ツンデレと、たまごサンドの大親友


 わたしの記憶には、こんないっぱいの想い出は詰め込めない。全部忘れたくない想い出だったら、どうしたらいいのかな。


 夕焼けに染まる海は一段と綺麗で、このままずっと、オレンジ色が寄せては返すその様子を眺めていたいと、そんな気持ちにさせた。

 リンカはすべてを打ち明けてくれた。わたしとナスナに、万華鏡の中に見えた物語のすべてを――記憶のすべてを、残すところなく話してくれた。

「あたしさ、……不思議と辛いって思わなかった」

 わたしとリンカは足を波の中へ沈め、ゆっくりと歩いた。

「……もっと悲しいって、苦しいって、どうしようもなく辛いって、そう思ってた。でもなんでだろ、全然、大丈夫だった」

 ナスナは砂浜から、ぼんやりと水平線を眺めている。

「……もしかしたら、いまが一番幸せ、……だからかな?」

 わたしは足を止める。前を行くリンカの背中を見つめる――オレンジ色に染まる背中は眩しくて、霞んで、どこか遠くへ行ってしまいそうだった。

 ……ううん、わたしがその背中を押すって、そう決めたんだ。

「あたし、この世界が好きだな。コトコがいて、ナスナがいて、……綺麗で、輝いてて。生きてた頃には知らなかったたくさんのモノがある。ここに来れて良かったって、思う。思っちゃう。……罰当たりかな? ……ううん、いいよね。ここに来るまで散々な目に遭ってきたんだもんね。幸せになったって、だれも文句なんか言わないよね」

 ナスナは砂浜を歩き、少しずつ、わたしたちとの距離を詰める。感傷的な波が足に触れて、それでも嫌がったりはしない。

「……あたしの未練、それは多分、友達とお泊まり会をすること。……実は叶ってたんだね。気付かないうちに、叶えてもらってたんだね」

 リンカとの距離が開いていく。わたしの足は波に揺られても一歩を踏み出すことはなく、ただそこに留まっている。

「だからあたし、もうトンネルの向こう側に行けるんだと思う。……さっきね、ポケットの中にこれが――――」

 ポケットの中から紙切れのようなモノを取り出した。夕日のせいでよく見えないが、間違いなく、切符だろう。

 それを見た瞬間、わたしの心の中にモノ凄く重いずっしりとしたなにかが降り注いだ。それはもう後戻りできないことを、教えている。

「……でも、約束したもんね。あたしもコトコのガラス玉を探すって、きっと一緒にトンネルの向こうへ行くって、そう言ったもんね。……置き去りになんか、しないからね」

 そう、リンカは強く呟いた。

 夕日はいよいよ水平線の向こうへ顔を隠し、淡い藍色の空へと変わった。途端に風が冷たく感じて、つま先から徐々に感覚が失われていく。

 とても長い時間をかけて1日が終わるように、わたしもできるだけ多くの時間をかけて言葉を紡いだ。実際にはきっと、5秒にも満たない出来事だ。

 そしてわたしは、リンカの言葉よりもさらに強い声で、強く小さな声で、こう言った。


「……いいよ」


 リンカは足を止め、こちらを振り向いた。――ようやく、わたしたちの間に空いた距離に気が付いた。

「いいよ。……リンカは先に行って」

 微笑んだ。自分でも驚くぐらい、温かな笑みだった。

「……なに、言ってるの?」

 リンカは動揺し、その場に立ち尽くした。

「……コトコ、なに言ってるの? ……ふたりで一緒に目指すって、そう約束したじゃん」

「うん。した。……でもいいの。……リンカは先に行って。お願い」

 わたしの言葉はとても無機質に聞こえているかもしれない。せっかく縮まった距離を突き放すような、そんな冷たいモノに聞こえているかもしれない。……でもいいんだ、それで。そうじゃなきゃ――。

