わたしとリンカのガラス玉
だれかの悲しい顔を見るのは嫌い。だけど悲しみを隠してまで笑おうとする顔はもっと嫌い。
眠たい目を擦りながらダイニングテーブルにつくと、アオナさんが作ってくれたおにぎりとお味噌汁が用意されていた。服まで洗濯してもらったのに、ほんと、どこまでも至れり尽くせりの歓迎だ。この恩は必ず返さなければ……。
おにぎりの中には大きな梅干しが入っていて、知らずに食べたわたしは酸っぱさのあまり重たかった瞼を見開く。眠気なんかすっかり吹っ飛んで、「すっぱすっぱ」と口を尖らせているとリンカに笑われた。ナスナは「朝から騒がしい」ととげとげしく言い放つ。
お味噌の匂いがダイニングを満たしていて、イトエさんもそれに釣られたようにやって来た。
「おはよう。よく眠れたかい?」
大きく頷くナスナ。
「「はいッ!!」」
わたしとリンカは口を揃えた。
――嘘だ。昨夜は話に花を咲かせすぎて、少々寝不足気味。
「そいつは良かった」
アオナさんはイトエさんの汁椀にお味噌汁を注ぐ。ふわっといい香りが立ち上った。
朝の光が白いレースのカーテンに透けて、食卓を鮮やかに照らす。こうして5人で囲っていると本物の家族みたいだ。
「それで、今日はどうするんだい?」
イトエさんが尋ねた。
「ガラス玉は見つかりそうなのかい?」
わたしたちは体に現れた異変について説明する。今朝目が覚めたときからどこかへ導かれている気がすること、そして導かれた先には確かななにかが待っていること、……ひとつひとつ丁寧に説明していった。
「――それは間違いなくガラス玉だね」
飲み干した汁椀を置きながら、イトエさんはそう言った。
わたしとリンカは顔を見合わせ「やったね」と笑みを浮かべる。それからハイタッチ。
アオナさんは「昨日はたくさん降りましたからね」と呟いた。
「じゃあ後は回収して、万華鏡にしてもらえばいいんだよね! それで第一関門突破!」
喜ぶわたしたちを見て、イトエさんは険しいような、もしくは少し呆れたような表情でこう言った。
「――そんな簡単に行けばいいけどね」
そして横目でナスナを見た――ゆっくりとお茶を飲んでいる小柄なポニーテールを見た。
「どういうことですか?」
リンカが尋ねる。
イトエさんは「ごちそうさま」と言って立ち上がり、それから助言をしてくれた。
「まあとりあえず、探しに行くならナスナを連れて行きな。この子なら一番いい対処法を知ってる」
ナスナは露骨に嫌がったけど、イトエさんの言うことなら仕方ない、と用件を飲んだ様子。服に付いた糸くずを指で小さく丸めながら、頷いた。
「まあ、あとはお前さんたちの運次第だよ。くれぐれも、無茶はするんじゃないよ? 取り返しのつかないことになるかもしれない」
なんだか不穏な言葉を残して、イトエさんは工房へ戻ってしまった。
ハテナを浮かべるわたしとリンカに、アオナさんは「お武運を、ということです」と告げた。
出発する前にナスナに頼んで綺麗なサイドテールをつくってもらった。ナスナもわたしの髪の扱いに慣れてきたのか、あっという間に完成させた。
靴紐を結ぶ――紐同士を交差させ、片方で輪っかをつくる。もう片方で輪っかのまわりをぐるっと回って、それから穴に通す。大きさが同じになるように形を整えて、蝶々結びの出来上がり。満足の仕上がりに、靴をトントンして崩れないかを確認する。大丈夫そうだ。今日も長旅になりそうな予感。解けないようにしなければ。
「ふたりとも、準備できた?」
「バッチリッ!」
「大丈夫だよ!」
ナスナが点呼をとった。相変わらず大きなショルダーバッグを下げていて、「サイズ合ってないんじゃない?」と小馬鹿にすると、「無駄口叩くなら連れて行かない」と怒った。
「お気をつけて」
アオナさんの言葉を背中に受けて、わたしたちは踏み出す。
――ガチャンッ。
扉を開けると昨日は大荒れだった海が見えて――昨日のことなんて遠い昔の出来事のように知らん顔をする海が見えて、それがあまりにも美しい眺めで身震いした。
雲ひとつない青空の下、見たこともないような宝石の水面みなも。瑠璃色がどこまでも遠く広がっていて、カモメたちが気持ち良さそうにふたつの青を遊泳している。……その光景に、はしゃがずにはいられないッ!
