花嫁
望が居ない。
叶はひとり部屋で蹲っていた。
近頃神隠しが多発しているという話を聞いた。
あれは望が私を恐がらせるために言った作り話に決まってる。
叶は気を紛らわせるためにかぎ針と毛糸に手を伸ばした。
ショールを編もう。望とお揃いにして、秋には双子コーデで一緒に大通りで買い物したり美味しいケーキを食べたりするんだ。
そう考えると少しだけ元気が出た。元気な望だ。きっと他の劇団の手伝いとか、芝居を観に行ってるとかそんな感じだろう。
そういえば、前に断ってしまったミュージカル演目はまだやってるのだろうか。
望が帰ってきたら今度は一緒にいこう。
望が好きなものはみんな私も好きにならないと。
だって、私には望しかいないもの。
私には望が必要なの。
叶は黙々とかぎ針を動かす。
毛糸は好き。
一本の線が絡まって立体になる。
線と線が重なると立体になる。この感覚はとても何かを作ってる感じかする。
叶は黙々と白いアルパカの毛糸を編み続けた。
気が付くと暗い所に居た。
月明かりだけを頼りに辺りを見渡せば、ぼうっと木々が見える。そして目が慣れると、薄暗くて色はよくわからないが、自分を囲んでいるのは薔薇だったことに気付いた。
「お前か」
突然の男の声にびくりと震えた。
「だ、だれ」
声が震える。
青白い男のが酷く不気味に見える。彼の周囲だけ不思議とはっきり見える。青い瞳に銀の髪。どうやら外国人のようだ。
「私はエドワード・カオス・ファントム三世。この国の支配者であり、お前の夫だ」
「へ?」
何を言われたのか理解出来なかった。思考回路が完全に故障してしまう寸前だ。
「娘、名は」
感情の読み取れない静かな声が、応えないことを許さないというような強制力で問う。
「か、叶……です」
「カナエ、来い。婚礼の時刻だ」
エドワード・カオス・ファントム三世はさらりと叶の手を引き歩き出す。
強引なその動きに叶の身体は対応出来ずによろけた。
「ま、待って……下さい……」
「なんだ」
彼は酷く威圧的で恐ろしかった。美しい造形は顔色の悪さで一層不気味に見え、不機嫌な眉間は一層彼の恐ろしさを引き立てているように感じられる。
「婚礼って、どういうことですか?」
自体が全く飲み込めずに訊ねると、彼はさらに不機嫌そうに口を開く。
「今宵、庭で初めに見た娘が私の妻になると予言が降りた。私が初めに見た娘はお前だ。だからお前は私の栄光の証だ」
「私の意思はどうなるの?」
叶にできる精一杯の抗議だったが、彼は聞く耳を持たない。
「予言は絶対だ。異論は認めぬ」
鋭い瞳は獣に似ていた。
訳のわからない場所で、訳のわからない人にいきなり結婚しろなどど言われる。これは夢に違いない。
そう考えたとき、自分の手にかぎ針と編みかけのショールがあることに気が付く。
「神隠し……?」
もしかすると、神隠しに遭ったのは自分の方かもしれない。
叶は絶望的状況に震え、自分を抱き締めた。
「これは我が花嫁だ。仕度をさせよ」
リズムも音程も一定の冷たい声が響いた。
「はい、ただいま」
中年の女性が答えた。
「これはアン。私の世話係だ。これからはお前の世話もする」
淡々と彼は言い、そして直ぐに闇に溶け込む。
「さて、奥様の仕度をしませんとね。アン・ゴーストと申します。名の通りゴースト出身ですの。奥様は?」
「叶です。これはどうなってるんですか?」
アンと名乗った女性はあのエドワードと名乗った男よりは幾分か柔らかい印象を受けたので訊ねてみる。
「予言です。この国にとって予言は絶対。逆らえば国は滅びます。ですが……奥様は人の子ですね?」
「え?」
叶にはアンの言葉の意味が全く理解できなかった。予言だとか、国が滅びるだとか、そういったものは物語の中の出来事だ。
「エドワード様のお側を離れぬようお願いします。そうでないと……死んでしまいますよ。さぁ、こちらに着替えて下さいな」
アンは漆黒のドレスを指す。
「採寸もせずにサイズが合うの?」
「予言通りに用意していますのでご安心下さいませ」
叶は気乗りしないままアンに言われるままにドレスに袖を通す。
恐ろしいことに、まるでオーダーメイドしたかのように、一寸たりともサイズに狂いはなかった。
「裾上がりまで……」
つい先日のミリ単位の闘いを嘲笑うかのようなドレスの出来に嫉妬すると同時にまた恐怖の波が訪れる。
「お似合いですよ」
細かな刺繍、繊細なレース、美しいライン。純白であれば多くの少女が夢見る婚礼装束そのものだろう。
「さあ、お化粧をしますよ。ああ、なんて綺麗な肌でしょう。黒を乗せてしまうのが勿体無い。ですが伝統ですからねぇ。四百年ぶりにこのアンが腕を振るいましょう」
アンは叶を椅子に座らせ化粧道具を手に取る。
