赤ん坊と裏切りのサイドテールと迷子からの出逢い
泣いて生まれてきたんだから、死ぬときぐらい笑ってたいなって。
そう胸に刻んで生きてきたつもりなんだけど、失敗しちゃったみたい。おかしいな。
目が覚めると、わたしは知らない列車に乗っていた。
その列車は闇の中を走り、わたしを遠くの光へ連れていく。
一体、どこなのだろう。どこへ向かっているのだろう。
なにも思い出せない。自分がこれまでどのように生きてきたのか、どうして列車に乗っているのか。
――なにも思い出せない。
ただ感覚的に、ひとつ、わかったことがあった。
――わたし、死んじゃったんだな。
体には重みがあって、真っ赤な血も流れている。頰に触れれば体温を感じて、胸に手を当てると心臓の音も聴こえる。生きていた頃となにも変わらない感触が確かにある。
それでもわかる。自分は死んでしまったんだ、と。
ぽた、ぽた、とスカートに水滴が落ちてきた。わたしはいつの間にか泣いていたようだ。大粒の涙が溢れてくる。止まらない、止まらない。
どうして泣いているんだろう。悲しくて泣いているんだろうか。苦しくて泣いているんだろうか。わからない。わからないのが、――とても怖い。
周りを見渡してもだれもいない。列車はわたしひとりを乗せて、遠くの光へ進んでいく。
一体、どこなのだろう。どこへ向かっているのだろう。
なにも思い出せない。自分がどうして死んでしまったのか、なぜ列車に運ばれているのか。
――なにも思い出せない。
ただ感覚的に、ひとつ、思い出せることがあった。
――わたし、なにか大切な約束をしていた気がする。
――決して忘れてはいけない、大切な約束を。
それがなにか思い出す前に、列車は光をまといながら闇の果てへ消えた。
「死者の世界にも遊園地とかあるんだねー」
わたしは呑気な声でリンカに話しかける。リンカは買ったばかりのチョコバナナクレープを食べながら、背後を激走するジェットコースターに目を向けた。
「みんな死んじゃってるのに、楽しそう」
「動物園に、水族館に、映画館……カラオケやボウリング場もあるなんて、ほんと最高だよ、ガラスの町ッ!」
サムズアップ。アンドピース。わたしたちはガラスの町を謳歌おうかしていた。
町中に溢れる色とりどりのガラスでできた装飾品は人々の笑顔を映し出し、たった今、透明なガラスでできたテーブルはわたしとリンカの楽しそうな顔を反射させている。
イチゴクレープをペロッと平らげてわたしは町の地図を広げた。次はどこへ行こうかな、次はどこへ行こうかな。鼻歌交じりに考える。
するとリンカはなにやら訝いぶかしげ表情でわたしのほっぺたを突いた。
「ちょっとコトコ、本来の目的忘れてないでしょうね?」
「うーんと……」
わたしは考える仕草をし、それから満面の笑みを向ける。
「なんだっけ?」
するとリンカはわずか10センチの距離まで顔を寄せて、それから大きく息を吸った。――吐いた。
「万・華・鏡ッッ!!!」
今まで出したこともないような大きな声でわたしに怒鳴るリンカ。その後もお説教は続く。
「切符を手に入れるのがあたしたちの目的でしょ!? 観光しに来たんじゃないんだから! 忘れないでよね!!」
「わ、わかってるって。冗談だよー」
不機嫌そうなリンカ。冗談が通じないなんて困っちゃうなぁ、まったく。
「でもそういうリンカだって随分と楽しんでるみたいじゃん。さっきなんかハンバーガー、行列できてたのに並んじゃってさ。あぁーあー、わたしずっと待っててあげたのになぁ……」
わたしが嫌味ったらしくねちねち言うと、リンカはむすっとした顔になって「んん……」と声を漏らした。可愛いなぁ、まったく。
「ねえねえそれで、次はどこ行く?」
完全にテーマパークにはしゃぐ子どものようだった。それぐらい、楽しんでるってこと。
リンカもクレープを食べ終わり、一緒に地図を見た。
ガラスの町はとても広い。一週間あってようやく全部を歩き回れるぐらい――こっちの世界では大都会の位置付けだと思われる。
ハンバーガー屋の店主に聞いた話によると、万華鏡を売っているお店はいくつもあるらしい。中でも老舗で最も信頼できるという『ヒカリ屋』は海辺に店を構えているようなので、わたしたちはそこを目指すことにした。
――はずなのだが、途中幾度となく襲いかかる困難にわたしたちは振り回されていくのであった。
【困難その1――リンカ、母になる!?】
海を目指して歩き出したわたしたち。道のりは遠く、その癖、寄り道ばっかりしているもんだから辿り着く気配もない。でも仕方ないよ、素敵なモノがいっぱいなんだもん。
右手にはポップコーン、左手には綿菓子を持ち、ご満悦な表情を浮かべるわたしを見て、リンカは鋭い一言を投げかけた。
「食べ過ぎじゃない? さすがに太るよ」
豪速球。一発KO。そんなひどいこと言わなくてもいいじゃない。
わたしは頰を可能な限り膨らませて、ぷんぷんした。
「いいもんいいもん、どうせわたしは着太りして見えるから気にしないもーん」
「いや、そういう問題なの?」
呆れた表情のリンカに、わたしも反撃する。やられっぱなしは悔しいじゃん!
