第1章
ミノムシと、たまごサンドの無敵な子
詰めが甘い、って昔だれかに言われた気がする。思い出せないや。
まあとにかくその通りで、コトコには慢心してしまう悪い癖があるみたい。その結果油断して、全部水の泡っていうのも珍しくない。思い出せないけど。
汽車に乗ったまでは良かったんだけど、まさか列車の中に車掌さんがいたなんて……。今考えると、そりゃそうだって感じだけど、でもそこまでは頭働かないよ、ふつう!
わたしはトンネルの一歩手前で車掌さんに取り押さえられた。
「なっ、……なな…ななな……お願いします、見逃してくださいッッ!」
『あなたは切符をお持ちではありません。今すぐお降り下さい』
「き、切符は……家に置いてきちゃったんだよね……あははは……ごにょごにょごにょ」
『切符をお持ちでない方はご乗車になれません』
「ひゅ、ひゅ〜〜〜」
隙間風程度の下手くそな口笛で誤魔化そうとするわたし。もちろん、相手にされなかった。
『今すぐお降り下さい』
「ま、まあ、もう乗っちゃったんだし、このまま仲良くレッツ――――」
『お降り下さい』
そしてそのまま取り押さえられた。
「ごめんなさいぃぃ! ごめんなさいってばあぁぁぁ! もうしないからああぁぁぁぁ! 許してよおおおぉぉぉぉぉ!」
抵抗しようにも車掌さんの力が強すぎてなにもできず……。ロープでぐるぐる巻きにされて、(なんかミノムシみたいでちょっと楽しかったけど)、そのまま駅のホームにポイ捨てされた。無賃乗車したのは悪かったけどさ、扱いヒドくない? もっと大事にしてくれてもいいじゃん!
何度もチャレンジしてみたけど、自分じゃロープは解ほどけない。「んんッッ!」と力を込めてみてもビクともしない。こんなにキツく縛る必要あったのかな?
そんなこんなで時間も過ぎて、真上にあった太陽がいつの間にか足元にいて、オレンジ色の陽射しが眩しくてうつぶせになる。こんな所、だれかに見られたら恥ずかしすぎる! 早く解かないと!
体を上下左右に動かしているうちに気付いたらホームから移動していたらしく、わたしは階段から落ちた。ゴロゴロゴロゴロ……と重力のままに。
「うわんうわんうわんうわん……ドヘッ! ……痛いよぉ」
結局、階段の一番下まで転がり続けたわたし。目も回ってふらふらする。仰向けになっていると空がぐにゃんぐにゃん曲がって、見てるだけで酔っちゃいそう。
「うぅ……ツイてないぃぃ」
地面がぬかるんでいて、顔が茶色く汚れた。うげぇ、泥が口の中に入った……苦いぃ……。
今日は人生最悪の日だ。そうに違いない。だからもうこれ以上、悪くなることはないだろう。明日からは楽しいことばっかり。そう思うことにする。どんなときでも、わたしはポジティブなのだ。
少し目眩も治まってきて、起き上がろうと足に力を入れたけど、自分がミノムシになってたの忘れてた。ダメだ、もしかしたらわたし、このままここで野垂れ死ぬんじゃ……?なんて少し絶望したりする。
「だれかぁ……だれかぁぁ……」
悲痛なうめき声がこだまする。こだまして返ってきた自分の声に、さらに切なくなる。どうやら辺りには誰もいないみたい。まあこんな辺境地、好き好んで来る人なんていないよね……。
だんだんお腹も空いてきて、ぐぅぅぅぅとお腹の中の猛獣が威嚇する。落ち着け、落ち着け、と言い聞かせるけど餌も与えず言うことを聞くわけがなく、ヤツの唸うなり声は強まるばかり。
「はぁ……」
思わずため息が出てしまう。
そんなわたしのことを、泥の中から出てきた緑色のイモムシが横目で見ていた。
「ねえねえイモムシくん、このロープ解いてくれない? コトコちゃんすっごく困ってるんだぁ……」
イモムシに話しかけるわたし。するとイモムシは確かに聴こえる声でこう返答した。
「フンッ」
こいつ、鼻で笑いやがった! 嘲笑いやがった!! 許すまじ!!!
