第一章 ハジマリ ―真崎定理―


 九月十二日 午前八時


定理ていりー! そろそろ起きなさーい!」


 その日の朝は、そんな母親の声で僕こと「真崎まさき定理」は目を覚ました。なにも珍しい事じゃない。僕は大体七時に目覚ましをかけているが、大抵の場合は目覚ましを止めてから寝直してしまうのだ。二度寝バンザイだ。


「へーい」


 一階にまで聞こえるように大きめの声で返事をしてから体を起こし、携帯のメールをチェックする。これはただの習慣で、特にメールを待っていた相手が居るとかそんなわけではない。当然新着メールはゼロ。僕はそれを特に気に留めず、制服に着替えて一階に下りた。台所に向かう母親の後姿に向かって挨拶をする。


「おはよう」


 別にウチが形式ばった家だとかそういうわけではなく、単純に小さいころからやっている習慣だ。まぁ、このあたりは一般家庭のわりと当たり前の光景だと信じたい。


「おはよう定理。いい加減目覚ましで起きる癖つけなさい。そんなんじゃ社会に出てから大変よ?」


 この小言がうるさいのが母親だ。どこの家庭でも母親というのはうるさいものだと思う。なぜ母親は小言を言うのか。永遠のテーマだ。

 僕が母親の小言を眠い振りをしてやり過ごしていると、玄関の方から新聞を持って父親が現れた。


「定理か。おはよう」


 父親の挨拶は実にあっさりしている。しかし返事があっさりしている理由は、母親がうるさいから気を使ったとか、そういう訳じゃない。

 僕の父親であるこの男は科学者だそうだ。「だそうだ」なんて中途半端な言い方なのは、実感が無いからだ。科学者って言われても具体的に何をしているのか謎過ぎるし。

 基本的に一日中研究の事を考えているので、この父親とまともな会話になる事自体かなり珍しいのだ。今も何やら思想にふけっているらしく、席について新聞の一面記事を睨みながら、黙々と朝食を食べ始めた。

 そんなの今に始まった事でもないし、今更何も気にしない。とりあえず僕も席について、「いただきます」と言ってから朝食を採る事にした。

 いただきます、も一般家庭で当然躾けられている挨拶だと信じたい。

 さっきから「信じたい」ばかり言っているのは、あくまで僕は普通の高校生でいたいからだ。

 少しでも普通から外れていたら面倒な事になるのは、小学校の頃に経験済みだ。あんな思いはもう二度としたくない。


「そうだ、定理」


 父親が何か思い出したかのように話しかけてきた。思い出したかのように、というより実際思い出したんだろう。こういう時は会話する意思アリなので、とりあえず食べながら返事をしておく。


「何、父さん?」


「お前まだ神社のボランティアやってるのか? いい加減あれ辞めろ」


 ウチの父親は、普段子供の事は放っておくくせに、こういう時だけはしつこい。この話は過去に何度も言われているし、その度に僕は適当に誤魔化してきた。

 内心うんざりしていたが、とりあえずこの場を収めるのが先なので、「ああ、アレならもう辞めたよ」と、全く根も葉もない事を言っておいた。

 僕は現在進行形でボランティアと称して神社のお手伝いをさせて貰っているのだが、父さんはそれが気に食わないらしい。この男は幽霊だの神だのが一番嫌いなのだ。なぜなら現実に存在するという証明が出来ないから。良い言い方をすれば現実主義者だけど、正直この考え方は冷めすぎていて鬱陶しい。


