第七章 映像 ―神狩 司―
九月十四日 午前九時
「そういえば――」
放火事件の調査の翌日――無断で管轄外の調査をした事に関する始末書を書かされている時に、ふいに藤崎が話しかけてきた。
「清水刑事と神狩刑事って、喋り方が似てますよね」
「……は?」
意味不明な発言に思わず気の抜けた言い方になってしまった。こいつは何を言ってやがるんだ?
「いや、そのままの意味ですよ。端から聞いてたら同じ喋り方でしたよ?」
「そんなわけが無いだろう。気のせいだ」
本当に訳のわからない事を言う奴だ。しかし、考えてみれば昔からこんな話し方だったわけでは無い気がする。言われてみれば……新人研修のあたりからの……様な……
「気のせいだ」
もう一度同じ事を言って全部済ませることにした。この件について考えると俺の大切なものが失われる気がしたからだ。
「まぁ、神狩刑事がそう言うのであれば深入りはしませんけどね」
そう言って藤崎は作業に集中し始めた。俺は始末書を書きながら昨日の情報を頭の中で整理していたのだが、こいつが変な事を言ったせいで集中が途切れた。
まぁいい。そんな事を考えるのは後だ。今は昨日の事件の整理だ。
今回の件ではつまり、容疑者たちは事件のあった時間の直前に突然灯油を買い求め、そしてそれを「上納油だ」といってカザナミデパートに撒いたらしい(ちなみに容疑者たちの証言も清水に聞いておいた)。
という事はつまり、マインドコントロールは事件があった午後四時半頃に、ともすればもう少し前に、複数の人間に同時に行なわれたわけだ。
しかしここで不可解な点がある。例の「上納油」という謎の言葉だ。
これを、容疑者たちが知っていたのはまだ良いとして、なぜガソリンスタンドの店員まで知っていたのかと言う点だ。
灯油を撒きたかっただけならば、ガソリンスタンドの店員まで操る必要は無いはずだ。必要がないとすれば――不可抗力だとでも言うのだろうか。
――その可能性は十分にあるだろう。なぜなら今回の犯人は新堂ではないと考えられるからだ。だとすればまだそいつがマインドコントロールに慣れていない、という推測も立つ。
そうだ、その件については藤崎の意見も聞いてみよう。
「なぁ、藤崎」
「なんでしょう?」
「お前は今回の事件、どう思う?」
「……同じ手法でマインドコントロールが行なわれたのは間違いないと考えます。しかし、これは自分の推測なのですが……、犯人は新堂では無いと考えます」
そこまで推理できていたか。だが俺が意見を欲しいのはその先の話だ。
「なぜ、新堂ではないと思った?」
「まず第一に、今回の事件が『手紙による指令』では無いこと。ゴッドの事件は全て手紙の指示でしたからね。そして第二に……、これが一番大きいと思うのですが、新堂は地下牢に閉じ込められているからです」
「その通りだな。ではここで問題だ。新堂は本当にゴッドの教祖だったか否か」
そう、問題はそこだ。
仮に新堂が本当にゴッドの教祖だった場合、同じ手法でマインドコントロールを行なえる人物がもう一人居た事になる。
だが、ゴッドの件では新堂を別の人物が操っていたとすると、その人物は新堂の逮捕を受けて、あえて別の方法で指令を出した事になる。どちらにしろかなり厄介な話だ。
「……教祖は、新堂で間違いないと思います」
「ほう、その根拠は?」
「事件が収束した日から考えて、新堂は少なくとも丸二日以上は地下牢に閉じ込めている事になります。にも関わらず、新堂は相変わらず意味不明な事を言っている。これがマインドコントロールだとして、そんな長時間有効ならば、今まで逮捕したゴッド事件の主犯たちも『覚えていない』ではなく、『神の啓示だ』とか言わせておけば良いじゃないですか。わざわざ『動機だけ覚えてないことにする』メリットは無いはずです。メリットが無いなら、それを狙ったとは考えにくいです。なら、『動機の忘却』はむしろマインドコントロールが出来なくなった、あるいは正気に戻ったと考えられますので、マインドコントロールに長期性は無い。つまり、新堂はマインドコントロールを受けていないという考えです」
「うむ、俺も概ね同じ意見だ」
「概ね……ですか?」
「ああ。まぁ新堂が教祖だって事には疑問はねぇよ。だが、そうなってくると考えたくも無い可能性が浮かび上がって来るんだ」
