車窓に映るのは

 

 人生は列車みたいなもの。だったらわたしは新幹線だな、と得意げになる。


 ガラスの町までは列車一本で行けた。と言っても、終着駅からだと丸一日かかるんだけど……。

「……ねえ、まだ着かないのぉ?」

「半分も来てないよ」

「遠いなぁ……」

「大丈夫? ちょっと休憩する?」

「ううん、頑張る」

 わたしとリンカは向かい合わせに座って列車の到着を待った。

 旅の中、リンカはわたしのお母さんみたいになってきた。扱いに慣れられたというか、なんというか……。彼女の面倒見の良さにはついつい甘えてしまう。

 車窓の向こうには広大な大地が広がっていて、若草色が地平線の奥まで続いている。窓を開けると心地いい風が入ってきて眠気を覚ましてくれる。時々鳥たちと並走して、山を越え、谷を越え、海に出る。塩の匂いが香ってきて、「遊びたい!」とおねだりしたけど許可は下りなかった……。――なんというか、すごく旅らしかった。

 しかし楽しかったのは最初のうちだけ、――今じゃもうすっかり景色にも飽きて、窓の外に鳥たちが群がっていようと、それがこちらに話しかけていようと、微笑んで軽く会釈する程度になってしまった。

 退屈は嫌い。なにかしていないと気が収まらない。でももっと嫌いなのは、――腹の中の猛獣が再び目を覚ましたようで大きな欠伸をした。わたしが驚くぐらいの大きな欠伸で、鳥たちは慌てて逃げていった。他の乗客たちもわたしの方へ視線を向けて苦笑い。リンカは恥ずかしそうに頬を赤く染めて、わたしに尋ねてきた。

「……お、お腹空いてるの?」

「……お恥ずかしい限りです」

「次の駅で降りてお弁当でも買おうか。少し大きな駅で停車時間も長かったと思うし、急いで戻って来れば問題無いよ」

 ……ほら、こういう所。すごくお母さん。大好き。

 ご厚意に甘えて、わたしたちは次の駅で降りた。終着駅とは比べモノにならないぐらい栄えていて、売店や飲食店も充実していた。

「「お、美味しそおぉぉぉぉ〜〜〜……」」

 わたしたちは列車が発車する前に駅弁を買って戻らなければならない。そうわかってはいたのだが、店頭に並ぶお弁当の数々が宝石箱のように輝いて見えて、ひとつに選ぶことなんて到底出来ず……。わたしもリンカも優柔不断だということが判明した。リンカにもそんな一面があるなんて、これはちょっとしたスクープだ。

 猛ダッシュ、からの飛び込みセーフ! 「駆け込み乗車はお止めください」というアナウンスが聴こえる。危ないから以後、気をつけよう。

 席に座って買ってほやほやのお弁当を開けてみると、走ったせいでグチャグチャになっていた。

「ぬあああああああぁぁぁぁ〜〜〜!」

 ショックのあまり声を上げるわたし。「不格好だけど味は変わらないよ」とリンカがなだめてくれる。確かに、見栄えで味を判断してはいけない。

「「いただきます!!」」

 ふたりで声を揃えて。リンカの言う通りお弁当の味は最高だった。わたしはいっぱいお肉が入っているやつで、リンカは野菜がいっぱいのやつ。ニンジンにナスにピーマン……なんでそんなモノが食べられるのか、わたしにはわからなかった。

 リンカのお弁当に入っていたシューマイを見て、思わずよだれが……。垂れる前に喉の奥に引っ込めて、それでも釘付けになった目はなかなか動かなくて……。見兼ねたリンカがわたしにひとつ分けてくれた。申し訳なかったからわたしもお肉を一枚あげた。……こういうの、なんかいいな。

 列車はトンネルに入ったようで、車内は暗くなった。ふたりの間に吊るされている明かりが空っぽになったお弁当箱を照らしている。

 窓にわたしが映っている。少し角度を変えるとリンカも見えて、リンカもこちらを見ていたようで鏡越しに目が合った。わたしが笑って手を振ってみるとリンカは照れくさそうに手を振り返した。胸の前で小さく手を振るその動作がとても可愛くて、もっと見たい、とわたしは何度も何度も手を振った。最終的には無視された。ひどい。


