第十一章 フツウ ―真崎 定理―
十月十四日 午後二時
病院で強盗事件に巻き込まれてから、二日。僕は無事に退院することが出来た。
母親は都合が悪くて来られないとかで、今は歩いて家に向かっている最中だ。
退院間際に白久保先生が、「学校には、もう少し元気になってから行きなさい」と言ってくれた。どっちみち明日は土曜日なわけだけど、僕が落ち込んでる様に見えたからそんな事を言ってくれたんだと思う。
落ち込むわけないじゃないか。あんなに素晴らしい発見があったっていうのに。
でも僕は、周りにあまり悟られたくないから落ち込んでる振りをした。我ながら、こんな事を考えている人間は危険だと思うから。
なにせ、ルールを使って犯罪者を殺していこうと言うのだ。僕が第三者なら止める。
だけどそれは相手が人間なら、って話だ。僕は神に選ばれた時点でただの人間ではない筈だ。
大体、世界を変える様なルールを作らなくちゃいけないんだ。倫理観なんて持ってたら、そんな事が出来るわけないじゃないか。
――だから、僕はやる。
――人を、殺してみせる。
ただ、それには一つだけ懸念事項がある。病院で巻き込まれた強盗事件の日に、僕に話しかけてきた刑事の事だ。
当時は全く思い出せなかったけど、後になって思い出した。あれは御室神社でストラップを貰った帰りに会った……、たしか「かがり」とか言う刑事だ。変な名前だからなんとなく記憶の片隅に残っていた。それすらも、ここ数日色々ありすぎてすっかり忘れてたけど。
あいつは確か僕を疑ってる。宗教団体ゴッドの事件の関係者として。
そういえばあの事件も、この「ルールの力」に関係していたのだろうか。一人の人間による集団のマインドコントロール……ルールの「お試し期間」に似たものを感じる。
だとすれば今度は本当に関係者になってしまったってわけだ。なるべく大人しくしていた方が無難だろう。
そう考えながら僕は、実家の玄関のドアを開けた。
「やっほー定理君。ひっさしぶりぃ!」
ドアを閉めた。
表札を確認。間違いなく僕の家だ。真崎家だ。僕ん家だ。というか自分の家を間違えようがない。家の中からは彩女が「なんで閉めちゃうのさー」なんて言ってる。
仕方ない、現実を受け入れるか。僕は渋々再びドアを開け、玄関に入った。
「あんまりつれないと、さすがの私も傷ついちゃうよ?」
「いや、なんでウチに彩女が居るんだよ……」
「ちょっと定理君が心配だったもので♪」
「心配してる割りに語尾が楽しそうだけど!?」
「だって、何気に定理君の家に入るの初めてなんだもん私! そりゃテンションも上がるってもんだよ!」
そりゃそうだ。入れた事ないもの。
彩女とは長い付き合いだけど、両親に変な勘繰りをされたくないので、今まで家の中に彩女を入れた事はなかった。それがなぜ今、勝手に入っているんだ。
「ちなみに御両親はご不在ですよん」
「なんで!? いろいろなんで!?」
「さっきまでおばさんは居たんだけど、町内会の会合とかで出て行ったの。留守任されちゃった♪」
「不用心だな母さん!」
と言う事は何か? ウチの母親は、見たことも無い人間を「定理君の友達です」なんて言葉だけで信用し、家に上げ、僕を待たせただけでなく留守まで任せたと?
