第十章 容疑者  ―神狩 司―

 十月十二日 午前八時


 カザナミデパートの事件から、もう一月近くが経った。あの時見た映像で、捜査は少しは進歩したと確信できる。

 だが、俺の状況は一月前と何一つ変わっていなかった。

 具体的に言うと、俺は未だに画面を凝視する作業に没頭していた。当然、こうなったのにも理由がある。俺以外にこの作業の適任が居なかったからだ。


 ここまで聞くと同じ映像をいつまでも見ていたかの様に聞こえるかもしれないが、今見ているのはカザナミデパートの映像ではなく、一人の男の映像だ。

 正確に言うと、それぞれ別の人物が写った映像を六種類、六台の画面で同時に確認している。


「さすがにこれは俺でも疲れるんだがな……」


 弱音を吐くような独り言を言ってみるが、周りには誰も居ない。すると、画面の向こうから声が聞こえた。それは映像に写っている男の声ではなく、藤崎の声だった。ちなみに俺の独り言に返答するようなタイミングだったのはただの偶然だ。


「神狩刑事。ご覧になっているとは思いますが、自分から見て特に不審な点はありません」


 その声に答えるために、俺は目の前に置いてあるマイクの、六つのボタンのうち一つを押してから言った。


「ああ、大丈夫だ。俺から見ても不審な点は無い」


「了解です。では尾行を続けます」


 藤崎は短くそう答えると、再び喋らなくなった。

 端から聞けば今の会話は不自然かもしれない。だが、この事件を追うならばこの体制が一番だと考えたのだ。

 その話をしたのは今から一月ほど前、カザナミデパートの映像のチェックを終えた朝にまで遡る。




 俺達は休憩の意味も兼ね、とりあえず適当なファミレスに入り、軽食をとりながら情報を確認し合う事にした。


「えっと、まず自分の確認した映像から報告します」


 そう言って藤崎は、手書きのメモを俺に見せた。


「……字、汚いな」


「それについては返す言葉もありません……」


 藤崎のメモは、なんというか筆舌に尽くしがたい字で書いてあった。読めないこともないけど読ませる気がない様な、そんな字だった。


「いや、これでも自分なりに綺麗に書いているつもりなんですが、どうも昔から綺麗な字だけは書けないんです……」


「……まぁ、それはいい。報告を始めてくれ」


 字の綺麗下手は捜査とは関係ないからな。


「あ、はい。三階西側中央向きの監視カメラ二台、四階中央東向きのカメラ一台の計三台ですが、まず不審な行動をしている人物は見当たりませんでした。次に、神狩刑事の言っていた『怪しい人物』に該当する者なんですが、該当者は十六名です」


「十六人か。まぁ、少ない方だな」


 俺が正直な感想を言うと、藤崎は少し訝しげな表情をした。疑問を持ったまま捜査を進められるわけにはいかないので、俺は率直に聞く事にした。


「なんだ、何か気になることでもあるのか?」


「それはありますよ。というか――」


 藤崎が何かを言いかけた時、店員が料理を運んできた。その瞬間に藤崎は口をつぐんでしまう。あまりこういう話は一般人には聞かれない方がいいのは確かなので、懸命な判断だと思う。

 店員が去った後、藤崎は料理を一瞥してから話を切り出した。


「神狩刑事」


「なんだ?」


「とりあえず、これ食べてからでもよろしいでしょうか」


 おい、なんだ。じゃあ今お前が口をつぐんだのは情報漏えいの心配とかそういう話ではなく、運ばれてきた料理に夢中になったからというだけなのか。

 少し呆れたが、まあ無理もないだろう。そもそも本体は徹夜で作業していた藤崎を労うためにここに来たのだし、そこには目を瞑ってやる事にした。


「ああ、食ってからでいい」


「いただきます!」


 行動がものすごく早かった。俺が言い終わるか終わらないかのタイミングでの「いただきます」だったし、それすら言い終わる前に藤崎は目の前の料理にがっついていた。なんか藤崎の性格がおかしくなっているのは気のせいだろうか。

 俺も腹は減っていたので、藤崎に習って朝食を食べる事にした。


「ごちそうさまでした!」


 食い終わるのも早かった。いや、おかしいだろう。藤崎は朝っぱらだというのにライス、味噌汁、サラダ付きのハンバーグ定食(そんな物を朝からメニューに表示するなと言いたい)を頼んでいたのだ。対して俺が頼んだのはサンドイッチのみだ。なのになぜ食い終わるのが同時なのだ。