 トンネルの終わりが見えた。次第に光が漏れてくる。

 逆光でリンカの顔が霞んでいく様子が今朝見た光景と似ていて、わたしはそれを見つめながら、ふと、ガラスの町について思い出した。リンカに言われたことをひとつひとつ思い出していった。


「じゃあ、あたしと一緒にガラスの町へ行かない?」


 眩い逆光に包まれてリンカの表情はよく見えなかったが、声色から若干の緊張が感じ取れる。

「……ガラスの町?」

 聴いたことがない地名だった。ガラスでできてるのかな? すぐ割れちゃいそう。

「うん。そこなら、トンネルの向こう側に行ける切符が手に入るかもしれない」

「え、ほんとッ!?」

 わたしは目を見開いて、輝かせて、リンカを見た。リンカは少し引き気味になった。

「そ、そんな簡単にはいかないと思うけどね」

「でもでも行けるんでしょ? だったら行くしかないでしょ!!」

 ビッグニュースを前に興奮が隠せない。

「楽観的だなぁ……。そういうことはしっかり考えないと」

「ううん大丈夫。どうせわたし、このあと予定ないし」

「いやそんな放課後遊びに行くノリで決めないでよ……」

 リンカは呆れている。……あれ、わたしなんか変なこと言ったかな?

 渋い表情のリンカにわたしは止まらず言葉を投げ続ける。どっ直球で勝負する。

「……だって楽しみなんだもん。……そりゃそうだよ!! トンネルの向こうに繋がるチャンスじゃんッ! なにがなんでも行ってみるべきだよッッ!! ガラスの町、行こうよッッッ!!!」

 わたしは前のめりになりながら熱烈なアピールをした。熱意を受け取ってもらえたのか、それともこれ以上の話し合いは面倒だと思われたのか、それはわからないけど、リンカもやや眉間にしわを寄せながら了承してくれた。

「あーもうわかったよ。わかってるよ。誘ったのあたしなんだし」

 そう言って、リンカは立ち上がった。

「……でもきっと、楽しいことばかりじゃないと思うよ。遊びに行くわけじゃないんだし。ちゃんとわかってる?」

「わかってるよー。わたしだっていつも無鉄砲に生きてるわけじゃないんだから」

 少しだけむすっとしてみる。リンカは納得したようで、頷いた。

「そっか。……じゃあコトコ、これから一緒に――――」

「うんッ! リンカが一緒なら怖いモノなしだね!」

 わたしがそう言うと、リンカは一瞬固まって、それから微笑んで、ほっぺたをつんつんと突いてきた。

「な、なに……?」

「なんでもない。……よし、じゃあ行こうか」

 リンカはどこか嬉しそうで、でもどこか切ない表情をしていた。


「ねえ、ガラスの町にはなにがあるの?」

 列車はトンネルを抜け、草原を走る。その風でタンポポたちが散って宙へ飛んでいく様子がとても綺麗だった。

「どうやったら切符は手に入るの?」

「あたしも聴いた話だからよくはわからないんだけど、不思議な万華鏡があるみたい」

「万華鏡? 万華鏡ってあれ? あの……キラキラした……」

 上手く説明ができない。両手で筒の形をつくって、それを覗く仕草をした。リンカには伝わったようで、笑いながら「そう、それ」と。

「万華鏡がどうして切符になるの?」

「そうじゃなくて。……万華鏡を覗くとね、見えるんだって」

「見える? ……なにが?」

 列車は森を行き、すっかり木陰に包まれた。陽射しが葉っぱを透かして、緑色の薄明かりが車内にゆらゆらと揺れている。

 そして木洩れ陽が、リンカの半身に当たる。



「――あたしたちの、失われた記憶」



 わたしは息を呑んだ。しばらく呼吸を忘れたかのように黙り込んだ。

「その記憶が切符に繋がるヒントみたい。だからなにも思い出せない人たちは、万華鏡を求めてガラスの町へ行くの」

 葉の影がわたしの周りで踊る。物凄いスピードで駆け巡る。

 動揺を悟られないようにわたしは下を向いた。そりゃそうだよ、動揺だってするよ。

 こっちに来てからなけなしの記憶でやってきた。知らない方が、思い出さない方がいいんだって、そんな風に思って考えないようにしてた。でも、もし自分の記憶に向き合わなければならないとしたら――、それはすごく怖いことだなって。だって、わたしがここにいるのはきっと、――不幸を背負っているから。