堤防の上に立って「すご〜〜〜〜〜〜〜いッッッ!!」と叫ぶと、カモメたちが鳴き返してくれた。リンカもわたしと同じように「綺麗……」と見惚れている。それに対してナスナはつまらなそう。……まあ、ナスナにとっては見慣れた景色だから仕方ないか。
ふと、砂浜に目を落とすと寄せては返す波に揺られる小さな透明な輝きが見えた――昨日の雨の落し物だろう。海岸沿いに転がる複数のガラス玉に、わたしたちはときめいた。
「――ガラス玉だッ!!」
堤防から降りて、砂浜へジャンプ。背後でリンカが「あ、待ってよ!」と追いかけて来る。ナスナはしっかり迂回して階段から下りてきた。
無印の砂浜に3人の小さな足跡が残る。ふかふかのクッションの上を歩いているようで、調子に乗って激しく足踏みすると、靴の中に砂が混じる。……やっちゃった。せっかく結んだ靴紐を解いて、脱いだ靴を傾けるとサー……と音を立てて砂たちが落ちていった。
「おっとっと……」
片足でバランスをとるのがなかなか難しい。砂浜は沼のようで、体重をかけるとどんどん沈んでしまうのだ。
片方の靴から砂を放り出し、もう片方の靴を脱ごうとしたとき、背後から「それっ!」という声が聴こえてきた。なにかと思えばリンカがわたしの背中を押して海の中へと突き落とした。
「きゃあッッ!!」
甲高い悲鳴を上げながら入水するわたし――勢い余って顔からダイブする所だったけど、なんとか足の筋肉が頑張ってくれた。
うげぇ……靴下までビショビショ。
わたしが「さいあくッッ!!」と振り向いたら、リンカは「あははッ」と笑っていた。笑い事じゃないよッ!
「ごめんごめん、入りたそうにしてたから」
「してないよッッ!」
楽しそうに笑っているリンカの後ろで、ナスナは「リンカ、グッジョブ」とサムズアップ。なんだし、なんだし、みんなしてわたしのことイジメてさ……絶対仕返ししてやるッッ!!
びしょ濡れになった靴下を脱いでブンブン振り回すと海水が飛び散って、リンカが「ちょっとかかるッ!!」と逃げるから、わたしは傍若無人に暴れまわる。コトコ様を怒らせた罰だッッ!! しかと受け止めろッッッ!!!
鬼ごっこするわたしたちをよそに、ナスナは砂浜に転がるガラス玉をひとつひとつ丁寧に回収し始めた。砂を払って綺麗にしてから、持ってきたケースの中へ仕舞う。割れないように大切に入れるその動作に、ナスナの繊細な部分が滲み出ている気がして、ちょっといいな、と思ってしまった。わたしとしたことが。
砂浜にわたしたちのガラス玉はないみたい――まあわかってたけど。わたしたちのガラス玉はもっと町の真ん中の方にある。そんな気がする。
ナスナは砂浜に転がるガラス玉をすべて回収し終えた模様。わたしはヒカリ屋でサンダルを貸してもらい、ペタペタと音を鳴らしながら歩く。リンカには「ペンギンみたいだね」と笑われた。
ごっほんッッ!!