「そうか、ならいい。俺の息子ならもっと現実を見ろ」


 ああもう、本当にうるさい。さっき母親は小言がうるさいとか言ったが、訂正しよう。この父親も十分うるさい。


「わかってるよ、父さん」


 ――父さんがこう言わなきゃ納得しないって事はね。

 それからこの男は再びスイッチが切れたかの様に喋らなくなった。そんな父親を尻目に、僕はもう朝食を食べ終えていた。


「ごちそうさま」


 そう言ってから、僕は一旦部屋に戻って鞄を持ってきた。というか普段は全部準備をしてから朝食を食べるのだけど、この日はなぜか忘れたから取りに戻ったのだ。

 どうも昨日遅くまでゲームをしていたのが響いてるみたいだ。正直まだ眠い……。

 一階のリビングに戻ってくると、また母さんに小言を聞かされた。


「定理、まだ寝ぼけてるの? シャキッとしなさいシャキッと」


 ……本当になんで母親ってやつはこんなに小言ばかりなんだろう。少しでも普段と違う行動したらあーだのこーだのと……。


「大丈夫だよ。こんなの顔洗えばすぐ覚めるって」


 眠い時は返事がメンドクサイから出来るだけ話しかけないで欲しいんだけどな。

 そんな事を考えながら、僕は洗面所で身支度を整える。

 あんまり長居するとまた小言が始まるので、僕はある程度の準備を済ませてさっさと出かける事にした。


「いってきます」


「いってらっしゃーい。車に気をつけてねー」


 そう車に轢かれることなんか無いだろう、と心の中でツッコミを入れつつも玄関を出る。

 ――考えてみたら僕は、話しかけられない限り家では挨拶の言葉しか発しないんだな。ま、どうでもいいんだけど。

 さぁて、今日も平和な一日が始まる。平和で、どこか退屈な一日が……。

 そんなどこかで聞いたような台詞を頭に思い浮かべながら、何事も無い通学路を歩いていった。


 学校に着いて教室の中に入ると、友人が話しかけてきた。


「なぁなぁテーリ! 聞いたかよ、昨日のニュース!」


 彼は僕の少ない友人の一人で、相原あいはらという。下の名前は覚えてない。面白そうな情報を色々な場所から仕入れてクラス中に流しまくる、パパラッチの様な男だ。

 それでも「誰かの迷惑になる様な噂は流さない」というポリシーを持っているらしく、実際に被害を被ったという話も聞いたことが無い。個人的にはそういうところに好感が持てる。

 面白いから、なんて理由で下の名前で呼んでくる所は嫌いだけどな。


「ニュースって? それは僕から見ても面白いのか?」


「普段ゲームばっかやってるお前に、面白い話ってのはちょいとハードルが高いんだけど……、とにかくこれ見てみろよ!」


 そう言って相原が新聞記事を取り出した。学校に新聞なんぞ持ってくる高校生は、おそらくコイツくらいだろう。示された記事には、こう書いてあった。

『謎の宗教団体教祖がついに逮捕! 彼が行なったマインドコントロール法とは!?』


 マインドコントロールか……。まぁ宗教団体には珍しくない事だろうし、今この瞬間まで知らなかった団体のリーダーが捕まったとか、正直どうでもいいな。


「あの教祖がついに捕まったってよ! いや~、良かった良かった。」


「二十五点」


「赤点!? あいかわらず厳しいなテーリ!」


 トホホ、といった様子で相原は席を離れていった。そのタイミングで僕は携帯を取り出し、すぐにメール画面を起動する。ちなみにスマホではなく、所謂ガラケーだ。


『その宗教団体についてよく知らないんだけど、それが分かれば少しは興味が出るかも』


 と書いたメールを相原に送った。

 何も珍しい事じゃない。僕はその場の思いつきで喋ってしまうので、後で後悔したりする事が多いのだ。その度にメールでフォローを入れていたら、いつの間にかこれが当たり前になっていた。

 その後すぐに相原が携帯を確認していた。おそらく僕のメールを見たんだろう。待ってました、と言いたげな表情を浮かべて僕の席に戻ってきた。


「そんっなにコイツラの事が知りたいかテーリ! よろしい、教えてしんぜよう! ……でもこの距離でメールするのはいい加減やめてくれよ」


「ハハハ、じゃあ頼むよ」


 やめてくれ、と言いつつ相原はもう諦めてくれている。特に気にした様子も無く説明を続けた。


「宗教団体ゴッド。コイツラの伝説は今に始まった事じゃねぇ。その経歴はなんと三ヶ月前に遡るんだなこれが」


「ゴッド? 適当な名前だな……。あと三ヶ月って微妙に短いじゃないか」


「名前は適当だし期間は短いが、やる事はおぞましかったんだ。その逮捕された教祖が全部仕切ってたらしいんだが、噂では集団でありとあらゆる犯罪をしていたって話だ」


「ありとあらゆる? おい、一気に信憑性が落ちたぞ」


「あ、わりい。誇張しすぎた。でも色んな事をやっていたのは本当だ。信者を増やすための誘拐や、運営資金の回収と称した恐喝。それだけならまだいい。集団による放火事件や、果てには『この世の浄化』なんて言いながら、街中にガスを振りまいてえらい騒ぎになったんだ。その事件くらいは知ってるだろ?」