わたしは怒ってイモムシへと前進。頬を膨らませ、これでもかってぐらいに睨めつける。さすがのイモムシも焦って逃げ出した。
「ふははは……してやったり」
今日のところはこれぐらいで許してやろう、次から気をつけたまえ、イモムシくん。
少しだけ気分が良くなった。
…………。
……なにやってんだろ、わたし。
太陽も地平線の向こうへ沈んで、辺りはすっかり真っ暗になってしまった。ちらほらと設置された街灯が道端に捨てられているロープの塊を照らしている。
なんか、……キャンプしてるみたい。だんだんロープが寝袋に見えてきた。そう考えると少し楽しいかも。泥は寝心地の悪いマット、炭の匂いは友達が作ってくれてるキャンプ飯。おお、いい感じ。想像力を働かせればこんなピンチも楽しめる。フレフレ、コトコ!!
耳を澄ますと虫の音が聴こえる。空を見上げると夜空がすごく綺麗で泣きそうになる。こんなときでも人って感動しちゃうんだなぁ……。
無数の星がわたしを見降ろしてる。……ちょっと話しかけてみようかな。
「……や、やっほー、元気?」
…………。
「……わたしは元気だよ。今ね、絶賛野宿中なんだぁ」
………………。
「……ん? 全然大丈夫だよ。寂しくなんかないよ。全然大丈夫だって。心配してくれてありがと」
……………………。
「ここに来てからいろいろあったけど、でもまあなんとかやってるよ。なんとかなるって思ってるよ。見守っててね」
…………………………。
「……困ったこと? お腹が空いたかな。腹に飼ってる猛獣が餌をくれないって拗ねちゃってるんだぁ。どうしたらいいと思う?」
………………………………。
「……え、虫を? そんなの無理だよ! できないよ! これでもわたし、女の子なんだよ! まだまだ汚れを知らない中学二年生なんだから! 無茶なこと言わないでよね!!」
……………………………………。
「……えー、他に困ったこと? うーん……そうだなぁ……、これはお願いなんだけどさ、できれば明日の朝になったら起こしてくれないかな? わたしかなりのお寝坊さんだから、目覚まし時計があっても起きれないんだよね……よろしく頼める?」
…………………………………………。
「ほんと? よかった。……ふわぁ〜……なんだか急に眠くなってきた……。今日もわたしはよく頑張った。よく頑張ったよね。……だからもう寝てもいいかな?」
………………………………………………。
「……そっか……優しいんだね。うん、いい夢みれるといいな。……じゃあお言葉に甘えて……おやすみなさい。……絶対……起こしてよね…………」
……………………………………………………。
少しずつ声が弱くなって、まぶたが重くなって、頭が働かなくなって……そしてわたしは目を閉じる。
「ワオォーン!」
どこからか遠吠えが聴こえてきた。ビーグルとか、ゴールデンレトリバーとか、そんな可愛いもんじゃない気がする。でも気にしない。
ヒュウウゥゥウウウゥウウゥゥゥ……。
不気味な風が吹いて木の葉が待って、それが可笑しな動きをしていても気にしない。幽霊だとか思わない。考えない考えない。
――そうしてわたしは夢の中へ逃げた。
「ねえ、大丈夫?」
女の子の声が聴こえた。だれだろ?
その子はわたしのほっぺたをつんつんと突つついてきた。わたしが口をぱくぱくさせると「良かった、生きてた」と呟いた。生きてるよー。
わたしは心地よさそうに眠っていたみたい。ロープの中、結構あったかいんだもん。眠くなるよ、そりゃあ。
ミノムシコトコはうっすらと目を開ける。
「そのロープ、どうしたの?」
さっきからわたしに話しかけている同い年ぐらいの女の子の顔がぼんやりと見えた。ショートカットで整った顔立ち。体格もスラッとしている。すごく運動ができそうで、それでいて勉強もできそうな感じの。『よっ無敵!』が似合う凛とした女の子。……いいなぁ羨ましい。
「……だれ?」
寝ぼけ掠れてまったく声になっていないほとんど息のような声でそう聞いた。
「あたしはリンカ。あなたは?」
「……コトコ」
眠っていたときにダラダラと垂れ流されていたよだれが固まって少し喋りにくい。他人に絶対に見られたくなかった姿だけど、やむを得ない。背に腹は変えられないって言うし、助けてもらおう。
「……た、たすけて」
「え、あ、……うん」
リンカはキツく結ばれたロープを解き始めた。
「コトコはどうしてこんなことになってるの?」
「……捕まった」
眠気で平常運転とまではいかない脳みそが考え出した、最も簡潔な回答だった。
「だ、だれに……?」
リンカは困ってる。そりゃそうだ。
「車掌さん。列車に乗ったら怒られた」
「ああ、そういうことか。じゃあコトコもトンネルの向こう側に行こうとしたの?」
「コトコ、……も?」
「うん。……あたしも行こうとしたの。失敗しちゃったけど」
なんと! 同志だったのか!!
