かれいどすこーぷ!

サチ

プロローグ

トンネルの向こう側


 穴の中にはなにが見える?


 真っ暗闇で、微かに漏れる光だけがそれをトンネルだと教えてくれる。

 そんな穴の中をコトコは必死に覗いていました。

「う〜ん……」

 上空ではトンビたちが旋回し、地面ではミミズやダンゴムシが穏やかな昼下がりを散歩しています。

 コトコは首を右に傾け、左に傾け、またまた右に傾け、左に傾け……それから目を凝らして、時々目を細めて、観察します。低身長な彼女ですから背伸びは必須で、しかし長時間していると足がぷるぷると震えてきます。

「うぅ〜ん……」

 草むらでウサギがピョンッと跳ねるように、コトコもときたまジャンプして穴の奥を覗きます。

 しかしどれだけじっと見つめても、それは闇でしかありません。どこまでも遠く遠く、深く深く、無限に広がる闇でしかありませんでした。

「うぅぅ〜ん……」

 暖かな風が頬を掠かすめて、サイドテールがゆらゆらと揺れています。

 あまりにも真っ暗闇なものですから、コトコの目はだんだんと疲れてぼやけていきました。

「……んんん」

 観察終了。コトコは疲れた両目に手を置いて、ぐるぐると解ほぐします。彼女流のマッサージのようです。側はたから見るとなんとも愉快な様子です。



 終着駅の先――選ばれた者しか行くことのできないトンネルのそのまた先の世界。

 コトコはそれに憧れていました。そこにはきっと自分の望むモノがあると、そう信じていました。

 しかしコトコには向こうへ行く資格がありません。どのようにすれば資格が手に入るのかもわかりません。だからこうして、なんとか穴の中を見ようと奮闘しているのです。その健気な頑張りも呆気なく終わったようですが……。



 汽車のまもなくの発車を知らせるベルが鳴りました。

 この汽車こそ、トンネルの向こう側へ行くことができる唯一なのです。

 ホームでは数人の乗客が列を作って駅員に切符を見せています。駅員はとても無機質な装いですが、その対応の仕方も正まさしくロボットのように――鉄の人形らしく淡々としています。感情など持ち合わせていないようです。

 ベルの音を聞いてコトコは何やら閃いたようで、すぐさま車両へと走り出しました。切符を持っていないコトコが一体どうするというのでしょうか。

 するとコトコは、順番を待つご婦人の大きく分厚いコートの中に隠れ、駅員の目を盗もうとします。ご婦人の足に触れないように慎重に慎重に屈みながら移動します。コンプレックスだった彼女の低身長がここで役に立ちました。

『次の方』

 駅員に呼ばれ、ご婦人は一歩前へ進みます。だれ一人、コトコの存在に気付いている様子はありません。

 駅員は事務的な処理を行い、ご婦人はそれを待ちます。このまま何事もなく作戦成功――かと思われましたが、駅員の動きが止まりました。

『んん……?』

 ボタンのような、ビー玉のような、何製かもわからない目で、駅員はご婦人をまじまじと見つめます。

『んんん……?』

「ちょっと、なによジロジロ見て」

 ご婦人は不機嫌そうな声色で尋ねます。駅員はなにも答えず、ただやや妙に膨れ上がったコートに目を光らせます。

 これにはさすがのコトコもドキッとしました。「まずい、バレる……」とコートの中で焦っています。

 凝視した後、駅員は遂にコートへ手を伸ばします――違和感を確かめようとしたのでしょう。駅員はコートの裾を掴みました。コトコには祈ることしかできませんでした。

「お願い、見逃してぇぇ……」

 するとコートを捲めくるよりも先に、駅員は列車の中へ蹴り飛ばされました。

「なにしてんのよッッッ!」

 ご婦人が怒りの膝蹴りをお見舞いしたのです。駅員の酷く潰れたお腹がその衝撃を物語ります。

 これは駅員も想定外――よろめきながらもすぐに立ち上がり、何事もなかったかのように次の乗客の案内を開始しました。もしかしたらご婦人を多少なりとも恐れたのかもしれません。それ以降、何も追求することはありませんでした。

 さすがに無理かと思えたコトコの作戦はなんとか……見事成功し、駅員は彼女の存在に気付くことなく、ご婦人とコートの中の小動物を列車の中へ入れてしまいます。

「……やった!」

 コートの中から静かに飛び出したコトコは小さくガッツポーズ。そのままバレないよう列車の後方へ忍び足。やや埃っぽいですが文句は言えません、一番後ろの席に呑気に座り始めました。

 それからすぐに駅員はすべての乗客の案内を完了し、汽車は高らかで力強い汽笛を鳴らし発車しました。

『出発進行!』

 お腹を痛そうに抑えている駅員が精一杯の声をあげています。人形である彼は痛みなど感じるはずもないのに。その姿を窓の外に見たコトコは思わずくすくすと笑ってしまいます。

 終着駅を出発した汽車は線路の続く先、トンネルの向こう側を目指し走ります。もくもくと煙は空へ昇り、虫や動物たちは驚いてその場から逃げていきます。

 しゅっしゅっぽっぽという音が本当に聴こえるのだと、コトコは少しばかり感動したようです。


 こうして、コトコのたったひとりの旅が始まったのです。





 ――いいえ、始まるはずでした。

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