都市伝説商法
くまのき
都市伝説商法
電話の音が鳴った。
僕のスマートフォンから聞こえている。『電話の音』だ。ドラマなどでたまに出てくる古い黒電話の「じりりり」といった音。狭いワンルームに響いている。
いつもの着信メロディでは無いし、設定した覚えも無い。
以前酔っ払った時に変えてしまったのかな。などと思いつつ画面を見ると、相手の番号は非通知だった。
「重要な案件なら身元を隠しはしないだろう。わざわざ相手をするのは億劫だね」
そう考えた僕は卓上のスマホを無視し、読んでいた雑誌へ視線を戻した。
しばらくすれば勝手に鳴り止むさ。と小さく呟いた途端に、果たして鳴りやんだのだが、
『…………わ……ん……』
小さな雑音が聞こえ、僕は再び顔を上げた。何か不自然だ。
スマホ画面を見ると通話中になっている。故障か、それとも偶然虫でも付いて作動してしまったのか。
僕は雑誌を置き、スマホに手を伸ばした。すると、
『私、メリーさん』
女性の声が聞こえ、僕は手を引っ込めた。背筋に冷たいものが走る。
メリーさんとはたまに聞く都市伝説だ。友人の悪戯だろうと自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。しかし操作をせずに通話が開始されたという事実を改めて確認し、またもや鼓動が早くなる。
突然、激しい水音がした。
僕は体を震わせながら、銀色の流し台へ目を向けた。
蛇口をひねってもいないのに、水が勢いよく噴き出ている。
いや水では無い。赤く染まった液体。
「……血?」
『私、メリーさん……』
再度女性の声が聞こえ、僕は「うわっ」と情けない声を上げた。
止まらぬ赤い液体は一旦置いておき、スマホ画面を凝視する。
幼い少女のようにも大人の女性のようにも聞こえるメリーさんの声が、スピーカーから流れる。
『……今なら、高性能の浄水器がお得なお値段で手に入るの……』
「……はい?」
僕は間抜けに聞き返してしまった。
聞き間違いだろうか。今、浄水器と……
『この浄水器を使うと、水がとっても綺麗になるの……』
聞き間違いでは無かった。
何を言っているんだこの女は。やはり悪戯電話か?
『綺麗に……こんな風に……』
流し台から、金属がへこむような音がした。
顔を向けると、蛇口から流れる赤い液体が透明な水に変わっている。
『ね……凄いでしょ……この浄水器』
浄水器を使ったようには見えないのだが。
『この浄水器は百万円……だけど今なら七割引きで三十万円……』
浄水器の相場は知らないが、七割引きでも高い気がする。
『まだ高いと思ったでしょ……?』
僕の考えを読んだように、メリーさんが言った。
いやよく考えると、普通は誰でも高いと思うであろうから、当然の台詞なのかもしれない。
『でも大丈夫……この浄水器を四つ買って、うち三つを定価の百万円で他人に売れば……三百万円の儲けになるの……最初に七割引きで七十万円
計算を間違えている気がする。
いやしかし、それよりも、この商法は、
「ねずみ講では?」
僕がそう指摘すると、低い電子音が鳴り唐突に通話が切れた。
「……何だったんだ」
気付くと流し台の水も止まっている。
やはり友人達の悪戯だろうか?
僕は立ち上がり、蛇口や水道の元栓を調べてみた。特に異変や仕掛けは見つからない。
外に出て部屋の前を確かめたが、誰もいなかった。
首を捻りながら室内に戻り、雑誌を持ち上げる。
しかし先程の不可思議な体験が気になり、どうにも活字を追えない。
ふと気付き、スマホの着信音を確認してみた。いつも通りの設定。黒電話にはなっていない。そもそも黒電話の音は入っていない。
どういう事だ。つまり先程の着信音は? 電話の主は?
急に部屋が暗くなった。かと思うとまた明るくなり、すぐにまた暗くなる。
僕は驚き慌てて天井を見上げた。明かりが点滅している。蛍光灯の寿命が来てしまったのだろうか。それとも……
電話の音が鳴った。
鳴るはずが無い、黒電話の音。
僕は咄嗟にスマホを放り投げた。床に落ち小さな衝突音を立てた後、女性の声が流れる。
『私、メリーさん……今なら、寿命が百年の高性能LED蛍光灯があるの……』
「け、結構です」
『五十万円するけど、長い目で見れば絶対にお得なの……しかも今なら七割引き……』
「結構です」
『五つ買って、四つを他人に売れば大儲け……』
「結構です!」
『……そう』
強めの拒否が功を奏したのか、通話が無事終了した。
僕は恐る恐るスマホを持ち上げ、電源を切った。悪戯ならばこれでもう電話は掛かって来ない……
電話の音が鳴った。
電源を切ったのに。
僕はもう一度スマホを床に落とす。
『私、メリーさん……今なら、高級羽毛布団がお得なの……』
「ふ、布団?」
メリーさんの言葉に誘導されるように、僕はベッドに敷きっぱなしの布団を見た。
膨らんでいる。
誰かが入っている。
「……誰」
『こんな硬い布団じゃ、腰を痛めるの……』
メリーさんのぶつぶつ呟く声が聞こえてくる。
僕はベッドから離れるように後ずさりし、転んで床に尻もちを付いた。
ベッドの膨らみが揺れ、そしてスマホからは女の声。
『私の商品ならもっとふかふかで、良い匂いがするの……お値段お手頃な三十万円。だけど七割引きで』
「い、いりません」
『十個買って、九個を売れば……大儲け……』
「いらない!」
『……あらそう』
電話が切れた。
僕は床のスマホを拾い上げる気にはなれなかった。立ち上がる気さえ起きなかった。
これは何だ。どうしてこんな目に合っているんだ。
電話の音が鳴った。
僕は目を閉じ耳を塞いだ。しかしそれでは黒電話の音を遮断する事は出来なかった。
『私、メリーさん』
まただ。また勝手に通話が始まった。
僕は手にますますの力を入れ、どうにか耳の穴を密封しようと努めた。
不意に、全身に悪寒が走る。
『今、あなたの後ろにいるの』
後ろに、いる。
いる。
足音。裸足だ。近づいて来る。
床がみしりと軋む。室内に小さな風が起こる。
それからどれくらい経っただろうか。
僕は視覚と聴覚を必死に押し殺し、震えながら「何か」が去るのを待った。
……もう、いなくなっただろうか?
そっと、目を開ける。
少女が笑っていた。
僕の顔前で。
口を歪め、白い歯を晒し、真っ黒な瞳で僕を見つめている。
電話の音が鳴った。
いつの間にか僕は、落としたはずのスマホを右手で握りしめていた。
『私、メリーさん』
少女の口が動く。だがその声は、あくまでもスマホの中からしか聞こえていない。
僕は逃げるため立ち上がろうとした。が、出来なかった。どうしても足が動かない。
助けてくれ。
そう叫ぼうとした。しかし声も出せない。
僕の虚しい抵抗を見て、少女は楽しそうに笑っている。
都市伝説の幽霊に呪われてしまったのか?
このまま殺されてしまうのか?
嫌だ。どうすれば良い? お祓いか?
だが今から寺や神社へ行こうにも、体が言う事を聞いてくれない。
そもそも脅威は今まさに、僕の目の前にいるのだ。
涙が頬を伝る。嫌だ。見逃してくれ。
そんな僕の命乞いする心中は当然届かず、
『今なら……』
少女は言った。
『今なら、絶対にお祓いできる良いお札があるの……』
都市伝説商法 くまのき @kumanoki
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