「リンカさんはむしろもっとお食べになった方がいいんじゃなくて? あちこちにお肉が足りていないようですが……はて?」
高貴なおばさま風に言ってみる。それからリンカの胸部に視線を送ると、リンカは慌てて隠して顔を赤らめた。
「う、うるさいッ! ちょっと持ってるからっていい気になんなッッ!」
「いいえ、わたくしなんて全然ですわ。……あら、持っておられない方を前にそのようなこと。わたくしとしたことが……ごめんあそばせ。おほほほほほほほ」
「ムカ〜ッッ! お前なんか、お前なんかこうしてやるッッッ!!」
リンカは苛立った様子で、わたしのほっぺたを掴んでぐにゃんぐにゃんとつねりいたぶった。わたしも反撃するためリンカのほっぺたをつねる、引っ張る、回す。
そんな感じで戯じゃれてはしゃいでいると、どこからか甲高かんだかい泣き声が聞こえてきた。
「うぇ〜ん! うぇ〜〜〜〜〜んッ!」
――ん?
わたしたちは戯れ合うのをやめて、声のする方を見た。するとベンチの上に、毛布に包くるまれた赤ん坊がいる、というよりは置き去りにされているのを発見した。
「……赤ちゃん?」
「……赤ちゃんだね」
ふたりで近づいていく。リンカは毛布に隠れた赤ん坊の顔を覗いて優しい声で尋ねた。
「え、えっと……、どうしたのぉ? あなたお名前は?」
「うぇ〜〜〜〜〜〜んッッッ!」
赤ん坊は突然目の前に現れた女性に怯えているのかさらに大きな声で泣き出してしまう。
「あ、え、えっと、だ、大丈夫だよ……不審者じゃないよ……誘拐しないよ……だから泣かないで……いい子だから…………」
あたふたあたふた。リンカは戸惑いながらわたしを見ている。
「コ、コトコ、この子どうしよう……? どうしたらいいの……?」
はぁ……仕方ないなぁ……。
わたしは赤ん坊を抱きかかえて、ゆらゆらと揺らしてあげる。
「はーい、怖くないでちゅよー。コトコお姉ちゃんが遊んであげまちゅからねー」
すると先ほどまでの涙が嘘のように消え、あふれんばかりの笑顔をこちらに向けてきた。ぬあぁ、可愛い! 可愛すぎる!! これはやばい!!! 凄まじい破壊力!!!!