「お前……どういう食い方したらそんな速度で食えるんだ?」


「無駄な時間はなるべく省きたい主義なので」


「答えになってねぇよ」


 しまった。俺としたことがまた突っ込んでしまった。藤崎は満足そうに嘆息してから、「それでは」と言って話の続きから入った。


「先ほどの続きですが……どういうつもりですか?」


「質問の意味が分からないな」


 さっきの話の続きで、いきなりどういうつもりと言われてもな。俺は何もおかしい事はしていないつもりだが。


「いえ、神狩刑事の提示した条件ですよ」


「ああ、『怪しい奴』の条件か?」


「その通りです。藍前寺から聞き出した情報では、犯人と思しき人物は『メガネをかけた学生で、陰気そうな男』との事でしたよね?」


「そうだな」


 その通りだ。俺達はそれを聞いて、その条件に当てはまる人物を監視カメラから探したのだ。


「しかし神狩刑事は、『陰気そうに見える』『十代半ばから二十代前半』『メガネをかけている』の一つでも当てはまる人物を挙げろと言ったではないですか。対象をそんなに広げてしまえば、容疑者が増える一方ですよ」


 そう、俺が提示したのはそういう条件だった。しかし俺は別にいたずらに容疑者を増やそうとしたわけでも、藤崎に嫌がらせをしたかった訳でもないのだ。


「藤崎、よく考えてみろ。その情報を俺達に提供したのは藍前寺――つまり犯罪者で、俺達は奴を引き止める形で半ば強引に尋問した。そんな状況で、全て真実を話すとは俺には到底思えん。だが、あんなにスラスラと嘘を並べられるほど奴が狡猾だとも思えん。そこで、最低一つは真実が含まれていると考えたわけだ」


「だから一つでも該当する人物ですか……。しかし、それでは神狩刑事の方はかなりの数の容疑者が居るのでは?」


 そう、問題はそれだ。今回藤崎には比較的人通りの少ない所の担当に回したのだが、それでも十六人。当然俺の方はもっと多い。


「そうだな。俺の方はこんな具合だ」


 俺は映像から得られた情報を適当にまとめた紙を藤崎に見せる。


「うわー……。どうやったら手書きでこんな綺麗な資料を作れるんですか?」


 なにやら藤崎が軽く引いていた。どうやっても何も、普通にまとめただけなんだが。


「映像見ながらパソコンなんぞ使ってられんしな。これが出来ると、このまま報告書に出来るから便利なんだ」


「そ、そうですか。それにしても――」


 藤崎は資料を手にとり、内容を確認しながら「神狩刑事の方は五十七人ですか……」と言った。


「そうだな。人が頻繁に出入りする玄関まで含めているんだから、これでも少ない方だろう。これで容疑者は今のところ七三人だ。それぞれの素性の調査だけでも二ヶ月はかかりそうだな。ははは」