「夜なら人目につかないし、簡単に行けるかなって思ったんだけど。ダメだった。警備員たちが待ち構えてて、断念して帰ってきたらコトコがいたってわけ」
「そっか……じゃあ失敗に感謝だね」
「まあ、そうだね」
リンカは少し微笑んだ。カッコイイなぁと思っていたわたしだけど、ほころんだ顔を見たらすごく可愛くて、女の子なんだなぁと失礼ながら再確認。
それからリンカはロープをあれこれ通したり抜いたりして、わたしを解放してくれた。ようやく脱皮できたわたし。ミノムシ風にいうと、羽化?
「よし、解けたよ」
「え、ほんとッ!? やった、……わたしは自由だああああぁぁぁぁ!」
思わず叫んでしまった。
すぐさまよだれの跡を拭いて、それから立ち上がって伸びをした。自由って素敵。風が当たって、夜の寒さを感じることがこれほど幸せとは。汗でベタベタだけどそんなこともどうでもよくなるぐらいに羽根を伸ばす。どこか遠くへ飛んで行けそう。そんな気がする。世の中には自分で自分のことを縛ったり、だれかから縛られるのを好む人もいるって聞いたけど、そんな人いるはずないよね。自由が一番。
「いやぁ〜助かったよ。わたしこのままここで死んじゃうんじゃないかって思ってた」
「死んじゃ……う、うん」
「実はすっごく不安だったんだけど、ほんと、リンカが来てくれてよかったぁ。なにかお礼するよ! なんでも言って!」
「いやいやいいよ。大したことじゃないし」
「遠慮なさんなって。わたしにできることだったら、なんでも――」
「うーん……」
リンカはまたもや困った顔をしている。
「ねえ、それよりさ……」
「……ん?」
なんだろう。リンカは少し引きつった笑顔でなにやら言いづらそうにしている。どうしたのかときょとんとしていると、わたしのお腹を指差した。
「さっきからその子がうるさいんだけど」
……その子?
……あっ。
お腹が空いていたのをすっかり忘れていた。どんなときでも体は正直らしく、ずっとグウグウと音を立てていたらしい。……またお恥ずかしい所を見せてしまった。
待ち合い室のベンチに座って、わたしはリンカのくれたサンドウィッチを食べている。レタスにキュウリにカツサンド。……中でもたまごサンドの味加減が絶妙でとても美味しかった。
「これ、ぜんぶリンカが作ったの?」
「うん、まあ」
「すごいッ! めちゃくちゃ美味しいよ!!!」
「そ、そう? サンドウィッチなんてだれが作っても同じだと思うけど」
「そんなことない! こんな美味しいたまごサンド、初めて食べた!!」
わたしがやや興奮気味に話すとリンカは笑ってくれた。それから頰に付いたスクランブルエッグを優しく取ってくれて、相手は女子とわかっていてもドキッとせずにはいられなかった。
料理もできて面倒見もいいとか、ほんとに無敵じゃん! ズルい!! 神様は不平等だッ!!!
わたしが怒りの表情でカツサンドを食べていると「ど、どうした……?」とリンカは心配そうに呟いた。
柱時計を見るといつの間にか今日は終わって、明日が来ていた。こんな夜中にサンドウィッチとは、わたしもなかなか悪よのう。
「ごちそうさまでした! ふぅ……食った食った」
いやぁ満足。これでお腹の子もちょっとは大人しくしてくれるだろう。ぽんぽん、と叩いてみるといい感じに膨れ上がっていた。結構な量食べたもんなぁ……ほんと美味しくて止まらなかった。
――と、食べ終わってからわたしはリンカが恐らく自分用に作ったサンドウィッチをすべて平らげてしまったことに気がついた。
……あれ、もしかしてわたし、……やっちゃった?
……やっちゃったよね?
「……ね、ねえ、もしかしてあのサンドウィッチって……」
全身から汗が止まらなくなり、目が泳ぎだす。
ただでさえこんな夜更けに助けてもらって、おまけに食べ物までいただいたのに……どうしよう、なんて謝ればいいんだぁぁぁ……。
リンカはそんなわたしの顔を見てすべてを察したようにこう言った。
「いや、食べてもらって大丈夫だよ。あたしお腹減ってないし」
天使かッ! 天使なのかッ!? 神様、この子をつくってくれてありがとうッッ!!
