排除


 ハウルの女というのは随分不便だと、エドワードは考える。目まで覆われた妙な装束を着ている。砂漠の風土と宗教的な理由で全身を覆うのだろうが、あれで前が見えるのだろうかと不思議に思いながらミナをカナエの部屋に送った。

 彼にはジョナサンという監視がつく。まぁ、ウィリアム不在となると妥当だろう。

「カナエはああ言ってくれたが、本当に戻って来てくれるだろうか」

 ノゾミという者に会うと言っていた。もしかすると、私よりもその者と共にいたいのかもしれない。

 エドワードは不安で震えそうだった。

「大丈夫ですよ。エドワード様。ミナも騎士団長も一緒なんですから。最悪気絶させてでも連れ帰りますよ」

 安心させるような気楽なジョナサンの声に少しばかり苛立ちを感じる。

「ジョナサン、カナエの意思を無視して連れ戻したところで意味は無い」

 カナエは失いたくない。だが、カナエの嫌がることもしたくない。それは我侭だろうか。

「ジョナサン、お前は知っていたか? 人の子がタイヨウ無くしては生きられぬと」

 そうだ。何故初めに気付かなかったのだろう。ミナは同族だ。ジョナサンも。だが、ウィリアムは誰よりも人の子を見ている。エドワードは思わず爪を噛みそうになり、それを抑えた。

「タイヨウなんて見た事も無いんで」

「ああ、そうだな」

 だが、一人だけ居る。

 タイヨウの下で人の子として生き、彼らの仲間になったものが。

「アンが気付かぬはずがない」

 可能性に気付きエドワードは更に苛立った。

「……ゴーストばあさんは人の子嫌いですからねぇ」

 ジョナサンは溜息を吐く。

「あれは信用できん」

「え?」

 もしかすると。いや、アンは初めからカナエが花嫁に選ばれたことを快く思っていない。そういえば随分前に精霊族の娘との見合いを熱心に勧めてきた。

 考えすぎか。だが一度芽生えた疑惑というのは簡単には消えてくれない。

「アンをここに」

「え?」

 ジョナサンは目を見開く。

「あれはかつて人の子だった」

 信じられないと、若き翼手の瞳が語る。

「あれは純血種ではないのだ」

「でも、一番長くこの城に住んでいらっしゃる」

「歳を取っただけだ」

 アンは信用できない。近頃は特に。そうだ、岸に人の子の娘が流れていたというのもあれが関わっているのかも知れん。

「アンをここに」

 もう一度、今度は先ほどより強く言えば、ジョナサンは部屋を出る。

 頭が痛い。アンを信じていた。カナエがここに来るまでは。いつでも味方をしてくれる乳母だと信じていた。しかしあれは違う。

 野心溢れる女だ。あの老婆はエドワードを利用しようとでも思っているのだろう。

 エドワードの花嫁は自分のお気に入りでなければならないとでも思っているのだろう。忌々しい。

 こんなことを言うのは良くない。頭では理解していても、一度宿った疑惑というのは消えてはくれないものだ。

 エドワードは軽く溜息を吐いた。

 それに、今の彼の優先順位はカナエが最優先であるということくらいこの国の誰もが知っているだろう。だからこそ先日、魚人族の男は叶を狙った。いや、おそらく、この城に奴を招いたのはアンだろう。

 疑惑は音も無く膨らんでいく。

 アンは私を裏切った。本能の根底が叫んでいる。

 カナエは失うわけにはいかない。だが、アンはどうだろう。あれを失ったところでこの国に、我が一族にそれほど損失があるわけでもない。疑わしきは消す。それが我々のやり方ではないか。