「す、すごいコトコ! 赤ちゃんのお世話とかできるんだね! 意外な特技!!」
「うん、わたしも驚いてる。なんか感覚的に覚えてた」
「生きてた頃、コトコはお母さんだったのかもね」
「中学生ママ? 大丈夫なの? それ、」
わたしはしばらく赤ん坊をあやしてあげる――が、再び泣き出してしまった。
「ん? 今度はなに? どうしたの?」
リンカは扱いに慣れていないようで、また慌て出した。わたしは「リンカ、落ち着きなさい」とお母さんのように注意。赤ん坊は周囲の不安に敏感なのだ。まずはわたしたちが落ち着かなければいけない。
「……もしかしたら、お腹が空いてるのかも」
「え、それって――――」
自身の胸部に目を落とすリンカ。その姿を見て、わたしは冷めた声をかける。
「いや、無理だよ。いろいろな意味で」
「わかってるわよッッッ!」
リンカは顔を真っ赤にして、怒鳴る。赤ん坊は怖がって、さらに泣き出す。
「うぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んッッッ!」
「あぁぁ……ごめんね、大きな声出して…………」
「もうリンカ! ダメでしょ!!」
コトコママはリンカに「めっ!」と注意。リンカは反省したようでしゅんとした。
「ママはどこにいるんだろ……? わたし、ちょっと探して来るから赤ちゃんの面倒見てて!」
わたしはそう言ってリンカに赤ん坊を預ける。リンカは焦った表情を浮かべる。
「え、え、なんであたしが? コトコはここにいてよ……」
「いや実はわたし……さっきからずっとトイレに行きたくて…………」
「え、……なんで早く言わないのッ! 休憩の時『わたしは大丈夫』って言ってたじゃん!!」
「そのあと行きたくなったんだもん……。リンカに怒られると思って言い出せなかったんだよぉ……」
こうしているうちにも、漏れそう。
「えぇぇ……我慢できないの?」
「ごめん。限界が近い、……かも」
実は結構、頑張っていた。
赤ちゃんは泣いている。わたしは悶もだえている。リンカは頭を抱えている。地獄のような光景だった。
結局赤ん坊はリンカに任せて、わたしがトイレとお母さんを探すことになった。リンカ、大丈夫かなぁ……?
そのあとのリンカの苦労については後々わたしたちの間で伝説として語られることとなった。
わたしが去った後、リンカは赤ん坊をなんとか笑わせようと必死だったらしい。
「いないない……ばあぁ!」
「うぇ〜〜〜〜〜〜〜〜んッッッ!」
「……こんなんで笑った赤ちゃん、ほんとにいるのかな」
泣き続ける赤ん坊にリンカは大変困っていた。
「こしょこしょこしょこしょ」
くすぐってみるが笑うことなく、「あうぅッ!」と手を振り払われてしまう。
「……もう、どうしたらいいのよ…………」
挫けそうなリンカ。そんなとき、なにかを思い出したかのように赤ちゃんに呼びかけた。
「ねえねえ、じゃあこれならどう?」
そう言うと唇を尖とがらせて、口笛を吹き始める。赤ん坊が驚かないよう、なるべく優しい音色で。
「ひゅ〜〜〜〜〜〜」
最初は効果なさそうに思えたが、次第に興味を惹かれたのか、赤ん坊は泣き止んで、リンカの口元を見た。リンカは口笛を続ける。愉快で、軽快な音楽を奏でる。
「きゃっきゃっ!」
喜ぶ赤ん坊を見て、笑みがこぼれるリンカ。すると赤ん坊は自らの唇を丸く細めてリンカの真似をする。――が、なにも起こらない。無音無風。顔を真っ赤にして口笛を拭こうとするが風さえ起こらない赤ん坊を見て、リンカは思わず笑ってしまった。
「あなたはまだ無理じゃないかな? もう少し大きくなってからだね」
「うぅぅぅ! うぅぅぅぅぅぅ! ……んん、ん、ん、うぇ〜〜〜〜〜〜〜んッッッ!」
自分には口笛を吹けないことがわかった赤ん坊は痺しびれを切らして泣き始めた。
「え、え、どうして泣くのぉ……?」
戸惑うリンカ。――だがすぐに次なる秘策を思い付き、赤ん坊は一度ベンチに寝てもらって、メモ帳とペンでなにやら描き始めた。
少し経って「ふぅ……」と声を漏らす。
「よく見ててね」
メモ帳を赤ん坊に見せ、1ページ、1ページ……高速でめくっていく。パラパラ漫画を描いたようだ。コトコに似た食いしん坊の女の子が美味しいものをたくさん食べて、最終的に太って動けなくなるというストーリー。(後々にその漫画を見せてもらったわたしは、リンカをひどく叱りました)。
リンカの予想通り、赤ん坊は大笑いする。
「きゃっきゃっきゃっきゃッッ!」
