第十三章 猛攻 ―神狩 司―
十月十六日 午前八時
昨日の尾行は何かがおかしかった。
清水の尾行中に急に自殺者が現れる――それだけなら、まだ可能性としてはあり得るだろう。問題は、その後だ。
屋上から除く影があれば、警察なら誰でもそいつを追わざるを得ない。しかしそいつはただの目撃者だった。まぁこれもまだあり得る話だろう。
しかし、おかしいのはその目撃者の行動だ。
何のために警察を挑発するような真似をする?
最初はヤツに後ろめたいことがあって、それを隠すための演技でもしているのかと思った。だが、俺も署に戻って直接確認したが、そいつは前科も無ければ何の組織にも所属していない、ただの建設業のサラリーマンだった。
そんな男が、損得勘定抜きでただ警察をからかっただけ?
たまたま目撃した自殺現場に、たまたま玩具のナイフを持っていたと?
――あり得ない。いくらなんでも可能性が低すぎる。
しかしたかが公務執行妨害で余計な事を聞くことも出来ず、昨日の男の目的は掴めないまま終わってしまった。
何かヒントになるものでもあれば良かったが――あれでは清水が落ち込むのも無理はあるまい。
「神狩刑事、どうやら昨日清水刑事が見たルートと同じルートを辿っている様です」
通信機から聞こえたそんな声で、俺の思考は中断した。
藤崎からの確認だ。これには返事をしておく。
「そうだな。間違いなく同じルートだ。一体何を考えているのやら」
「わかりませんが、怪しい事は確かですね」
そこは完全に同意だ。
被害者か加害者かは分からないが、もはやマインドコントロールに関わっている事は間違いないだろう。
運動のためのウォーキングという戦もあり得るが、それならばあんなにゆっくり歩いたりはしないだろう。
俺は改めて真崎君に何かあると確信し、映像を追いながら進展があるのを待つことにした。
―― 一時間後。
モニターの奥で清水の携帯に着信があり、清水は尾行対象を見失わない程度に離れた場所で電話に対応していた。
程無くして清水から通信が入る。
「神狩、悪い。近所で不審火があったらしい。さすがに本業から離れるわけには行かないし、私はここで失礼するよ」
通信機のボタンを押しながら応答する。
「ああ。気にするな。俺の様に謹慎ってわけでも無いからな。それは仕方ないだろう」
「そうだな! お前と違って私は素行がいいからな!」
「喧嘩売ってるのか?」
「いいや、残念ながら私とお前じゃ喧嘩にもならない。触れた瞬間セクハラで訴えてやるからな!」
「最低の作戦を堂々と語るなよ」
――あと何度も言うが、俺にツッコミをさせるな。
ひとしきり俺をからかって満足した清水は、「じゃあ、後はよろしく頼む」と言ってそのまま持ち場を離れて行った。
こういう事もあるだろう。むしろ、自分の仕事もあるのに今まで何日も付き合ってくれた事に感謝しなければなるまい。
この間の礼も含めて、清水には借りが増えていく一方だ。この件が終わったら必ず埋め合わせをしよう。
そう考え始めた途端、別の刑事からも通信が入る。
「神狩刑事、本部から呼び出しがあったので、自分はここで」
「ああ、そうか。ご苦労だった」
――偶然だろうか。
こんな計らったかの様なタイミングで、二人も離脱するなど。
いや、さすがに考え過ぎだろう。ゴッド絡みの件だからと言って敏感になり過ぎだ。
俺は落ち着くために一旦煙草に火を着け、一服する事にした。
もちろん、モニターの監視は続けたままだ。
だが、煙草を半分も吸い終わらない内に、次々と通信が入る。
「すみません、どうしても向かわなければならない案件が――」
「神狩刑事、自分は本部から――」
「今日はもう職務に戻らなければ――」
理由は様々だったが、捜査に加わった六人の内、見事に同じタイミングで五人が尾行から離脱した。
――馬鹿な。こんな偶然があってたまるか。
俺は最後に残った藤崎に通信を試みる事にした。
「藤崎、まさか携帯に着信があったりしないだろうな」
俺のピンポイントな質問に、不思議そうに首を傾げ(カメラの映像が傾いた)、携帯を確認していた。
「……着信が六件入ってました。かけ直します」
通信機からそんな声が聞こえた。実際にモニターに映った藤崎の携帯には、六件もの着信が入っていた。
これで少し、ハッキリしたことがある。
今離脱した全員に、間違いなく呼び出しがあった、という事。つまり、マインドコントロールによって「呼び出しがあった気がした」だけでは無いと言う事だ。
そしてその理由は様々だが、全て事件や上司からの連絡だった。と、言う事は――