……気を取り直して、わたしたちの旅が再開した。海辺を進み、素足にたっぷりの砂を浴びながら足跡をつけていく旅路にはたくさんの出逢いと不思議があった。でもそれももう忘れてしまったぐらい、とにかく笑った。はしゃいだ。畦道あぜみちを通り、ナスナが近道と言うから洞穴ほらあなも抜けて、――目指すはガラスの町の中心部。――巨大な塔がそびえ立つ方へ。
馬車に乗せてもらった。わたしの可愛さのおかげ、……と言いたいところだが、ナスナのコネで。
御者ぎょしゃのおじさんはすごく優しくて、町のいろんな名所をわたしとリンカに教えてくれた。「あそこの爺さんは最近妙に若々しいんだよ。多分、女ができたな」なんてどうでもいい情報も乗せて。
雲に邪魔されない満天の日光が町中のガラスに反射して眩しい。そのせいなのか、日傘をさしている女性が多くて、死んでも紫外線は女の敵なんだな、と他人事。リンカやナスナはちゃんと日焼け止めを塗っているようで、差を見せつけられた。
「わたしにも貸してッ!」
ふたりの日焼け止めをブレンドして、万全を期した。
時々ガラス玉を発見し、そのたびにナスナが回収に降りる。ショルダーバッグがいっぱいになると、馬車の荷台に入らなかった分を積ませてもらっていた。ヒカリ屋の御用達ごようたしなのだろうか。どうやらそのまま店まで届けてくれるようだ。口数は多いけど、本当に優しいおじさんだった。
それにしても、馬車なんて初めて乗ったな――生きていた頃もきっと乗ったことがないんだと思う。最初に少し、微弱な揺れに酔ってしまったから。でも慣れてくるとどうとでもない。馬のヒヅメが地面を叩くパカパカした音が今は心地いいぐらい。
そよ風にサイドテールが揺れる。なんだか手持ち無沙汰ぶさたになって、リンカのお膝の上に座ってみる。重いって嫌がられるかな、なんて思ったりもしたけど、さすがはリンカッ!――わたしの腰に手を回してぎゅっとしてくれた。
「どうしたのぉ?」
小さな子に話しかけるみたいに問いかけるリンカ。わたしは「なんでもないッ」とリンカのほっぺたに触れて、それからぐるぐるぐるぐる回した。くすぐったそうに微笑むリンカの吐息が耳にかかってむずむずする。……ほんとにリンカって可愛い子だなぁ、と再確認。
昨夜、リンカはたくさんのことを話してくれた。たくさんのことを打ち明けてくれた。今となっては、こんなに可愛くて素敵な女の子に友達がいなかっただなんて信じられない。みんな、見る目ないよッッ!
――でもその反面、わたしがリンカの友達第1号になれたというのは、なんだかちょっと嬉しかったりもする。秘密だけど。
無数の風鈴が吊るされたアーチをくぐって、町の中心部に出る。人々を見下ろしている塔が途端に大きく感じて、見上げるも天辺は太陽と重なって霞んでいる。
「あの塔は?」
リンカが御者のおじさんに尋ねた。
「あぁ……あれは人間がつくったモノじゃないんだよ。こっちの世界にはじめからあったんだ」
「はじめから?」
「だれも詳しくは知らねえが、その昔、神様が俺たちを監視するためにつくったんじゃねえかって言われてる。死んじまった俺たちが下手なことをしねえようにって」
車輪が石を轢ひいて、ガタンッと強い揺れが来る。ナスナはガラス玉を守るようにショルダーバッグを抱きしめる。どうやら塔が太陽を隠して、馬車は日陰に入った様子――馬たちが石ころに気付かなかったのかなぁ? おっちょこちょいなんだから。
塔には入り口も窓も見当たらない。
「中には入れるの?」
わたしが不思議そうに尋ねるとおじさんは「いいや、中は空洞だ。なにもない」と答えた。
この世界は不思議だ――知らないことがたくさんある。最初は紛まがい物ばかりで取り繕つくろった偽物みたいに思っていたけど、今ではなんだか、こっちが本当の世界のように感じる。生きていた頃が嘘だったかのような、そんな感覚に襲われる。
神様は一体どうして、わたしたちをここに運んで来たのだろう。もし本当にあの塔に神様がいるのなら、わたしたちを見下ろしてなにを想っているのだろう。空っぽなわたしたちに、なにを望んでいるのだろう。
…………。
わからない。考えてもわからない。
でも、考えてもわからないことは、たぶん大した問題じゃない。わたしたちはここに生きるしかないのだ。「そりゃそうだ!」と前に進むしかないのだ。
馬車に揺られるわたしたちの影は町の光のおかげですごく鮮明に映えていて、ガラガラガラ……と回る車輪に乗っかって、塔の方へと向かっていく。
おじさんはこのあと別件があるようで、わたしたちは商店の並ぶ大通りに降ろしてもらった。しっかりとお礼を言って、馬にもお辞儀をして、歩き出す。
――が、グウウウウゥゥゥ〜……と猛獣の咆哮ほうこう。
どこからかと思えば、わたしのお腹だった。
リンカは「相変わらずだね」と笑っていて、ナスナは「草でも食べれば?」とわたしをヤギかなにかだと勘違いしているらしい。面目なさそうにしているとリンカが頭を撫でてくれて、それから「お昼にする?」と言ってくれた。優しいよぉ……ナスナとは大違いッ!