わたしが天に祈りを捧げていると、リンカは笑い出した。なんだなんだ、とわたしはリンカを見る。
「それにしても元気な子だね、コトコは」
「え、そ、そうかな?」
自覚は、……ちょっとあったりもする。
「うん。超元気。なんかこっちまで元気になれるよ」
「……あんがと」
面と向かってそういうこと言われると、照れちゃうな。
「こっちに来て長いの?」
リンカが質問してきた。
「ううん、まだ3日ぐらい。全然慣れなくて。わからないことだらけだよ……」
「そっか。まあ仕方ないよね。普通、受け入れられないし」
月明かりがわたしたちを照らしている。おぼろげな影がふたつ、伸びる。
「リンカは? どれぐらいになるの?」
「あたしはようやく一ヶ月が経つかな」
「先輩だね。リンカ先輩」
「やめてよ」
笑い合う。話し相手がいるって、いいもんだ。
「その髪型、サイドテールって言うんだっけ?」
「うん。こうしてるとすごく落ち着くんだぁ。なんでだろ」
「変なの」
「変かなぁ?」
「変だよ。でもまあ、似合ってるよ」
「えへへ」
静かだった夜の風景にわたしとリンカの声が響き渡る。周りに民家がなくてよかった。騒音で怒られちゃうよ。
しばらくふたりで他愛もない話をした。と言っても、こっちに来てからどこに行って、なにを見て、それからなにを想ったか――楽しい話題ではなかったけど、わたしの話を聞いて笑ったり困ったりするリンカを見て、なんだか嬉しい気持ちになった。
わたしは満腹のせいでまた眠くなってきた。リンカも疲れたようでうつらうつら。ふたりで肩を寄せ合いあったかくして、それから風邪を引かないようにして眠った。
気づくと月はふたりの足元にあって、太陽が顔を出そうとしている。
さすがにミノムシだった頃に寝ていただけあって、かなり浅い眠りだった。わたしはリンカよりも早く目覚め、それでも目が覚めてからの数分間は一言も喋らず(よく頑張った、わたし!)、ただぼうっとしていた。リンカを起しちゃったら悪いしね。「んん……」とわたしの肩に顔を寄せるリンカが可愛すぎて、ドキドキして、わたしの割には目覚めのいい朝になった。
辺りはすっかり明るくなっていて、宙を舞う埃が太陽に照らされキラキラと光っている。埃のくせに、綺麗じゃん。
リンカもお目覚めになったようで、大きな欠伸あくびをしながら伸びをして、それから目をこすってわたしの顔を見た。
「……おはよう」
「うん、おはよう」
「……よく眠れた。元気なコトコのことだから起きたらいなくなってると思ってたけど、良かった、まだいた」
「うん、いるよ」
なんとなくリンカに求めてもらえてる気がして、笑ってそう答えた。
気温が上がる。チュンチュン、と小鳥のさえずりが聴こえてきて1日が始まった気がした。虫や動物たちも起床して生活を始める。
どこからか駅員さんが現れてホームの掃除をしている。まったく働き者だなぁ、もっと休んでくれていいのに、とわたしは思う。
リンカは足をふらふらさせながらなにやら考え事をしている様子。それはまるで好きな男の子を前に緊張で言葉が出なくなる乙女の如し。なんて可愛いんだ……。露わになっている細く長い足が綺麗だなぁ、などとけしからんことをわたしは考えていた。
そしてリンカは目を落とし、少し間を空けてから、そっとわたしに尋ねた。
「ねえ、これからどうするの?」
思いもよらぬ質問にわたしは少し戸惑う。
これからのことなど、――なにも考えていなかった。
わずかな希望だったトンネルの向こうへも行けなかったし、一体どうしたらいいのだろう。
「行く宛はあるの?」
「……ううん、ない」
首を横に振りながらそう答えた。
行き当たりばったりのわたしだから、こういった質問にはすごく困るのだ(不安になるから考えないようにしているだけなんだけど……)。
…………。
再び、間が空いた。
すごく長い間である。
リンカは悩んでいるようで、迷っているようで、わたしはどうしたらいいのかわからず、ただ次の言葉を待った。
――そして、いつもはハキハキとしているリンカの声がその時ばかりは少し控えめに、それでも確かな意味を持ってわたしの鼓膜を揺らすのだった。
「じゃあ、あたしと一緒にガラスの町へ行かない?」
リンカのお誘いの意味を、そのときのわたしはまだ知らなかった。
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