第十二章 激動 ―清水 明梨―
十月十五日 午前六時
神狩の指示で、尾行を開始するため真崎君の家を訪れた。
だけど正直言うと私は、そこまで真崎君に対して疑念を抱いていない。
なぜか、なんて言われるまでも無い。あの少年に、人を操るような真似をする度胸がある様には見えないからだ。
それでもこの尾行自体に意味が無いとは思わない。神狩の言うとおり彼が被害者である可能性もあるし、実は昨日の尾行の話を聞いてから、一つ疑っている事がある。
それを確認するための尾行だと考えれば問題ない。
しかし、それにしても――
「あの子、外に出るのかな?」
思わず独り言が漏れてしまう。それほど致命的な問題と言うことだ。
なにせ、家の中まで監視することは出来ない。ならば家から出るまで尾行なんて開始しようが無いのだ。
まぁ、朝六時から外に出る高校生なんて新聞配達のバイト君くらいだろうから、とりあえずは気長に待つことにしよう。
午前七時
真崎君が動いた。
この時間に外に出るというのは健康的で結構だが、正直そんなタイプには見えない。
――というのはさすがに偏見を持ちすぎかな。ここは素直に、健康的な少年だと認識を改めよう。
通信のボタンを押して、神狩に話しかける。
「神狩、動きがあった。尾行を開始する」
「意外だな。休日にこんなに早く起きるタイプには見えなかった」
神狩も同じく偏見たっぷりな感想を返してきた。
「おいおい、人を見かけで判断するなよ。」
完全なる棚上げである。私も結構こういう所がある。まぁ、自分の反省が終わった後なんだから、同じ失敗を犯してしまった人に注意するのは当然の事だろう。
「……それは悪かった。尾行を続けてくれ」
「了解」
神狩は私の注意が気に食わなかったのか、少し不貞腐れたような声だった。かわいいなぁアイツは。
そんな事を考えながら、私は慎重に尾行を開始した。
付かず離れずの距離を保って後ろをついていく。
付かず離れずの、距離を。
――付かず離れずってこのくらいの距離でいいんだよな?
今の私の姿を見て「本当に刑事なのか」と疑った者もいるだろう。ならばここで、一つ告白をしようと思う。
実は私は、尾行というのはあまり手馴れてはいない。
基本的には放火事件が主な担当なため、尾行の機会自体があまりないのだ。
放火でも犯人を尾行する事はあるだろうって? 馬鹿言っちゃいけない。
放火事件なんて物はそもそもほとんど起こる犯罪じゃない。だから普段は過失による火災の捜査ばかりで、犯人を追う経験が少ないのだ。
ましてや私はまだ配属されて長くはない(年数は年齢がバレるので非公開だ)。だから本当にこの尾行というやつが苦手だ。
いや、だからといって素人に見つかるような御座なりなやり方はしないが。
つまり、何が言いたいかというと――
「……なにも、起きないな」
そう、暇なのだ。
捜査中に気を抜くなんてことは絶対にしない。
が、それでも。
何も変な行動を起こさない人間をひたすら眺めるのは、ただの拷問だ。
いや、待て。それはおかしいぞ。変な行動を、一切していない?