「別にいいけど。なにか食べたいモノある?」
「うーん……、コトコは?」
「わたしはなんでも食べたいッ!!」
「食いしん坊。……だったらナスナ、どこかオススメのお店連れて行ってよ」
リンカの質問にナスナは若干困った顔をしていたが、辺りを見渡して、「じゃあ――」と答えた。
どデカいパフェがテーブルの上に置かれた。さっきまで見えていたふたりの顔も今はパフェが障壁となって隠れている。
ナスナが提案したのはこぢんまりと佇たたずむ喫茶店だった。アンティークなインテリアが落ち着いた雰囲気のお店。どうしてたくさんのレストランが店を構える大通りではなく、小道にある小さな喫茶店なのか。わたしとリンカは不思議に思っていたが、出てきた巨大なパフェに目を輝かせるナスナを見てその理由は自然とわかった。というより明白だった。
「このパフェ、ずっと食べてみたかった」
ナスナは溢こぼれそうなよだれを引っ込めて、それから「こういうお店、ひとりで入る勇気なかったから」と付け足した。実はかなりの甘党らしく、巨大なパフェの他にもクリームソーダなんか注文しちゃって、ご満悦な様子。こんなに食べ切れるの……?と少し心配になった。
「ナスナ……これ大きすぎるよぉ……」
案の定、わたしとリンカはパフェの半分も食べ切れなかった。痩せようと思ってたのに……。膨らんだお腹が、お腹の中の猛獣が、「もう無理だ」と嘆いている。リンカも「限界……」とテーブルに突っ伏した。
するとナスナは「あとは任せて」と、スプーン2個を駆使してパフェを物凄いスピードで飲み込んでいく。そのあまりの速さにわたしとリンカは呆気にとられた。ゴックン……ゴックン……ゴックン……、アイスも生クリームもさくらんぼも、あっという間にナスナのお腹の中へと消えていった。
そして1分もしないうちにナスナはパフェを完食してしまった。圧巻の食べっぷり。小柄なくせに。体の中はブラックホールにでもなっているのだろうか。これまた不思議が増えてしまった。
クリームソーダを美味しそうに飲むナスナ――普段はむすっとしているから、少し愛嬌みたいなモノが垣間見える。それにしても、甘いモノには目がないとは意外な発見だった。これは後々なにか取引に使えそうだぞ……ひっひっひッ。わたしは魔女のような笑みを浮かべる。
食べ終わり、お会計のため立ち上がろうとした――が、体は言うことを聞かない。
……うげぇ……食べ過ぎた……。
重くて動けないため、しばらく喫茶店でくつろぐことにする(ナスナは全然大丈夫そうだったけど……)。
柱時計は13時を指す。目立たないお店といっても、お昼時の店内はそれなりに人で混雑する。店員さんも慌ただしくコーヒーやらナポリタンやらを運んで行く。
――と、その時、わたしの前を小さな人影が通り過ぎた。
「はぁはぁッッ!」