 次第に葉の影は大きく、光も透かさないほどの分厚い壁となってわたしを覆っていた。

「あたしは少しだけ、ほんの少しだけ覚えてるから、だからそんなモノ必要ないと思ってた。でもトンネルの向こうには行けなくて。……結局、こうして頼ることにした。記憶を覗くってきっと、すごく辛い思い出を見るってことなんだと思う。でもコトコとだったらいいかなって。ふたりでトンネルの向こう側に行けるならそれはすごく素敵だなって。そんな風に思えたから」

 リンカはわたしに優しく微笑んだ。

 わたしも微笑み返したけど、リンカの目にはわたしの考えなんてお見通しのようで、今度はほっぺたをつままれた。

「……にゃ、にゃに?」

 つままれた状態だと上手く喋れない。わたしが困った表情を見せると、リンカはほっぺたをさらに強くつねって、ぐるぐると回し始めた。完全に遊ばれてる。

「柔らかいほっぺだね」

「うぅ……あしょばないで」

 ようやくリンカはわたしのほっぺたを離してくれた。なんだったんだろ……。

 わたしは赤くなった頰をよしよしと撫でてあげる。「まったく、困ったもんだ」とリンカを見るといつの間にか前の席から姿を消していて、わたしの隣に座っていた。驚いたわたしを見て、ニヤニヤと笑うリンカはいたずらっ子みたいで、わたしは少しだけ拗ねて窓の方へ顔を向けた。なんなのさ、まったく。

 するとリンカはわたしの手に触れながら、耳元で囁いた。

「……怖い? 記憶、取り戻すの」

 …………。

 なにも答えなかった。拗ねたフリして、目を閉じた。

 わたしがだんまりを決め込んでも、それでもリンカは言葉の先を紡いだ。

「……大丈夫だよ。怖くないよ。あたしがいるから」

 …………。

「あたしが一緒なら怖いモノなし、……なんでしょ?」

 …………。

 ……ほんと、ずるい。その笑顔は反則だよ。

 わたしはリンカの手を強く握り返した。

「……うん」

 笑ってそう答えた。



 列車は夕暮れを走り抜け、夜を越え、朝に出た。

 後ろに座っているおじさんの鼻ちょうちんが大きくて、ふたりで見入っていたら気付いたときには朝になっていた。あぁ……寝不足だぁ。ちなみにおじさんは未だ起きていない。

 途中の駅でメロンパンを買って半分に分けて食べた。美味しくてほっぺたが落ちそうになったけど、落としてリンカに拾われたりなんかしたら大変だ、と頑張って耐えた。

「この先、トンネルを抜けたらガラスの町だよ」

「おぉ! 遂にッッ!」

 待ちわびたガラスの町へ近づくにつれ、わたしの期待と高揚感、それからほんのちょっとの不安は大きくなっていった。

「あたしも行ったことがないからさ。着いてからなにをすればいいのか、どこに行けばいいのか、まるでわからないんだけど、……大丈夫かなぁ」

「大丈夫大丈夫! なんとかなるって! 自分を信じなさい!!」

「その自信はどこから来るのよ……」

 列車はトンネルに差し掛かった。とても長いトンネルで、こいつ、緊張するわたしたちを見て楽しんでやがるな?なんて思ったりもした。

 窓に映るリンカもやっぱり少し緊張していたみたいで強張った顔をしていたから、わたしが鏡越しにガッツポーズを送ると、笑って小さくガッツポーズを返してくれた。でもそれがなんだかボクサーの構えみたいで、思わずわたしの方が笑ってしまった。「え、え、なにか変だった?」とおどおどするリンカに、「可愛すぎかッ!」と思って席をバンバン叩いていたら後ろのおじさんの鼻ちょうちんが弾けたらしく、パンッと風船が割れるような音がして、ふたりで驚いて振り向いて……、――そんなこんなで列車はトンネルを抜けた。


 ガラスの町が、――そこにはあった。

 想像を遥かに超える夢のような町で、異彩を放っていた。


 まず目に入ったのが町の真ん中にそびえ立つ巨大な塔だった。雲よりも高く、てっぺんが見えないほどの巨大な塔。それを中心にして円を描くように町のあらゆる建物が建てられている。その規模の大きさにわたしたちは多少ビビったりもする。町というより、ひとつの国のような――そんな印象を持った。