「笑い事じゃないですよ!? もう少し、数を絞る事は――」


「出来ないな」


 即答した。これ以上絞って真犯人を容疑者から外してしまったらどうするというんだ。


「ですよね……。神狩刑事がそういう人間なのは承知の上なので、そこは諦めますよ。とにかく、そういう事なら早く身元調査を始めましょう。出来るだけ時間は短縮しないと」 


 そう言って藤崎は席を立とうとするが、俺はそれを制止する。


「待て。まだ話は終わってない。これからの調査では、お前には尾行を行なってもらう」


「尾行……ですか? 具体的には誰を?」


「全員だ」


「はい!?」


 藤崎が凄い顔で驚いていた。どうやったら出来るんだってくらいの顔芸だった。今度宴会の時にでもやらせてみよう。


「何か問題でもあったか?」


「問題だらけですよ! 少しでも早く犯人を見つけなきゃいけないのに、七十三人にそれぞれ容疑が晴れるまで尾行してたら、一年以上はかかってしまいますよ!?」


 大げさな手振りをつけながら藤崎は抗議した。

 普通はそういうリアクションをするだろうな。だからそれに対する返答は既に用意してある。


「それなら問題ない。尾行をするのは一日だけで良い」


 俺の言葉に、藤崎は呆れたような顔を浮かべて言い返してきた。


「一日でクロかシロかの判断はさすがに出来ませんよ」


 そう、普通はそんな事は不可能だ。だが、この犯人についてはそれだけで判断が出来る自信がある。


「可能だ。実は昨日、体が空いていそうな奴に声をかけて、とある調査を頼んだんだ」


「相変わらずの人望についてはもう突っ込みませんが、どんな調査を?」


 その言葉に答えるように俺はもう一つ資料を藤崎に見せた。


「これは新堂を特監行きにしてから今までの、陽菜町で起こった『不可解な出来事』をまとめたものだ」


「『出来事』とはまた妙な言い方をしますね」


 藤崎はその言い回しに引っかかるものがあったらしい。だが、俺は意味があって「事件」ではなく「出来事」と言ったのだ。


「まぁ、中身を見てみれば解る」


 俺がそう促すと、藤崎は言われるままに俺の資料に目を通した。


「……カザナミデパート全焼と鳳仙会の一斉検挙は解りますけど、なんですかこれ? 『教職員男性、なぜか朝に喋りたくなくなった』とか、『会社員男性、なぜか外に居る時に靴を脱いでしまった』とか……」


「さっきも言っただろう。『不可解な出来事』だよ」


 藤崎はそこで少し思案顔をして、何かを思いついたように言った。


「まさか、これもマインドコントロールによるものだと?」


「そのまさかだ。俺はそう思っている」


 そう言うと、藤崎は納得したように呟いた。


「確かに、『喋りたくなくなる』はまだしも、『外で靴を脱ぐ』なんて通常は有り得ませんよね。目的はさっぱり解りませんが」


「ああ。それに、それらの時間が重要だ。その二つの『不思議な出来事』は、カザナミデパートの全焼事件当日、つまり十三日の朝から夕方にかけて起こっている。そしてその後の『出来事』は次の日まで飛んで、鳳仙会の件だ」


 それぞれ資料を指差しながら説明する。藤崎は口を挟むべきではないと判断したのか、相槌だけ打ちながら聞いていた。


「俺はこの事から、十三日の段階では犯人はまだマインドコントロールを試している段階だったのではないかと考えた。そしてその結果、デパートを全焼させる程にマインドコントロールを扱う事が可能になった――とな」


「この『不可解な出来事』がマインドコントロールによるものだとすれば、その可能性はありますね」


 藤崎の言葉に、俺は「ああ」と言ってから答える。


「さらに、その次の日に鳳仙会などという大きな組織に手を出しているところを見ると、こいつはマインドコントロールを行なう事に対して全く躊躇がないという推測も立つ」


「確かに、普通はあんな大きな暴力団を敵に回すような真似はしたくないですよね……。なるほど、だから尾行は一日で十分なんですね」


 ここまできてようやく藤崎は全てを理解してくれた様だ。この捜査に関しては、完全な連携が取れていなければ成立しないからな。この工程は非常に重要だ。


「その通りだ。こいつの目的はわからんが、こんな奴が丸一日マインドコントロールをしない日があるとは考えにくいからな。……だが、これは全て俺の推測だ。推測を前提に推理をしているからどこかに綻びがあるかも知れん。気になることがあれば言ってくれ」