「あー、なんか硫化水素だかをぶちまけたんだったか?」


「そうそう。なんでそんな有名な事件の首謀者の事なにも知らないんだ、お前は?」


「ニュース途中まで見て、ゲームに切り替えた」


「相変わらずだな……」


 その教祖が捕まったって事か。随分と派手な事をやらかしてたんだな。ん? でも待てよ……?

 気になる事があったので携帯をとりだして、


『それって捕まったのは教祖だけなのか? 話を聞くと、信者も実行犯じゃないか』


 というメールを相原に送った。相原もちゃんと確認してくれるあたり律儀だ。


「いやさすがに今のは言葉で話せよ……」


「悪い、言葉で上手くまとまらなかった」


 半分本当で半分嘘である。今のはさすがに相原をからかってみただけだ。


「まぁいいや。逮捕されたのは教祖だけかって話だろ? えっと、一応信者も逮捕されたんだけど……なんでも釈放されたらしい」


「それだけの事をやっといて釈放かよ?」


「いやほら、記事にも書いてあっただろ? マインドコントロールって」


 確かにそんな事が書いてあったな。じゃああくまで信者たちは操られていただけだから無罪放免だって言うのか? でもマインドコントロールってあくまで相手を巧みに誘導する程度のもので、洗脳ってレベルの話ではなかったはずだけど……。


「それがガチらしいぜ? 信者は『犯行の事を覚えてはいるんだけど、なぜそんな事をしたのかわからない』って口を揃えて言ったそうだ。嘘発見器でも、全員嘘は確認されていなかったんだと」


「へぇ……。それは確かに面白い話だ。八十点」


「やっほい! 久々の高評価もらいー!」


 相原はおどけながら喜んでいる。なぜコイツは僕の評価がそんなに嬉しいんだろう?

 しかしマインドコントロールね……。この教祖はまるで超能力者だな。でも、まぁそのあたりは多分新聞が面白おかしく書き立てただけで事実とは違うんだろう。洗脳なんて、普通の人間に出来てたまるか。

 そんな感じで相原とふざけていると、教室の前側のドアが開き、教師が入ってきた。


「おーい席に着けー。ホームルーム始めんぞー」


 教室に入ってきたのは無気力を絵に描いたかのような人物だった。まぁ、これが僕らの担任なんだけど。


「お、シバセン来たか。じゃあテーリ、また後で」


 そう言って相原は自分の席に戻っていった。ちなみにシバセンというのは担任の事で、本名は柴山しばやま。下の名前は忘れた。なんか先生って気がしないので、皆あだ名で呼んでたりする(ちなみに僕は普通に柴山先生と呼んでいる)。あだ名で呼ばれる時点で正直言うと舐められているが、本人はそのくらいが丁度いいとか言ってるらしい。

 そして柴山先生は教壇に立ち、出席簿らしき物を取り出してホームルームを始めた。

 さて、ここで重大発表をしようと思う。ウチのクラスにはお調子者が一人いる。相原もなかなかのお調子者だが、それを上回るお調子者ぶりの奴が居るのだ。そいつはいつも出席確認で全員の名前に返事をする。本人はギャグのつもりなんだろうが、毎日やられると正直寒い。しかしこの柴山先生は面倒くさいからという理由で本人の返事を待たず、そいつの返事だけで出席扱いにしてしまうのだ。

 つまりこのホームルームは、言ってしまえば有って無いようなものである。だから僕は大体ここで睡眠時間を稼ぎに走るわけだ。走るっていうか寝るんだけども。じゃあ、おやすみ……。