何回も何回も、終わったら最初に戻りの繰り返し。それでも赤ん坊は笑ってくれる。リンカは嬉しくなって、調子に乗って、めくるペースを速めた。絵が速く動けば動くほど、赤ん坊ははじけた笑みを浮かべるからだ。
しかし、――ビリッ。メモ帳は破け、風に乗って空の彼方へ飛んで行った。
「……あぁ」
感嘆の声を上げるリンカ。赤ん坊は案の定、泣き出す。
「うぇ〜〜〜〜〜〜〜んッッ!」
「――だったら、」
ここまで来るとリンカはやけだった。赤ん坊に身体能力を活かしたアクロバティックな体操を見せたり、鳥たちが集まってくるような美声で歌い出したり、たまたま持っていた風船でバルーンアートを作ったり、ジャグリングを披露したり、盆踊りを踊ったり……とにかく必死に赤ん坊をあやした。赤ん坊は笑ったり、泣いたり、渋い表情を浮かべたりと、まるでオーディション番組の審査員のようだった。
そうこうしているうちに眠くなったのかうとうとし始めて、リンカはお腹をゆっくりさすってあげる。こうしてやっとのことで、赤ん坊を落ち着かせることに成功。リンカもほっと安堵あんどの吐息を漏らした。
ベンチの下では小さなタンポポが揺れている。日陰でも頑張って育とうとするその姿が、どこか儚い。
静かな寝息をたてる赤ん坊の頭を優しく撫でながらリンカは呟く。
「……あなたは元気だね。いっぱい泣いて、いっぱい笑って。そうやってきっと、コトコみたいな明るい子に育つんだろうね」
…………。
「……羨ましいな、ちょっと」
…………。
「……ごめん」
…………。
「……あたしもあなたも、死んでたんだった」
…………。
「……ねえもしかして、ずっとひとりだったわけじゃないよね?」
…………。
やりきれない気持ちになった。
赤ん坊から手を離す。これ以上は辛くなるだけだ。きっと。
…………。
すると赤ん坊の小さな手は、リンカの指に伸びて、掴んで、確かめて、そしてぎゅっと握りしめた。リンカの細い指を、赤ん坊の小さな手が包み込んだ。
…………。
温もりを感じる。生きていた頃となにも変わらないような、強い温もりを感じる。
それから赤ん坊はなにも知らない顔をして、寝息混じりの声を紡ぐ。
「……まま」
…………ッ。
リンカは強く願った。――生きていようと、死んでいようと、この子がもう一度お母さんと巡り会えますように。ただそれだけを、強く願った。
「ごめん、お待たせ〜〜〜!」
わたしはひとりの女性を連れてリンカと赤ん坊のもとへ戻って来た。40分ほど捜索に時間がかかってしまって、悪いことをしたなと内心反省。
そのときのリンカは赤ん坊を抱きながら一緒に昼寝をしていて、それがあまりにも穏やかな表情だったから起こすのが申し訳なかった。
「……もうコトコ……遅いよ……」
寝起きのはっきりしない声でそう言われた。
「ごめんごめん、トイレ探すのに手こずっちゃって」
「いや、手こずってたのそっちだったんだ」
ツッコミ健在。良かった……あんまり怒ってないっぽい?
リンカはわたしの隣に立つ女性に目を向ける。わたしたちより5歳ぐらい年上で、割烹着かっぽうぎを来て、とても大きな乳母車うばぐるまを引いている女性。名前はユウキさん。
「あ、えっと、この人は……いわゆる乳児院の方で、ユウキさん」
「ユウキです。このたびは、その子が大変お世話になりました」
リンカは赤ん坊を抱きながら立ち上がり、それから礼をした。
「いえ、あたしこそ、なんか勝手に抱っこなんかしちゃって……」
目を落とす。乳母車の中に数人の赤ん坊たちがスヤスヤと眠っている様子が見える。
「……しっかり数えたはずなのに、私、ちょっと抜けていて。……本当に良かった。その子にもしものことがあったら、私…………」
ユウキさんは泣きそうな顔で俯いた。リンカはそんな彼女を見てどこかほっとした表情を浮かべている。もしかしたら、赤ん坊の親代わりの人がユウキさんで安心したのかもしれない。
それからリンカは赤ん坊をユウキさんに返した。優しく、起こさないように。
ユウキさんは赤ん坊を乳母車に寝かせ、それから微笑んで呟いた。
「……ごめんね。もう置き去りになんかしないからね」
わたしとリンカは目を合わせ、にっこりと笑った。
「本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「こちらこそ。赤ちゃんと一緒にいるの楽しかったです。……今度、会いに行ってもいいですか?」
「――はいッ! もちろんッ!」
ユウキさんの満面の笑みを見て、リンカも本当に素敵な笑顔を返した。
わたしたちにたっぷりの感謝を述べて、ユウキさんは去っていく。その背中を見てリンカは出し抜けに聴いた。