四百年と言ったのは冗談だろうかとぼんやりと考える。
そして鏡を見ればアンの姿が無いことに気付いた。
「ア、アン、あなた……鏡に……」
「ああ、ご安心下さい。この鏡は人の子しか映らない特別な鏡なのですよ」
アンは笑う。
それが一層不気味に見え、叶は震えが止まらなかった。
漆黒の聖堂でエドワード・カオス・ファントム三世の姿が青白く輝く。
彼もまた漆黒の装束を纏っていた。
「な、何をすれば良いの?」
大人しく従わなくてはなにをされるかわからない。このエドワードという男に縋って良いものなのかはわからないが、今、叶の目の前には彼しかいないのだ。
「司祭から杯を受け取り中身を飲み干せ。安心しろ。お前の杯はただの葡萄酒だ」
感情の感じない声で彼は答える。
それが逆らえば殺すとでも言っているようで恐ろしい。
そして、この空間にぷんと血のような臭いが充満していることに気がついた。
「さぁ、奥様」
アンが黒い薔薇の花冠を頭に乗せる。
そして、エドワードが叶の手を引いた。それは庭で初めに見た彼とは違い優雅な動きに感じられた。
そのまま司祭の前に立つ。
その瞬間に多くの視線を感じた。しかし、この空間に司祭とアンとエドワードの他に人の姿はない。
布で顔を覆われた司祭はすぐに何かを呪文のような言葉を話し出す。そして、彼はエドワードに杯を渡した。
空間に血のような臭いが充満している。
ここは嫌だ。速く帰りたい。
叶は必死に願ったが、司祭は彼女の前に杯を差し出した。
叶がちらりとエドワードを見れば彼は飲めと視線で促す。
顔の見えない司祭もまた威圧的な視線を叶に向けているようで、恐ろしさに負けた叶は杯の中身の赤い液体を一気に飲み干した。
それはエドワードの言ったように葡萄酒で、ぷうんとアルコールの臭いが口内に広がり叶はくらりとよろけた。
まだ未成年なのに、だとか、アルコールは嫌い、だとかそんな考えがぐるがる回り、叶はその場に倒れる。
「カナエ?」
ここで、初めてエドワードの顔に僅かながら困惑した表情が浮かんだように見えた。
アルコールは苦手。
匂いだけでもくらくらするというのに、無理に飲み干したせいで頭がガンガンと痛む。
これが二日酔いというものなのだろうかなどとぼんやりと考えた。
叶が目を覚ますと赤が基調の豪奢な部屋に居た。
枕元にはかぎ針と編みかけのショールが置かれている。
「目覚めたか」
闇の中からの声にびくりと震えるが、それがエドワードの声であることに気付き少しだけ安心した。
彼にも感情はあるらしいからきっと仁の心も持っているだろう。
「酒が飲めぬなら先に言え。人の子のことはよくわからぬ」
また、表情が無い顔。
ろうそく程度の照明しか無い部屋で彼は非常に不気味に見える。
「聞かなかったから」
叶はぽつりと答えた。
「そうか」
それで会話が終わってしまう。
どうやらエドワードは極端にコミュニケーション能力が低いようだ。
叶は考える。
「ここはどこですか?」
「今日からお前の部屋だ」
「そうじゃなくて……」
どういう訪ね方をすれば良いのか分からなかった。
彼は暫く考え、それからひとり納得したように頷いた。
「ああ、ここはファントム王都ゴーストだ」
「……あ、あの……私に理解出来るように説明して頂けますか?」
全く聞いたことのないおそらくは地名であろうものを並べられても困る。
「……そうだな、ここは、闇と怨念の国と人々に呼ばれる永遠の夜の国ファントムだ。恐らく、お前の故郷からは異界となるだろう」
予測は出来たが、それは絶望的な回答だった。
「私は……帰れないの?」
「私はお前を帰すことなどしない。お前は生涯をこの城で過ごす」
「そんな……」
「逃げようなどと考えるな。死にたくなかったら」
彼はそれだけ言って闇に消えた。それと同時に鍵の閉まる音がする。
閉じ込められた。そう、理解するまで時間は掛からなかった。
蹲っていどのくらいの時間が経っただろう。
自分の部屋に居たはずなのに、気がついたら突然異世界でしたなどと言われて納得ができるはずがない。
うじうじと考えながらかぎ針を動かす。
まだ、陽は昇らない。
そこで叶は違和感を覚えた。
自分の体内時計が極端に狂っていない限りこれはおかしい。
だって既にモチーフは6つ出来上がっている。
少なくとも部屋に閉じ込められてから六時間以上の時間は経っているはずだった。
しかし、夜の闇は色濃くなるばかりで一向に光は見えなかった。
ただ、月が消え、手元が見えなくなったから編むことを諦めたのだ。
「カナエ、入るぞ」
エドワードの、声が響いた。
「は、はい」
思わず声が震える。
「怯えるな。別に捕って喰ったりはしない。お前はファントムの希望なのだから」
彼はまた、感情の読めない表情と顔色で告げる。