「――おかしい」
と、私は呟いた。もちろん声量は抑えてる。
何かに気づいた私は、改めて真崎君の動向を注視する。
「やっぱりだ」
明らかにおかしい。
私は神狩への無線をオンにして、小声で話しかけた。
「神狩、どう思う?」
「確かに、おかしいな」
アイツも気が付いたらしく、私が内容を話す前に返事をしてきた。どうやら私の感覚が操作されているわけではないようだ。
何がおかしいのか。
それは、真崎君の行動パターンだ。
家を出て左折してから、しばらく直進。その後、また左折して直進。しばらくして、再度左折して直進。この間、どこの建物にも入っていない。
怪しい行動が無いのも無理はない。彼はただ歩いているだけなのだ。
「何か目的地があるならともかく、彼はただ歩いたまま二度左折している。つまり方向で言えば最初にスタートした方向の逆方向に今進んでいるわけだ。無駄に遠回りをしている事になる」
私は一応、しっかりと補足しておいた。すると神狩は、
「まぁ、ウォーキングが目的って事もあるだろうが」
と、真崎君をフォローするようなことを言ってきた。
これは意外だ。このなんでも疑ってかかる頑固者の分からず屋が理解を示そうとするなんて。
「神狩、まさかお前マインドコントロールされてないか?」
「どういう意味だこの野郎」
鋭いツッコミが入った。よかった、正常だ。
ともかく気を取り直して、今度は真崎君の移動ルートをしっかりと地図で確認しながら尾行を続けることにした。
と、そんな所で。
「きゃああああ!」
遠くの方から女性の悲鳴が聞こえた。
尾行中の身だ。ここで飛び出すわけにはいかない。
だからせめて誰か他の人間が駆け付けられまいか、と神狩に無線を飛ばそうとしたその時、真崎君が悲鳴の方向に歩き出した。
よかった、これで私もそっちに向かう事が出来る。などと思いつつも違和感を感じる。
その違和感の正体は、真崎君の表情と、態度。
その顔は、明らかに悲鳴を聞いて助けに行く正義感溢れるものでは無かったし、彼はあんな悲鳴が聞こえたというのに、駆け付けるでもなく歩いて現場の方に向かっていたのだ。
――わからない。
私が警察という立場だからおかしいと思うのかもしれない。だが普通、悲鳴を聞いてあんなに無表情で、それもゆっくりと歩み寄るなんて事があるのだろうか。
しかし今は尾行中の身なので、彼のペースに合わせて、到着まで十分もかけてゆっくりと現場に向かう羽目になった。
そして、その現場で見たものとは。
「救急車! だれか救急車を!」
「この場合警察じゃない? どっち呼べばいいの?」
必死に叫んだり、うろたえている人達と、
「うぉえええええええ!」
その場に嘔吐したり、うずくまってしまっている女性と、
――血まみれで、地面に倒れている人の姿だった。
頭が沸騰する。
事件が起こったのでは、と考えてしまい、すぐに駆け寄りたくなってしまう。
しかし、現場を見れば明らかだった。
明らかにこれは、飛び降りだ。
血の飛び散り方、遺体の損傷具合。さらに、倒れているのが高層ビルの前ともなれば、誰だって――
「ん? ……今の、まさか」
一瞬だった。
ほんの一瞬、視界に動くものが見えただけだ。
しかし、なぜか私はそれで確信した。
ビルの屋上に人がいて、下を覗き込んでいたのだ、と。
「んのやろう!」
私は咄嗟に飛び出して、ビルの中に入っていった。
真崎君の尾行よりも、殺人犯かもしれない人間を取り逃さないようにする方が優先だ。
この行動は神狩も見ている筈だが、何も言ってこないという事は神狩も同じ事を考えているのだろう。
とにかく全力で階段を駆け上り、ビルの屋上の扉を蹴破った。
「動くな!!」
あらん限りの声量で叫び、拳銃を突きつける。
都合の良い事にその人物はまだ屋上に残っていた。
「ひ、ひいいいいい!」
と、そいつは情けない声を上げて両手を挙げた。
様子がおかしいな。これはビンゴか。
「ここから人を突き落したのはお前か?」
一応、慎重に声をかける。
その間も私はドアを背に向ける形で立ち、退路を断っている。
「ち、違います! 俺はたまたま屋上に居ただけで……、突然人が来てフェンスを乗り越えるもんだから、声をかけたんです! なのにあの人、目もくれずにそのまま飛び降りてしまって――うぅっ!」
そこまで言って、そいつは泣き崩れた。言っている事が本当なら、目の前で起こった自殺を止められなかったという事だ。無理もないだろう。
「あー、そうか。すまない。目撃者の方か」
少しだけ、本当に少しだけ気を緩めて拳銃をおろし、近づいていく。
手の届く距離まで近づいたところで、そいつは急に口角を上げ、
「くたばれええええ!」
と、懐からナイフを取り出して私を刺そうと突進してきた。
しかし、私も刑事の端くれだ。
こんなナイフで虚を突かれるほど油断はしないし、こんなものでやられる私でもない。
私は、そいつのナイフを半身で避け、その回転の勢いのまま腕を掴んで捻り上げ、ナイフを取り上げた。
「まぁ、そんな事だろうと思ったよ」
そう言いながら、ついでにその場に組み伏せ、逆にナイフを突き立ててやった。
もちろんこれで相手を切ったりはしない。ただの脅しだ。
「さぁ、この場で死ぬか署まで付き合うか、選んでもらうぞ☆」
笑顔で、敢えて楽しそうに。
こういう言い方の方が、相手に誠意は伝わるもんだ。
同日 同時刻 ―真崎 定理―
僕は上機嫌だった。
こんなに上手くいくなんて思わなかった。
なんで最初からこうしてなかったんだろう?