「……どうして? ……わかった、不安なんでしょ、ガラス玉見つからないかもって。大丈夫だって。……あたしのだって見つかったんだから、コトコのだって絶対――――」

 わたしは静かに、首を横に振る。

「……じゃ、じゃあどうして? どうしてひとりで行けなんて言うの?」

 リンカは一歩、わたしへ近づいた。わたしは一歩、リンカから離れた。

「……リンカを、待たせたくない」

「そんなの大した問題じゃないよ。……あたし、いつまでだって待つよ」

「すごく長い時間がかかるかもしれないの」

「それでも待つって。……1週間でも、1ヶ月でも、1年でも、10年でも、100年でも待つから」

 わたしは首を横に振る。

 リンカが距離を詰めるたびに、離れる。――今ここで、近づいちゃいけないんだ。いつもみたいに手を繋いだり、抱きしめたり、抱きしめられたり、――それじゃダメなんだ。

 わたしがリンカにできること――それは離れることだけなんだ。そうじゃなきゃ……、そうじゃなきゃ……。

「……お願いだから先に行ってよ。わたしのことはいいから。……ね?」

「……なんで…………?」

「リンカが大好きだからだよ。大切だからだよ。友達だからだよ」

「そんなのズルいッ。そう言えばあたしが黙るって。……バカッ。あたしがコトコのこと置いていけるわけないでしょッ」

「置いてってッ」

 言葉に熱が込もる。冷たい海の中でも、体は熱かった。

 やがてナスナが「ふたりとも、」と口を挟んだ。

「……ふたりとも、少し落ち着いて。……コトコ、そんな言い方ないよ」

「……だって…………」

 こうでもしなきゃ、リンカは――。

「リンカも、……ちょっとはコトコの気持ち、わかってあげて」

「……わかるわけないじゃん。……無理だよ、そんなの…………」

「コトコだって、リンカと離れたいなんて思ってないよ。……ただ、どうにもならないことだって、あると思う」

 ナスナの言葉には重みがあった。それは確かに上がったわたしたちの体温を下げていく。

「……ごめん」

 リンカは素直にそう謝った。

 不規則な波が砂浜に跡を残し、いつの間にか月は真上からわたしたちを見下ろしていた。

「……あんまり、」

 ナスナが話し始めた。

「あんまり切符を持ったままここにいることはオススメしない」

「……どうして?」

「聞いたことがある。切符には期限があって、この世界に残りたいと強く想えば想うほど、その期限は短くなるって」

「……そんな…………」

「……だから、もし本当に生まれ変わりたいなら――――」

 波の音が言葉を遮る。ナスナはそれ以上のことは言わなかった。

 しばらく、沈黙が続く――。

 それを破ったのは、他でもないリンカだった。

「……あたしは、」

 言葉が詰まった。躊躇った。ナスナの言葉はしっかりリンカにも響いたようだ。

「……それでもあたしは、コトコといたいよ。……コトコと、ナスナと、これからも一緒にいたいよ」

「……リンカ…………」

 わたしも言葉に詰まる。みんなの気持ちは同じはずなのに、それでも神様は許してくれない。

 運命って、なんて残酷なんだろう。

 月は流れる雲に隠れて、朧げな光を見せる。

 もうこの際ずっと、このままみんなで――――。

 すると――。

 するとリンカは勢いよくわたしに近づいて来た。緩やかな海に水飛沫が立って、リンカのショートパンツを、わたしのスカートを、容赦なく濡らしていった。わたしは離れる暇もなく、気付いたときにはリンカとわずか数十センチの距離だった。

「……コトコ、やっぱりあたしは行かないから。絶対。……これはコトコが――――」

 リンカはわたしの手をとって、無理やり切符を握らせた。

 わたしは、――。

 わたしは、――――。


「……ダメだよ」


 手の中にある熱を強く握りしめ、願う。

 ――それでも。

 ――それでもわたしは、リンカに行って欲しい。トンネルの向こうへ、新しい世界へ、――進んで欲しい。

「……リンカは生まれ変わって、たくさんの友達をつくるのッ! わたしやナスナよりもっともっと素敵な、リンカのことをなによりも大切に想ってくれるような、そんな友達をつくるのッ!! そうじゃなきゃダメなのッッ!!!」

「……コトコ…………」

「大丈夫だよッ! わたしはもういっぱい知ってるもんッ!! この胸に抱えきれないぐらい、いっぱい知ってるんだからッッ!! ……リンカのいいところ。好きなところ。可愛いところ。かっこいいところ。抜けてるところ。臆病なところ。優しいところ。……全部全部、もう十分なくらい知ってるんだからッ!! ……だから今度はそれを、別のだれかに……教えてあげて」

「……でも……離れたく…………」

「わたしだって離れたくないよッ! そりゃそうだよッ!! リンカはこの世界でできた初めての友達だもんッ! わたしを助けてくれて、わたしに優しくしてくれて、わたしと一緒に歩いてくれた、大好きな大好きな友達だもんッ! ……でも、でもそれじゃダメなのッ!! ……わたしは、リンカの足手まといにはなりたくないのッ! リンカの重荷にはなりたくないのッ!! ……なんで……、なんでわかってくれないの…………」