 もう、エドワードの決意は決まっていた。

「お呼びでしょうか、エドワード様」

「アンか」

 四百年以上この城にいるこの老婆の声はエドワードには常に猫なで声だ。 

 これを不審に思わなかったのはなぜか。いや、今は疑惑のせいでそう思えるだけかもしれない。この老婆の声が一層不快なものに感じられた。

「何故言わなかった」

 アンの瞳を見る。微かに動揺が見える。

「はて、何の話でしょうか。歳を取ると、言葉の理解が遅くなりましてねぇ」

「お前は知っていたはずだ。人の子がタイヨウ無くしては生きられぬことを」

 アンは人の子だった。母が気まぐれに血を分けて我が一族の仲間となった。もとは贄だった。完全には一族の血を引いていない。よって、純血種より加齢が速い。

「私が人の子であったのはもう既に何百年も前のことです。随分と人の子と離れていたので、すっかりと忘れておりました」

「忘れるはずが無かろう。人の子の栄光の証を」

 翼手族は決してあれの下では動けない。一族は呪われている。あれは彼らを焼く。しかし、人の子にはあれは神の象徴であるという。

「鮫の魚人をこの城の敷地内に入れたのもお前か。魚人がこの城に簡単に近づけるなどとはいくら私でも考えぬぞ」

「何故、私がその様なことをしなければならないのですか」

 アンは笑った。証拠が無いと。そうだ。これは憶測に過ぎない。当の魚人はとっくにウィリアムが細切れにしてしまった。もしかすると彼の夕食になったのかもしれない。彼は魚人の肉は悪くないと言っていた。

「お前は、カナエが私の花嫁であることに酷く不満を抱いていた。それに、精霊族の娘をと随分くどくどと薦めてきたではないか。確かにあの娘は美しいかもしれないが、私の好みではない。まぁ、強大な魔力を持っていることは保障されるがな」

 金の髪の気高い娘だった。学もある。しかし自己主張の強い女で、金や玉を好む。少し派手好きの娘だ。何度か顔を合わせたことがある。花の匂いの娘だが、食欲は湧かない。

「それは、エドワード様の花嫁が、人の子では……人の子はすぐに死んでしまう」

「我々だって必ずしも生き永らえるとは限らんぞ」

 思わず杭を取り出していた。叶に渡そうと思っていた銀の杭を。

 これは人の子の狩人が翼手族を狩る為に作ったものだ。銀で傷つけられればすぐには再生しない。勿論、エドワードにも効果はある。さらにこの杭の素晴らしい点は、柄を押せば先端が飛び出し非力な娘でもそれなりに威力を発揮できるという点だ。カナエにはこれ以上無い武器となるだろう。

 しかし、今、その杭を手にしているのはエドワードだ。

「残念だ。とても残念に思う」

 アンは大きく目を見開く。

「お前はもう用済みだ」

 力をこめたわけでもない。ただ、柄を押して仕掛けを作動させただけ。少し前に出しただけのそれは、彼の腕ほどの長さに伸び、アンの胸を貫いた。

 赤く、悪臭のするものが飛び散る。

「な、何故……」

 信じられないとアンはエドワードを見る。

「私の花嫁を護らなかったからだ」

 臭い。これは毒の匂いだ。死んだ人の子の命の匂い。翼種族の体内に流れるものとは少し違う。純血種ではないものの身体には、人の子の死の匂いが染み付いている。腐乱死体とかそう言ったものの匂いに似ているのだろう。

「ジョナサン」

 扉の向こうに居るであろうジョナサンを呼ぶ。

「はい」

「片付けろ。カナエが戻るまでに何事も無かったように。血の一滴も残すな」

「……アンのことはどう説明するのですか?」

「そうだな。職を辞し、故郷に帰ったとでも伝えよう。その方がカナエの為だ」

 私が殺しを躊躇わないと知ればあの娘はどう思うだろう。

 考えたくも無い。きっと嫌われるに決まっている。しかし、エドワードは躊躇わない。用が無ければすぐに殺すだろう。

 カナエには何も知らせるべきではない。そう、考え、エドワードは溜息を吐く。

「リジーをここに呼びましょう。掃除なら彼女が一番巧い」

「ああ、そうだな。私は、少し庭に出る」

 疲れた、のだろうか。疲労。いや、違う。

 歩きながら考える。

 私は何も考えなかった。長年仕えてくれた乳母を殺したというのに、何も感じなかった。それどころか、私は殺す瞬間にさえ、カナエのことを考えていた。殺してしまってからはカナエにどう言い訳をするかと、そんなことばかり。

「正真正銘怪物だな。私は」

 エドワードは苦笑した。

 自分でも呆れる。

 ファントム国王、エドワード・カオス・ファントム三世は自他共に認める怪物である。怪物の最後なんて決まっている。英雄に殺されるのだ。


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