「考えたくない可能性? それはどういった話ですか?」
「裏で糸を引いている奴が――マインドコントロールの手法を伝授している奴がいるかもしれないって事だ。しかも、新堂の話を信じるなら……それは神って事になる」
「そんなまさか……」
藤崎は信じられないと言う顔をしていたが、俺だってこんな事は考えたくも無い。あくまで可能性の話で、頭に留めておく程度でいいだろう。
仮にマインドコントロールの手法が伝授され、別の人間に渡るとしても、今回の事件さえ解決できれば次の犯人探しへの手がかりになるはずだ。
今はとにかく、この放火事件を引き起こした奴をとっ捕まえる事に専念しよう。
「――神狩君、藤崎君。私語が多いようだが、始末書は終わったのかな?」
さすがに私語が過ぎたらしく、佐々木警部からの遠まわしな叱責が飛んできた。ちなみに佐々木警部とは、俺が所属する部署の警部サマだ。個人的に、インテリぶった話し方が気に食わない。
「申し訳ない。今、始末書が完成したところです」
「ええ!? 神狩さん、もう終わったんですか!?」
「お前が喋っている間にな」
そう藤崎に言い残して、佐々木警部に始末書を提出しに行った。後ろで「神狩さんから話しかけてきたくせに……」とか聞こえてくるが気にしない。
すると佐々木警部が何か言いたげな顔をしていたので、先にこっちから進言する事にした。
「佐々木警部、お話があります」
「何を言うかは大体分かるよ。却下」
まだ何も言っていない内から却下とは……随分な嫌われようだな。
「却下するのは聞いてからでも遅くないとは思いますが」
「いいや、却下だね。これだから私はあの事件にキミを関わらせたくなかったんだよ……」
やれやれ、と言った様子で佐々木警部はため息をついた。
「あの事件……ゴッドの件ですね。あの件は私が勝手に首を突っ込んだ物で、警部には何の責任も無いと――」
「そういう問題じゃない。これからキミがやろうとしている事に対して言っているんだ。キミは私の顔を潰す気か?」
「そんなにご自分の立場が大事ですか?」
「――だから、そういう問題じゃない。分をわきまえろと言っているんだ」
佐々木警部は一瞬焦ったような顔をした。――図星か。まったく、警察がこんなザマでどうするってんだ。
「警察が犯罪者を追う事に、理由が必要だとは思いません。私はゴッドの件でまだ調べ足りない事があるので、独自に調査を進めているだけです。何か不服でも?」
「あるに決まっているだろう。あの事件はもう終わったんだ」
「……終わった?」
終わっただって? 首謀者が自首してきたら、それで事件は解決なのか? そいつが首謀者では無い可能性が残っていても? まだ事件は続いているのに、上の決定とやらに従って犯罪者を見逃せと?
――ふざけるな。
次の瞬間、俺の中で何かが切れる音がした。
「ふざけるな! まだ事件が続いている事くらい、昨日の放火事件で誰もが分かっているだろう!? 嘘発見器でも検出されない『動機の忘却』は、明らかにゴッドと同種のものだ! 新堂を捕まえても事件が続いているなら……、犯罪者がまだ隠れている事くらい誰にだって分かるだろうが! それを何だ? 『事件は終わった』だと!? そんなに上の決定が大事か! そんなに自分の立場が大事か!? 自分の立場のためなら、犯罪者を見逃すと言うのか!? そんなもの……犯罪者と同列じゃないか!」
「な……私を侮辱するとは、何様の――」
「神狩さん! 言いすぎです!」
警部が激昂したところで、事態を重く見た藤崎が俺を止めにきた。俺は今警部に殴りかかろうとしていたので、藤崎に羽交い絞めにされてしまった。
さすがに部下にそこまでされて我を通そうとするほど、俺は子供じゃない。俺は肩の力を抜いて落ち着く事にした。
「藤崎…………。すまん、熱くなり過ぎた」
どう考えても俺が悪いな、今のは。仮にも上司を犯罪者呼ばわりするのは、どうかしてた……。
「警部、申し訳ありませんでした」
「……謝って済む問題だとでも? ……と、言いたいところだが、まぁキミの熱意だけは分かった」
「……え?」
なんだ今のは? あの堅物警部が、俺に理解を示す言葉をかけた気がするが……気のせいだよな?