 いつの間にか、わたしは泣いていた。リンカも泣いていた。

 ふたりは泣いていた。

「……そんなの…………」

 リンカはあたしの頬へ手を伸ばす、――けどわたしはそれよりも速く自分のほっぺたをつねり、守った。

 驚くリンカ。わたしは涙と鼻水で大変なことになっている顔を、さらに強くつねり、真っ赤にして、そしてリンカを睨む。

 わたしの覚悟は、――他でもないきみのために。

「……もう、頑固者ッ」

 どんな言葉にも、わたしは表情を緩めない。

「……わからず屋ッ。アホッ。バカッ。能天気ッ」

 ……表情を緩めない。緩めるもんか。

「……そのくせ、そのくせほんとはいろいろ考えやがってッ!! あたしのことばっか考えやがってッッ!!」

 ……緩め……ない……。

「そういうところが好きなんだよッ!! 離せないんだよッッ!! ……初めて逢ったときからずっとそうッ! あんたは……、あんたは……ッッ!!!」

 ……緩め……もう…………。

「……あたしの何倍も優しすぎるんだよッッ!!!」

 ……もう……無理だよ…………。

 いままで我慢してきた分、ありったけの感情が溢れ出した。涙が海へ落ちて、波紋が揺れる。

「……あたし……あんた以上の友達に、出逢える自信ないよッ! なんでッ! なんでそんなに優しくするのッ!!」

 嗚咽が漏れる。頬から手が離れ、胸の前でぎゅっと握りしめ、泣きじゃくる。

「……あたしの人生……寂しかったかもしれないけどッ! それでもッッ! あんたに出逢えたならそれも良かったってッッ!! そう思えるぐらい……あんたはッッ!!!」

 もうやめて……心が痛い…………。

 泣いて、叫んで、もがいて、……ふたりはすべてをぶつけた。

「……甘えん坊で、……食いしん坊で、……暴れん坊な、…………」

 リンカは思いっきり息を吸った。

 そして、どこまでも遠くの町まで聞こえるぐらい大きな声で、――叫んだ。



「――――あたしの、一番の友達なのッッッ!!!!」



 ……。

 …………。

 …………そんなの。

 ……。

 …………わたしもだよ。



 わたしは泣きながらリンカの手に切符を戻した。

 リンカは拒まなかった。震えていたけど、しっかりと、その手で握ってくれた。

「……わたし、絶対、リンカを探すから」

 その手が切符を握ったのを見て、わたしはゆっくりと手を離す。

「……どうやって」

「……なにがなんでも探すから。……きっと逢えるから。……逢えるはずだから。……だから、そしたら――――」

 手が離れた。わたしの手に残る温もりが少しずつ消えていく。

「……そしたら――――」

 雲に隠れていた月が顔を出して、その光がわたしたちを照らした。闇夜とは思えない白く儚い光に満ちた。

 そしてわたしは、優しく微笑む。これはリンカに貰った笑顔だ。わたしが大好きな笑顔だ。



「――――もう一度、友達になろう?」



 ……もう一度、必ず。



「……うん」



「…………約束だからね、コトコ」



 リンカはいつものように微笑み返した。

 その笑顔はなによりもわたしを安心させる。魔法だ。……ありがとう。

 ふたりが黙ると夜の海が一段と静かに感じた。騒がしさは嘘のように消え、穏やかな波が両足を掠める。

 わたしとリンカはぐしゃぐしゃになった顔を拭いた。一体どれぐらい泣いたんだろう。体が冷えてしまって、風邪を引きそうだ。そろそろヒカリ屋に戻らなきゃ……。

 すると今度はナスナが近づいてきて、なにやら不満そうな目でこちらを見つめてきた。

「え、なに」

「……ナ、ナスナ? どうかした?」

 リンカが恐る恐る尋ねた。

 ナスナはどこかふて腐れた表情を浮かべていて、小さく「……ふたりとも、私のこと忘れてるよね」と言った。どうやら、拗ねたらしい。

 わたしとリンカは可笑しくなって、顔を見合わせ笑った。

 それを見てナスナはさらに拗ねた。そして歩き去る。

「……もういい。知らない。どうせ私なんてふたりにとっては二番目の友達ですよ」

「ふ〜ん、自分は二番目までには入れてるだなんてすごい自信だね」

 わたしがからかってみると、「なッ!」と顔を真っ赤にして足早に歩き出した。恐らく、怒っているのだろう――大きな足音を立てムカムカとしているその姿からそうわかる。でも、ナスナは小柄だからてくてく進む小動物感がやっぱり否めない……。

 わたしとリンカはふたり同時に飛んだ。


「嘘だよッッ!!」


 そしてナスナを後ろから抱きしめた。押し倒した。

 ――バタンッ!!!

 みんな揃って砂浜に倒れた。

「……ちょ、ちょっと…………」

 ナスナは驚いたような、嫌がるような、それともやっぱりどこか嬉しそうな、――そんな表情で拒んだ。

 わたしとリンカはナスナを抱きしめて、ほれほれ、とあちこちを撫でたり、頬を擦り付けたり、……まるでわんちゃんと戯れるようにあやした。

「……やめ、……くすぐったい」

「ほほう、ナスナはここが弱いんだ……こちょこちょこちょこちょ」

「ちょっ……バカコトコ……や、やめて…………」

「ほらほら、我慢しなくていいんだよ?」

「……リンカまで……、やッ、……んぁ…………ッッ」

 ナスナからあまりにも可愛い声が漏れ、わたしたちはなんだか良くないことをした気分になって、反省する。ナスナはさらに顔を赤らめ、「……もうッ」とそっぽを向いた。ごめんごめん、遊びすぎた。

「……ナスナも大切な、あたしの友達だよ」

 リンカはやっぱり優しくそう言った。

 するとナスナは「……ふーん。まあ別にリンカが友達でいたいって言うならそれでいいけど」とたらたら。

「「……ツンデレ」」

 わたしとリンカは口を揃えた。

「ツンデレじゃないッ!!」

「ツンデレだよ」

「違うッ!!」

「違わなーい」

 それから3人で夜空を見上げた。雲が多くて星はあんまり見えなかったけど、それでも綺麗だった。大きな海を、広い砂浜を、続く夜空を独り占め、……じゃなかった。3人占め。なんて素敵な夜なんだろう。

 しばらくするとヒカリ屋からアオナさんがやって来て「夜ご飯できましたよー、早く食べないと冷めちゃいますよー」と呼んだ。わたしたちは献立を予想しながら立ち上がり、ナスナがパフェとか言うから全力で拒否して歩き出し、そしてリンカの予想通りオムライスが待つ食卓へ向かった。




 オムライスの上にかけるケチャップでちょっとした騒動があった。

 ナスナがイトエさんのオムライスにだけハートを描いたのだ。……なんで、わたしのはッ!! わたしにも描いてよッッ!!!