全力疾走する、口元にケチャップを付けた女の子――たぶん小学校低学年ぐらいで、せっかくの綺麗な金髪をボサボサにして、染みだらけのワンピースを着ている。こう言ってはあれだけどちょっとみすぼらしい感じの。一瞬見えた容姿はすごく可愛くて天使みたいなのに、それをマイナスにまで持っていく汚れた服装と乱れた髪。ケチャップのリップはオシャレなのかな? ……まあとにかく、ワケありみたい。仕方ない、このコトコお姉ちゃんが助けてあげま――。
――ガチャンッ。
風のように、颯爽さっそうと、少女は店から出て行った。代金を払うことなく、少女は店から出て行った。
――食い逃げだ。気付いた店員さんが慌てて後を追うが少女の逃げ足は速く、見失ってしまった様子。一部始終を見ていたわたしたちは「大丈夫かな?」と心配する。
わたしはほんの一瞬の少女の表情を――切なそうな横顔をやけに鮮明に焼き付けた。そしてあの子とはまたどこかで会う気がする――そんなことを思った。
体の芯が熱くなる――ガラス玉が近くにあると教えている。
しっかり代金を支払って、わたしたちは喫茶店を後にした。お腹いっぱいでちょっと気持ち悪かったけど、ナスナがそんなことには目もくれずせっせせっせと歩くから、ついていくのに必死だった。
しばらくすると塔の真下――とても大きな公園にわたしたちは辿り着いた。
自然公園と言ったらいいのかな? ――塔を囲うように池があって、その周りに木が植えられている。小さな丘なんかもあって、子どもたちは無邪気に走り回っていた。……楽しそう。わたしも混ぜてもらいたかったけど、あいにく時間もないから諦める。ガキんちょと違って、大人は忙しいのだ。
お花畑を歩く。オレンジに、黄緑に、薄紫……それぞれのイメージカラーの花を探して楽しんだ。虹色の園では虫たちが穏やかに暮らしているから、アリたちの行進を、ミツバチたちのお食事を、邪魔しないようにゆっくりと進もう。風が吹くと甘い蜜の匂いがして、「スイーツはもう十分だよ……」とげんなりした。
午後を少し越えた太陽は今が一番ギラついている。それは緩やかな公園の熱を確かに上げていった。ただでさえ満腹で、それに加えてあったかいお花畑の中となれば、そりゃあ眠たくなる。わたしとリンカはなんとか昼寝しながら歩けないかと試行錯誤の末、ふたりでもたれ合いながら進む――端から見たら馬鹿みたいな光景だ。
お花畑を抜けると、池の畔ほとりに出て、木陰で少し涼しくなった。塔の天辺は相変わらず拝めない。高い木々がちっぽけに感じるほど、神様の塔は巨大すぎるのだ。
ちらほらとガラス玉が落ちていて、ナスナは大事に回収していく。
「さすがに町の中心ともなると大多数は既に他の集め屋たちが回収してるみたい」
拾いながらそんなことをぼやいた。けど、わたしのガラス玉は確かにこの近くにある――そんな気がする。
「でも、こっちの方にある気がするよ? なんとなくだけど」
「あたしも」
「じゃあふたりのはまだ回収されてないんだね。よかった」
…………。
……よかった?