「何だその顔は。私が理解を示したとでも思ったか? そんなわけが無いだろう。キミには私を侮辱した罰としてしばらく謹慎を命じる。と言っても、可哀想だから上には報告しないでおこう。当然、謹慎中は何をしようとお前の勝手だ。暇そうな奴がいれば引っ張っていっても構わん。だが、いいな。絶対にゴッドの事件は追うな」
な、なんて分かりやすい。まさかこの警部が本当に俺に協力してくれるとは。ここまでしてくれるという事は。もしや佐々木警部もゴッドの件を秘匿する上層部に納得していないのだろうか。
そういう事ならば了解だ。警部の分まで俺がこの件を調べつくしてやる。
俺は出来るだけ感謝の意が伝わるように、深く頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます」
「ふん、謹慎を命じられて礼を言う奴があるか」
そう言って佐々木警部は、そっぽを向いてしまった。
その時、ポケットに入れていた携帯が鳴り出した。と言っても俺は勤務中は携帯をマナーモードにしているので、実際には携帯が震えただけだが。
もう一度警部に黙礼をしてから、携帯を取り出して通話ボタンを押す。着信相手は清水だった。
『よー、神狩。いいもんが見つかったんだ。見てみる気は無いか?』
「いいもの? 例の件に関するものか?」
一応警部の前なので、建前上「ゴッドの件」とは言わないでおいた。当の警部は後ろを向いて完全に素知らぬ振りをしていたので、そんな気遣いは必要なかっただろうが。
『そうだ。使い方によっては重要な証拠になる。岩井警部にしてみれば、こんな物何の価値もないらしいがな』
「それは都合がいい。じゃあ、俺が貰ってしまっても問題ないわけだ」
『まぁ、一応お前に渡すのはコピーになるが――とにかく、今から第三資料室に来てくれ。そこで渡す事にする』
「感謝する」
その一言を最後に、電話を切った。
さて、とりあえず第三資料室に向かうか。あそこは確か、迷宮入りした事件の資料ばかり集めているところで、普段はあまり人が立ち入らないはずだ。なるほど、秘密の会合には丁度いい。
早速部屋を出て行こうとすると藤崎がなにやら文句を言っていたので、「始末書を書くのが遅いお前が悪い。後でお前にも教えてやる」と言って置いて行った。
第三資料室までの道のりは、正直遠い。なにせ普段は用事がある事なんてない部屋なので、かなり端の位置に存在するのだ。
ちなみに俺が所属する部署は、その第三資料室のほぼ反対側にある。……なんだか少し悪意を感じるのは俺だけだろうか。とにかく、場所が遠いので少し早歩きで向かう事にした。
しかし、正直署内をあまり歩き回るのは好きじゃない。理由は、俺の立場にある。
俺はなぜか上司には満遍なく嫌われているので、お偉いさん方には通っただけで睨まれる。まぁ、それだけなら良いとして、どうも同僚や部下には妙に親近感を持たれているらしく、通るたびに話しかけてくるのだ。
「あ、神狩刑事。おはようございます!」
「神狩刑事、今度は自分も捜査に協力しますよ!」
――とか、こんな具合だ。
それ自体はいい事なんだが、どうもお偉方の反応とギャップがありすぎて疲れてしまう。
酷い時は歩くだけで賛辞と罵倒が交互に降りかかる事もある。まぁ、聞かなかった事にするしか手は無いんだがな。
そんなイベントを終えて第三資料室にたどり着くと、そこには既に清水が待ち構えていて、なにやら座ってモニターを見ているところだった。
「遅いぞ神狩。なにやってたんだ?」
そう言いながらも、清水は少しにやけていた。こいつ、やはりこの場所を選んだのはわざとだったか。
「……誰かさんの策略で署内を端から端まで歩かされたせいで、色々な奴等に捕まってな」
「そりゃあご苦労さん。皆お前を慕ってるんだから、少しくらい愛想しろよ」
「冗談よしてくれ。アレ全部相手にしてたら文字通り日が暮れちまう」
と言うかお前は俺をからかうのが目的なのか、協力するのが目的なのかハッキリしてくれ。
「協力する報酬として、からかわれて困惑する神狩の顔を楽しむのが目的だ」
「心を読まれた上に最悪の返答が帰ってきただと!?」
どんな悪党だ。というか、俺にツッコミをさせるな。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。……なんだ、寂しそうな顔をするなよ。また相手してやるから」