そんな事を考えながら、とにかく上機嫌で家に辿りついた。
遡る事今朝の話。『法を犯した者は、自殺しなければならない』というルールを作ってから一晩経ったというのに、ニュースを見ても自殺なんて単語が全く出てこないから少し不安だった。
でもすぐにルールの有効範囲の事を思い出し、範囲内に犯罪者が居ないだけだと考えた。
そこで僕は、ルートを定めて街を徘徊することに決めた。
なるべくルールの有効範囲に多くの人が入るよう、計算しながら。
その結果、見事に自殺の現場を見かける事が出来た。
僕が近づいてから現場で悲鳴が聞こえたので、あの人は間違いなくルールに抵触したんだと思う。
つまり、犯罪者だ。
僕は自分の作ったルールで、犯罪者を一人、減らすことに成功したわけだ。
自分の功績を心の中で称えながら自宅のリビングに辿りつくと、そこでは母さんが煎餅をかじりながらテレビを見ていた。
なんとなくテレビを一瞥してから二階に上がろうとすると、「陽菜町」の文字が見えて僕は足を止めて流れている内容を見つめた。
「定理、帰ったの?」
母さんのそんな言葉も全く耳に入らずに、僕は母さんのその向こうにあるテレビにくぎ付けになった。
『昨晩、陽菜町で起こった集団自殺事件の現場に来ております』
ああ、そうか。やっぱりちゃんと動いていたのか。
今朝テレビで確認した限りではニュースになってなかったけど、報道されるまでにタイムラグがあっただけみたいだ。
これなら、いける。
「……定理?」
母さんが心配そうな目を向ける。
でも、そんな事にかまっていられない。
僕はついに、世界を変えるルールを作る事に成功したんだ。
初めての高揚感に無意識に口角が上がる。心臓が高鳴る。
ざまぁみろ、犯罪者共。
見たか、カミサマ。
ついに僕はやってやった。やり遂げた。
これ以上にない手応えを感じ、僕は感情のままに二階への階段を駆け上がって自分の部屋に入った。
「はは、ははははははは! やった! 遂にやってやったぞ! あははははははは!」
ついつい大声を上げてしまう。
後は簡単だ。これから毎日街を一周するだけで、犯罪者をこの街から消せる。
僕は成し遂げた。これが、世界を変えるルールだ!
同日 午後一時三十分 ―清水 明梨―
「まったく、なんなんだよ……」
署の廊下を力なく歩きながら、私はそんな風にぼやいていた。
結局真崎君は見失ってしまったし、なによりさっき捕まえた男が問題だ。
取り調べの時の男の言葉を鮮明に思い出して、さらに嫌気がさす。
『いやぁー、刑事さん。こんな物で人は刺せないでしょう? ちょっとふざけただけですってば。本気になっちゃうんだもんなー』
そう、あの時男が私に付きつけてきたナイフは、見た目こそ精巧に作られていたが、切っ先を押したら刃が鞘の中に納まるようになっているタイプの玩具のナイフだった。
しかも――
『屋上で言ったことも本当ですって。調べればわかるんでしょう? あれはただの自殺で、私はそれを見かけただけの善意の第三者ですって』
――とか抜かしやがった。
更には鑑識からの報告によると、自筆の遺書も見つかっており、遺体の状態から見ても自殺で間違いないのだそうだ。
それでも公務執行妨害には違いないから逮捕手続きはしておいたが、これじゃあ真崎君を見失っただけのとんだ失態だ。
それをそのまま神狩に伝えるのはなんとなく癪なので、少し頭を冷やそうと署内の休憩室に向かっている現状だ。
「あー、くそ。運が無いなぁ……」
休憩室でアイスコーヒーを買い、ソファに体を埋める。
こんなに空回りしたのはいつ振りだろうか。
さっきのヤツもマインドコントロールされてるわけでも無さそうだったしな。
被害者に一様にみられる「動機の忘却」も無いって言うんだからそう判断するしかない。