「なんで私がコトコにハート描かないといけないの」

「だってナスナ、わたしのこと大好きでしょ?」

「どっからそんな自信湧いてくるの?」

「あ、またツンデレだぁ」

「デレの要素ないし」

 わたしたちの言い争いをリンカは楽しそうに笑っていて、なんだか悪い気はしなかった。どうやらナスナも同じ気持ちなようで、ふたりで顔を見合わせて「……まあいっか」と終戦。

 話し合いの結果、明日、――終着駅を目指してわたしたちは出発することになった。わたしと、リンカと、ナスナの3人。ナスナはイトエさんにしっかり事情を説明して集め屋の仕事を休む許可をもらった様子。リンカは「ありがとう」と言った。

 朝一に出ても着くのは明後日の夕方頃だから、まあ、のんびり行こうと思う。その間、一生分の話をリンカとしよう。生まれ変わっても忘れられないように、わたしのことをいっぱい好きになってもらおう。よしッ。

 わたしとリンカは皿洗いをする。その後ろでナスナが熱々のお茶に悶えている。毎度言うけど、そんな無理してまで飲まなきゃいいのに……。

 赤く汚れたお皿を洗いながら、リンカは呟いた。

「……あたしね、ママが大好きだった」

 その肘がわたしの肘とぶつかって、微笑んで、微笑み返して、言葉が続く。

「ママの声も、笑顔も、ほっぺたをつねる指も、……本当に大好きで。生まれ変わっても忘れたくないって、そう、思ってる」

 やっぱり、――怖いのかな?

 ……怖いよね。そりゃそうだよね。わたしがもしリンカの立場だったら、きっと、怖くて震えてると思う。でもそれを隠せるリンカはやっぱり強い。強くて……ちょっぴり弱い。もっとちゃんと、わたしたちに話してくれてもいいのに。わたしたちにぶつけてくれてもいいのに。どんな痛みだって受け止めるのに。

 ……だけどそうしないのは、多分、わたしたちのことをなによりも大切に思ってくれてるから。心配かけたくない、そう思ってくれてるから。その気持ちはわたしにもわかる。……だからこういうとき、かけてほしい言葉をわたしは知っている。

「……大丈夫だよ」

「え?」

「……大丈夫だよ。リンカがたとえ忘れても、お母さんは絶対、リンカのことを忘れたりなんかしないから。だから、きっとまた思い出せるよ」

 そう、――たとえ忘れられたって、わたしは忘れない。絶対に。

「……そっか。だったらいっか」

「うん、いいよ」

 微笑み合った。

 それからリンカはお母さんの話をいろいろと聞かせてくれた。あの美味しいたまごサンドはお母さんに由来すること、ほっぺたのおまじないのこと、どんな隠し事もなんでもお見通しだったこと、……本当にたくさんのことをわたしたちに教えてくれた。

 話し終わった頃にはナスナもお茶を飲み終わっていて、「喋り過ぎちゃったね、ごめん」とリンカは謝った。わたしたちは「いいよ、もっと聞かせて」と言った。

 ふと、冷蔵庫の中にオムライスの余りか、大量のたまごがあるのを発見。……わたしはいいことを思い付いて、ニヤニヤした。



 お風呂では相も変わらず女子たちによる醜い体の探り合いが始まった。わたしは肉という肉をつままれ、弄もてあそばれた。

「やっぱり少し……ふっくら?」

「うるさいなッ!!」

「まあそこがコトコの可愛いところだよ」

「やかましいわッッ!!」

 ……ふたりしてわたしのことをいじめる。ほんと、やになっちゃう。特にムカつくのはナスナッ!! 「ぷぷっ」と憎たらしい笑みを浮かべてわたしを見てくるッ!! 久々に……許すまじッッ!!!