「寂しそうな顔などしていない!」
一応補足しておくが、本当にしていないぞ俺は。照れ隠しとかじゃなく。
「まぁ、神狩の寂しい顔は私の中で永久保存するとして」
保存するなよ、と言うツッコミももう面倒だった。早く話を進めてくれ。
「キミに見せたかった物は、これだ」
そう言って、清水はビデオテープを何本か取り出した。
今更ビデオテープかよ、と思うかもしれないが、実はこいつはデータを保存するには優れた道具だ。光学ディスクやフラッシュメモリには、どうしても中のデータが消えてしまうリスクが備わっている。その点磁気テープは、保存状態さえ良好なら、物理的に破壊しない限り半永久的にデータを残す事ができるのだ。だから清水のように、本当に保存したいデータを磁気テープに移す人間もそう珍しくは無い。
つまり清水がテープを取り出した時点で、そこには重要な情報が収まっているのは明白だった。
「これは、昨日の放火事件の現場――カザナミデパートの監視カメラの映像だ」
「残っていたのか!? あれほどの惨状の中……」
「全部じゃないがな。アレをただの放火事件とした場合、犯人が分かっている以上この映像は何の意味も持たない。だが――」
「ゴッド関連の事件だと読んだ場合、主犯が写っている可能性がある……か。感謝する。早速見せてもらいたいのだが……」
俺はそこで言葉を濁した。確かに磁気テープは保存には向いている。……だが、現在主流な映像媒体ではないため、当然その再生器具も中々存在しないと言う欠点がある。
正直なところ保存はともかく、見せてくれるだけなら他の映像媒体の方がよっぽどありがたかった。
「ああ、再生機器の心配か? それなら大丈夫だ。この第三資料室は役割上、どうしても古い資料が残ってしまう場所でな。当然、それを見るためのビデオレコーダーもある」
「そうか。なるほど、そういう意味合いも兼ねてこの場所を選んだのか」
さすがに用意周到だな、こいつは。
「ん? …………ああ、そうだ。その通りだ。用意がいいだろう私は」
なんだ、偶然か。尊敬して損したぞ。
「まぁいい。とにかく早速見せてもらおう」
気を取り直して、俺は清水から受け取ったビデオを再生するべく再生機器を探し出した。
「うん、じゃあ私は通常業務に戻るとするよ。ここなら誰も来ないだろうし、ゆっくり調べてくれ」
「ああ、わざわざすまない。今度飯でも奢ろう」
「気にすんな。回らない寿司が食べたい」
「言葉が矛盾している。しかもさりげなく高い物ねだるな」
「そこは気前良く即答しろよー。じゃあ、また」
そう言って清水は資料室を後にした。
その姿を見届けてから、俺は手帳に「清水を寿司屋に連れて行く」とメモしておいた。今回はかなりお世話になったし、それくらい良いだろう。……正直、金銭面ではかなり厳しいがな。こういう時は意地になってしまう性分なんだ。仕方がない。
それから、改めて画面に向き直って映像のチェックに入った。
清水から受け取ったテープは、全部で七本ある。今見ているテープには、「一階中央、北向き」と書いてある。他のテープにも同じようなメモが書いてあるので、おそらくテープ一本につき監視カメラ一台分のデータという事だろう。カメラ七台分のデータがあるなら、真犯人が映っていてもおかしくない。
俺は何度も映像を一時停止しながら怪しい人物が居ないか探った。
そして、事件の約三十分前の映像に差し掛かった時、少し気になる人物がデパートに入ってきた。
「こいつは……、あの時の少年だな。確か、真崎とか言ったか」
御室神社で少し話した少年が入って来たのだ。
気になると言っても、容疑者としてという意味では無く、ただ「今度会ったらあの時の事を謝っておこう」と考えただけなのだが。
その時は、まだ彼の重要性には微塵も思い至っていなかった。
そして、犯行時刻間近の映像を見た時――
「これは……、酷いな」
俺は予想以上の惨状に驚きを隠せなかった。
一本目のテープは玄関を向いているカメラの映像、つまりはまさに灯油が撒かれた場所の映像だった。複数の人間が、まるで当たり前の事のように灯油を撒き散らしている。