「ミナ、来い。叶、これはミナだ」
燭台を持って入ってきたのは黒髪の魅惑的な女性だった。夜の闇のような吸い込まれそうな瞳に、血のように赤々とした唇。そして雪のような白い肌が美しい。しかし、彼女もまた無機質な不気味さを持っていた。
「はじめまして、ミナと申します」
落ち着いた大人の女性の声だ。
「は、はじめまして。叶です」
「これからお前の護衛になる。それと、アンと共にお前の世話をする」
「え……?」
護衛なんて言葉は聞きなれず、非現実的だ。
「分からぬことはミナに聞け。私は執務がある」
エドワードは闇に溶け込んで消えた。
「また……」
「どうかなさいましたか?」
「えっと……エドワード・カオス・ファントム様が消えました」
「ああ、人の子には慣れない事ですね。エドワード様だけでなく、この国の民は皆出来ますよ。それと、エドワード様とお呼び下さい」
「は、はい……。ところで、今は何時でさか?」
「月没から二時間でしょうか。そのくらいです。我々は完全な闇でも不自由ありませんが、人の子であらせられるカナエ様はなにかと苦労が多いかと存じ上げます。てすが……照明は燭台程度しか用意出来ず……。エドワード様は松明を用意するようにと只今手配中でございます」
日没ではなく月没で時間の感覚を持つのかと叶は驚く。
ミナもまた、エドワードと同じようにリズムや音程に変化の無い無表情の声であるが、まだ、これと比べて瞳に柔らかみがあった。
「音は変わりませんか?」
「音?」
「……エドワード様も、ミナさんも声が一定だから……」
「申し訳ございません。直すよう善処します」
ミナはそう答え、テーブルの上に燭台を置いた。
蝋燭の炎がゆらゆらと揺れる。炎により生じたミナの影が一瞬悪魔のように見えた。
「人の子のことはよくわかりませんが、私はカナエ様のお役に立てるように善処致します。本日より私の主はあなた様です。どうぞ私を消費して下さい」
ミナはお伽噺の騎士のように跪いた。
「えっと……あの……私は……」
「何なりとお聞き下さい」
ミナは微笑んだ。
恐らくこの世界に来て、初めて人間らしい表情を見た。これは相手を安心させるための笑みだ。
「望はここにいますか?」
「ノゾミ?」
「館崎望。私と同じ年の女の子です。あの……あなたたちの言う人の子だと思います」
「カナエ様の他にこの国に人の子は居ません。お力になれず申し訳ございません」
彼女はまた、感情の読めない声で言う。
「そう、ですか……じゃあ、ここはどこですか?」
「ファントム王都ゴーストです。この部屋は丁度城の最上階で最も月明かりの差し込む部屋です。エドワード様がカナエ様の為に急ぎ用意された部屋ですよ」
ミナは笑む。
どうやら彼女はエドワードよりは社交的らしい。
「どうしてあなたが私の護衛に?」
「それは私がこの国一の剣士だからですよ」
そう答えたミナは気高く誇らしげな笑みを浮かべた。
「ファントム宮廷騎士団長補佐、ミナ・テレール。本日よりあなた様の最も忠実なる僕となることを誓います」
ミナは跪き、叶の手にキスをした。
それは、神聖な儀式のようで、叶は暫く彼女から目をそらせなかった。
叶はミナに沢山の質問をした。
「なぜ私がエドワード様の花嫁に選ばれたんですか?」
「お告げがあったようです。エドワード様は時折聖堂で瞑想をなさいます。その際に大切な予言を聴くことができるようで、今まで数々の災難から国を救って下さいました」
ミナは顔色ひとつ変えずに答える。
それはとても宗教的なものなのだろう。叶には理解できない。
「あの庭に入る者は居ません。この国の民は招かれなければ入ることはできません。エドワード様を除いては。私が今この部屋にいられるのもエドワード様に招かれたからです」
ミナは真っ直ぐ叶を見つめた。黒い瞳が揺れているのは蝋燭の灯りのせいではないかもしれない。
「あなた様はこの国を導く特別な存在なのです。突然、故郷から異界に来てしまった事はお辛いかもしれませんが、エドワード様の為にもどうか留まって頂けませんか」
「だって、帰り方も分からないもの」
叶はぽつりと答える。
異世界なんてあるはずがない。そう考えつつも静かに目を閉じる。
望がいない。
望のいない世界なんて……。
「暫くは不自由だとは存じますがこの部屋から出ないようお願い致します」
「どうして?」
「照明の用意が間に合いませんでした。それと、我々は平気でも人の子のあなた様には危険な場所もございますので片付けが済むまでは此方に。何せ半日で仕度をしたもので……」
ミナは申し訳なさそうにそう答えた。
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