第九章 ワルモノ 

 十月十二日 午前十一時


 あれから二週間とちょっと。僕の体はもうかなり回復していた。白久保先生からも「あと少しで退院だね」と言われたし、実感としてもほとんど体に痛みは残っていなかった。


 でも、心の傷だけはいくら時間が経っても癒えなかった。

 ルールは作らなければならないし、作ったら作ったで誰かを傷つける事になる。悪人を止めようとするとこっちが怪我をするし、止めなければ別の被害者が出る。

 こんな八方塞がりの状態をどうしていいのか分からずに、僕は毎日のように悩み続けた。


 そんな状態で楽しい事など考えられないので、相原や彩女には『なるべくお見舞いには来ないで欲しい』とメールを送った。

 母親は頻繁に来るが、着替えや身の回りの世話を軽くしたらすぐに帰ってくれた。というか、僕が何を聞いても上の空なので諦めて帰っているみたいだ。ちなみに父親は全く来なかった。本当に息子の事はどうでもいいらしい。

 僕の心理状態については白久保先生も心配していたらしく、一度知り合いの心療内科の先生を紹介してくれたが、僕は頑としてそれを断った。医者に解決できるような問題じゃないからだ。


 そうして悩み続けるのに疲れたとき、僕はフラッと院内を散歩する。散歩については許可も貰っているから問題は無い。歩いている間は出来るだけ何も考えない様にしていたので、その時間だけが僕が唯一リラックスできる時間になっていた。

 今もこうして院内を散歩している最中だ。毎日のように散歩していたら特に目新しい物が無くなって来る。そんな時僕は受付の近くを通る事にしていた。


 色んな人が、色んな事情でこの病院にやってくる。だから普段とは違った景色が毎日見れるし、なぜか安心するのだ。

 もしかしたら僕は、それを見て「不幸なのは自分だけじゃない」と思いたいだけなのかもしれないけど。

 しかし、今日はその受付の様子が普段より大きく違った。というか、僕が通りかかったタイミングで、別物に変えられてしまったのだ。

 色んな事情の人が来るとは言っても、まさか病院にこんな事情の人間が紛れ込むとは思いもしなかった。

 その男はマスクとサングラスで顔を隠していて、突然鞄から拳銃を取り出し天井に向けて発砲した。


「全員! おとなしくしろ! 両手を頭に乗せて床に伏せるんだ!」


 突然響いた銃声と叫び声に、その場にいるほとんどの者が固まってしまった。

 するとまた別の男が拳銃を取り出し、周りの人間につきつけてこう叫んだ。


「早くしろ!」


 その場に居る全員が、身の安全を守るために男の言うとおりに床に伏せ、両手を頭に乗せた。当然、通りかかっただけの僕も例に漏れずそいつらに従った。

 なんなんだこれは。ルールはまだ『人間は暴力を振るってはいけない』になってるはずだ。くそっ! 強盗は暴力じゃないとでも言いたいのかこいつら!


「おい! てめえら受付は伏せなくていいんだよ。てめえらは金を用意する役だろーが。そんくらい言わなくても察しろやボケがぁ!」


「ひぃ! すっ、すみません!」


 男が受付の女の人を拳銃で脅し、鞄をカウンターの上に乱暴に放り投げた。


「とりあえず出せるだけの金をこのバッグに詰めろ。早く!」


「は、はい!」


 受付の女の人はすっかり怯えて言うとおりに動き出した。

 肝心の僕はと言うと、自分でも意外な事にあまり恐怖を感じていなかった。それよりも、こいつ等ワルモノに対する憎しみのほうが強かったからだ。


 ――お前らみたいな人間が居なければ、僕はこんな苦労する事は無かったのに。

 心の中で悪態をついてみても、このままじゃあ僕も無事で居られるかわからない。だからと言ってこの場にはこの状況をなんとか出来るような人間はいないだろう。なら僕が、なんとかルールを使ってこいつ等に一泡吹かせてやる事は出来ないだろうか。