撒いている人間も、周りにいる人間も、灯油がばら撒かれている事に全く違和感を感じていない。まるで日常の一ページのように、通常通り過ごしている。その場にいる全員が狂ってしまった様にしか見えなかった。
いや、実際彼らはある意味で狂っている。マインドコントロールを受けて善悪の判断がつかなくなった人間を、正常であるとは言いがたい。
そして何人かが灯油を撒き終わった時、玄関から煙草をくわえた若者が入ってきて――
「確かに、こんな状態ならあっという間に火は燃え上がるだろうな」
――デパートが全焼したと言うのも納得だった。
その後の映像も注意深く見ていたが、煙で視界が遮られてまともに見れたものではなかった。そして程なくして完全に煙で映像が遮られた後、そのテープは終了。まともな収穫は無かった。
これをあと六本分続けるわけか……。わりと重労働だな。俺は軽くため息をついてから次のビデオテープに手を伸ばした。
「神狩刑事! やっと見つけた……」
二本目のテープを見ている途中に、藤崎が勢い良くドアを開けて入ってきた。なにやら息も上がっている。
「どうした? なにかあったのか?」
もしかしたら事件の新しい情報が入ったのかもしれない。そういう期待を抱きながらの質問だった。
「始末書を書き終わった後……警部に色々雑務を押し付けられまして……。こんな時間になってしまいましたが、自分も捜査に協力させて欲しくて……」
俺を探してあちこち走り回っていたらしいな。息が上がっている。
「何を見ているんですか?」
俺が画面に張り付いている事に気づいた藤崎が俺に尋ねた。
「カザナミデパートの、事件当日の監視カメラの映像だ。一部だけ残っていたらしい」
「監視カメラって……まさかとは思いますが、事件当日の丸一日分全て見てたんですか?」
「ああ」
なぜか藤崎が軽く引いていた。犯人が写っているかもしれないのだから、全部見るのは当然だろうが。
「一人でやる作業量では無いでしょう……さすがの一言ですよ、本当に。僕も手伝います。怪しい人物を探せばいいんですよね?」
「ああ、頼むよ。俺も少し目が疲れてきたところだ」
ここで手伝ってくれるのは本当に助かる。ちょうど奥の方にも再生機器とテレビがあるようだし、藤崎にはそっちで見てもらおう。
まぁ、どっちにしろ後で俺がチェックし直すからあまり関係無いんだが、精神的には助かる。
そして俺たちは、二手に分かれて映像のチェックを始めた。とりあえず藤崎には、あまり関係の無さそうな四階部分からチェックしてもらう事にした。見えないところは一時停止を駆使して、とにかく怪しい人物が居ないか確認する。
二本目のテープには、「二階西側、中央向き」と書いてある。チェックする人間の量だけで言えば、このテープが一番多いだろう。普通に見ているだけではとても確認できないので、一本目よりも一時停止の頻度は多かった。
そんな中、犯行時刻の少し前の映像を見ていると、またしても真崎君が写っていた。
「ん……? こんな所で何をしているんだ?」
俺の独り言に藤崎が反応して、藤崎がこっちの映像を覗きに来た。
「何か気になる人物でも居ました? ……見た事無い少年ですね。ああ、もしかしてこの子が神狩刑事が脅した子ですか」
「脅したってお前……。言い方は気になるが、この子があの時話した真崎君だ。悪い事をしたよ」
しかし、一体何をしているのだろうか? 吹き抜け部分に設置された手すりに体重を預けて携帯をいじっている様に見えるが……
「藤崎。こいつ、何をしているように見える?」
「……携帯をいじってますね。今時スマートフォンじゃないのは珍しいですが」
藤崎がキョトンとしながら答えた。「それがどうしたんですか?」とでも言いたげな顔だ。
「……そうだよな。いや、なんでもない」
「はぁ、そうですか」
そう言って藤崎は自分の映像のチェックに戻った。
今の若者は時間潰しによく携帯をいじるのは分かっている。だが、不自然なのはその時間だった。
俺の記憶が確かなら真崎君は入ってからたったの二分でこの場所で立ち止まって携帯をいじり始めたという事になる。俺の記憶違いと言う可能性もあるが、時間はそう大きくずれていない筈だ。しかも、見たところ真崎君は買い物袋を持っていない。
ならば、一体この少年は何をしにこのデパートに来たというんだ?