 目が覚めると、そこには不思議な世界が広がっていた。……なんて事は無く、普通に授業風景だった。ああ、もう一時限目が始まってたんだな。

 基本的には僕が寝るのは日常茶飯事なので、周りの奴らも全く起こそうとしない。でも先生まで僕を起こさなかったのは珍しいな。

 そう思って顔を上げると……なるほど、柴山先生の授業だ。そりゃあ起こされずに済むってもんだ。

 しかし目が覚めたからと言って、僕には真面目に授業を受ける気なんてさらさら無い。さらっさらのまっさらだ。

 だからと言ってまた寝直すほど、僕は睡眠に執着は無い。そこで僕は念のため黒板だけはノートに写しながら、ゲームの攻略法なんかを適当に考えて授業をやり過ごす事にした。

 そう言えば昨日のゲームは中々の難易度だった。ストーリーは面白いのだが、途中のダンジョン攻略の難易度が鬼のように高いのだ。

 それでもストーリーが面白いからそのダンジョンも苦痛にならないというとんでもないゲームだ。

 しかもダンジョン攻略の途中でもストーリーに関わるイベントがいくつも配置されていて、とにかくプレイヤーに油断を許さない造りになっている。

 だが残念な事に昨日はそのダンジョンの途中で眠気に勝てなくなってしまった。

 だから今、昨日得た情報を元にどう攻略するかの作戦を決めておくのだ。そうすることで帰ってからの攻略がスムーズになるというすばらしい戦略だ。いや、本当に我ながら素晴らしいぞ。ふふふ……。


 そして、放課後――


 ……時間が飛び過ぎだって? その日は特に変わった事も無かったんだ。仕方が無いだろう。学校で起こるイベントなんて面白いものは全くない。

 昼休みですら何もしないで自分の席に居るからな。

 ああそうだ、一応言っておくと僕は昼休みにトイレで弁当を食べてたりはしていない。ちゃんと教室で堂々と食べる(一人で)。

 相原は学食派なので、一緒に食べる機会はあまり無い。でも僕は「飯は一人で食べる派」に所属しているので何の問題も無かった。

 まぁそんな話は置いておこう。今は放課後の話である。

 授業が終わった途端、やたらとテンションの高い相原が話しかけてきた。


「ようテーリ! 放課後だぜ放課後! 放課後は遊ぶ時間だと偉い人も言ってたぜ!」


 なんかもういつもの三割り増しのテンションで、その場でくるくる回ったりしている。

 なんなんだコイツはいきなり。普通に話を聞くのもなんか癪に障るので、メールで聞くことにした。


『何かあったのか?』


 と書いて、送信。こんなテンションでも相原は普通にメールを確認してくれる。送信者の名前だけ見て「口で言えよ!」とか突っ込んできても良いだろうに。


「ほっほう? 気になるのか? 気になるのか? ……しょうがないな~。教えてやるよ。ほれ、ジャーン!」


 無駄なポーズを決めながら相原はなにやら雑誌を差し出してきた。その誌面には、とある記事が載っていた。こやつ、まさか授業中もニュースチェックしてるのか……。


「『あの有名俳優ジョン=スタンリー来日!? 場所はなんと陽(はる)菜(な)町!?』って、今度は嘘くささ百パーセントの記事だな」


 ここまで嘘くさいと、いっそ表彰したくなるレベルだ。


「いや、感想それだけかよ? ジョン=スタンリーだぞ!? しかも陽菜町ってここだぞ!? こりゃ見に行くしかないだろ!」


「お前なぁ……」


 色々言いたいことがあるのだが、長くなりそうなのでメールで伝える事にした。


『まずそのジョンが何の目的で来日するのか全く書かれてないだろ? 理由も無く有名俳優が日本に来るかよ。そして次に陽菜町っつってもここだけじゃないかも知れない。普通書くなら○○県とか○○市くらいの大きい情報だろ。陽菜町って限定して書くなんて普通やらない。そして最後に……』