「あの、……そういえば名前は? ……その子の名前は?」
するとユウキさんは振り向いてこう言った。
「――今はありません」
リンカは戸惑って、「どうして?」と尋ねる。
ユウキさんは微笑み、胸の前で手をぎゅっと結んで、答えた。
「名前は親からの愛情の証。大切な宝物。だから私たちが勝手に付けていいものではないんです。……いつの日か彼らが大きくなって、自分の名前をめいっぱいの笑顔で呼んだとき、私たちはすごく嬉しくなる。心配しなくても、いつか絶対、そのときは来ます」
納得したようにリンカは頷き、ユウキさんは会釈して、それから去っていった。
昼下がりの陽射しがとても気持ちよくて、わたしもなんだか眠くなってリンカの肩にちょこんともたれかかる。リンカはベンチの下に咲いた小さなタンポポを見て、「しっかり育つといいな」と呟いた。
【困難その2――コトコの髪の毛ボサボサ事件】
リンカと赤ん坊の素敵なエピソードのあとにこんなどうでも良さそうな事件が起こってなんだか調子も狂うけど、わたしにとっては大事件だった。
髪の毛が……髪の毛が……ヤバいッッッッ!
コトの発端は交差点を歩いていたとき――そこは人で溢れ返っていて、歩くのも精一杯なぐらいの大混雑。わたしとリンカははぐれないように手を繋いで歩いていたのだが、人波に揺られ、身動きがとれる状態ではなかった。都会の荒波に揉まれるとはこのことか、などとくだらないことを考えながらなんとか脱出したわたしたちはへとへとになりながらも端に寄る。
「いやぁ……大変だったね」
わたしがそう言うとリンカはわたしの頭を見て、「もっと大変なことが起こってる」と言う。
なんだなんだ、とわたしが頭に触れると、そこには自慢のサイドテールの姿がなく、もじゃもじゃと知らない髪質が暴れていた。
「な、な、な……」
リンカは耳を塞ぐ。わたしは叫ぶ。
「なんじゃこりゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!!!」
窓ガラスに映るわたしの頭は、わたしのモノではなかった。だれか別の人の頭と入れ替わってしまったのではないか、と錯覚するぐらいに見事なアフロ頭だった。
「な、なぜ……なぜこんなことに…………」
わたしはショックのあまりその場に崩れ落ちる。
「なぜわたしを捨てた、サイドテええええぇぇぇルううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅッッッ!!」
大号泣。近年稀に見るコトコの大号泣。
リンカはそんなわたしを見て、というかわたしの頭を見て、口をごにょごにょしながら言った。
「ま、まあ……イメチェンってことで……ぷぷっ……いいんじゃない……?」
こいつ、笑いを堪えてやがる!! 許すまじ!!!
わたしが目をギラッと光らせるとリンカはわたしを抱きしめ言った。
「……大丈夫。あたしはどんなコトコでも受け止めるよ」
「リンカ…………」
わたしはリンカの腕の中で目を閉じた。そして叫んだ。
「やかましいわッッッ! こんな茶番してないで、早くどうにかしてよッッ! これじゃ歩けないよッッッ!!」
「えー、結構似合ってるのにー」
リンカはポーチの中から櫛くしを取り出して、わたしに「おいで」と手招きする。わたしはふてくされながらもリンカの前に体育座り。リンカは櫛でわたしの髪を梳とかしていくが、なかなかの曲者くせものらしく、上手く元に戻らない。力を込めるとわたしが痛がって「ギブッギブッ!」と悶えるため作業は全然進まず……まさかの降参。リンカは断念した。
「リンカ、オレを見捨てるって言うのか!?」
「ごめんなさいコトコ、あたしにもできないことがあるの……」
「待ってくれリンカ、行かないでくれ! リンカぁぁぁぁぁッッ!!」
……茶番の末、リンカは着ていた上着をわたしの頭に被せてくれた。
「当分はこれで我慢して。あとでちゃんと直してあげるから」
「うん……。でもこの格好、逮捕されたときの容疑者っぽくない?」
「嫌なら返して」
「有難く、お借りします」
わたしは上着がずり落ちないように首元でぎゅっと結んだ。視界がきかない……。転ぶと危ないからリンカに誘導してもらい、ゆっくり歩き出した。
前を歩くリンカの肩が震え、不規則に刻まれた息の音がするのはたぶん笑いを堪えているからで、わたしはリンカの背中を鋭く睨み続けた。
事件は、――解決できなかった。
【困難その3――迷子】
市場を歩く。海まではもう少しだ。
海の幸が多く並ぶ市場で、魚の生臭さが臭ってくる。それなりに人もいて、賑わっている様子。
