e03「創作の表現方法」
こんばんは、薮坂です。
エッセイ第3回。こまめに更新するクセをつけたいなぁと思っている今日この頃であります。
今回のお話のテーマはちょっと真面目に「創作の表現方法」について話したいと思います。きっと長くなりますし、持論ですので例によって毒にも薬にもならない話です。悪しからず。
さて。私はこのカクヨムで自分が作った「物語」を公開しているくらいですので、小説が大好きです。
しかし、世の中には「小説が苦手」という人はもちろんいる訳でして。文字を読むのが苦手、文字を読んでその場面を想像するのが面倒だっていう意見も、なるほどとわかるのです。事実、世の中には読むと眠たくなる小説もありますものね。
ところで。自分の頭の中でお話を作り、それを第三者に公開する時に、作り手は様々な表現方法を使用することが出来ますよね。
小説、マンガ、絵本、アニメ、映画、演劇、ドラマ、ゲーム……、といった具合に、思いつくだけでも表現方法はたくさんあります。
まずは小説。これは基本的に「文字のみ」でその物語を表現する方法です。紙とペンさえあれば事足り、単独でも創作できる表現方法です。欠点といえば、受け手によって印象が変わることもある、というところでしょうか。
たとえば主人公の容姿を「茶髪のショートカットの女の子」と設定した時、その髪型はショートボブなのか、それともベリーショートなのか、茶髪と言ってもどれくらいの明るさなのか、それは受け手によって全く違うものとなる可能性があります。
主人公の容姿なんて瑣末な問題だぜ、という場合なら良いのですが、重要な要素が受け手によって違うものとなる場合、物語の印象さえ変わるので書く側は注意が必要です。
そういう意味では、小説に関して、自分の考えた物語を正しく伝えようとすると、高い文章力(のようなもの)が必要になってくるのだと思うのです。
いわゆるこの「文章力みたいなもの」の良し悪しが、その小説の面白さを決めるひとつのパラメータになっているのかも知れませんね。
さて、次にお話ししたい表現方法は、マンガです。一度も読んだことがないと言う人は稀だと思いますが、物語を主に絵とセリフで表現する方法です。
これも紙とペンさえあれば創作することが出来ますが、「絵を描く」という特別な技能が必要となります。その技能を持っていれば、伝わりやすいという意味では、小説よりも伝わりやすい表現方法かも知れません。
先ほどの例を挙げると、「茶髪のショートカットの女の子」を説明するとき、
・髪の長さは顎のラインで切り揃えるショートボブ
・毛先にはゆるりとクセがついている
・髪の色は栗色に近い茶色
という情報だったとして、それを文字のみで小説風に表現すると、
その女の子は栗色の髪をしていた。ショートボブの髪が、風に揺られてふわりと揺れる。髪の長さは顎のラインで切り揃えられているから、その動きは僅かだった。
風が止んでも、彼女の毛先はゆるりと巻いていた。癖っ毛なのか、それともパーマなのか。その髪型は、彼女によく似合っていた。
こんな感じでしょうか。すごく説明っぽい文章ですが、上に書いた通りこれでも受け手によって女の子の容姿は異なると思うのです。
上の文章では女の子の髪型と髪色について説明していますが、女の子の顔については全く言及していません。加えて言うと歳も言及していない。
極端な話、20歳の女の子を想像する方もいれば、小学生くらいの女の子を想像する方もいることでしょう。つまり、小説でそこをも伝えようとすると「その他の説明」も入れなければなりません。
しかし、これがマンガや絵本となると違います。「主人公はこんな女の子だ」という絵が、マンガにはあるからです。この絵があることで、作り手と受け手の印象は概ね一致しますし、上のような文章すら要りません。一枚の絵の力。これは本当に凄いものです。絵が描けない人間からすると本当に、憧れる技能ですね。
次はアニメや映画などについて。これは言わずもがな、物理的な動きがある物語ということです。アニメについて言うと、いわばマンガに動きをつけた作品と言っていいかも知れません。とても乱暴な言い方で申し訳ないのですが。
小説、絵本、漫画が「物理的に動かない静の表現方法」であるならば、映画やアニメや演劇などは「物理的な動きがあり、かつ音がある動の表現方法」であると言えるでしょう。
それでは、表現方法として何が最も優れているのか、という問題が生まれて来ますよね。人間は比べたがりな生き物ですので。
これは完全に持論ですが、私は「どれも素晴らしさは同じ」であると言えると思うのです。そもそも、小説も漫画もアニメも映画も、その他あらゆる表現方法は、ご存知の通り変換が可能です。
マンガ原作のアニメや、小説原作の映画、あるいは演劇作品のノベライズ、またはドラマのコミカライズなど、ほとんど全ての作品はこのように変換が可能です。結局のところ、自分がどの表現方法を好きか、というところに帰結するのかも知れませんね。
まぁ、表現方法のそれぞれにメリットとデメリットがあるので、同じ物語でも表現方法によって、感じ方が違うというのは仕方のないことでしょう。
マンガ原作はとても良かったのに実写の映画は……、なんてよく聞くアレは、ここに原因があるのかも知れませんね。
さて。前置きが非常に、驚くほど長くなりました。
私はかねてからの実験好きを公言していますので、今回も実験と称して、同じ物語を2通りの表現方法で描いてみました。ひとつは小説。もうひとつは第1回のエッセイにも登場した、ノベルゲームです。
ノベルゲームを表現するならば、「常に挿絵が表示されている小説」と言ったところでしょうか。さっきの「静と動」で言うならば、限りなく静に近いけれどギリギリ静ではないが動とも言えない、という非常に振り分けに困る表現方法です。
このノベルゲームはチームで製作したのですが、私はシナリオ担当として参加しました。こういうお話で行こうと会議を重ね、ジャンルはカクヨムでいうところの「現代ファンタジー」となっています。
前回、現代ファンタジーは「また会いに来たよ」で初めて書いたと言いましたが、アレはひとりで書いたと言う意味です。これはチームで作りました。
他のメンバーは絵担当さん(プログラムも兼任)と音楽担当さんの2人です。2人とも特別なスキルを持つナイスガイです。いや、実際にお会いしたことはないのでプリティガールなのかも知れません。
ちなみにこのチームは、それぞれが作った成果物のみの著作権を持つという取り決めをしています。なので、絵も音楽も私のものではありませんよ。
作品タイトルは「憑かれやすい彼女」。
ブラウザゲームなのでスマホでも出来ます。
URLはこちら。当然のことながら無料です。
https://game.nicovideo.jp/atsumaru/games/gm9290
結局宣伝かーい、というお話なのですが。
ノベルゲームと小説と、どちらが手に取ってもらいやすいかという、崇高な実験が出来そうです。まぁ、PVの少ない私がそれをしても、あまり多くのデータは取れそうにないのですが……。
私のお話は別として、絵と音楽は紛れもない本物です。それだけでも見て、聴いて頂きたいですね。
めちゃくちゃ長くなりましたが、今日はここまで。
いつもありがとうございます。
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