 そこで止めたメールを送信し、相原が読むのを待つ。

 相原もしっかりメールを読んでから僕の方に目を向けた。


「最後に、なんだ?」


「お前これ、ゴシップ記事だろ。そんなもん信用するなよ」


 チョップを入れてやった。

 そうなのだ。見せられた記事は所謂普通の新聞記者が書いた記事ではなく、ゴシップ誌の記事だったのだ。こんなもんに騙される奴だとは思わないが……、おそらく興味本位だろうな。


「噂だろうとこんな面白そうな話、放っておけるかよ!」


 やはり興味本位だった。要するにコイツは僕を巻き込んでこの噂の真実を探ろうとかそんな事を考えてるのだろう。迷惑な話だ。


「五点。僕は行かないよ」


僕は呆れて相原に背を向け、教室の扉に手をかけた。


「まさかの一桁!? ちょっと待てってテーリ!」


 だが、そこで相原に襟を掴まれて止められてしまった。……なんだよもう。


「確かにおかしな記事だけど、気にならないかコレ?」


「気にならないって言ってるだろー。もう帰らせろよー」


 僕は相原の腕を掴み、上下に揺らしながら抗議した。が、全く放す様子が無い。やけにしつこいな。


「いや、そうじゃなくてさ。これ……、なんで場所が陽菜町に限定されてるんだ?」


「それならさっき僕が言ったぞ」


「だからそうじゃねぇって。よく考えてみろ? こんな曖昧でテキトーな噂、場所を限定する理由が無いんだよ。調べられたら簡単に嘘がバレるじゃないか」


 ……まぁ、確かにその通りではあるな。ゴシップ記事ってのは、記事の内容が『本当かもしれない』と思わせるために書いてるものだと思う。ならば調べられて嘘だとわかるこの記事は目的も意味もわからない。


「言われてみればそうかもしれないけど……、新人編集のミスか何かじゃないのか?」


「俺はそんなんじゃないと思う。そうだな……、何か壮大な事件の幕開けかも……」


 相原は顎に指を当ててわざわざ「考えてますよポーズ」をとりながら言った。

 あ、あいつポーズ決めるために僕の襟から手を離したぞ。じゃあ僕はここでお暇させてもらおうかな。

 今にも「どうだ? 俺の推理は……?」とか言い出しそうな相原を置いて、僕は教室を後にした。後ろから何か相原の抗議のような声が聞こえてきた気がするけど気にしない。

 まったく、いつも騒がしい奴だ。

 まぁ、そのおかげで助かっている面もあるんだけどな。でもそれはそれ。アイツのああいう話に付き合うとろくな事が無いのはもう経験済みだ。

 以前、『幻のツチノコ発見!?』とかいう記事を見て一緒に探しに行ったことがある。当然、僕は見つからないものだと思っていた。

 そこで僕達が見たものは、ツチノコなんかではなかった。そこに居たのは、ざっと数えても二十匹以上は群生していた蛇の群れだった。

 どうやら噂の真相は、その蛇たちが絡み合っている姿が偶然ツチノコのような形をしていて、そこを目撃されただけだったらしい。

 そんな所(蛇の群生地)に何の警戒もせずに入ってしまったのだから、僕たちの混乱具合と言ったらそりゃあもう酷いものだった。

 相原なんて一瞬とは言え、僕を囮にしようとしやがった。……あんな目に遭うのは、もう二度とごめんだ。

 他にもスカイフィッシュ発見やら心霊スポットやら色々付き合わされたが、そのほとんどで僕たちは酷い目に遭った。だからアイツのああいう話にはもう二度と付き合うまいと決めていたのだ。