 やっぱり3人だと窮屈な湯船。アヒルさんも自由に泳げなくて可哀想。でも、なんだかおしくらまんじゅうしているみたいで楽しかった。

「背中洗ってあげるよ」

 リンカの提案で、3人で背中の洗いっこ。嫌がるナスナも無理やり洗ってやった。(ちょっと強めに)。

「痛いッ。痛い痛いッ」

「わたしのことをバカにした報いだよッ!!」

「……あとで覚えてろ…………」

 逆上せる前に撤退して、着替えて、仲良く歯磨きタイム。鏡に映る凸凹なお山は今夜も健在。小さなコップに立てかけられた3本の歯ブラシも可愛く佇んでいる。しかしそれも今日で見納めかと思うと、なんだか名残惜しくなった。



 ナスナの逆襲が始まった。

 お部屋で髪のお手入れをしてもらっていたときのこと。いつもみたいに「心地いいなぁ……」とほのぼのしていると、突然、櫛で頭皮ごとえぐられた。

「痛い痛い痛い痛いッッ!!!」

「お客様、動かないでください。髪の毛抜けますよ?」

「髪の毛どころか頭皮ごとなくなっちゃいそうなんだけどッッ!!」

 髪を強く引っ張り、乱暴するナスナ。抵抗しようにも動けば動くほど頭皮を持って行かれそうで、わたしはナスナの思うがままにとにかくいじめられた。……可哀想な、わたしの頭……。

 そのあと、ナスナはリンカのお手入れもしてあげた。リンカにはちゃんと丁寧に。……ぐぬぬ。

「……やっぱり、上手だね」

「ふたりの髪のことはもうなんでも知ってる」

「さすが。……ねえ、あたしってどんな髪型が似合うと思う?」

「どんなって?」

「いや、もしちゃんと生まれ変われたら、次はショートだけじゃなくていろいろ試してみようと思って。コトコみたいなサイドテールも、ナスナみたいなポニーテールも、いろいろと」

「なるほどね。……でも、どんな顔に生まれ変わるかもわからないし……、そもそも人間かどうかも」

「怖いこと言わないでよ。たとえばだよ。もしもだよ」

「うーん……、ちょんまげ?」

「おいッ」

「冗談。……なんでも似合うと思うよ。美人だから」

「ナスナに言われるとなんか照れるなぁ」

 …………。

 ……なんという、疎外感。

 いちゃいちゃするふたりを見て、またしてもわたしは妬く。わたしを除け者にして、ふたりだけの世界つくっちゃってさ。これは許せませんなぁ。

 ……よいしょ、と。

 わたしはリンカの膝の上に座った。わたしのこと忘れてますよ、と言わんとばかりの存在感を見せつける。リンカはなにも言わず手を前に回してぎゅっとしてくれた。ふわっとリンカの匂いがして、すごく落ち着く。ここをわたしの定位置にする、だれにも渡さない。マーキングの代わりに頰を擦り合わせて「わたしのナワバリだから奪うなよッ!!」とナスナを睨む。ナスナは「ふんっ」と鼻を鳴らした。

「ふたりは仲いいね。なんか、姉妹みたい」

 リンカはそう言って微笑んだ。

「「どこがッッ!?」」

 わたしとナスナは声を揃えた。

 お布団を敷いて、明かりを消して、わたしたちはゴロゴロと。ゴロゴロしながら、いっぱいお喋りした。いっぱいの昔話と、想い出話と、もしもやたとえばの話を満遍なく暗闇に灯した。とても明るくなった。何時間経とうとも話題が尽きることはなく、うとうとしたら頰を引っ張り合って、名前を呼び合って、寝ないように頑張った。

 でも――。

 …………。

 チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。わたしは目を開く。

 いつ眠ってしまったのだろう。もう窓の外はすっかり明るくて、わたしはもったいないことをしたと後悔。隣を見るとリンカがとても可愛らしい寝顔を見せていて、ベッドの上からはナスナの寝息が聞こえて来た。わたしはふたりを起こさないように、足音を忍ばせながら部屋を出た。

 キッチンではアオナさんが朝食の支度をしてくれていた。いつもこんな早い時間から準備してくれていたんだ、と思ってなんだか申し訳ない気持ちになる。

「……あら、おはようございます」

 エプロンに菜箸に才色兼備な女神様、……これは世の男たちが一度は目にしたい最強の組み合わせ。わたしはまだ眠たい目にじっくりと焼き付けた。

「……ど、どうかしましたか?」

「あ、いや、……」

 ……いかんいかん。わたしの邪よこしまな気持ちを見透かされるところだった。

 お味噌汁を作るアオナさんの隣に立って、香る美味しそうな味噌の匂いを堪能する。なるほど、あの絶妙な味加減はこうやって生み出されているのか……、勉強になりますなぁ。

「あの、アオナさん――――」

 わたしは思い切って相談してみる。アオナさんはこちらを見て首を傾けている。

「……ちょっと、お願いがあるんですけど――――」



 リンカはともかく、ナスナはとにかく寝起きが悪かった。

「ほらナスナぁ! 起きなさーいッ!!」

「……んん……やだぁ…………」

「早く起きないとナスナの朝ごはん、全部わたしが食べちゃうからねー!」

「……そしたら絶対……殴る……から…………」

 舌足らずな声が途切れ途切れに発せられ、語尾なんかほとんど届いてこない。それでもわたしへの敵意丸出しの減らず口は健在だった。

 わたしは無理やり叩き起こして、不機嫌になられても気に留めず、背中を押して食卓へ。ナスナはイトエさんを見るとたちまち元気を取り戻し、いつもの調子。ほんとわかりやすい奴ッ。

 朝食のMVPはたくあんッ! なにこれッ!! 美味しすぎるッッ!!!