……いや、やめておこう。考えすぎだ。とりあえず今は記憶に留めておく程度の情報だろう。単純に待ち合わせをしているだけかも知れないし、なにか事情があって暇を潰しているだけの可能性もある。俺が真崎君と初めて会った時に気が立っていたから、つい怪しく見えてしまうだけだろう。
頭の中に浮かんだ考えを一旦振り払い、俺は映像のチェックに戻った。
そして、一時間後――
「……早く――メンバーを――確認――!!」
なにやら署内が騒がしくなってきた。ドタバタという足音と、必死な叫び声が聞こえてきた。
「……なんだ?」
「なにやら騒がしいですね。自分がちょっと見てきます」
「おう、頼む」
ちょうど二本目のテープを見終わったところだったので俺が行こうかとも考えたが、ここはとりあえず任せておくことにした。
意外なことに、藤崎はすぐに戻ってきた。そして俺に向かって物凄い剣幕で説明を始めた。
「大変です! 今そこで話を聞いたんですが、鳳仙会の構成員が突然――全員自首してきたって!」
「な……なんだと!? どういう事だ!」
鳳仙会といえばこの辺りで幅を利かせている暴力団の名前だ。表向きは金融業者となっているが、その実態は最悪で、薬の売買に始まり、暴行、恐喝、詐欺に殺人までやる、まさに悪党の代名詞とも言える集団だ。
だが、どうも情報操作や証拠隠滅に長けた切れる奴が居るらしく、犯罪の実行犯はおろか、構成員の情報も一切警察は掴めずにいた。
その鳳仙会が……自主だって?
夢でも見ているのではと思いたい。
「詳しい話は後で……というか、人手が足りないから事情聴取を手伝えと言われました! 神狩刑事も、すぐに!」
「……これも、ゴッド関連の事件なのか? とにかく、人手が足りないと言うなら止むをえまい。こっちとしては一石二鳥だしな」
「はい!」
俺たちはすぐに資料室を出て、近くで走り回っていた奴に、取調べを手伝うと伝えた。
連れて行かれた先に居た警部は少し苦い顔をしていたが、この際仕方ないと諦めてくれたらしい。すんなり許可された。
そうして案内された取調室で、俺は構成員の一人と向き合うように腰掛けた。ちなみに、藤崎は後ろの方で記録を取っている。
まずは何を聞こうか。正直に言うと、これがゴッド関連の事件かどうかの情報だけ聞き出せれば良いのだが、そういう訳にもいかないだろう。とりあえず原則に従って取調べを開始した。
「刑事の神狩だ。これから事情聴取を始める。あまり気張らず、事実だけを話してくれ。ちなみに、お前には黙秘権がある。都合の悪い事や、言いたくない事は話さなくていい」
「……あ、ああ」
相手は、なんだか不自然な剃り込みを入れた若い男だった。何かに怯えているようにも見えるが……なにがあったんだ?