 しかも今回なんて内容が酷い。ジョン=スタンリー来日とか僕には毛ほども興味が無い。そのくらい相原はわかっていそうなものだけど……。

 そこで不思議な事に思い当たる。誰でも知っている名前についてだ。


「あれ? ……確か今人気の外国人俳優の名前って、『ジョン=スタンレイ』じゃなかったか?」


 思わず独り言を呟いてしまった。

 興味は無くても名前くらいは聞いたことある。スタンリーでは無かったはずだ。いくらゴシップ記事でも、そんな事を間違えるだろうか。 

 ――まぁ、そんな事は僕には関係ない事だ。

 もし仮に何かの陰謀だとか事件の前触れだったとしても、正直僕はそんな物には関わりたくない。

 僕はあくまで普通で居たいのだ。変な事に関わって日常に戻れなくなりでもしたら大変じゃないか。

 そうやって色々な言い訳を思い浮かべながら僕の足はとある場所に向かっていた。



 とある場所、と言っても特別な場所ではない。御室みむろ神社と言う名の、文字通り神社だ。

 ここに行こうとすると境内に着くまでに長い階段を上る羽目になるのだが、これがまたいい運動になる。普段ゲームばかりやってる僕には丁度いい。

 階段を上りきって境内に着くと、初老の男性が掃除をしていた。


「こんにちは、湯布院さん。今日もボランティアに来ました」


「おお、真崎くんかい。いつも済まないねぇ」


 彼は湯布院さん。フルネームは湯布院誠二ゆふいんせいじ。男性だ。

 この神社の神主さんで、僕の恩人でもある。というか、恩人だからこそ僕はここの手伝いをしているのだ。


「じゃあ今日はここの掃除を頼もうかな。私が途中までやってしまったんだけどね」


「わかりました。その他も何かあれば、なんなりとお申し付けください」


 まるで執事か何かのようにお辞儀をしながら返事をして、掃除道具を受け取った。

 というか今の台詞は軽いギャグのつもりだったんだが、「じゃあ、お願いしますね」と言って流されてしまった。どうも若者のノリは苦手らしい。


「ちなみに向こうの方は終わってるから、やらなくていいからね。私はちょっと用事で本殿に戻るから、何かあったら呼ぶんだよ」


 短く「はい」とだけ返事をして掃除を始めた。

 ここでのボランティアは、正直楽しい。ゲームなんかとは違う楽しさがある。

 なんというか、ここに居ると和むのだ。湯布院さんはやさしいし、ここの独特な雰囲気も相まってそう感じるのかもしれない。

 だから、僕はこの空間が壊れるような真似だけはしたくない。仮に僕が爆弾を持たされて「どこかに仕掛けろ」と言われたら、ここだけは避ける。

 喩えがよくわからないかもしれないが、それくらい好きだって事だ。この場所と、恩人である湯布院さんが。


「よし、終了」


 そう呟いて僕は境内の掃除を終えた。湯布院さんが毎日掃除を欠かさないので、基本的に掃除なんてしなくても綺麗なのだ。

 やる事がなくなったので、僕はとりあえず湯布院さんを呼びに本殿に入っていった。

 すると中から無精髭を生やした三十歳くらいの男性が出てきて、湯布院さんに挨拶をしていたところだった。


「どうも、捜査にご協力いただき感謝します。何か気づいた点があれば先ほどの番号に  ご連絡ください」


「いえいえ、困った時はお互い様ですから」


 そう言って湯布院さんと男はお互いに頭を下げ合っていた。

 捜査って何の事だろう。じゃああの男は刑事か何かだろうか。でも神社に警察の捜査が入る理由がよくわからない。

 刑事らしき男は、僕の前を素通りして階段を降りて行った。

 まるで僕なんかには興味が無い、とでも言いたげだったな。そう感じるのはさすがに被害妄想だろうか。

僕はなんとなく気になったので、その人の事を湯布院さんに尋ねてみる事にした。


「湯布院さん。今の人は誰ですか?」


「ん、真崎くんか。なぁに、大した事じゃないんだ。あの人は刑事さんらしい。神狩かがりとかいう名前だったかな。なんでも、今追っている事件の証拠がこの神社にあるかもしれないらしく、捜査させて欲しいと言ってきたんだ。実は真崎くんが来た時にはもう中を探し回っていたんだよ」


