駄菓子屋

@00tada

第1話

朝の駅構内を、渦を巻くように歩くサラリーマンやOL。

コンクリートにコツコツと響く、ヒールや革靴の軽快な音とは裏腹に、彼らの顔は重く暗い。大抵の人間は、皺のある顔に影を作っており、その点から見るに、彼らがこれから向かう場所が決して楽しい場所ではないことは明らかである。中には活気付いている人もいるが、いずれ皆が疲れきった顔になるに違いない、と思う。

改札機に定期券を押し付ける。改札機から早く出たいが、リュックサックを膨らませたおばあさんが、改札機の前をいつまでもゆっくり歩いているせいで後が詰まっている。

この通勤ラッシュ時に呑気に、と腹が立ち、おばあさんの首に手を回した。爪を立て、骨もろとも肉を引き裂き、首をもいだ。顔を含む上半身に返り血を浴び、殺人鬼のような姿になる。その姿に畏怖の念を抱き、周囲の人間はどよめく。そして悲鳴をあげながら、誰よりも先にと駅構内を多方向に走り回り、出口に向かう。突然のことに驚きと恐怖の念をを隠せず、それでも勇敢にも刺又を持ち、おれを捕らえようとこちらに向かう駅員を背に、おれはゆっくりと身を起こし、足元に転がる2つに分裂した肉塊を眺める。



おれは駅のホームへと向かう。コツコツという足音はうるさいが、改札機の音と組み合わせると面白いかも知れない。前を歩く中年サラリーマンの、皺のある黒い革靴を見ながらそう思う。

先程、改札機におれを閉じ込めていたおばあさんは、他のおばあさんと合流したらしく、甲高い耳障りな声で喋っている。彼女らの笑い声は、アナウンスが鳴る駅のホームでもうるさく反響している。

おれを改札機に閉じ込めた分も合わせて恨みを晴らすために、こいつを駅のホームから突き落としてやろうか、と思う。おばあさんを後ろから、ホームから突き落とす姿を想像する。すると、手がピクッと痙攣した。変な妄想をするのは程々にした方が良いかもしれない。そう感じた。





仕事から帰り、着替えると、直ぐ様、コンビニへ向かった。仕事からアパートへの帰り道の間にはコンビニ、というより食品を売っている店が無く、夕飯や昼飯を買うには職場とは反対側のコンビニに向かわなければならない。それが面倒臭いのは言うまでもない。

コンビニに向かう途中、通りにある駄菓子屋がふと、やけに目についた。この駄菓子屋は小学生を中心に慕われる店だった。店主は昔からおばあちゃんで、店の入り口から一番遠いところにいつも座って会計をしていた。入り口からおばあちゃんの座している場所にかけて別れた2本の道があり、その2つの道の両脇に駄菓子が売られているというものだった。面倒臭がりなのか、おばあちゃんは店と家を融合させていた。

小学生だったおれらは、なけなしのお金を握りしめ、店に入った瞬間から何を買おうか悩み、時にはシールも選び商品かごに入れていった。汗で湿った小銭を手渡し、いつも無表情なおばあちゃんは少しの笑みを浮かべて商品を袋に入れていた。

そんなことを思い出す。

今、見ることができるのは駄菓子の陳列棚ではなく、錆びて所々が茶色に染まる、閉じられたシャッターだけである。

もう、おばあちゃんが営業している姿など数年間、見ていない。もしかしたら既に死んでいるかもしれない。シャッターの向こうで駄菓子屋の地べたに這いつくばって、急な発作に苦しみ悶えながら誰にも看取られることなく死んでいったのかもしれない。不謹慎な話ではあるが可能性は十分にあった。

不思議とシャッターの向こうが気になり始めた。シャッターの端に手をかける。錆び付いているせいか、シャッターはガタついており開けやすい。

ふと、周りの目がきになった。深夜なので人通りは少ないはず。警察が巡回していなければ良いのだが。辺りを見回すが、やはり人は見られない。

よし、と思い、勢いよくシャッターを持ち上げた。真夜中の暗い道に轟音が響いた。人がいないか気にはなったが、好奇心が勝った。おれはずかずかと駄菓子屋に入り、ケータイの照明を点けた。