「まず、名前と職業を」
「
「すごい名前だな……」
あまり、というか全く聞いた事の無い類の名前だ。俺が言うのも何だが。
「自首したと聞いたが――なぜだ?」
率直に質問した。実際に警察として知りたい情報でもあるし、俺が個人的に知りたい情報でもある。すると藍前寺は、何かに怯えたような目をして話し始めた。
「俺たちのリーダー……組長に愛想を尽かしたんだ。そしたら、自分のしてきた事が急に怖くなって……それで、自首した」
「怖く……なった?」
馬鹿な。そんな気の弱い人間が暴力団でやっていけるはずが無い。いや、違うな。それよりも気になるのは、『愛想を尽かした』の方だ。
「組長が、何かやったのか?」
その質問を投げかけると、藍前寺は困ったような、考えているような顔をして一瞬黙った。そして、こう言った。
「えっと……何をやったか、ってのは覚えてるんだけど……あれ? なんで俺はあんな事で逃げ出したんだ?」
「……詳しく聞かせてもらおう。」
この雰囲気、限定的な記憶喪失……まさかとは思っていたが、本当に……。
「あ、ああ。組長が……、人を、殴ったんだ。いや、それ自体そんな珍しい事じゃなかったはずだけど……なぜかあの時、それがすげえ怖かったんだよ。まるで、化け物でも見ているみたいな感覚に襲われて…………。あれ? 俺は何で自主なんかしたんだ?」
自主をした「動機の忘却」、か。これはもうほぼ間違いないな。
俺が確信しかけた時、なにやら唸っていた藍前寺が急に立ち上がり、憑き物が落ちたように喋り出した。
「あ、すんません。やっぱ自首、無かった事にしてください! じゃあ俺忙しいんで、これで!」
そう言って藍前寺は部屋から出て行こうとした。俺は後ろで控えている藤崎に目で合図して、藍前寺を止めさせた。
すると藍前寺は、不満そうに口を歪めて言った。
「なんスか? 俺、帰るって言ってんスけど?」
「帰すわけにはいかない。君はもうここから出られないよ」
当然、藤崎は全く引かない。
「はぁ? いいから通せって言ってんだよオッサン!」
逆ギレした藍前寺が、藤崎に殴りかかった。
――が、次の瞬間。
藤崎はその拳を掴み、思い切り後ろに引っ張った。
「え?」
予想以上の勢いがついてしまった事に抗うすべも無く、藍前寺はそのまま前のめりに床に倒れた。
藤崎はその拳を持ったまま後ろに捻り、藍前寺を床に組み伏せてしまった。
「……いってぇ!」
藍前寺の顔が苦痛で歪む。
「このまま折ってやろうか?」
「な……、なんだよそれ! 警察がそんな事していいと思って――」
「そうか、じゃあ折るぞ」
藤崎はその腕に更に力を入れた。ミシミシという音がここまで聞こえてきそうだ。
「いててててて! 止めてくれ! わかったから! もう逃げないから!」
その言葉に、藤崎は「よし」と一言言ってから力を緩めた。藍前寺が安堵のため息をついている。
それまでその光景を黙って見ていた俺は、そこで少し藤崎を褒めてやる事にした。
「柔道だか合気だか知らんが、相変わらず見事な腕前だな」
「自己流の護身術ですよ。自分にしてみれば、空手五段の神狩刑事の方がよっぽど凄いです」
「昔の話だ。褒められた時くらい素直に喜べ」
藤崎は「事実ですから」と言いながら、藍前寺を椅子に座らせた。
俺は改めて藍前寺と向き合い、机に両肘をついて話しかけた。
「……さて、洗いざらい話してもらおうか」
「な……なんだよ。もう話す事なんてねぇぞ」
「ある。――組長が人を殴ったと言ったが、具体的に誰を殴ったんだ?」
「さぁな。見たことも無い奴だったよ」
「どんな奴だ?」
「制服着てたし、学生じゃねーか? 俺はただついて行っただけだからあんま詳しい事はわかんねぇ。もういいか?」
「……組長は今どこに居る?」
そこで愛染時は一旦口をつぐんだ。さすがに組長の事は話したくないらしい。
しかし藤崎に組み伏せられている現状を思い出したのか、舌打ちをしてからすぐに話し出した。
「知らねぇよ。皆して組長置いて逃げちまったから、わかんねぇ」
「全員で? という事は、その『急に怖くなった』ってのは、その場に居た全員が感じていたのか?」
「知らねぇけど、そうなんじゃねぇか?」
なるほど、やはりか。今までもほぼ確信していたが、ここまでの話で間違いなくゴッド関連の事件だと確信した。という事はこういう事だろう。
「なるほど、状況が見えてきた。では確認するが、その学生に何かしらの用事があり、お前たちは人目につかない所まで学生を拉致したという事だな」