 窓から差し込む太陽の光を受けて黄色にテカるたくあんの光沢感。歯応えの良さ。染み込んだ味。みんな口にはしなかったが、テーブルの上からは10秒足らずでなくなった。ポリポリ、という独特で特有な咀嚼音そしゃくおんだけがダイニングに響き渡るときもあった。

「駅までは馬車で行きな。送ってくれるように頼んでおいたから」

 イトエさんの言った通り食べ終わってすぐ、ヒカリ屋の前に馬車が来た。イトエさんの古くからの知り合いで温厚そうなおじいさんがどうやら乗せてくれるらしい。わたしたちは慌てて部屋に戻って、荷物やらをまとめて飛び出した。わたしはキッチンに置いてある風呂敷に包まれたそ・れ・を忘れないようにしっかりと持った。

「あの、ほんとなにからなにまで、お世話になりました」

 玄関ではイトエさんとアオナさんが見送ってくれた。リンカは何回も頭を下げて、何回も感謝を言って、時折目を潤ませた。

「ナスナにちゃんと友達ができたみたいで、嬉しかったよ」

 イトエさんがそう言うと、ナスナは顔を赤らめ「……恥ずかしい」と呟いた。

「向こうでも達者で。あんたなら大丈夫だよ」

「はいッ」

「きっとたくさんのお友達を作って、幸せであることを願っています」

「アオナさんも修行、頑張ってください」

 いっぱいの微笑みを交わしながら、わたしたちは馬車に乗った。

 するとイトエさんはわたしの耳元で小さく囁いた。「帰っておいで」と呟いた。わたしはそれがすごく嬉しくて、胸の中がじんわり熱くなって笑顔になる。

 走り出して、少しずつヒカリ屋が小さく見えて、手を振るイトエさんやアオナさんの姿もちっぽけになって、やがて遠く消えていった。そこはわたしが帰る場所で、リンカが旅立つ場所で、みんなと過ごしたかけがえのない場所だ。きっともうその帰り道をリンカと歩くことはないのだろう。でも、待っててくれる人がいて、隣を歩いてくれる小さな影があって、そう考えたらなんだか大丈夫だと、そんな気分にさせた。





 列車の旅は相変わらず退屈かと思いきや、意外にも楽しかった。やっぱり、ふたりがいるから。

 他愛もないことを話して、時々、窓の外の景色をナスナに解説してもらって、あっという間に時間が過ぎていった。

「昨日さリンカ、わたしのこと甘えん坊だとか、食いしん坊だとか、暴れん坊だとか言ってくれたよね」

「うん。言った」

「だからわたしも考えた。すっごくいいのが思いついた」

「なに?」

「……リンカはわたしと同じで実はちょっと甘えん坊。それからとっても寂しん坊で、そして、なによりも優しん坊ッ!」

 わたしがそう言うと、リンカは「なにそれ」と笑った。

「いいでしょ。気に入った?」

「うん。気に入ったッ」

 山をつくる木々の葉がここに来たときよりも赤くなっている気がして、時間の流れの速さを感じた。このままずっと列車は走り続ければいいのに、太陽は昇り続ければいいのに、……そう思ってしまう心を抑えて、窓の外に想いを馳はせる。

 しばらくしてリンカが「じゃあナスナは?」と聞いてきた。わたしはナスナの顔を見て考える。ナスナは「どうせろくなこと言わないでしょ」と最初から期待していない様子。……まあ、その通りなんだけど。

「うーんと……、木偶でくの坊?」

「おいッ」

 笑い合うわたしとリンカ。頬を膨らませるナスナ。何度となく見てきた光景だ。大好きな光景だ。

 列車はトンネルに入る。窓にわたしが映っていて、少し角度を変えるとリンカとナスナも見えて、ふたりもこちらを見ていたようで鏡越しに目が合った。わたしが笑って手を振ってみるとリンカは照れくさそうに小さく手を振り返し、ナスナは無視した。……ほんと、ふたりらしい。

 しばらくして、わたしのお腹が声を上げた。「グウウウウゥゥゥ!」という雄叫びを。車内にそれが響き渡って、リンカは「恒例行事だね」と笑う。ナスナは呆れた様子でこちらを見た。

「次の駅でお弁当でも買おうか」

「うん。そうだね」

 ふたりはそう相談していたが、……ふふふ。わたしがいいモノを見せてあげよう。

 わたしは風呂敷に包まれたそ・れ・をふたりの前に差し出した。

「なにこれ?」

「開けてみて」

 リンカとナスナは不思議そうな顔で風呂敷をとる。中にはお弁当箱が入っていて、開けるとそこには朝、アオナさんに教えてもらいながら作ったたまごサンドが入っていた。

「……たまごサンド」

 リンカは呆然と眺めている。

「下手くそ」

 ナスナは悪態を吐いている。……うるさいなぁ、わかってるよ。

 残念ながら、料理はあんまり得意じゃない……。リンカが作ったモノに比べたら不恰好だし、スクランブルエッグが飛び出して崩れちゃってるし。……でもアオナさん監修のもと、しっかり愛情を込めて作ったから。だから美味しいとまでは言わないけど、食べれるはず……。たぶん……。