ケータイの照明で陳列棚を照らす。懐かしいものばかりだった。グミの袋を手にとって、グミを食べてみる。懐かしい。おもちゃみたいな味がたまらない。只、そんなことはどうでも良い。本当に気になるのは奥だ。駄菓子屋の奥は、おばあちゃんの家である。おばあちゃんが居るとすれば、そこだろう。

泥を踏んだ靴で、そのまま家に入っていく。畳の部屋の隣にもうひとつ部屋がある。変な警戒心を抱きながら、ゆっくりと襖を開ける。布団があり、おばあちゃんはそれにくるまって寝ていた。

「懐かしいな。おばあちゃんだ」

布団の上に立つ。靴をどかすと足跡が付いていた。

「おばあちゃん」

おばあちゃんと呼んでみる。返事はない。

「おばあちゃん、おばあちゃん!」

耳が遠いのか、寝ているのか、いずれにせよ返事をしない事に腹が立った。

先程まで懐かしんでいたおばあちゃんの姿は急に、呑気に寝転がる年老いた醜い豚のように見えてきた。更に腹が立った。蹴った。豚は唸り声をあげて身を捩る。豚のすべての挙動に腹が立つ。うるさい。気持ち悪い。醜い。醜い。蹴る。蹴る。

豚に覆い被さるようにして、またがる。そして、拳を作って、大きく振りかぶり、殴りかかる。脆い歯が折れ、血が少し飛ぶ。

豚は動きを止め、唸ることもやめた。布団には、豚が吐血したのか、赤い染みが少し広がっていた。

目が暗闇に慣れてきたせいか、血の赤が闇に浮かんできた。闘牛ではないが、闇に浮かぶその赤に少しの興奮を覚え、身震いした。知らぬ間に、中途半端に開いた口から唾液が垂れた。じゅるっと汚い音を発てて、それを吸い込む。なんとなく、開いた襖の一点を見つめ、立ち尽くした。



電灯が、暗く夜道を照らす。先程の苛立ちや興奮は夜風に当たったことで収まったようだ。また変な妄想をしてしまった、と少しの後悔の念に駆られる。

ふと、何故か、脚に少しの重さを感じる。別段、何かが脚にしがみついてるわけでもなければ、綱か何かが脚に引っ掛かっているわけでもない。となると、疲労が原因か。只、脚に負担がかかる様なことはした覚えがない。はて、何故だろうか。

ふと、腕が視界に現れた。歩くと同時に揺れる腕の先の拳に黒光りする血のようなものがあった。

これはなんだ、と疑問に思うと同時に、その疑問の答えに至った。

「あぁ」

またやってしまった、と。その後悔の念は、後悔と呼べるほど重いものではない。例を言えば、小学生においての「また、宿題やるの忘れちゃった」程のものである。

夜中に黒光りするこの血液は、おそらく駄菓子屋のおばあちゃんのものだろう。おれの妄想の中では確か、ひ弱なおばあちゃんを、おれが蹴り殴り吐血させ殺したんだったな。いや、それが妄想ではなかったのだ。

「めんどくさいな」

前回もこんな感じで誤って殺しちゃったんだっけ。棄てるのは取り敢えず山の中でいいかな。あぁ、だったら車にガソリン入れないとな。出血量は大したことはないから片付けは簡単だな。


一瞬だが、人目を感じた。後ろを振り向く。

当たり前だが、警察にバレるのは絶対に避けたいことだった。

目が飛び出るのではないかと思う程に一点を見つめる。電柱の後ろに人影を見つけた。おれには、どす黒いアスファルトの上に立つその人影は星のように光って見えた。勿論、そう見えるのは、それの目撃者を殺さなければ警察にバレてしまう、そのことへの恐れからなるものだった。おれは鞄のペンケースからハサミを取り出す。目標を定め、一気に駆け出した。今度は、猿を殺しに。

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