「ホント、神狩に悪いことしたな。あいつの依頼をしくじるなんて初めてだし……」
「そうだな、珍しい事もあるもんだ」
「反省してるよー……って、ええ!?」
あまりにも自然と話しかけられたから普通に返事をしてしまったけど、目の前に神狩が立っていた。
なんでここにいるんだ。っていうか弱ってる所を見られた。恥ずかしい。無かった事にしたい。いや、するしかない。
「――記憶を失えぇ!」
「うおっ! 危ないな何するんだ!」
思い切り殴りかかってみたが、さすがに正面からの感情任せの攻撃は通用しなかった。
「なんで殴られてくれないんだよ! いいから記憶を失ってくれ!」
一撃でダメなら二撃、三撃と、次々拳を繰り出した。
私は完全に冷静じゃいられなくなっていた。
殴って本当に記憶を失うなんて思ってない。ただもうひたすら照れ隠しで殴りかかっているだけだ。
「殴られて、たまるか!」
全ての攻撃を躱され、数えて六撃目の拳を神狩に掴まれる。
何するんだよ。掴まれたら殴れないだろ。
「離せよぅ……こっち見るな……」
私はいつの間にか涙目になっていた。
だって、恥ずかしいから。
こいつとは新人研修時代からの付き合いで、その時から私は決してこいつに弱みを見せる事はなかった。
それどころか、この生き方下手な男の面倒を私が見てやらなきゃならないと思っていた。
――だから私は、こいつの依頼に失敗するわけにはいかなかったんだ。
「はぁ……、全く。面倒な奴だな。ほら、これ使え」
そう言って神狩はポケットティッシュを渡してきた。
面倒とか言うなよ。仮にも女に対して。
「とりあえず俺は外に居るから、落ち着いたら出てこい。それと、今俺は考え事をしていたから何も見ていないし何も覚えてない。だから、早くいつものお前に戻れ」
それだけ言い残して、神狩は踵を返して外に向かった。
これがこいつなりの優しさなんだろう。わかってる。私には全部、伝わっている。
「……そういうの、相手によっては口説き文句になるぞ」
去りゆく背中に強がりを吐いてから、私も後ろを向いて涙を拭いた。
すぐにでも、元の私に戻ってやるさ。
同日 同時刻 ― 一瀬 彩女 ―
見つけた。
でもあの女は昨日定理君と街を徘徊した時には見なかった顔だ。
あれだけ警戒していて、一瞬も顔が見えないなんて事は無い筈だから、尾行は複数ついていると見て間違いないと思う。
ローテーションなのか、たまたま交代したのか。
いずれにしても一人でも顔が割れたのは大きい。
「清水明梨……刑事か。げげ、結構エリートじゃん。失踪とかはさすがに無理があるなぁ」
物騒な独り言を言いながら情報を頭に叩き込む。
こんな事もあろうかと、警察のコンピュータには簡単に侵入出来るようにルートを確立してある。そのための技術は、以前お父さんに雇ってもらったハッカーに教えてもらった。
さてと、この女をどうやって定理君から遠ざけようか。
「いや、でもまずは身辺調査かなぁ。神狩って名前はもう分かったし、他の捜査員の事もうっかり喋ってくれないかなぁ……」
盗聴器からの音声を拾いながら、私は更に神狩なる人物のデータを調べ始めた。
「お、あったあった。神狩司――謹慎中? なるほど。表に出せない調査でもしてるのかな? 定理君の尾行にはうってつけって事かしらん」
そのまま神狩とかいう刑事の情報もまとめ上げる。
なんだか少しだけ楽しくなってきた。
だめだめ、こんな事じゃ。定理君を守るためなんだから、真面目にやらないと。
私はそのまま、定理君を脅かす「敵」の調査を続けた。
もう二度と、定理君を傷つけたりしない。
定理君を脅かす存在も、決して許さない。
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