いつもなら美味しそうに香るホタテやら焼きイカやらに目を奪われそうなわたしだが、今はそんな悠長な状況ではない。わたしの頭は大変なことになっているのだ。
リンカに先導してもらい、わたしは手の引かれるままについていく。被ったリンカの上着に隠れて周りの人からは見られていないことを祈るがアフロ頭は何時間経っても健在で、直らない。周囲の目が気になって仕方がないのと、たまにリンカが振り向いてわたしを見たとき笑いを堪えるのに必死そうなのがむかついてわたしは今とても不機嫌だ。
「ぶー……」
おもちゃを買ってもらえなくて拗ねている子どものように唇を尖らせふてくされていると、リンカは「ごめんごめん」と謝ってくる。謝って欲しいんじゃないんだよ、この頭を直して欲しいんだよ!!
「リンカぁ……どうにかしてよぉ」
「無理だよ、櫛折れちゃう」
「友達が困ってるんだよぉ、助けてよぉ〜……」
「あれ、いつお友達になりましたっけ?」
「ひどいッ! ひどすぎるッッ!!」
わたしは興奮のあまりリンカの背中にしがみつこうとしたが、危うく上着が落ちそうになって、頭を守ることに専念した。
魚を焼く煙が道の先に漂ってくる。やや視界が悪くなり、前を行く後ろ姿が次第に霧の中へ消える。
リンカの歩くスピードが少し速くなって、わたしは置いていかれないように頑張ってついていく。
「……コトコって、友達多そうだよね」
唐突に、リンカが喋り出す。
「そ、そう?」
「うん。だれとでもすぐ仲良くなれちゃうでしょ」
「そうかなぁ? こっちの世界だけかもよ。生きてた頃のことはわかんない」
…………。
黙り込む背中を見て、わたしなにか余計なこと言っちゃったかな?と少し不安になる。それと同時にこういうとき、リンカがなにを考えているのかまったくわからなくてやきもきする。
煙たさが増して目を瞑つむりながら歩く。熱い煙の中、握っている手だけが不自然に冷たく感じた。
「……あたしは多分、友達少なかったから、だからコトコが羨ましい」
いつもより少し控えめな声でリンカは次の言葉を紡ぐ。顔が見えないからどんな表情をしているのかはわからないけど、きっとわたしが見たこともないような切ない顔をしているんだろうな、と思う。
「なんかコトコって一緒にいるだけで楽しいっていうか、ほっとけないっていうか。……いいよね、そういうの」
言葉にどこかトゲがある。そんな気がする。
それはすごく脆もろくて、簡単に割れてしまうようなか細いトゲ。
「……リンカもだよ」
わたしは言った。
「わたしも、リンカと一緒にいて楽しいよ。リンカのことほっとけないって思ってるよ」
「……そんなことないよ」
「そんなことあるよ。一緒にいて楽しいに決まってるよ。そりゃそうだよ。でなきゃ一緒に旅なんかしないよ」
「ありがと。……でも、あたしとコトコは違うよ」
突き放すかのように、リンカはそう言った。
「あ、嫌味じゃないからね、勘違いしないでね」
いつものトーンで付け足すリンカだけど、その言葉もわたしの鼓膜を揺らすたびに割れてしまう。
「ただあたしは、コトコみたいな生き方もしてみたかったなって。コトコみたいにポジティブに、コトコみたいに無鉄砲に、コトコみたいに楽観的に、コトコみたいにマイペースに、……それから、コトコみたいに友達いっぱい引き連れて――――」
「――なに言ってんの。今のわたしの友達はリンカだけだよ」
…………。
リンカはしばらく無言になって、それから「ごめん」と呟いた。
煙の中を抜ける。視界が悪くてわからなかったけど、市場の大分終わりの方まで歩いてきたようだ。
わたしはリンカの背中を心配そうな目で見つめる。リンカは一言も喋らなかった。
こういうときは、わたしから――、リンカの手をぎゅっとして話しかける。
「あのさ、リンカ――――」
「すみません!! どいてくださいッッ!!!」
声をかけようとしたそのとき、猛スピードで馬車が接近してくるのに気が付いてわたしたちは慌てて手を離し避けた。馬車はわたしとリンカの間を通り抜け、町の中心部へ向かって行く。
一体なんだ……?とわたしが疑問に思っていると、すぐさま市場の人々が駆け寄って来て、皆、馬車の方を見た。馬車はすっかり遠くの方へ行ってしまったが、それでも人々は次から次へと集まってくる。「警察だ」「また盗賊が出たのかしら?」「怖いわね」……などと口々に呟き、わたしはこちらの世界にも悪党がいるのだと知った。
……いかんいかん、わたしまで馬車に夢中になっていた。
「リンカ、今のって――――」
呼びかける途中で気が付いた。
……あれ? リンカは?