「陽菜警察署、か!」
俺は、自分たちの所属する警察署自体に、マインドコントロールが行われている可能性に至った。
通話が終わった藤崎も、やはり上司から呼び出されたようで「真崎君の尾行はどうしましょう?」と聞いてきた。
「いや、おそらく今は関係ない。そこは警察署から随分離れているからな。とりあえず真っ直ぐ署に戻れ。俺もこれから向かう」
「――はい、了解です」
俺の只ならぬ様子を察知し、藤崎は何も聞かずにその場を離れた。
俺も一旦モニター類の電源を落とし、拠点を出て陽菜警察署に向かった。
…………
その日、結果的には俺の行動は無駄足に終わった。
離れた位置から藤崎と連絡をとり、藤崎に署の中の様子を見に行ってもらったのだが、藤崎を呼び出したのは間違いなく町内で発生した事案の調査の為だったし、他の警官たちも実際に急な任務が入っていたらしい。
マインドコントロールの結果だと言うのならば多少不自然な点が出てくるはずだが、それぞれの任務に不自然な所は一切見当たらなかった。
更に翌日、念のために捜査拠点に向かう前に改めて先日の任務について確認したのだが、「動機の忘却」は見られなかった。
――しかし、その日を境に俺たちの捜査は難航する事になる。
十月十七日、捜査員の半分が別の案件で追われ、尾行を実行できず。
十月十八日、藤崎以外、別の案件で尾行を実行できず。
十月十九日、捜査員全員が尾行を実行できず。
俺はその時点で確信していた。
確実に何者かに捜査を妨害されている。これは、何とかしないとまずいな。
しかし、彼らを呼び出しているのは全て直属の上司であり、その理由は完全に正当性のあるものだ。
ならば敵は、署の中に居ると言うのか。
いや違う。捜査員全員に確認しているが、どれも新たに発生した仕事の対応に追われている、という話だった。
警察の仕事が増える理由なんぞ、犯罪者の存在に他ならない。
ならば犯罪者を、意図的に増やしている者が居る……?
――いいだろう、相手になってやる。
何者だか知らんが、犯罪者を操っている人間がいる。
それだけで、俺が全力で動くには十分な理由だ。
俺は今までの拠点を一旦放棄する事を決めた。この場所の事まで知られている可能性を考慮しての事だ。
それから俺は、あらゆる建造物や人ごみの影を潜り抜け、少しずつ今来ている服を全て新調。更に髭を入念に剃った上で顔面の周りまで全て偽装、完全に別人に成り切った。
今の俺は、チェックのシャツをダボダボのジーンズに仕舞い込み、バンダナに丸ぶち眼鏡をかけてリュックサックを背負ったステレオタイプのオタクへと変貌していた。
念には念を入れて捜査員全員に一旦捜査の打ち切りを宣言した上で、外部との連絡を完全に断った。
ここまですれば、完璧だろう。
誰も俺を神狩司だとは、ましてや刑事だなど思わない筈だ。
この状態で一日中街を歩き続けて犯罪者が現れないか観察する。
もしも現れたらとっ捕まえて即刻尋問し、誰に操られているかを吐かせる。
吐かないなら次の犯罪者に。それを繰り返すだけでいい。
――俺を本気にさせた事を後悔させてやる。
そこから俺は、しばらくの間容疑者の尾行から離れる事になる。
それが仕組まれた事だとも気が付かずに。
十一月五日 午前七時 ―真崎 定理―
現在のルールが、「法を犯した者は、自殺しなければならない」になってから、三週間弱。
そう考えると随分早く時が流れたな、と思う。当然、心当たりもある。
楽しい時間はあっという間、というのは誰でも経験していると思う。おそらく、僕は今楽しいんだ。
何が楽しいかって? そんなもの決まってる。
例えば今、僕は街中にある廃ビルの屋上で待ち構えている。何を待っているかなんていうのはすぐにわかるから、順番に説明しよう。
まず、今僕が居るのは数年前に取り壊しが決まったビルだ。そしてこのビルの取り壊し工事は、工事費用だかなんだかの問題でしばらく前から止まったままなんだそうだ。
そこまでは僕にとってはどうでもいい情報。肝心なのは、このビルは業者の管理が悪すぎて、一般人でも簡単に侵入できる様になってしまっていたという点だ。
だから僕もこんな所に潜入できているし、僕以外の人も結構出入りしてるらしい。「僕以外の人」の目的は大体一緒だ。つまるところ、僕はそれを見に来ているのだ。
そして今日も現れる。屋上の扉が開くと、顔中にピアスを付けた悪人面の男が一人出てきた。その目はどこか虚ろで、焦点が定まっていないようにも見える。