 刑事という言い方が少し気になったが、とりあえず続きを促す事にした。


「それで、どうだったんですか?」


「何も見つからなかったってさ。一体こんな神社に何があるというんだ全く……」


 そう言ってため息をついた湯布院さんは、虫の居所が悪そうな顔をしていたような気がする。

 ――けどまぁ、警察の捜査が入るなんて落ち着いた心境じゃいられないだろう。

 そう思って深く考える事はやめておいた。


「ところで真崎くん。掃除は終わったのかい?」


 湯布院さんはさっきの話はあまりしたくないらしく、早々に話題を切り替えた。


「あ、終わりました。次は何をしましょうか?」


「そうだねぇ……。今日はもう上がっていいよ、お疲れ様。こうも毎日手伝ってもらっていると私のやる事が無くなってしまうからね」


 そう言って湯布院さんは軽く笑った。今日はほとんど何もしてないから僕は何となく納得は出来なかったのだが……、まぁ無理に手伝う必要も無いだろう。

 なにもこういう日は初めてじゃない。

 神社にも仕事の多い日、少ない日はあるようで、多い時は本当に色々な事をやらせてくれる。一度、ご神体を磨かせてもらった事もある。なんとなくそういう物は一般の人が触れてはいけない気がしたので、それはもうビクビクしながら磨いた。

 そしてそういう仕事の多い日にはご褒美が出たりする。スイカやら水羊羹やら、それも高級そうなものをポンと出してくれるのだ。

 それに期待している自分もいたりするのは、内緒だ。


「わかりました。じゃあ今日はこれで失礼しますね」


「いつも本当にありがとうねぇ。……あ、そうそう」


 そう言って、湯布院さんは何かを思い出したかのように懐をまさぐった。そして何か紐状の物を取り出して僕に差し出す。


「せっかく手伝ってもらったのに何もなしって言うのも悪いから、これをあげよう」


「……なんですか、これ?」


 それは携帯のストラップだった。キャラクターやら飾り物が付いているわけでも無いただの赤い紐。「これぞ真のストラップだ」とでも言いたげな何の面白みも無いストラップだ。

 神社と関係あるものでもなさそうだし……、どうしたんだろう。


「今日、真崎くんが来る前に境内の掃除をしていて見つけたんだ。落し物というよりは、捨てられていたみたいでねぇ。私は携帯電話を持っていないし、汚れているわけてもないから捨てるのも勿体無いと思ってね。受け取ってくれるかい?」


「そうなんですか。じゃあ、有難くいただきます」


 落ちていたものを貰うのは少し嫌だったのだが、湯布院さんも好意で渡してくれてるんだ。受け取らないわけにはいかないだろう。

 僕はそのストラップを受け取り、とりあえずポケットに入れておいた。

 あれ? でも今の話、少しおかしくないか?


「湯布院さん。これ、さっきの刑事さんに見せなかったんですか?」


「……なぁに、こんなものは何の証拠にもならないだろうと思っただけだよ」


 なんか今、間があったような気がする。

 それに捜査というならどんな物でも見せるべきじゃないのだろうか?

 疑問は多々あったが、とりあえず置いておこう。僕は湯布院さんを疑うような事はあまり言いたくないのだ。

それに実際ただのストラップが証拠になんてならないだろう。


「まぁ、そうですよね。じゃあまた明日来ますんで、これで」


「うん、じゃあまたね。無理して毎日来なくてもいいからね」


 それでは、と手を振って僕は長い階段を降りていった。まぁ、あんまり長居して父さんに感づかれても嫌だしな。やめたと言ったばかりなのでバレると何を言われる事やら。


 階段を降りきったところで、さっき出て行った刑事が煙草をふかしていた。

 僕は煙草を吸っている人間がなんとなく好きになれない傾向にある。だから例に漏れずその刑事に嫌な印象を抱く事になる。

 なんだか柄の悪そうな人だな、と言うのが素直な感想だった。

 もちろん実際はそんな事は無いのかもしれないけど、悪印象というのは一度抱いてしまうとなかなか払拭できないのだ。

 そんな理由で特に悪い事をしているわけでもないのに僕は刑事の前を俯きながら通り過る事にした。

 しかし、残念ながらすぐにその刑事に呼び止められてしまった。


「キミは、この神社の関係者かい?」


 その呼びかけすら無視しようかと一瞬考えたが、それだと何か探られたくない事があるみたいで悪心象を与えかねない。僕じゃなくても悪印象と言うのは払拭するのは難しいだろうしな。ここはちゃんと答えておこう。