 そう言って俺は藤崎の返答を待った。藤崎は数秒考える素振りをしたが、すぐに「いえ、その線で捜査して問題ないと思います」と言った。


「そうか、ではそうしよう。まずは藤崎に尾行してもらう相手だが……」 


 そう言って俺はさらに別の資料を藤崎に見せた。藤崎はそれを受け取ると、またも驚いた顔をしていた。


「……これ、もしかして容疑者の?」


「そう、俺が見つけた『怪しい奴』の身辺調査報告書だ。と言ってもまだ三人分しか出来てないがな」


 藤崎に渡したのは、監視カメラから割り出した人物の、顔写真、職業、年齢から住所まで事細かに記してある調査書だ。三人分だけでも随分苦労したらしい。


「こんなもの、いつの間に用意してたんですか!? 神狩刑事はついさっきまで自分と第三資料室に閉じ篭ってましたよね!?」


「俺がトイレに行ったときに暇そうなヤツに依頼しておいて、ついさっきお前を朝食に誘う前にその資料を受け取ったんだ」


 藤崎はこっちに身を乗り出した体勢で、呆れと驚きを足した様な顔をして固まっていた。

 ――すると、その直後。

 俺は後ろから突如現れた人物に、唐突に暴力を振るわれる事になる。しかも思い切りグーで。


「痛てっ! 誰だ!?」


 そう言いながら俺はその打撃の正体を探ろうと後ろに振り向いた。いや、誰がやったかなどほぼ予測はついてはいるのだが。

 するとその打撃の正体が語り出す。


「だぁれが暇そうだったって? ああん?」


 なんと、その正体は俺が身辺調査を依頼した人物、すなわち清水だった。


「おい、いきなり殴るとはどういう――痛っ!」


 俺が抗議の台詞を言い終わらないうちに、清水は二撃目の拳を浴びせてきた。時々思うんだが、こいつ本当に女か? 暴力に躊躇が無さすぎだろう。


「ハァ……まったく。お前がどうしてもと頼むから協力してやったんだろうが。徹夜までしてこき使われた挙句、その言い草はさすがに切れるぞ」


 清水は拳を握り締め、「言葉次第ではさらに殴る」と目で語ってきた。というか、完全に睨んでいた。野獣の眼光だ。


「そうだな、すまなかった」


 素直に謝っておく事にした。清水は怒ると手を付けられなくなるからな。

 俺の謝罪を受け、「よろしい」などと偉そうに言いながら清水は空いている席に座った。


「それにしても清水刑事、よくこんな短時間でこんな詳細な身辺調査ができましたね」


 清水が落ち着いたのを確認してから、藤崎はそんな話を切り出した。どうやら早々に話を切り替えたかったらしい。


「ああ、そうか。確かに気になるよな。企業秘密って事にしてもいいんだが、お互いのためにもならんし教えておこう」


 清水は無駄にもったいぶって藤崎を焦らしてから、言った。


「私も少し手が空いていそうな奴に声をかけてね。神狩に貰ったリストに載っていた顔を見せて回ったんだ。すると、偶然『顔見知りが映っている』と言った奴が三人居てな。そいつらに頼んだら簡単に調査が進んだよ」


「なるほど、それは良い偶然でしたね。――それで今の話、秘密にする意味ありました?」


 藤崎は怪訝な目で清水を見ながらそう聞いた。

 そんな藤崎に、清水は力を込めて爽やかに答える。


「全く無いな! からかっただけだ!」


「…………」


 藤崎が口を開けたまま固まってしまった。俺はそんな藤崎に横から「諦めろ。こういう奴だ」と声をかける。こいつと付き合っていくなら、細かい事は気にしない精神が重要だ。

 そして全く悪ぶれる様子の無い清水が、「さて」と言って話を切り替えた。


「それはそうと神狩。そろそろ動かないか」


 横道に逸らしまくったお前が言うな、と思ったが俺も気を取り直す事にした。


「ああ、そうだな。では、軽く打ち合わせをしよう」


 俺がそう言うと、藤崎も姿勢を正して聞く体勢になった。仕事に対してはしっかりした男なのだ。


「まず藤崎はさっき言った通り、身辺調査が終わった者の尾行に着手してくれ。俺と清水は容疑者の身辺調査だ。ある程度の目処が立ったら俺達も尾行に参加する」


 藤崎は「了解しました」と言って立ち上がろうとした。すると清水が静止する。


「いや、ちょっと待ってくれ神狩。相手はマインドコントロールが出来るんだろ? 万が一、藤崎君がマインドコントロールを受けて、真犯人を逃してしまう可能性もあるんじゃないか?」


 そういえばその事を忘れていた。

 マインドコントロールへの対策をするのを、という事じゃない。その対策を藤崎に伝えるのを忘れていた。


「ああ、そうだったな。すまん藤崎、ちょっと待ってくれ。こいつを見て欲しい」


 そう言って俺は夜中の内に調達しておいた物を見せる。


「これは……」

「なるほど、カメラか」


 二人とも見ただけで納得したようだ。理解したなら俺の作業量がとんでもない事を少しは気にかけて欲しかったが、俺が言い出したことなので何も言う資格は無いのだった。




 そうして、現在俺は六つの画面の前に座っているというわけだ。つまり、捜査員にカメラを装着してもらい、捜査員の尾行相手を俺もチェックするという二重構造だ。

 今回の主犯も、さすがに遠くに居る顔も見えない相手までマインドコントロールする事は不可能だろうという考えだ。


 最初の頃は俺も容疑者の身辺調査を行なっていたので、リアルタイムに映像をチェックするのではなく、藤崎に撮影してもらった映像を後からチェックするという形式だった。だから昼間は身辺調査、夜は映像のチェックで寝る時間が無いほど忙しかった。