その男はフラフラと屋上の端まで行き、備え付けのフェンスに体重を預ける様に手をついた。
ちなみに僕は、その男が居るフェンスとは反対方向の、貯水タンクの様な物の下に潜んでいる。屋上に出てからまっすぐ向こう端まで行ったら、絶対に気付かれない位置だ。
その位置から、見る。
男はフェンスをよじ登って反対側に着地した。少し足を滑らせるだけで落ちてしまう、そんな位置に。
そんな男に僕は「危ない」と声をかける事はしない。僕は、彼が危ないのを承知で向こう側に行った事を知っていたからだ。
そしてすぐに、まるで体中の力が抜けたかのように。
フラリと、ゆっくりと、前のめりに。
男は地面へと落下していった。
男は、最初から自殺をするためにここに来たのだ。
この廃ビルは、三週間ほど前から自殺の名所になっている。そんな状態で業者が鍵もかけない事を不思議に思うかもしれないが、無理もない。大抵の自殺者はここの鍵やら窓やらを壊して浸入するのだ。
警備員が配備された事もあったが、どこをどう抜けたのか自殺者がいつの間にか屋上に上がってしまう。結果的に警備員は、目の前で人間が飛び降りる光景を何度も目の当たりにしてしまう事になり、そのうち誰もここの警備をやりたがらなくなった。
「くく、くくくくくっ……」
声を抑えて、笑う。
あんな、顔面ピアスだらけの如何にも悪人面な人間が。
今日まで自分が死ぬなんて全く考えた事の無かった様な人間が、僕の作ったルールに操られて自殺する。
これが愉快でない筈が無い。
最っ高のエンターテイメントだ。
たまらない、癖になる。相原にも教えてやりたいくらいだ。
でもアイツは【ルール】の存在を知らないから、これを味わうことも出来ないのだ。
可愛そうに。この力なら、アイツが望むスクープをいくらでも作り出せるっていうのに。
さて、名残惜しいけどそろそろ退散しようか。
あまり長居してると警察が来るから、お楽しみの時間はこれくらいで。
朽ちかけた階段を下りて、階下へ向かう。
外に出るまでも、一応物音を立てない様に気を付けながら歩いて行く。
入り口のドアは壊れて開けにくく、軋んで結構大きい音が出てしまうので、建物の裏側にある窓から外にでた。
念のため周囲を警戒するが、誰も居ない。
そのままビルの裏の林に隠れながら、僕は既定のパトロールに戻る事にした。
「パトロール、ね。歩いてるだけで犯罪者が減るんだから、こんな楽なパトロールをしているのは世界中探しても僕だけだろうな」
自分で使っている言葉に違和感を覚えたが、それでも確かに自分は正義のための行いをしているという確信がある。
それに、ただ歩き続けるだけでも結構疲れるもんだ。この苦労に誰か表彰してくれてもいいだろうに。
だからと言って警察に「最近犯罪者が減ってるのは僕のお蔭なんです」なんて言ったりはしないけど。警察も頭が固いからな。
――警察と言えば。ゴッドの件で僕を疑っていたはずの「かがり」とかいう刑事からの接触が全くないのも気がかりだ。
少し前までは、誰かに尾けられている様な妙な感覚に襲われる事もあった。でも、最近はそれすらも全く感じない。
まるで、天が僕に味方しているかのようだ。
いや、実際に味方なのかもしれない。
僕は神様からの――言わば神託を受けて行動しているんだ。ならば多少神様の加護があってもいいものだろう。
そうか、そうだよな。僕は神に選ばれているんだ。
そんな事を考えながら歩いていると、前に僕が路地裏で暴行を受けた時の現場に差し掛かった。
この場所で、初めてルールが効かない人間が現れたんだっけ。
でも、このルールにしてからはそんな人間は見ていない。
――見ていないだけって可能性もあるのか。
僕は念のために、それまで通ってなかった道や、入ってなかった店にも入ってみる事にした。
そうして何となく入ったスーパーマーケットの中で、僕は目撃する事になる。
買い物の目的なんて最初から無かったので、なんとなく通りかかったお菓子コーナーでの事だった。
「ちょ、離してください! 警察呼びますよ!」
女の子の声だった。僕は反射的に声がした方向を振り向く。すると、店員の格好をした男が、中学生くらいの女の子の腕を掴んでいた。
状況が掴めなかったので、そのまま耳を傾ける事にする。
「それはこっちのセリフ。今、君ポケットに何か入れたよね?」
「入れてないです! 誰か助けてー!」
「はいはい、そういうのいいからちょっとこっちに来て」
やはり状況が掴めない。
男の言うことを信じるなら、女の子の方が万引きをしたと言う事だ。
