。


「おい、早く車回せ! 追うぞ!」

「そんな、無理です! 舗装された道ならともかく、こんな山道では――」


 でも残念ながら、私の捨て台詞を聞いている人は誰も居なかった。仕方ないか、現実なんてそんなもんだし。

 それと、喩えここが舗装された道路でも、車で追えるような場所には行かないから安心して。

 私はタブレットを使って、陽菜町の端の山奥に行くように無人ヘリに指示を出した。



 それにしても、お父さんを怒らせちゃったならしばらく家には近づけないな。警察が私の顔を覚えちゃったなら、あんまり目立つことも出来ないし。



 ――ごめんね、定理君。私が守ってあげられるのはもうここまでかも。


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