敵襲
叶は数日間病院で寝泊りをすることになったが、望は毎日、時間が許す限り叶の傍に居た。おかげで彼女はすっかりウィリアムと顔見知りになり、馴れ馴れしく話しかけては睨まれるようになった。
そして今日、あのメディシナという男が木箱を抱えて病室に入ってきた。彼は相変わらず派手好きで、赤や金をあらゆるところにふんだんに使った装飾を身に着けている。一言で言えば成金趣味。叶の感覚からすると悪趣味としか思えない。彼は一応望の上司らしいのだが、望は彼をはっきりと「ダサい」と表現している。
そんな彼は今、相当上機嫌だった。その理由は恐らく木箱の中身だろう。
「メディシナ、それなに?」
望が彼に訊ねた。
「疑似太陽だ。このお嬢さんがファントムで生活するために必要なもので、動力に黄魔水晶を使う。ファントムじゃ石ころみたいにその辺に転がってるから半永久的に使えるだろう。取り付けと改装の職人は手配してある。いつでもファントムに発てるぞ」
箱を開けないのはミナへの配慮なのかもしれない。
「あたしも行きたい」
「はぁ?」
「だって、気になるじゃん。叶の愛しのドラキュラ伯爵」
「だから、エドワード様だって。それに、彼はきっと日光アレルギーなだけだよ」
「伯爵じゃない。国王陛下だ」
メディシナもわざわざ訂正をするということはかなり重要なことなのだろう。
「お前なぁ、ファントムへの旅路は危険がいっぱいなんだぞ? クラーケンや魚人が出る。ファントムに着いたら着いたで化け物だらけだ。噂じゃ竜も居る。まぁ、竜くらいならクレッシェンテにも居るがな」
叶は耳を疑った。
そんなものは祖母の話す果てしない空想だと思っていた。
小さいころからなぜかナイフや縄の扱いを叩きこまれたり、難解な呪文や歩きかたを覚えさせられたりしたが、そういうものはすべて祖母や父の妄想が原因だと思っていた。
「そんなの本当にいるの?」
「ああ。お前さんの連れ歩いている護衛もその仲間みたいなモンだよ。どうしても行くって言うなら……嬢ちゃんらはこれを肌身離さず持ってろ。護身用だ」
メディシナは木箱とは別の荷物から短剣を二本取りだした。
「刃先は銀だ。人間相手じゃ脆いが、化け物相手ならかなりの破壊力がある。確実に急所を狙えと言いたいところだが、嬢ちゃんらにそれは酷ってモンだろ」
叶は短剣を受け取って驚く。妙に手にしっくりとする剣だ。
まるでずっと使いこんでいたナイフのように、頼れる相棒と言った感覚だ。
「うわっ、結構重い」
「当たり前だろ。小さくても武器だ。殺すために作られてる。銀を混ぜた剣で柄には魔水晶が入ってる。それは隠れた魔力を無理矢理引き出すタイプだな。使う奴の魔力によって威力が変わる。が、危なくなったらすぐにオレを呼べ。いいな?」
「はぁい。ところで、メディシナって強いの?」
「そりゃあ、こんな国で商売してるからな。そこらへんの殺し屋を撃退できる程度にはな」
まるで遠い話のようだ。
けれども、叶は鞘から抜いた刃を眺める。
妙にしっくりする、不思議なナイフだと思う。
「船はもう、港に用意してある。あんたら、他に必要な物はあるか?」
「食料だ。花嫁は国の物を食さぬ。人の子の食料を」
「一月分は用意してある。あとは、オレと独占貿易の契約次第だな。アンタの主に言ってくれ」
彼はウィリアムと視線を合わそうとはしなかった。
お互い相手を嫌っているということがすぐに分かる距離感だ。
「ウィリアムさん、ミナは?」
「資料を買いあさりに書店へ向かった。すぐに戻る。置いて行ってもすぐに追いつく」
ウィリアムは特に気にとめた様子もなくそう答えた。
「なら、行くか。これを狙ってくる馬鹿が居たら困るからな」
メディシナは大切そうに木箱を抱える。
エドワードが望んだそれは特殊なものなのだろう。
もう、不思議なことが起きてもさほど驚かないようなこの世界でも、彼の手にある木箱の中身は相当貴重らしい。
叶はただ、ぼんやりと木箱を見つめ、それからゆっくりと起き上がった。
港で待っていた船は来た時よりも更に大きくて立派な木造船だった。
中には船室が四つあり、その中のひと部屋に寝台が二つ並んでいて、そこが叶と望に与えられた部屋だった。
すぐ隣にメディシナの部屋があると聞くが、ミナとウィリアムには個室は与えられないようで、一緒に連れられた職人たちと雑魚寝だと聞く。
「うっわ、悪趣味」
望は部屋に入るなりため息を吐いた。
いたるところに金の装飾がある船。いかにも高級そうな絨毯や寝台、何かの惨劇が描かれた絵画。
「……この絵は嫌だな」
叶も思わず口にした。