「んー、なんかね。色々話してたら最終的に『定理を頼むわね』なんて言われちゃった。誤解されてたらどうしよう、あはは」
「それ完全に誤解されてるよね!? 否定しろよ!」
「それがさ、なんか暗い雰囲気だったから……。定理君、おばさんと何かあったの?」
「それは……」
その件については、触れられたくない。
現在、僕と両親はちょっとした絶縁状態だ。最低限の会話しか交わさないし、母親に至ってはなるべく僕を怒らせないように行動しているのが丸わかりだ。病院にだって、着替えを渡しに来て一言二言話したらすぐに帰ってしまうような状態だった。
両親に対して怒った事がない僕が珍しく逆上し、その数日後に暴力沙汰で入院となれば、さぞ扱いにくく思っていることだろう。
僕は「なんでもないよ」と適当な返事をした。彩女も僕が言いにくそうにしているのを察してくれたようで、それ以上何も言わず。「あ、そういえば」と話を切り替えた。
「病院で強盗事件があったんだよね? 定理君は巻き込まれなかったの?」
「……巻き込まれた」
「やっぱり! なんか最近事件に巻き込まれてばっかりだね」
「そうなんだ、だからなるべく――」
「じゃあ、息抜き!」
そっとしておいてくれ――と言おうとした瞬間、彩女は僕の腕を引いて外に駆け出した。
「ちょ、待てって! 少しくらい休ませて――」
「問答無用ー♪」
そういえば先月の放火事件の時もそうだった。こいつはいつも、嫌な事があるとこうして僕を連れまわすんだ。正直遊ぶ気分じゃないけど、これが最後になるかもしれないんだ。このまま彩女に付き合うとするか。
同日 午後九時
その日は結局、夜まで振り回される事になった。途中で相原と合流したのが運のつき(示し合わせたようなタイミングだったから、多分示し合わせてる)、普段よりも全力で遊んでいた気がする。
一応、入院中に邪険に扱ってしまった事に触れてみたけど、二人ともあまり気にしていなかったらしい。
「テーリのあれはいつも通りだろ」
「うんうん、たまにあんな感じになるよね」
といった感じで(これはこれで心外なのだが)、あっさり許してくれた。何度も言うが、いい友達を持ったものだ。
でもそれだけに、かなりやりにくかった。二人がいい奴過ぎて、悪人を殺すルールを作ろうとしている自分が後ろめたくて、全く楽しいと思えなかった自分がいる。
ただ、今日という一日を何事も無く過ごせた事実は大きい。仮に僕に何らかの捜査が及んでいたとしても、今日は本当に何も怪しい事はしていない。
現在、夜九時。もう警戒を解いていい頃だろう。
メールを打つのに喋る必要はない。万が一この部屋に盗聴器が仕掛けられていたとしても、メールの内容を知ることは出来ない筈だ。
カメラが仕掛けられていたらアウトだけど、そもそも警察の捜査で、一個人の部屋に盗聴器やカメラを仕掛けるなんて聞いたことが無い。
そこまでするのは、もう逮捕出来るくらい証拠が揃った相手とかじゃないと無理なんじゃないだろうか。それならもう逮捕したほうが早いだろう。
念のため窓の方に画面を向けないように注意しながら。携帯を開いてメールを起動する。
実は、ルールはもう決めてある。確実に一人になれるタイミングを探していただけだ。
『法を犯した者は、自殺しなければならない』
これだ。これなら大丈夫なはずだ。
路地裏で僕をボコボコにしたチンピラは、「人間なんてやめている」と言った。もしもこのルールってヤツがそんな言い訳でどうにかなる物だとしても、これなら問題ない。
強盗を禁止する法律がある事も、暴行を禁止する法律がある事も、殺人を禁止する法律がある事も、そんな事は誰でも知っている。知っている以上、解釈の問題でどうにかなる物ではない筈だ。
「神様」宛てのメールにその文章を打ち込み、送信ボタンを押す。
数瞬後に、耳鳴りが。この音もあと何回聞かなければならないんだろう。
でも、とりあえずはこれで――
「これで明日の陽菜町は、大騒ぎになるはずだ。」
おっと。口に出てた。それに、なぜか顔がニヤけてる。
ああ、うん。ここまで来て取り繕わなくて良いだろう、僕。もう認めてしまえ。
当然、安心感もある。これ以上ない完璧なルールに、達成感が芽生えたというのもある。
だけど違うんだ。僕は昔から、今も変わらず。こんな非日常を求めていたんだ。
普通である事は大切だ。普通でない者は世間から拒絶されるから。だから普通を演じた。可能な限りその「普通」とやらになりきった。
ルールによって「普通」の概念が崩れれば――これでようやく、普通を演じる必要が無くなるわけだ。
同日 同時刻 ― 一瀬 彩女 ―
「お父さん、いる?」
父の書斎をノックしてから、私は中に居るであろう父に語りかけた。
「どうした? 何か用か?」
ぶっきらぼうな父の声が書斎の中から響く。決して優しい声ではない。娘にかける様な声色じゃない。でも、そんなものはいつも通りだ。
「あのね、またお願いがあるの」
私はドアも開けずに続きを話す。開けると怒るから。書斎の空気が変わるとかなんとか。そんな事は知ったことではないが、私も図々しいお願いを何度もしているので、文句を言う資格は無い。
「またか。なるべく予算は守ってくれよ」