……というか、ここどこ?
わたしは知らぬ間に人波に押し流されていたようで、民家の建ち並ぶ狭い路地に立っていた。
人々は馬車が完全に見えなくなるとまばらに撤収していき、わたしだけがぽつんと路地に取り残された。
「リ、リンカぁ……? どこぉ……?」
たぶん……こっちかな。わたしは市場があると思われる方向へ歩く。もちろん、確証はなく、勘だけである。
…………。
どうやら勘はハズレたようだ。
ここどこ……? なんでわたしこんな所にいるの……?
今までの綺麗な風景とは違う、廃屋が建ち並ぶ並木道。閑散かんさんとしていて、割れて粉々になったガラスは不安そうなわたしを映している。
「リンカぁ……、リンカ出てきてよぉ…………」
さすがにリンカがこの辺りにいるはずもない。
どうしよう、……迷子になっちゃった。
お昼過ぎのはずなのに辺りは暗く、灰色の空は今にも雨を降らせそうだ。
風が吹くと廃屋の中で唸るような声が聴こえて、突然モノが落ちてきたり、標識が可笑しな方向へ揺れたり……考え過ぎだとわかっていても怖くなる。リンカじゃなくて別のなにかが出てきそう……。
震える足で、わたしは並木道を歩いていく。落ちた黄色い葉っぱたちを踏みながら、とにかく進む。どっちから来たのかもわからないけど止まっていてもなにも始まらないから、歩く。
すると殺風景の中に人影を見つけた。
靄もやがかかってよく見えないが、女の子の影で、なんだかすごく懐かしくなる。
大きなショルダーバッグを持った、ポニーテールの女の子。
わたしは近づいた。
女の子もわたしに気が付いたようだ。
ふたりは近づいた。
一歩、一歩……距離を詰める。
こちらへ向かってくる影はだんだんとその輪郭をはっきりとしたモノへ変える。
そして朧おぼろげな女の子はわたしの前に姿を現した。
そこでようやく、――目が合う。
澄んだ瞳に、上着を頭に被っているまぬけなわたしが映っている。
「……頭のソレ、オシャレだと思ってやってるなら変」
女の子の第一声は鋭くわたしの胸を貫いた。
「……ち、違う……わたしだって好きでこんな格好してるんじゃない……ッッ!!」
必死に否定する。
「そう。まあ別にいいと思う、ファッションは自由だし」
「だから違うよッ!」
信じてくれない。なんなの、この子。
「ところで、……ここでなにしてるの?」
女の子は不審感丸出しの目でわたしを睨む。……違うよ、怪しい者じゃないよ。
「……迷子になちゃって…………」
「馬鹿ね」
…………。
……返す言葉もないんだけど、初対面の人にひどすぎない!? 礼儀ってモノを知らないのかッッ!
わたしは言いたい気持ちをグッと抑えて、尋ねた。
「……あなたはだれ?」
女の子はわたしに近付きながら答えた
「私はナスナ」
そしてわたしの目の前に立つ。
「……ん?」
わたしが不思議そうな目で見つめると、ナスナは瞬く間に覆い被さっていたリンカの上着を取り払い、露わになったアフロ頭を凝視した。
「――あッ!!」
驚きのあまり言葉を失うわたし。そして彼女はこう言った。
「……ふーん。すごくユニークな髪型ね」
――これがコトコのナスナの、運命の出逢いだった。
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