首のない人が血を流しながら自分の首を探している向こうでたくさんの人が串刺しにされている。
右下に【ドーリー】のサインが見えた。
「この画家クレッシェンテじゃ有名なんだけどね……」
「普通女の子の部屋にこんなの飾らないよ」
叶は頭を抱えたくなった。
「ところで、船で二日掛るんだっけ?」
「来る時はもうちょっと早かったけど、人も多いしね」
それとも来るときに乗っていた船の方が性能がいいのかしら? 叶はぼんやりと考えた。
メディシナは眠っていていいと言っていた。
ドアの前にはミナとウィリアムが交代で居ると聞く。
「ってかさぁ、このヒッラヒラのネグリジェはないよね。あいつこんな趣味なんだ」
望は寝間着として用意されていたネグリジェを見て腹を抱えて笑っている。
「ってかさ、あんた、そのエドワード様だっけ? のとこでなに着せられてたの?」
「……えっと……シンプルなワンピースが多かったかな? あんまり派手なのはなかったと思う」
いつも薄暗いあの場所で、はっきりとデザインを認識したわけではなかったが、肌触りはよく、とても丁寧な細工をされていたことが触覚で理解できた。
「いいなぁ。メディシナってさ、いい人なんだけど、趣味悪いでしょ? だから、あたし最近ご主人様のところで制服貰って安心した」
「ご主人様?」
「そっ、メイドのバイトしてんの。すっごいんだよ? クレッシェンテの宮廷騎士団長の奥さんの世話係なの」
「へぇ」
生き生きとした様子を見せる望の話を聴きながら、叶はネグリジェを手に取った。
叶は大人しく用意されたネグリジェに着替え、日課である祈りを済ませ、寝台に入った。
枕元には、あの妙にしっくりと手に馴染む短剣を置く。
不思議なことに、それがあるだけでひどく安心することができた。
なにより隣の寝台には望が居る。
叶はすぐに眠りに就くことができた。
夢の中で叶は枕元の短剣を手に持っていた。いつものように父親とナイフの訓練をする。大学に入ってからはすっかり怠けていたが、まだ、体がちゃんと感覚を覚えてくれていたようだ。
確実に一撃で急所を狙えと父は教えた。あらゆる生物の急所は大体検討がつく。
一瞬の目視で急所を認識する必要があった。
たとえば大百足。
たとえば蠍。
たとえば巨大蟹。
彼らはつなぎ目が急所になる。
夢の中で叶は巨大なそれらを小さな短剣で次々に仕留めて行った。
ばかばかしい夢だと自覚はあった。しかし、何かの気配がした。
叶は慌てて飛び起きた。手にはしっかりと短剣が鞘から抜かれて握られている。
そして、剣先は確実に相手の急所を捉えていた。
「な、なに?」
まだ、状況は認識できない。
だが、これは侵入者で外敵だと本能が告げていた。
短剣を抜けばすぐに人型のそれは床に倒れる。おそらく即死だろう。
「叶、無事?」
望の声が聞こえる。
「うん。平気」
叶は寝台から降り、望が交戦している相手に止めを刺す。
「確実に一点で急所を狙わなきゃ駄目」
「……さっすが……やっぱあんたには勝てないや」
望の呆れたような感心したような声が聞こえたが、叶の目にはすでに次の敵が捉えられていた。
彼らは人のような姿をしているが、えらがついていた。
手には水かきがあるようで、全身が濡れて、海の臭いをそのまま身に纏っていた。
「ファントムの花嫁だ」
遠くから声がした。
「人の子の娘を殺せ」
叶は不思議と恐怖を感じなかった。
それどころか、彼らを殺すことに対して何も疑問を感じなかった。
「望、布団被って伏せてて」
「え? あ、うん」
望がうなづいたことを確認すると、次の瞬間にはナイフがきらめき、弧を描きながら一人の魚人の咽喉を切り裂いた。そしてすぐにもう一人に切っ先を向け、一撃で急所を狙う。
大抵の生物は頭と胴を切り離せば死に至るということは明白だった。
「花嫁は無事か?」
ウィリアムの声が響く。
「四人、刺殺しました」
自分の声が驚くほど色がないことに、叶は苦笑した。
すがすがしい気分だった。
どうやら叶は祖母に似たらしい。
生まれつきの【ハンター】だったようだ。
攻め入ってきた彼らは皆魚人で、エドワードに何らかの恨みを抱いているのだとウィリアムから説明があった。
「それにしても、花嫁は立派な戦士になれそうな見事な腕だな」
「叶の家は代々ハンターだからね」
「何?」
ウィリアムは警戒するように叶を見た。
「実際に殺したのは初めてですが……自分でも驚くくらいこの短剣が手に馴染みます」
「天性の才能だな。我々としては歓迎はできぬが……いや、狩人が我らが王の花嫁だということに意味があるのだろうか」