 だが、今は違う。

 今は容疑者七十三人の身辺調査を全て終え、俺以外の捜査員が尾行を行ない、俺がリアルタイムで映像を確認するという完全な体制がようやく整った。

 ちなみに尾行要員は藤崎・清水の他に、俺と清水が集めた警官四人を加えて六人だ。

 ――これならば、必ず尻尾を掴む事ができる。


 しかし、そんな俺の確信とは裏腹に、事態は全く関係の無い所から進行していく。

 時間にして午前十一時、尾行相手の動きも少なく、そろそろ昼飯をどうしようか考え始めていた時の事だった。携帯が鳴ったので画面表示を見ていると、佐々木警部からだった。さすがに上司の電話を無視するわけにもいかないので、藤崎たちに「すまん、少し電話する」と伝えてから電話に出た。

 すると、俺が一言発する前に、焦ったような佐々木警部の声が耳に飛び込んできた。


「よかった、繋がった! おい神狩君、手は空いているかね!?」


 その言葉に、俺は少しイラついた。佐々木警部は、わざわざ謹慎と言う体で俺にゴッドの事件を追わせてくれた張本人だ。ならば俺がゴッドの件の捜査をしている事くらいわかるだろう。俺は不満を隠さずそのまま声に出した。


「俺は謹慎じゃなかったんですか、警部?」


「いや、すまんがそれどころじゃなくなった! 強盗事件だ! 通報があったのだが、現場に行ける刑事が居ないんだ。 キミが忙しいのも解るが、今回だけ緊急で担当してくれ!」


 なるほど。人手が足りなくなったのか。それなら俺に電話してくるのも納得だ。捜査の腰を折られるのは納得できないが、俺は正式な仕事をしているわけではないからな。

 少し考えてから、渋々俺は佐々木警部に協力することにした。


「……わかりました、警部。今から現場に向かいますので、場所と事件の詳細を教えてください」


 そう言ってから、俺は話を聞きながら身支度を整えた。俺は最近ここで寝泊りしているため、起床したらそのまま監視に入ることが多いので、まともな格好をしていなかったのだ。我ながらこれはどうかと思うが。


「はい。……陽菜町立病院ですね。病院に強盗だなんて随分ふざけた奴らですね。ええ、車は自分で回します。五分で行くのでそのつもりで警官を配備しておいてください」


 そこで俺は電話を切った。そして、藤崎たちに通信するためのマイクに向き直り「急用が出来た。録画モードに変更する」と伝え、モニターの録画用機材の電源を入れた。

 清水は「事件か? 何か手伝おうか?」と言ってくれたが、そもそも担当外だし、尾行に専念してもらうためにも断った。



 陽菜町立病院は、町内最大規模の病院だ。「あの病院にはあらゆる医療機器が揃っている」という噂が立つほど設備が充実していて、病院自体もそこそこ儲かっているらしい。しかも病院となれば、当然病人や怪我人だらけなので人質の確保も容易だろう。

 だから、確かに強盗が狙ってもおかしくない場所ではある。……あるのだが。

 自分より弱い者しか居ない、などと言う理由で犯罪を犯すような輩は、ただの犯罪者よりも腹が立つ。


「――無事に朝日が拝めると思うなよ」


 現場に到着した俺は、感情に任せた独り言を呟いてから車を降りた。

 しかし、車を降りた途端、周りに終結していた突入部隊がなにやら騒がしくしている事に気がついた。


「神狩だ。佐々木警部の要請で駆け付けた」


「あ、神狩刑事! お待ちしておりました! 大変なんです!」


 指揮官が不在の状況は余程不安だったのだろう。焦った様子で警官の一人が話しかけてきた。大変なのは解っている、とは言わないでおこう。緊急事態らしいからな。


「犯人に全く動きなし! 拳銃も下ろしていて、直ぐにでも突入できます!」


「なに!?」


 だが、告げられたのは想像している様な事態ではなかった。全く状況が掴めない。こんな現場は初めてだ。それでも、やる事は一つだ。


「そんな状況なら俺の到着を待たず、さっさと突入して制圧しろ!」


「り、了解です! 突入、突入ーっ!」


 全く訳が解らんが、解る必要も無い。人質の安全が第一だ。

 号令と共に大勢の警官達が突入する。俺も後に続いて院内に入った。どうやら本当に犯人に抵抗の意思は無かったようで、制圧はあっという間に完了してしまった。


 主犯格と思しき男が、しきりに「仲間を撃っちまった」と呟いていたのが印象深かった。見ると、実際に強盗犯の一派らしき男が血を流して倒れていた。幸いな事にここは病院なので、応急手当は直ぐに行なってもらった。個人的には、死んでしまっても構わんのだが、さすがにそうはいかないだろう。