 もう僕の中では、ルール作りに対する恐怖なんてどうでもよくなっていた。大抵の人はそれを無謀と言うだろう。でも僕にはヤクザ相手に一本とってやった経験がある。こんな小悪党くらいなんともないはずだ。

 それにはまず、現場の状況を整理する事からだ。

 犯人は合計三人。最初に拳銃を鳴らした男が主犯の様で、今受付の女の人に金を用意させている奴だ。残りの二人は僕ら人質に銃を向けながら、何かを二人で話していた。


「やっぱアイツの言う事はすげーよ。病院は非力な人間しか居ない上に金持ってるから好都合だなんて、普通思いつかないよな!」


「馬鹿、黙ってやがれ。肝心なのはここからだろうが」


 どうも一人頭の悪い奴が混ざってるらしい。なんとなく人数確保で扱いやすい奴を連れてきただけなのかもしれない。

 だったらそいつを利用する形で何とか出来ないだろうか。

 物は試しだ。最悪僕ならポケットにある携帯を手に取れば三秒もあればルールを作れる。その三秒さえ確保できればいいんだ。

 僕はとりあえず、思いつきで行動してみる事にした。もしかしたら一度大怪我したせいで行動が大胆になっているのかもしれない。


「あの……トイレ、行ってもいいですか?」


 おずおずと手を上げ、頭が悪い方の男に目線を合わせながらそう言った。多分、こういうタイプはこう言えば必ず――


「ああ!? お前今の状況分かってんのか!?」


 案の定、その男は僕の方まで歩いてきて、僕の胸倉を掴んで持ち上げた。やっぱこういうタイプは激情しやすいんだな。いつかのヤクザの一件が役に立ってくれた。


「あ、いえ……その……」


 僕は口籠る振りをする。ちなみに今、体を起こされた事にビックリしたという体で、さりげなく両手を下ろしている。


「なんだお前、急に大人しくなりやがって。ビビッて漏らしちまったか?」


 男はそういってゲラゲラと下品に笑い出した。

 ああもう、気持ち悪いな。

 そんな中、僕の右手は既にポケットの中の携帯を掴んでいて、持ち前のメールスキルで画面を見ずにメールを起動している。

 それから、今回のルールの内容をを打ち込み始めた。内容はこうだ。


『通報の邪魔は絶対にしてはいけない』


 絶対に、というのがポイントだ。ここ何日か考えて出した結論だけど、どういうルールにするか決め兼ねていたので中々使う機会がなかったものだ。

 あとは送信ボタンを押すだけ。これなら――


「おいてめぇ! 何やってやがる!」


 あと一歩のところで主犯の男に気付かれてしまう。

 ――しまった。そっちの男からの死角は考えるのを忘れていた。――まずい!

 男はすぐに拳銃をこちらに向け、引き金を引いた。それと同じタイミングで、僕も送信ボタンを押す。

 銃声と、その後に耳鳴りが響いた。先に銃声が聞こえたから、僕は撃たれたのだと思った。



 だけど不思議な事に、僕の体はなんとも無かった。それどころか胸倉を掴まれていた僕の体は開放され、されるがままになっていた僕の体は地面に倒れこんだ。

 そしてすぐに、僕の胸倉を掴んでいた男が僕の上に重なるように倒れこんでくる。


「なんで……俺が……」


 僕の上で男が苦しそうに声を上げた。見れば、男のわき腹から血がどくどくと流れていた。

 どうやら銃弾は、僕じゃなくてこいつに当たったらしい。


「お、おい! 大丈夫か!」


 主犯の男が慌ててこっちに駆けつけた。撃たれた男の体を持ち上げ、僕から引き離す。

 開放された僕がやる事は、唯一つだった。すぐに起き上がって、強盗に向かって言い放つ。


「あの、今から警察に通報するんで、邪魔しないでくださいね」


 あえて丁寧な口調で言ってから、僕は警察に連絡した。

 当然の様に、誰も僕を止めなかった。



 通報が終わり、犯人の方を見ると、主犯の男がこちらを睨みつけてきた。その後の行動は察しがつく。あくまでルールが有効なのは通報するまでだ。通報が終わったとなれば当然僕を狙うだろう。