ナスナは慌てて「別に心配してるわけじゃないから」と付け足した。
ガラス玉に導かれる力が大きくなっている。吸い寄せられていると言ったらいいのかな? 「オレはここにいるぞッ!」と主張されている感じ。
リンカも同じようで、「この辺りかも」と呟いた。
木漏れ日が緑の絨毯を照らしている。青い鳥が三匹、チュンチュンチュンと歌っている。池でコイが静かに泳ぐその音さえも聴こえるぐらい、そこは澄んだ場所だった。
……すぅ〜はぁ〜〜…………。
思わず深呼吸。町のど真ん中だということを忘れてしまう――それほどまでに綺麗な空気。
ふと、目の前にある塔が老朽化からなのか所々ボロボロで今にも崩れそうなことに気付く。こんなにも大きな建物が倒れてきたりなんかしたら大変だ、とわたしは心配になる。
ナスナが「ここからは3人バラバラで探そう。私も近くのガラス玉を回収したいし」と言った。それに従ってわたしたちは散らばる。心の赴くままに進む。
――こっちの方にある気がする。
小さな花を踏まないように飛び越える。
――こっちの方から聴こえる気がする。
眠っているリスたちを起こさないように忍び足。
――こっちの方から呼ばれている気がする。
求愛するオス鳥にとびっきりのエールを送る。
…………。
しばらくして、少し開けた草原に出た。だれもいない、しんとした原っぱ。木々の間を吹き抜ける風たちがみんな一斉に集まって来て草たちをゆらゆら揺らしているような、そんな素敵な場所。
そこに二匹のモンシロチョウがいて、それがじっと光の上でとまっているから、「なんだろう?」とわたしは近づく。
蝶はわたしに気付いて逃げていく。ヒラヒラと青空の方へ向かっていく。
残ったのは光の塊――ガラス玉――わたしの記憶の欠片だった。
…………。
そっと手を伸ばす。
驚かせないように、ゆっくりと。
触れる。
ちょこん、と優しく。
確かで懐かしい感覚が指の先に走る。
涙が出る。
とても太陽に照らされていたとは思えない、ガラスの冷たさが気持ちいい。だけどしっかりとした温もりも宿している。
あたたかい。
両の手で包み込む。
割れないように、壊れないように、大事に大事に包み込む。
――――じゃあ約束だよ。この約束は、たとえ死んだって――――……。
脳裏になにかが過よぎった。
胸の奥から来る熱いモノが全身に流れる。
自然と涙が溢れてくる。
止まらない。止まらない。
涙はガラス玉にぽたぽたと落ちて、なめらかに垂れる。
……うっ……ううっ……ひっく…………。
嗚咽が漏れた。
わたしはなにを忘れてしまったのかな。どうして忘れてしまったのかな。
思い出して、思い出して、思い出して。
記憶に訴えかけても答えは返ってこない。
ただ手に感じる懐かしい温もりだけが、わたしに大切なことを伝えようとしている。
――ねえ、思い出して。
生きていた頃のわたしが、死んでしまったわたしにそう話しかけてくる。
ごめん。ごめんね。
今のわたしにはなにもできないの。それが悔しい。
この胸はそう感じている。
せっかく出逢えた記憶が風で飛んでいかないように、せめて精一杯に握りしめた。
ひとつ残らず持って帰ると力を込めた。
それからガラス玉を胸に寄せて、ただただぎゅっと抱きしめた。
――もう、離さない。離したくない。
――わたしの、大切な記憶。
強く誓い、願った。
ナスナと合流した。ナスナはショルダーバッグをパンパンにしてやって来た。これでイトエさんに褒めてもらえる、と嬉しそうだ。
「ガラス玉、見つかったの?」
「――うんッ」
真っ赤な目下を優しく撫でて、鼻水を啜すすりながら、わたしはナスナにガラス玉を見せる。
「よかったね」
ナスナはいつもみたく淡々と言った。――けど、どこか寂しそうにも見えた。
「私が預かろうか?」
「ううん、いい。わたしが持ってたい」
肌身離さず、握ってたい。
「……そう」
ナスナは振り返って、歩き出した。リンカの方へ向かうのだろう。わたしも後を追う。
「……リンカ?」
吹きつける強い風に落ち葉は運ばれる。緑色の葉が池に落ちて、浮かぶ。
わたしたちが到着したとき、リンカはぼうっと塔の方を眺めていた。その目線の先――窪くぼみとなっているところに光るモノがあるのは、すぐにわかった。
どうやらリンカのガラス玉は塔の中腹に引っかかっているようだ。建物でいうところの3階ぐらいの高さで、とてもじゃないけどよじ登らなければ届きそうもない。おまけに塔の周りは池が囲っていて、そこを越えるのも一苦労。難しそうだ。