「ありがとう。いただくね」

「うんッ。いっぱいどうぞッ」

 ふたりはゆっくりと口に運んだ。わたしは少しドキドキする。

 お味の方は――。

「……微妙」

 ナスナが舌をべーっと出しながらそう言った。

「まあ、コトコらしい味だね」

 リンカがフォローになっていないフォローを入れた。

「ふたりともひどいッ!!」

「不味くはないから、及第点かな」

「たまごがボロボロして食べにくいからそこはマイナスポイントだね」

「あとは味が濃すぎる。よくもまあサンドウィッチをここまで高カロリー食にできるね」

 ……ぐぬぬぬぬぬぬぬ。黙って聞いておればッ!!

 わたしも試しに頬張ってみる。……う、うん。ふ、普通に美味しいじゃん。お、美味しいし。無理してないしッ。……これが微妙って、ふたりとも普段どれだけいいモノ食べてるのッ!!

「余っちゃうともったいないから、おかわりしてあげる。食べ物のためだからね」

 ……なにそのツンデレの定型文。ナスナがちょっと可愛く見えちゃったよッッ!!

 散々ケチは付けるくせに、一応ちゃんと食べてくれるんだな。おかわりもしてくれるんだな。そっかそっか、さてはリンカも照れ隠しだな?

 わたしは都合のいいように解釈して、たまごサンドを平らげる。

「コトコ、向こうの世界で料理教えてあげるね。花嫁修行の一環として」

「余計なお世話だよッ!」

 そんなこんなで列車は愉快なわたしたちを乗せて、終着駅へと向かっていく。前途多難に思えた旅も気付けば終盤に差し掛かり、徐々にわたしたちの心に焦りが見え隠れし始めた。





 終着駅は相変わらずの静けさでわたしたちを迎えてくれた。

 わたしが転げ落ちた階段も、縛られたロープも、待ち合い室のベンチも、全部あのときのままだ。そこに確かに想い出は宿っていて、思い出すと胸の中から込み上げてくるモノがある。

 ……あとどれぐらい、一緒にいられるのだろうか。……何時間、いや、何分…………。

 わたしたちはベンチに座った。3人だとぎゅうぎゅうで、肩と肩とが触れ合う。真ん中にいるリンカはすごく落ち着いていて、ナスナも静かだった。穏やかな夕暮れの中、わたしだけがこんなに騒がしいのかな。この胸の焦りは、ふたりには伝わってないのかな。

 オレンジ色の光が空気中に舞う埃を照らして、それが輝いて、とても綺麗だった。今のわたしには苦しいぐらい、綺麗だった。

「……ここで、約束したんだよね」

 リンカが喋り出した。

「ここで、言ってくれたんだよね。……あたし嬉しかったよ。コトコが、あたしと一緒なら怖いモノなしだって、そう言ってくれたのがたまらなく嬉しかった」

 長く伸びた影を見て、その色が薄くなっていくのを見て、さらに焦る。

「本当に、嬉しいことばっかりだった。……列車の中で一緒にお弁当を食べたのが嬉しかった。窓に映るあたしに大きく手を振ってくれたのが嬉しかった。ガラスの町でバカみたいに遊んだのが嬉しかった。喧嘩したのは悲しかったけど、でも仲直りできたのは嬉しかった。ナスナとも出逢えたのが嬉しかった。お泊まり会が嬉しかった。髪を梳いてくれたのが嬉しかった。拗ねたコトコがわたしに甘えてくれたのが嬉しかった。ツンデレナスナがあたしのことを友達だと思ってくれてたのが嬉しかった」

「ツンデレじゃないし」

 微笑むリンカ。その笑みはどんな怒りをも沈めてしまう。ナスナも例外ではないみたい。

「海ではしゃいだのが嬉しかった。馬車に乗れたのが嬉しかった。大きなパフェは大変だったけど、ナスナの可愛い一面が見れて嬉しかった。そして、……コトコがあたしのために無茶してくれたのが嬉しかった。……うん。一番嬉しかった」

 わたしはなんだか照れて、俯いた。

「ふたりにはほんとにいっぱいいっぱい嬉しいことをもらった。絶対に忘れない。あたしの、一番の想い出。全部ちゃんと持って行くね」

 リンカはナスナを、そしてわたしを見て、さらに微笑んだ。わたしたちも微笑み返した。

 少し肌寒くなってきて、3人でさらに距離を詰めて、身を寄せ合って、ぬくぬくと。小柄なふたりに挟まれたリンカの影は頼もしくて、無敵なお姉さんなことを思い出す。

「……あ、ナスナ、あのことよろしくね」

「うん。嫌々頑張ってみる」

 ……あのこと? あのことってなんだろう?

