帰国



 叶がファントムに戻ったのは、出発して十日後だった。


「カナエ、よく戻ってくれた」


 心底嬉しそうなエドワードに叶も笑みが零れる。

「約束しましたから、ね」

「叶、あんた本当にいいの? 元の世界にも戻れたのに」

 望はあのウィリアムとミナの変身を見てから、何度か元の世界に戻る方法があると提案してくれたが、叶はそれを断っていた。

「エドワード様はとても良くしてくれたもの。恩を返すまでは帰れないわ」

「そもそもの原因が彼でも?」

 望は信じられないと叶を見る。

「そういう望だって元凶のメディシナさんと一緒に居るんじゃないの?」

「私は、元凶が私なの」

 叶は思わず笑う。

 結局望だって戻る気は無いのだと知り、似たもの同士だと再認識した。

「クレッシェンテは楽しめたか」

「はい、珍しいものばかりで。病院で頂いたご飯もとっても美味しかったです」

 そう、笑えば、エドワードは複雑そうな表情を見せた。

「ミナ、人の子の食事についての研究は出来たか?」

「はい、レシピと食材を手にしました」

 まだチャードリーに似た衣装を身に纏ったミナの表情は見えないけれど、その声色はどこか楽しそうに聞こえる。

「擬似太陽を設置する部屋は用意してあるのか?」

 メディシナはそれが最重要だといわんばかりに木箱を抱え、ウィリアムを見る。

「どのくらいの広さが必要か聞いていないが好きな部屋を使え」

 エドワードは少し不機嫌そうな表情を作り、それから不安気に叶を見た。

「カナエ、久々に庭園で散歩でもしないか。お前の話を聞きたい」

「はい」

 叶はすぐに頷いた。

 ほんの数日会わなかっただけで、こんなにも再会が嬉しいとは思わなかった。なにより、彼からの誘いは嬉しい。

 それに、頷くと、不安そうだった表情がとても穏やかなものに変化する。それだけで、叶は嬉しくなった。

「あらら……エディったらいい男じゃない。笑うととってもハンサムねー。普段辛気臭い顔してるくせに」

 望は笑う。失礼はないかと恐る恐るエドワードを見れば驚いたと目を見開いていた。

「ちょっと、望……そんなこと言ったら失礼だよ」

「いいじゃない。あんたも呼べば? いつまでもエドワード様だなんて他人行儀じゃない。エディの方が可愛いし」

 馴れ馴れしい望にエドワードが怒り出すのではないかと叶は冷や冷やとしたが、そんな様子は無く、彼は静かに口を開いた。

「……エド」

「え?」

 思わず聞き返した。

「私の愛称はエドだ。エディじゃない」

 少し不機嫌そうに彼は答える。

「エド?」

 そう、呼んでみた。

 なんだか少し距離が近くなったような、そんな気がする。

「なんだ」

「やっぱりエド様、でしょうか?」

「お前は私の后だ。エドで構わん」

 彼はどこか嬉しそうに笑った。

「エド、ねぇ。ちょっと硬いんじゃない?」

「お前に許可した覚えは無い」

 エドワードは望に話しかけられた途端不機嫌な表情を作る。

 彼の表情は変化が無いように見えてもしっかり微表情にその兆候は現れていた。

「お前を生かしているのはカナエの為だということを忘れるな」

「だから、殺せないんでしょ? エド」

 ニヤリと笑う望。彼女はすっかりとエドワードをからかう対象と認識してしまったらしい。

「何故このような無礼な娘に私のカナエは懐いているのだ」

「叶の一族はハンターだからね。うちの一族、怨み買いやすいから叶に助けてもらったのよ」

 ため息を吐いたエドワードに望は面白そうに答えた。

 まるで自分だけが叶を知っているという優越感に浸っているようにも見える。

「なにを……」

「叶は一族でも優秀なハンターで、どんな奴も大抵一撃で倒しちゃうけど、自分に自信が無いのが玉に瑕でね。助けてもらったときに色々助言したらすっかり懐いちゃって……まるで私が教祖みたいじゃない」

「ウィル、今の言葉は……」

「本当だ。帰りに船に乗り込んできた魚人を一撃で仕留めた。それは容赦なかったぞ」

 ウィリアムは溜息を吐く。

「カナエ……」

 エドワードが信じられないと叶を見つめた。

「……あれは……正当防衛です。寝ているときにいきなり人の寝台に入ってくるなんてそれは……怖いじゃないですか」

 決して自分が殺しを楽しんでしまったなどと彼には言えなかった。何があってもエドワードだけにはそれを知られたくは無い。

「船ではメディシナが護身のためにって枕元に短剣を用意してくれたのよ。で、私たちの寝室に入ってきた変な奴を、私が一人、叶が四人倒したの。といっても、私はすっごく苦しめただけで仕留めれなかったけど」