「ナスナ、……あれ、取れる?」
恐る恐る聞いてみたけど、ナスナは静かに首を横に振る。
「……なにか方法はないの?」
言葉に少し、熱がこもる。
「風でも吹けば落ちてくるかもしれないけど、でも、あの高さから落ちて無傷で済むとは思えない」
ナスナは困ったように、参ったように返す。
そんな……ひどいッ。
行き場のない怒りをぶつける。
「ねえ、どうにかしてよッ」
わたしはナスナの袖を掴んで頼み込む。――が、ナスナは手の施ほどこしようがないと俯いた。
その辛そうな表情を見て、わたしは掴んだ袖を離した。
…………。
「……あ、コトコ、どうだった? ガラス玉は見つかった?」
リンカが尋ねてきた。いつものトーン、いつもの笑顔で――その心の中は、覗かなくてもわかる。
わたしは握りしめていたガラス玉をそっとポケットの中に隠して「ううん、ダメだった。勘違いだったみたい」と返した。
ナスナは少し驚いた顔をしていたが、それから再び俯いた。
「そっか……、ふたりともダメだったかぁ」
露骨に残念そうな顔をするリンカ――違うでしょ、ほんとはもっと違う顔がしたいんでしょ。わかってるから。だから無理して笑うのはやめてよ。……言いたくても、言えない。
「今日のところは諦めて、帰ろっか」
そう言って伸びをするリンカ。清々しく振る舞おうとしている。
わたしもナスナも見ていられなくなって、「そうだね」と微笑むことしかできなかった。
「イトエさん、もう一泊させてくれるかなぁ? アオナさんに頼めばいけそう」
それから、リンカは永遠と喋り続けた。
太陽はオレンジ色のスポットライトをわたしたちに向けている。そこに映し出される感情は様々だったけど、どれも好きなモノではなかった。
路面電車に揺られ、わたしたちは帰路につく。
車窓から差し込む夕日に目を細め、ありったけの体力と精神力を費やした体は立っていることもままならず、3人仲良く一番後ろの席に座った。
リンカも、ナスナも、……寝てしまっているみたい。ふたりの寝息が聴こえてくる。
わたしはどうにも寝付けず、ぼうっと窓の外を眺めた。リンカの目元に光る雫なんか見ないふりを決めて、窓の外を眺めた。
そこでは、大勢の人たちが流れていく。街頭がポツポツ明かりを灯し始め、窓を開けると美味しそうなサンマの匂いが香ってくる。生活の音が途切れ途切れに聴こえてきて、笑い声や泣き声も、一緒になって届いてくる。
わたしはじっと考えた。
――わたしに、なにができるのかな。
トレードマークであるサイドテールを解く。しゅるり、と輪っかの中から髪の毛たちが抜けていく。ゴムは手首に回して、癖のついた髪を梳かしながらリンカの顔を見る。そして頭を撫でた。……わたしになにができるかなんてわからなかった。
少し錆さびた窓をゆっくりと閉める。ギギギ……と音を立てるが、疲れ切ったふたりは起きる気配なし。わたしはリンカに顔を近づけて、それから目元に浮かぶ小さな雫を拭き取った。リンカに涙なんか似合わないよ。リンカはいつだってわたしの馬鹿に呆れてくれなきゃ、笑ってくれなきゃ、優しくしてくれなきゃ。そうじゃなきゃ、リンカじゃないよ。
――わたしになにができるかなんてわからなかった。
――でも、なにがしたいかならわかった。
路面電車は停車する。どこかもわからない駅だ。海辺からは程遠い。
それでもわたしは立ち上がった。
――わたしは助けてあげたい。
「発車しまーす!」
運転手の声とともにバスはわたしを残して走り出した。
――今度はわたしが助けてあげたい。
遠くに見える朧げな塔を睨みつけて、決意と覚悟の一歩を踏み出す。
――今まで何度もわたしのことを助けてくれたリンカを、今度はわたしが助ける番だ。
――本当の友達は、困っている友達のことを絶対に見捨てない。見捨てちゃいけない。
サンダルは相変わらずマヌケな音を鳴らすけど、一歩一歩進むその足取りが間違っているはずがないと、わたしは神様に誓えた。
神様がいじわるするなら、正面から立ち向かってやる。
だってわたしは、――リンカの友達だから。
なにも知らないふたりを乗せた路面電車は海辺へ向かって走っていく。
わたしはそれに背を向けて、塔を目指して歩き出す。
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