いつもと同じ台詞。この人は、何をするのにもお金の事しか考えていない。
まず、娘に興味が無い。子育ては完全に家のメイドにまかせっきり。でも世間体は守りたいから、こうしてお願いをすれば予算内なら聞いてくれるし、外に出た時は普通の親子みたいな態度をとる。私はその時の父が大嫌いなのだけれど、そういった面を逆に利用してやろうと、もうずっと前から決めている。
学校の友達が○○を買って貰った、みたいな話を持ちかければ、金銭感覚の狂ったこの人はどんどん「子育て予算」を増やしてくれる。
そうして膨れ上がった予算内で、私は図々しく「お願い」をする。
私たちの関係はそれが普通なのだ。
そして私は、何度目になるか分からない「お願い」をする。ここ数年、その枕詞はいつも同じだ。
「定理君を守りたいの」
ここからが難しい。先の事も考えて、予算は慎重に使わなければならないから、なるべくお金のかからない方法でやらなければならない。
でも、何が何でもやりきる。もうあんな思いはたくさんだ。
――定理君は、私が守る。
同日 午後十一時 ―神狩 司―
いつもの捜査部屋でいつも通りにインスタントコーヒーを啜る。決して美味いとは言えないが、カフェイン摂取のための手段でしかないのでどうでもいい。
「で、どうだった藤崎?」
俺が問い掛けたのは、尾行を終えて帰ってきた藤崎に対してだ。自宅で本人の部屋の明かりが消えたため、これ以上は必要なしと判断して俺が戻って来させた。
モニターで映像は見ているから、何をしていたかは大体わかっている。彼は退院したてで友人と遊び回っていた。
だから、俺が聞きたいのはそんな事ではなく、藤崎が「どう思ったか」だ。
「退院してすぐに遊びに行くとは少し意外でした。それほど活発には見えませんでしたから。逆に、彼を連れていた少女はすごく活発なようで、渋々付き合っていたようにも見えましたね。途中で合流した少年もなんだか飄々とした感じで……失礼ながら少し不釣り合いだと思いました。真崎君は終始どこか他人事の様でしたし」
藤崎が率直な感想を口にする。このやり取りは毎度行っているのだ。
もしもマインドコントロールにかかってしまった場合、その人間の感覚がズレる。だから感想を聞くことが何よりも大事なのだ。
「そうだな、他には無いか?」
「ある事にはありますが……その……」
藤崎が言葉を濁す。なんだか言いにくそうだが、言って貰わねばならん。
「なんだ? どうでもいい様な細かい事でも報告してくれ。どうでもいいと思わされている可能性もあるからな」
その俺の言葉に、なおも言いにくそうに藤崎が口を開いた。
「……最近の女子高生って、スカート短すぎませんか?」
「何歳だお前は」
思わずツッコミを入れてしまう。
何かと思ったらそんな事か。どうでもいいにも程がある。
「だから迷ったんじゃないですか! 言えと言ったのは神狩刑事ですよ!?」
「確かにそうだが、まさかそんな事が気になっているとは思わないだろう。しかも職務中に」
藤崎にはたまにこういう一面がある。若さゆえと言ってしまえばそれまでだが、俺の感覚の方がおかしいのかと思うこともある。
まぁ、今回はまさにその感覚が大事な捜査だから、あまり邪険にするべきではないのだろうが。
すると、急に藤崎が真面目な顔になって、「でも、気を付けた方がいいかも知れません」と言い出した。
「どういう事だ?」
「いえ、スカートがどうとか言ったのも、その少女がやけに周りを警戒していたからなんです。気になって注視していたもので」
いやスカートの話はお前の性癖だろう、と言いたかったが、真面目に話しているので水を差すのはやめておく。
「警戒とは具体的にどういう仕草だ?」
「まず、その少女は積極的に自分からの死角が少ない場所を選んで歩いていました。途中で立ち寄った喫茶店でも端の方の席をわざわざ選んでいましたし、何度か不自然にならない様に周囲を見渡していました。偶然にしては少し出来すぎかと」
確かにそれは気になる話だと思う。だが、その位の年頃ならば無意味にそういう行為をしてもおかしくは無いのではないだろうか。
「実際にかなり尾行は困難でした。隠れる場所が無いような場面もあったので、通行人の振りなどをして監視をしました。その際、一度だけ姿を見られています」
見られている、と断言できるという事は本当に見られたのだろう。一度ならば不自然に思われたりもしないだろうが、念を入れておいた方が良さそうだな。
「そうか。では念のため、その少女には警戒しておこう。そして他の者と交代で真崎君を尾行するようにするんだ」
「了解です――って、真崎君は連日尾行するんですか?」
藤崎が不思議そうにしている。当初の話では尾行は一人につき一日と決めていたからだ。
「ああ。真崎君は犯人あるいは被害者である可能性が高い。それに、ここ数日『おかしな事』の報告も上がってこないんだ。少し考えを改める」
ゴッドの件は一筋縄ではいかない。普通の捜査じゃ駄目なんだ。捜査方針も次々変える。
そう決意を新たにし、藤崎と翌日の具体的な打ち合わせを開始した。
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