 武勇伝を聞かせたいと望はエドワードに語る。

「だから刃物は嫌いって言ってるのに」

「ごめんごめん。次からは塩か何かにしてもらうって。でも、あんたはまだ一撃で仕留めてやるから優しいよ。メディシナなんて、医学の知識を悪用してじわじわ痛めつけていくのが好きだからさ、強盗とか入ったときが悲惨なんだって」

「随分慣れているのだな」

「まぁ、長いからね」 

 望は笑う。

「短剣が使えるのなら杭は必要ないかも知れぬな」

「え?」

「カナエの護身のために用意したのだが短剣の方が慣れているなら短剣を用意しよう」

 エドワードの言葉に耳を疑う。

「エドは相変わらず過保護だな。はっきり言う。花嫁はミナと並ぶほどには強い」

「それは凄いな」

 二人分の感心したような視線を感じ、叶は顔に熱が集中するのを感じた。

「ノゾミは、それなりに戦えるのか?」

「まぁ、メディシナに色々教えてもらった程度にはね。叶の足元にも及ばないけど」

 叶はそっと、望の後ろに隠れようと思ったが、彼女は注目を集めたがっているので余計に目立ってしまうと考え直し、その場で少し俯く。

「それにしても、カナエのこの細い身体のどこに魚人を殺せる程の力があるのだろうな」

「相手を怖いと思えば、容赦なく叩きのめすのが人の子です」

 決して自分が楽しんだなどとは口が裂けても言うものか。

「悔やむことは無い。お前は、自分を護るためにしたことだ」

 エドワードはまるで慰めるかのように叶に語り、それから望に視線を移す。

「擬似タイヨウの設置にはそれほど時間が掛からぬと言っていたが、ノゾミ、お前はいつまで滞在するのだ」

「メディシナの商談が終わるまで、かな。付き添いだから」

 望は退屈そうに答える。

「もし、興味があるのであれば、図書室がある。文字が理解できなくとも、絵を楽しむことの出来るものもある。ミナに案内させよう」

「あらー? エドったらどうしたの、急に。あたしにまで優しくなっちゃって」

 望はからかうように言う。

「地下牢に入りたいのであればいつでも案内するが」

「ヤダヤダ、冗談だって。でも、私は本より衣装のほうが興味あるんだけど、王妃様の衣裳部屋とか無いの?」

「ふむ、母の衣裳部屋ならあるが、カナエのものは、まだ無いな。部屋に置ける程度の着替えしかないものでな。今度仕立て屋を呼ぼう。カナエのための、そうだな。絽の部屋着や絹の夜会着、毛皮の上着なども用意させよう。靴は何が良いだろうか。金だろうが玉だろうが望むものを用意しよう」