「てめぇ……舐めた真似してくれたじゃねぇか……」


 男はそう言って拳銃をこちらに向けて構えてきた。

 だけどもう遅い。僕は既に次のルールを作り終えている。


『拳銃は絶対に撃ってはいけない』


 例外なんて一切認めない絶対のルールだ。男が拳銃を構えた時、僕は既に送信ボタンを押していた。

 数瞬後に耳鳴りがなる。男は拳銃のトリガーに指をかけたまま固まってしまった。

 そして男の表情が徐々に歪み始める。


「く……くそおおおおお! なんでだよ! なんでだ! どうしちまったって言うんだ!」


 男はパニックになっていた。その理由は大体察しがつく。

 あいつにとって、今の今まで僕は「仲間を酷い目に合わせた憎い奴」だったんだろう。いや、それは今も変わらないはずだ。

 そしてこいつは強盗なんて馬鹿げた真似をする輩だ。そういう奴なら「憎いやつは殺す」という単純な思考を持っているはずだ。殺すために必要な拳銃も手に持っている。


 だけど、撃てない。

 さっきまで撃つ体勢に入っていたにも拘らず、「なぜか分からないけど絶対に撃ちたくない」という感情が邪魔をして僕を撃つ事ができない。

 そりゃあ、混乱もするってもんだ。

 その時、主犯の男が僕にかまっている間に、撃たれた男を看ていたもう一人の男が口を開いた。


「お、おい氷室ひむろ……」


 氷室、とは主犯の男の名前の様だ。呼ばれて主犯の男は振り向いた。


「なんだよ! どうしたって――」


 振り向いてから、状況に気が付いたらしい。

 銃弾を受けた男はもう、目を閉じてピクリとも動かなくなっていた。

 主犯の男はすぐに駆け寄り、仲間の体を乱暴に揺すり出した。


「お、おい……嘘だろ!? 目を開けろよ……おい!!」


 そうか、死んだのかアイツ。

 僕の心は不思議と冷め切っていた。こんな状況で勝手に死んだ奴に、同情する気なんて微塵も起きなかったのだ。

 それは周りで強盗に怯えていた人質も同じらしく、その光景をどこか安心したような顔で見ていた。

 

 外からサイレンの音が聞こえる。どうやら警察が到着したらしい。

 強盗たちは仲間を失ったのがよほどショックだったらしく、呆然とその場に座り込み、逃げる様子も無かった。

 それから先は、あっという間だった。

 警察は内部の状況を確認するや否や、直ぐに突入して強盗の身柄を確保した。同時に、僕たち人質の方にも、安否の確認のため数人が駆け寄ってきた。

 そんな中でも僕は強盗の血を被っていたので、負傷者が出たのかと真っ先に話しかけられた。


 でも僕は他の事で頭がいっぱいだった。その場しのぎで適当な返事をしながら、全く違う事を考えていた。

 それは、ついさっきの事だ。

 以前から僕は人が死ぬたびに悩み、苦しんできたけど、さっきの僕は何も感じなかった。それどころか、どちらかというと嬉しかった。

 周りの人達も全員、強盗が死んだ事に安心したような顔を浮かべていた。

 あの男の死は、この場に居る全員にとって「良い事」だったんだ。


 ――ああ、そうか。そりゃあそうだ。

 僕だって常日頃から、ニュースで流れる様な非人道的な行いをした者には、「こいつは死刑だな」とか頭の中で考えていたじゃないか。

 そうだよ。何を迷っていたんだ。最初から答えは一つだったじゃないか。昔から、漫画のヒーローがやっているように。



 悪者は、殺せばいいんだ。

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