ウィリアムは少し考え込む。
殺した魚人の亡骸はミナが処分するということで、部屋にはしばらく戻れない。
「にしても、叶、かっこよかったよ。アクションスターみたいだった。たぶん吸血鬼の巣窟に入っても一人で全部倒しちゃうよ」
「うーん、望が居たから必死だったってのもあると思うよ」
そう、答えたが、叶は自分が殺しを楽しんでいたという事実に後ろめたさを感じていた。
もし、次もこんなことがあれば。もし、こんなことが続けば、自分はきっと快楽殺人鬼になってしまう。
そう考えるとゾッとした。
「不味い」
ウィリアムがそう口にしたかと思うと、船が大きく揺れた。
「何?」
「クラーケンだ。嬢ちゃんたちはオレの部屋に入ってろ」
メディシナの声が響く。けれども望はその言葉を無視して甲板に出てしまった。
「うわっ」
望の悲鳴に叶も慌てて甲板に出る。
そこには巨大な烏賊の足があった。
「ダイオウホウズキイカ!?」
望の叫びに状況にもかかわらず、叶はため息を吐いた。
「ダイオウホウズキイカはこんなに大きくないよ」
そうは口にしたものの、ダイオウホウズキイカの全長は最大14mだと聞く。
「でも、不確定記録で20mのダイオウホウズキイカが居るって……」
「いや、烏賊の話はいいから……さすがにあれはナイフじゃ無理だよ」
烏賊の対処法なんて習ってない。
叶は必死に今までの訓練内容や読書記録を思い返すがいいアイディアは浮かばなかった。
「月が出る。叶様、中にお戻りください」
「え?」
「ここは騎士団長に任せて」
ミナがそう言ったかと思うと、ウィリアムがゆっくりと甲板に出てきた。
そして、彼は月を見上げる。
まるで、一度見たら目がそらせないとでも言うように、まっすぐ月を見た彼は、月に向かって咆哮した。
それは狼の遠吠えのようだった。
叶は信じられないと彼を見る。望もそれは同じようで、彼から目をそらせない様子だった。
ウィリアムは服を引き裂いた。それと同時に自分の皮膚や肉も抉るようにして、肉体を脱いでいった。
望は小さく悲鳴を上げたが目をそらせないようで、叶はいまだにこれを現実だとは信じられなかった。
人の体の中から、巨大な犬が出てきた。全長は二間はあるのではないかという大きな犬だ。
「狼人間だったの?」
望は驚いたようにウィリアムを見る。
「彼は狼族ですので、月を見るとすぐに変身してしまい、よく服を破いてしまいます」
「でも、狼じゃ烏賊に勝てないんじゃ……」
「ご安心ください。宮廷騎士団長はそんなに安い称号でもありませんよ。それに、このミナもおります」
そう言ったかと思うと、彼女もまた人間大の蝙蝠へと姿を変えた。
「……吸血鬼?」
叶は驚いた。
もしかすると、前に部屋に居たジョナサンという彼もそうだったのかもしれない。
狼が烏賊の足に噛み付くと、烏賊は激しく暴れだした。そして、巨大な蝙蝠が烏賊の目を攻撃する。
「……妖怪大戦争……」
「西洋版?」
船が激しく揺れる。
日頃CGを多用した映画に慣れ親しんでいる若者には、目の前の光景に驚きはしても身動きが取れないほどの恐怖はないようだ。
「あー……オレの出番は無いな。さすがにあれに割り込んだら死ぬ」
メディシナはあきらめた様子で剣を戻し、椅子に腰を降ろした。
「すごい……」
叶は思わず大きな狼に視線を奪われる。
毛並みがいい犬のように思える。もふもふとして愛らしい。
鋭い目がウィリアムの目だと認識はできるが、撫で回したいような抱きつきたいような愛らしい生物に見える。
「後で撫でさせてもらえるかな」
「……狼人間に噛まれたら狼人間になっちゃうよ?」
「大丈夫、発症までは一ヶ月の猶予があるから」
叶はそう答え、狼に視線を戻す。
烏賊が激しく暴れている。そして、牙から逃れるように海深くに沈んでいった。
狼は勝ち誇るかのように月に向かって咆哮し、ゆっくりと人型に戻っていく。
服はもうぼろぼろで跡形も無い。
「騎士団長、叶様の御前であらせられるぞ」
「ミナ、上着をよこせ。腰巻にする」
巨大な蝙蝠だった彼女はゆっくりと人型に戻るが、彼女の衣服は変化ひとつ無い。
「新品で返してくれよ」
ミナは笑って言えば、ウィリアムは「ああ」と短い返事をする。
「さぁ、叶様、中に戻りましょう。しばらく海が荒れます」
「は、はい」
叶は慌てて返事をする。
まさか大きな犬が居なくなって残念だとは口にはできない。
ただ、名残惜しいと、ウィリアムを見れば、不思議そうに見つめ返された。
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