「……綿とか麻でお願いします。絹なんて……絶対嫌」

 絹は嫌いだと叶は思う。どうしてもあの製造過程の映像を思い出してしまう。

「絹ってだって……蚕さんの繭を……」

「服飾専攻はこれだから嫌いなのよ。その着物、私に頂戴。私のほうが着こなせるから」

 望はまるで衣装の催促をするときのように自信満々にポーズを取る。

「まだ用意できていないといったはずだ。仕立て屋なら紹介するが、格がある。庶民が手に出来るものとそうでないものくらいは自覚して欲しい」

「エドワードって叶以外ほんっとに眼中に無いのね」

 望はつまらなそうにつぶやいた。

「メディシナさんで我慢しなって。あの人望のこと大好きでしょう? お金持ちだし、優しいし、カッコいいし。ダサいけど」

「そう、ダサいの。それが無理」

 望はちろりと舌を出してみせる。

「花嫁、エドワードの前で他の男を褒めるな。妬くぞ?」

 ウィリアムがからかうように言う。彼がこんな風に笑うなんて思いもしなかった。

「ウィリアムさんは本当にエドワード様のことは何でも知っているんですね」

「付き合いが長いからな。ほら、庭園に行くのだろう? そっちの娘は俺が預かる。ゆっくり旅の話でもしてくるといい」

 彼は優しく笑んで、それから猫を摘むように望の首を摘む。

「悪いな」

「いや。可愛い花嫁は俺も嬉しい」

「カナエは私の后だ」

「ああ。そして俺に怯えない」

「……まさか、変身したのか?」

 信じられないと非難するようにエドワードはウィリアムを見る。

「クラーケンが出た。仕方が無いだろう」

 ウィリアムは軽くため息を吐いた。

「花嫁は俺に怯えなかった。これはとても意味があることだ」

「びっくりしたけど……近くで見ると結構可愛かったので」

「か、可愛い? ウィリアムが?」

 エドワードは数回瞬きをする。

「おっきなわんちゃんでしたね」

 思い出しただけでかわいい巨大なもふもふ。

「犬ではなく狼だが」

「親戚みたいなものでしょう?」

「まぁ、間違っては居ない」

 犬も狼も同じような生き物だ。ただ、あの巨大なもふもふは是非にでも撫でたいと叶えは変身後のウィリアムの姿を思う。

「エドワードも嫌われる前に本性見せとけ」

「お前とは話が違う。人の子は我々の姿に怯える。ジョナサンを見て悲鳴を上げただろう。カナエは」

「まぁ、大きさ的にも問題はあるが、エドワードだと先に知っていれば問題なかろう」

「カナエにあの姿を見せるくらいなら自害する」

 エドワードは深刻に悩んでいるようだ。

「エドワードは生まれつき魔力が異常に膨大でな。それが外観にも現れる」

「よせ」

「先に教えておいたほうが覚悟が出来るだろう。万が一の時。仮の姿だろうと、銀の髪になるのは高い魔力の証だ」

「ウィリアム、それ以上言えば、噛む」

 エドワードはうんざりした様子でウィリアムを睨んだ。

「待て、あれは本気で痛いから止めろ」

「なら、それ以上余計なことを言うな。私は、この魔力もあまり好きではない」

 ウィリアムは怖い怖いと言いつつも笑っている。

「エドワード様はご自分が嫌いなのですか?」

 叶は彼が怒ったりしないかと怯えながらもそう訊ねた。

「エド、だ」

 彼は不機嫌に言う。けれどもそれが嬉しかった。

 これはエドワードが心を許してくれた証だろう。

「ごめんなさい。エド」

「行くぞ」

 どこか照れくさそうに、エドワードは叶の手を引いた。

「はい」

 まるで歩幅をあわせるように、彼はゆっくりと歩く。

 たったそれだけなのに、とても満たされた気分だ。

 今は、ただ、彼と出会えた奇蹟に感謝したい。

「カナエ」

「は、はい」

「私が怖いか?」

 彼がこう、訊ねたのは何度だろう。

「いいえ。エドワード様がお優しい方だということはウィリアムさんからもミナからもたくさん聞きました。私も、彼らと同じように思います」

 彼らの言葉ではない。常に見せる態度が、その主の人徳を語っている。

「そうか」

 エドワードは少しばかり照れくさそうな表情を作り、それを隠すかのように薔薇に手を伸ばした。




 擬似太陽の設置された部屋は城の中央部にある中庭に面した部屋だった。

 ここは叶の普段生活する部屋より三階下で、図書館へ向かう中間地点になる。

 広い部屋には足踏みのミシンがあり、叶は嬉しくなった。

「エド、あのミシンを使ってもいいですか?」

「ミシン? ああ、すまない。ここは私の母の部屋でな。もう何十年も使われていない。動く保障はないぞ」

「大丈夫です。調整も自分でできますから」

 久しぶりに針仕事ができる。

 そう思うと嬉しくてたまらない。

 叶は、縫うことと編むことが大好きだ。

 それに、今は会いたければいつでも望に会える。

「カナエが望むのであれば新しいものを用意させよう。お前のお気に入りのあの商人に」

 エドワードはからかうように笑った。

「じゃあ、お願いしてもいいですか」

「ああ。カナエが望むのなら。ちょうど魔水晶を渡す約束があったからな」

 メディシナがここに来るということは、望に会えるということだった。

 メディシナはもっと短距離の移動手段が欲しいといつも口にするが、それをエドワードは絶対に許可しなかった。

 空を飛べばいいのにと、望が口にしたこともあったが、この国の上空は海以上に危険だという。

 竜だけでなく、危険な鳥や翼手族の盗賊が出るらしい。

「ついでにカナエの服も仕立てさせよう」

「材料がそろえば自分で作りますよ。時間はたくさんありますから」

 叶は笑う。

 こうして、笑っている間にも、エドワードの肌は火傷と再生を繰り返しているというのに、彼は気にした様子が無い。

「それより、ここを出ませんか?」

「別に私は構わん。タイヨウというものをもう少し味わってみたい」

「さっきからひどい火傷ですよ?」

「どうせすぐ治る」

 彼は全く怪我を気にしない。痛みを感じないはずはないのに、気にしていない様子だ。

 ウィリアムと暇つぶしだと、剣の試合をした時、自分からウィリアムの剣に体を貫通させ反則負けになっていたのを思い出し、叶は頭を抱えたくなった。

「私が気になります。出て行ってください」

「傷は治るが?」

「エドが怪我や火傷をするところを見たくないんです」

 叶は半ば無理やり彼を部屋から追い出した。

 ミナは絶対に肌を出してこの部屋に近づいたりはしない。

 彼らはドアから漏れる光を浴びただけでも重度の火傷を負ってしまう。

「私は人の子と違い再生力が高い。何も心配は要らぬ」

「それでも心配してしまうのが人の子です」

 エドワードは不思議そうに叶を見つめ、それからふわりと笑った。

「お前は本当に愛らしいな」

 そっと彼の手が頬に触れた。

 ただ、それだけで、胸の奥が熱くなる。

 叶はそっと、その手に手を重ねた。

 ひんやりと冷たい手。

 けれどそれは、世界で一番愛おしい人の手だ。








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