「そうだよ」
藍前寺は悪びれもせずに言った。後ろで藤崎が目に見えて腹を立てていたが、とりあえずここは我慢してもらおう。
「そして全員で学生を取り囲み、組長が代表で学生と対面し、何らかの要因でその学生を殴った」
「そうだよ。なんかそのガキが組長を挑発してたからな。ああ、あとガキは二人居たな」
面白いように情報が引き出せるぞこいつ。よっぽど早く帰りたいらしい。まぁ、帰す気など微塵も無いがな。
「挑発したのは、二人とも? それとも、片方だけか?」
「片方だけだな。なんかメガネ掛けてて暗い奴。見た目じゃそんな根性ある奴には見えなかったよ」
メガネをかけていて、どちらかと言えば内気な性格か。よし、これでかなり絞れたな。
「なるほど、了解した。ところで」
俺はそう言ってから、机を叩いて勢い良く立ち上がった。そして藍前寺の胸倉を掴んで引き起こし、思い切り目を睨みながらこう言った。
「お前、そこまでの事をして無事に帰れると思ってんのか? ふざけてんじゃねぇぞ!」
「な……、なんだよ! 急に怒鳴るんじゃ――」
「てめぇの様な犯罪者が、まともな人間と同じ扱いをして貰えると思うな! 身の程をわきまえろ! てめぇの態度次第で、罪はどんどん重くなる! なんなら一生牢屋で暮らす事にもならぁ! その覚悟は出来てんのか!? ああ!?」
「――っ!! ……す、すんませんでしたぁ!」
藍前寺は完全に恐怖で縮こまってしまった。生憎、犯罪者に掛ける情けなど持ち合せていないので可哀想だとは微塵も思わない。
その後、すっかり大人しくなった藍前寺を質問攻めにして、俺の知りたい情報は全て引き出しておいた。
とは言っても使える情報はかなり少なかった。既に聞いた物以外では、場所が町の外れにある港である事、構成員は本当に全員自首してきた事くらいだろうか。
当然、その港にも捜査が入ったが、さすがに俺はそこに同席する事はかなわなかった。
――だが、とりあえずはこれで十分だ。
何より、犯人像がかなり絞れたのが大きい。これで捜査は大幅に進展したと言えよう。
これでその犯人がカザナミデパートの監視カメラに写ってくれていれば完璧なんだが、さすがにそこまで上手くは行かないだろうな。
「でも、本当に鳳仙会に絡まれた人物を犯人と断定しちゃっていいんですか?」
鳳仙会の事件を担当部署に預け、再び第三資料室で映像のチェックをしている時に藤崎がそんな事を言ってきた。
「逆にダメだと言う根拠を聞きたいな」
町外れの港まで、下校中の学生を拉致するような奴等が、「人を殴った」組長を見て急に怖くなって逃げ出す――この状況を異常じゃないとして何になると言うんだ。
「いや、なんとなく神狩刑事の考えは分かりますが……、犯人はその組長かもしれないし、周りで偶然見ていた誰かかもしれないじゃないですか」
「それは無いな。組長が犯人なら、わざわざ構成員を手放す結果になる様な事はしない。そしてあんな使われなくなった港に、第三者が偶然居たというのも考えにくい」
「その偶然が起こった可能性もあるじゃないですか。もしくは、自首してきた構成員の誰か一人が犯人だという可能性もあります」
「ふむ、確かにその通りだが――藤崎」
そこで俺は一呼吸置いて、画面に向けていた視線を藤崎の方に向け直して、こう言った。
「お前は、百パーセントの確信がないと捜査に着手しないのか? モタモタしてる間に犯人に逃げられたとして、その時お前は『確信が無かったから動けなかった』と言うのか?」
「いや、それは……なんか話が違わないですか?」
「違わないさ。警察っていうのは疑うのが仕事だ。何でも疑ってかからなければ、犯人を捕まえるなんて到底無理だ。まずは疑うところから、と俺は思っている」
「疑うところから……ですか。あんまり心象はよくないですよね、それ」
「警察はヒーローじゃねぇ。いつの時代でも嫌われ者だ」
少し投げやりにそう言って、俺は画面に視線を戻した。
――藤崎にはああ言ったが、俺は鳳仙会に絡まれた学生が犯人でまず間違いないと思っている。それは、マインドコントロールによってその学生が助かっているという事実があるからだ。
仮に本人ではなかったにしろ、その学生に関係する人物である可能性が高い。つまりは、そいつに絞って捜査すればいずれは犯人に行き着くはずだ。
俺はそれ以降、休憩も取らずに朝まで映像のチェックを続けた。
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