逆に、女の子の言うことを信じるなら、男が言いがかりをつけて連れ去ろうとしていると言う事になる。
いや、でもこんな目立つ場所で男がそんな行為に出るとも思えないし、ましてや今は【ルール】がある。
法を犯す真似は出来ない筈だ。ならばどういう話なんだろう。
とにかく、二人のうちのどちらかが【ルール】を破った可能性がある。
それなら、確認しないとな。
僕はばれない様に二人の後を着いて行き、スタッフルームの様な所に侵入した。
正直、自分の行動がどんどん大胆になっている自覚はある。ただしそれは、いざとなればルールを改編して逃げればいいという自信があるからだ。
入ってすぐに棚の様なものがあり、その陰に隠れれば隠れながら二人の会話が聞くことが出来そうだった。
息をひそめて聞き耳を立てる。二人の会話は、こんな内容だった。
「ダメだよこんな事したら。犯罪だって分かってる?」
「だって、お母さんがやってこいって……。犯罪、だったんですか?」
「知らないでやったのかい。まぁ、それなら仕方ないけどね。とりあえずお母さんに――」
どうやら女の子は本当に万引きをしていたらしい。いや、それはいい。そんな事よりも、大事な事を話していた。
――犯罪だと、知らなかったって?
万引きが犯罪だって事くらい、誰でも知ってるはずだ。
いや、でもあり得るのか。親の教育の仕方や、周りの環境次第で、場合によっては法律の存在すら知らずに過ごす人間がいる事っても。
クソ、完全に油断していた。
つまり、今のルールじゃ本当に腐ったクズは死なない可能性があるって事じゃないか。
すぐにでも、ルールを書き換える必要がある。
僕は慎重にスタッフルームを抜け、怪しまれない速度でゆっくりとスーパーマーケットから出る。そしてそのまま真っ直ぐと帰路に着いた。
「……まずは条件の絞り込みから、だな」
自室に戻ってすぐにノートを開いて対策を立てる。このノートには今までのパトロールのルートやらが書き込まれていて、今ではルールに関して考える時の僕の必需品となっていた。
「『法を犯した者は』という文面では法律を知らなければアウト。『人間である限り』という書き方をしても、『人間をやめた』とかいう屁理屈で、アウト。要は全ての人間に確実に罪悪感が生まれてなきゃいけない」
今までのルールに×を書き込みながら、次の案について慎重に考える。勉強ですら真面目に取り組まなかった僕がこんなに真面目になるなんて、人間は分からないものだな。
「悪人は罪悪感なんて感じてないから、罪悪感とか書いてもアウトだろう。つまり、全ての人間に一定の基準を設けるのは難しいって事だ。基準を設けずにルールを作るなんて――」
普通に考えたら、無理だ。
しかし、僕はここで思い出す。普通の人間が、明らかに普通では無くなっていたあの事件の事を。
「あ、そうか。そういえば何のために実験したのか、忘れてた」
僕にトラウマを植え付けた、あの事件。カザナミデパートの火災事件だ。
あの日確かに、僕は色々な実験をした。細かい条件を指定してもルールになるのか、長い文面でもルールになるのか、等々。
あんな文章でもルールとして認識されるなら、最初からこうすればよかったんだ。
『過去一年間から現在に至るまで、以下にあげる条件のいずれかを満たした者は自殺しなければならない。また、これから以下の条件を満たした者も同様に自殺をしなければならない。①他人に対して、治療が必要になる程の怪我を意図的に負わせた者、及び殺人を犯した者。②他人の財産を不当に盗み出した者』
間違いが無いか慎重に確認しながら、携帯にルールを打ち込んでいく。
そう、簡単な事だったのだ。
カザナミデパートの火災の時、僕は「上納油」だの「五リットル」だの、細かく条件を指定したルールを作っていた。あれでもルールとして採用されるなら、ここまで細かく指定しても採用される筈だ。
僕の知識があまりにも足りない事を今更になって痛感する。暴力、殺人、窃盗――犯罪らしい犯罪が、これくらいしか思いつかなかった。
でも、とりあえずはこれで平和な世界にはなるんじゃないだろうか。
そう願いつつ、メールを送信する。
すぐに、耳鳴りが鳴った。
「痛っ――よし、これでいい。後はこのルールで、街を一周するだけだ」
確かな手ごたえを感じた僕は、直ぐに家を飛び出した。
――待ってろ、神様。すぐにでも僕が平和な世界を作ってやる。
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