「いえ、ただのボランティアですけど」


 もしかしたら声のトーンが若干不機嫌に聞こえたかもしれない。

 しかしそんな事は気にも留めずに刑事は話を続けた。


「そうか。俺は神狩と言う。一応刑事だ」


 名乗られたら名乗り返すのが礼儀だと教わった気がする。ここで礼儀を無視するのはやはり悪印象を与えそうなので、普通に名乗る事にした。


「真崎です。えっと、高一の学生です」


 高一の学生ってなんか言葉が二重になってる気がするけど、そんな細かい事を気にする人もいないだろう。


「うん、『高一です』までで十分だぞ真崎くん」


 気にする人がいた。まだ高校生なんだから大目に見てくれてもいいだろうに。

 むしろ高校生だからこそ挨拶の仕方を教えてくれているつもりなのかもしれないな。親かアンタは。


「……ご丁寧にどうも」


 思いっきり不機嫌な声で言ってみた。すると、神狩とか言うこの男は取り繕うように「ああ、すまん。機嫌を損ねてしまったみたいだな」と言ってから本題を切り出した。


「キミは、宗教団体ゴッドという名前に聞き覚えはあるかね?」


 またゴッドか。今朝聞いた教祖逮捕の記事を思い出しながら答える。


「あります。あれだけニュースになっていたので、嫌でも」


 まぁ、実際にはその話は今朝初めて聞いたんだけど。でもなんとなく、非常識な人間だと思われたくなかったので見栄を張った。


「その教祖の男に関する、何らかの証拠がここにあるかもしれないんだ」


 随分と曖昧な物言いだな。どんな物かもわからないし、無いかもしれないという言い方だ。


「そうなんですか。僕は特に怪しいものは見ていませんが」


 湯布院さんに貰ったのはただのストラップで、怪しいものじゃないと思う。だから大丈夫、嘘は言ってない筈だ。


「そうか、それならいいんだ。どうもあの神主は何か隠しているような気がしてね」


 この人、湯布院さんを疑っているのか? それなら僕もこれ以上付き合ってやる義理は無い。コイツは敵だ。


「用件が済んだのなら、これで」


 そう言ってから、僕は踵を返して歩き出した。

しかし、その後に続いたそいつの言葉は、別れの挨拶ではなかった。


「ああ、引き止めて悪かったな真崎君。……それと、一つ忠告しておこう」


「……?」


 『忠告』という意味深な発言に、僕の足は自然と止まってしまった。

 なにやってるんだ僕は。こんな奴の言葉なんて聞く意味が無いのに。


「嘘をつくときは、出来るだけ視線に気をつけた方がいい。急に目をそらしたり、逆に妙に見つめたりすると嘘がばれるぞ」


「…………っ!!」


 ――まるで全てを見通したかのように男は言った。

 その言葉で、僕の背筋にぞわりと寒気が走った。嘘がばれた事と、その全てを見透かしたような物言いが手伝って、この男に恐怖を感じてしまったのだ。


「な、何のことですか一体……。それでは、失礼します」


 震える声でそう返して僕はその場を立ち去った。

 間違いなく怪しまれてしまっただろうが、僕は何も悪い事なんかしていない。境内に落ちていたストラップを湯布院さんから貰っただけだ。

 それの何が悪いと言うんだ。こんなの事件の証拠であるはずが無い。ましてやゴッドとやらと一体何の関係があるって言うんだ。

 大体あの湯布院さんが悪い事をするはずが無い。あんないい人に向かって『何か隠している』だなんて失礼だろ。

 どうせ全部あの刑事が悪いに決まってる。どうせ御室神社を強引に調べようとして湯布院さんに迷惑をかけた挙句、しれっとした顔で「捜査に協力してください」とか言ったんだろう。

 そんなの協力して貰えないに決まってるだろ。

 そうだ、全部あの刑事が悪いんだ……全部。

 そうやって、まるで初めていたずらをした子供のように、散々自分に言い訳をしながら帰り道を歩いていった。


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