 とりあえず犯人の確保に関しては俺の出る幕は無さそうなので、人質になっていた人達を安心させようと思い、近付いた。


 しかし、そこで違和感を覚える。

 彼らは、警察の登場で皆一様に安心した表情を浮かべていた。中にはショックが強かったのか呆然としている人も居る。

 だが、その中でもどうもおかしい表情をしている者が居た。呆然としているのとも違う、安心しているわけでもない、どこか冷め切った様な表情を浮かべている者がいた。

 そして偶然にも、俺はその少年の名前を知っていた。


「真崎君……か?」


 記憶力には自信がある。だが、目の前の少年と神社で出会った少年が、どうしても同一人物とは思えなくて、少し自信が無い聞き方になってしまった。


「あ、はい。なんで僕の名前を?」


 そんな返答と共に向けられた顔は、やはりどこか冷め切っていて、こんな事件が起こった事にまるで興味がない様な、そんな表情だった。




 同日 午後四時


 陽菜町立病院での一件を終え、俺は再び捜査部屋に戻って来た。事件の事後処理も普段より早めに済ませ、足早にここに戻ってきた俺はあるファイルを捲っていた。

「容疑者一覧」と書かれたそのファイルは、俺と清水が纏めた容疑者の素性調査書だ。

 記憶には自信がある。流石にこのファイルの内容をすべて覚えているわけではないが、彼がここに載っていた事は覚えている。


 あった。これだ。

 俺はその人物が載ったページを開き、中の文章を改めて黙読した。

 真崎定理。十六歳。天月高校一年三組。――「学生」に該当。視力は悪いらしく、平時眼鏡を着用している。――「メガネをかけている」に該当。クラスの人間にとって彼はあまり印象に残る人間ではないらしい。――「陰気そう」に該当。条件が三つ重なった数少ない人物の内の一人。しかし、陰気な印象とは裏腹に、夜中に街を徘徊すると言った危険な行為も確認された。重要人物である可能性有。

 確認を終え、俺はそこに一文書き足す事にした。


「強盗事件に巻き込まれても不安げな表情を一切見せず。現状を把握していないのか、ゲームか何かで慣れてしまって危機感が無いのか。要観察」


 書き終えてファイルを閉じ、考える。

 誰にしようか。全ての容疑者に可能性はある。だから安易に現在の捜査を打ち切っていいわけではない。今捜査を打ち切って彼の尾行に回しても問題無さそうな人員は――


「藤崎、ちょっと話がある」


 俺はマイク越しに藤崎に話しかけた。


「なんでしょう? 手短にお願いします」


 藤崎も尾行しながらなので、相手を確認しながら声を抑えるので大変そうだった。ならば手短に言ってやろう。


「そいつの尾行を打ち切れ」


「……はい?」


 理解できない、と言った様子だ。尾行中でなければ大声でも出したかった気分だろうな。


「もう一度言う。尾行を打ち切れ。そして別の人物の尾行に取り掛かって欲しい」


 今度はちゃんと詳細に伝えた。これなら分かってくれるだろう。


「怪しい人物を見つけた、と言うことですね?」


 案の定、俺の意図を汲み取った藤崎が確信をついてくれた。だが、今回は少し的外れだ。


「いや、それは言い切れない。怪しいとも言えるが、危ういとも言える」


「危うい……ですか?」


 藤崎はよく解っていない様子だったので、説明してやることにした。

 彼には二つの可能性がある。まず一つは、被害者である可能性。これはつまり、ゴッド事件の主犯にマインドコントロールされているという可能性だ。

 今までの事件から推察するに、マインドコントロールを受けた人間に常識という観念は無くなるらしい。だからあの場に居て何の関心も示さない事にも納得できる。

 次に、加害者の可能性。つまり、彼こそが主犯である可能性だ。

 どちらの可能性も否定できないし、どちらでも無いかもしれない。ならば早めに尾行するに越した事はないだろう。


「わかりました。では、すぐに現在地を調べます」


「ああ、頼んだ。それと、彼については一日だけとはいかない。俺が問題なしと判断するまで尾行を頼む」


 ――こうして、真崎定理の尾行が始まった。

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