 わたしが「なんのこと?」と首を傾けていると、リンカは「秘密ッ」と笑った。……気になるけど、可愛いから詮索せんさくはしない。

「コトコ、あたしがいなくて寂しいからってイトエさんたちに迷惑かけちゃダメだよ?」

「わかってるよー」

「あたしのぶんまで、ちゃんと恩返ししてね」

「はーい」

「あと、ちゃんと食事制限ね。食いしん坊もほどほどに」

「うるさいなぁッ!」

「それからそれから――――」

 リンカが次の言葉を紡ごうとしたとき、ちょうど列車が到着した。リンカをトンネルの向こうへ連れて行ってしまう、その列車が――。

「……列車、来ちゃった」

 リンカはそう言って立ち上がる。ホームへ向かって歩き出す。ナスナがそれに続く。わたしはその後ろ姿を見て、切なくなって、置いて行かれないように歩き出すも足はなかなか言うことを聞かない。……行かないで、なんてわがままに体が支配されそうになる。

 ホームでは車掌さんが切符の確認をしていた。リンカ以外に乗客はいないみたい。切符の確認を済ませると車掌さんはせっせせっせと去っていった。

 ……どうしよう。

「……もう、お別れだね」

 リンカは清々しかった。

 ……でもどうしよう。わたしはまだ、……まだ…………。

「本当にありがとう。ふたりもときどきでいいから、あたしのこと思い出してくれると嬉しいな」

「大丈夫。コトコはリンカのことばっかり考えてるから。たぶん、毎日思い出すよ。……ね?」

 ナスナはそう言って振り返る。リンカもわたしを見る。

 ――わたしは。

 ――わたしは、拳を握りしめて、震えていた。

 歯を食いしばって、涙を我慢して、俯いて、――顔なんか見たら我慢できなくなっちゃうよ。

「……コトコ、リンカにちゃんとお別れ言いなよ」

 ……わかってる。

 ……わかってるよ。

 ……でも。

 言うことを聞かない体はどんどん苦しくなって、涙がいよいよ溢れそうになって、必死で誤魔化そうとして――。


「……まったく、あんたって子は――――」


 するとリンカはわたしの前に立って、いつものように頰に手を伸ばした。

 触れた細い指先がなんだかもう懐かしくて、寂しくなって、そしたらぐいっと掴まれて。

 リンカはわたしの口角を上げた。

 わたしは笑顔になった。

「……うん、いい笑顔。コトコを見てるとこっちまで元気になれる。本当に」

 涙が滲む。でも笑顔。

「……じゃあね、あたしの友達ッ!!」

 リンカはそう言って満面の笑みを向けた。

 頰から手が離れ、もう二度とその手がわたしのほっぺたに触れることはないんだと思うだけでまた泣きそうになるけれど、それさえも振り解いて、列車に乗り込む背中に言った。

「……友達じゃないよ」

 リンカは立ち止まった。

「え?」

 わたしはとびっきりの笑顔をつくった。

 リンカに貰った、わたしの一番好きな笑顔だ。



「……もう、友達じゃないよ」



「……親友だよッ!! 大親友だよッッ!!!」



 わたしの言葉にリンカは驚いて、微笑んで、嬉しそうで、「――うんッ!」と大きな返事をした。

 一瞬、その顔にも涙が見えた気がしたが、笑顔に隠れてわからなくなった。

「――またねッ!! 大親友ッッ!!!」

 扉が閉まる。

 汽笛が鳴る。

 列車は、動き出す。

 もくもくと煙を焚きながら、力一杯に走り出す。

 リンカの顔が窓ガラス越しに見えた。わたしは大きく手を振った。腕をぶんぶんと振り回した。リンカは笑って、そしてわたしよりも大きく手を振り返した。いつもは照れていたくせに、そのときばかりは目一杯に手を振って、わたしの名前を叫んでいた。可愛かった。かっこよかった。優しかった。

「リンカッ! またねッッ!! リンカッッ!!!」

 わたしも何度となく叫んだ。

 リンカの姿が見えなくなっても、残る面影に叫んだ。

 列車がトンネルに入って、暗闇の中に消えてもまだ、叫び続けた。

「リンカッッ!! リンカッッッ!!!」

 その声はやがて涙が混じって嗚咽になって、気付いたときにはもう手遅れだった。わたしは崩れ落ちて、我慢していたモノが容赦なく溢れ出して、泣き叫んで、泣き喚いて、なにが悲しいのかわからなくなるぐらいまで壊れた。

「……コトコ、」

 背中にナスナの声を受ける。その声は少し震えていて、たぶん、ナスナも涙を我慢しているのだとわかった。

 わたしはほっぺたを引っ張る。痛くても全力で引っ張る。涙が止まるまで引っ張る。引っ張り続ける。

「……どうしようナスナ……、わたし、……わたし…………ッッ」

 結局、涙が止まることはなかった。

 ほっぺたのおまじない、――どうしてきみじゃないと効かないの。



 ――とても長い時間が経った。

 ――辺りもすっかり暗くなって、そういえば、彼女と初めて逢ったときもこんな空の色だったな、なんて思い出す。



 ――わたしは心の中で呟いた。

 ――いつかの未来を願って、呟いた。



「……わたしも嬉しかったんだよ、リンカ――――」





「……優しくしてくれたのが、嬉しかった」

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