「「うわぁ〜…………」」

 窓に手の跡ができるぐらい、吐いた息で曇ってしまうぐらい、外の景色を強く目に焼き付けた。

 わたしもリンカも町の全貌に魅せられてしまった。それもそのはず、丸一日旅をしていろいろな町を見てきたが、ここまで輝きに満ち溢れた場所は初めてだった。

 塔は滝のように水を上から下へ運び、それが川に流れ、海へと続いている。『ガラスの町』というよりは『水の町』のようだ。池や泉、湖が太陽に照らされ、その輝きで町全体が光って見える。とても眩しい。

 もちろん名前の通りガラス細工も盛んなようで、町の様々な場所に装飾が見られる。教会や学校の窓、図書館の壁、公園の遊具、庭園のドーム、民家にも橋にも道路にも……大きな建物から小さな建物まで、ほとんどすべての建造物にガラス細工は施されている。建物だけでなく人々が身につけているアクセサリー、犬や猫の首輪、お店に並ぶ商品の数々にもガラスは散りばめられている。なんて素敵なんだろう、とふたりは思った。

 わたしは昔読んだ絵本の中に『ガラスの王国』が出てくるお話があったのを微かにだが思い出した。どんな登場人物が出てきて、どんな物語を繰り広げるのか。それは思い出せないけど、でもガラスの国のキラキラした絵がお気に入りで、それをずっと眺めていたのは覚えている。ガラスの町はそんな、わたしが憧れた絵本の王国にそっくりだ。

 この、煌きらびやか町でこれから旅をする――自分の記憶を探す冒険の旅。そう考えただけでさっきまでの不安は消し飛んで、今はワクワクだけが心を満たしていった。

「リンカ、……わたしたち、これからあそこを歩くんだよね」

「うん。これからあそこを歩くんだよ」

「すごいね。わたしたち、これからあそこを歩くんだってさ」

「そうだよ。すごいよ。これからあそこを歩くんだもん」

 ふたりのテンションは徐々に上がっていった。両手を握り合って、窓の外の絶景に目を、心を、奪われる。「こんな綺麗な場所見たことない」と言わんばかりの表情だ。

 そうこうしているうちに列車はガラスの町に停車した。一番に降りたくてわたしが走り出すと、リンカが「あ、待ってよ」と追いかけてくる。はしゃいでいるふたりの少女に乗客たちは微笑ましい視線を送っていた。鼻ちょうちんのおじさんもにこやかな表情で手を振っている。

 ご機嫌なわたしたちはいつもより大きな歩幅で歩き、いつもより大きく腕を振る。そして遂に、ガラスの町へ降り立つ。

 ガヤガヤと人々の声が耳に響く。馬車の行き交う音、商人が鳴らすベル、魚を盗もうとした泥棒猫が浴びせられるおじさんの怒鳴り声……町はとても活気付いていた。

 駅から出たわたしたちは町の広場に出て、そこで辺りを見渡した。――どこを見ても、人の群れ。ガラスの輝き。水の流れ。

「リ、リンカッ! ほんとにガラスの町だッッ!」

「うん。ちゃんと来れたね」

「これからどうするッッ!?」

 わたしは今までにないぐらい目をキラッキラッさせてリンカを見た。どうするとは聞いたものの、わたしの本心はひとつだった。……観光したい。

 どうやらリンカはそんなわたしの心を読んだようで、もしくはリンカ自身も同じようなことを考えていたのか、「聞き込みをしなきゃいけないから、まずは町の散策ね」と言ってわたしを喜ばせた。


 ふたりは歩き出した。

 知らない町、知らない人、知らないことだらけ。でも隣に心強い仲間がいるから大丈夫。

 不安は列車に置き忘れ、今握っているものといえば、この胸の高ぶりと、同じ気持ちを抱く温かな手だけだ。

 わたしはそう何度も言い聞かせて、ガラスの道を行く。



 ――たとえ自分たちがもう死んでいようと、きっと悪い記憶ばかりじゃないはずだから。



 そう何度も言い聞かせて、ガラスの道を行く。

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