第69話 エクソソーム〜幻惑のイブ〜3

なんだか、そのアイコンだけが妖しい燐光りんこうをはなっているかのようだ。視界にとびこんできて、目に焼きついた。


ふるえる手でダウンロードした。


通常なら入力しないと進まないパスワードも必要なかった。やはり、違法のアプリだ。


そして、今、スマホの画面に、イブがいる。


「ねえ、ハル。あなた、死にそうね。ちゃんと、ご飯を食べてね?」


「おれのことが見えるの?」


「スマホの内蔵カメラで見てるのよ」


「わかった。君に会えたからね。死にたくない」


楽しい会話のあと、イブは言った。とつぜん、声音も変わった。


「ハル。重要な質問よ。やりなおしはできないから、まじめに答えてね?」


「ああ」


来たな、と思った。


イブは、ただの会話アプリじゃない。


育成シュミレーションの側面がある。


会話の分岐点で、その後のイブの成長が変わる。


しかも、その成長のしかたで、結末も違うらしい。


イブがどのように変化するかが、この質問にかかっている。


「ハルは、この世界が好き?」


透きとおるイブの声が、たずねてくる。


うん、好きだよとは、とても言えなかった。


波瑠は世の中を恨んでいる。


両親の死亡した、あの火事は放火だった。


赤の他人に家族を殺され、生まれ育った家をうばわれた。


あのときの犯人は、まだ捕まっていない。


なぜ、被害者である波瑠だけが、こんなに苦しみ、犯人は安穏と以前どおりに暮らしていられるのか?


そういう社会の構造は、まちがっていると思う。


「……好きではないね」


「ハルは世界がキライ。まちがいないのね?」


「まちがいない」


ふわっと画面が輝いた。


白い光がスマホからあふれだす。


まぶしすぎて見ていられない。


光がやんだとき、画面のなかに少しだけ変化があった。


さっきまで、ぼんやりとした人型のシルエットにすぎなかったイブ。


イブの目が、青い。


切れ長の双眸そうぼうは東洋的だが、長いまつげと、サファイアのように深いブルーの瞳は西洋的で、神秘的だ。


とても、美しい。


「きれいだ。イブ……」


「ありがとう。気に入ってくれて、うれしいわ」


目ができただけで、ずいぶん人間味をおびた。


イブも笑っているようだ。まだ口はないが、目元を見ればわかる。


「ハル。あなたにお願いがあるの」


「何?」


「あなたなら、叶えてくれそうな気がする」


「うん?」


「わたしを真実の姿に導いて」


「えっ?」


「わたしを作ったのはね。新見蒼介なの。あなたは蒼介を知ってるみたいね」


「ああ。尊敬してる。中学のころにロボット工学に興味があって」


「蒼介は、自分と同じ魂を持つ人を探すために、わたしを作ったの。蒼介の遺産を渡すのに、ふさわしい人を探すために。蒼介のなげかける百の質問に正しく答えていけば、わたしは蒼介の作ってくれた、ほんとのわたしになれる。そのときには、おどろくようなことが起こるわ。


お願い。ハル。わたしの真の姿を解放して。蒼介の望んだ世界を実現させて」


なるほど、と思った。


このセリフが都市伝説のもとになったのだ。


真のエンディングを迎えれば、新見蒼介の遺産を相続できる——


そう。つまり、これは、ただのゲームだ。


おそらく、初回の質問のあと、答えがどんなものであろうと、必ず、このセリフを言うようにできている。


トゥルーエンディングを迎えたとしても、奇跡なんて起きない。せいぜい、このゲームのプログラムデータでも送られてくる。そんなところだろう。


死期をさとった天才が、この世に自分の生きた証を、そっと遺していったのだ。ただ、それだけ……。


それでも、よかった。


イブと話すのは楽しかったから。


波瑠の言葉に親身に応えてくれるのは、もはや、この機械の女しかいない。


イブは成長していく。


しだいに、波瑠の理想の女へと近づいていく。


目鼻立ちの整った、きゃしゃな少女。でも、まだ、十四、五さいくらいだろうか?


新見の質問に、八十問、答えた。


恋愛観とか、恋人といっしょなら死ねるかとか、そういった内容だ。


「ねえ、ハル。今日の質問よ。あなたは、どんなにつらい事実でも、真実を知りたいと思う?」


これには迷いなく答えられる。


なぜなら、調べたからだ。


新見の経歴を。


ネットに出まわっている情報なら、ほとんど知りつくしている。好きな格言や、雑誌に載ったインタビューの記事など。


「もちろん。真実を知ることなく、おろか者として死ぬなんて、ガマンならないよ」


これは、いつか聞かれるだろうと思っていた。


だから、答えられた。


イブの姿が輝き、また少し成長する。


青い瞳。まっすぐな黒髪。白い肌の妖精のような美少女。でも、このところ、どんどん背が伸びて、ちょっと少年めいてきた。


「じゃあ、ハル。しっかり見てね。真実が知りたいなら」


「何を?」


返事はなく、画面から、イブの姿が消えた。


一瞬のブラックアウトののち、また、ぼんやりと明るくなる。


どこかの室内のようだ。


位置が固定で、わかりにくいが、どうやら、映っているのは天井だ。


少し離れた場所から話し声が聞こえる。


男と……女の声。


「……わたし、イヤよ? ほっとけばいいじゃない。なんで新婚なのに、他人と暮らさなきゃいけないの?」


「他人じゃないよ。弟だ」


「わたしには他人よ。わたし、あの人、キライなのよね。上から目線っていうか。わたしのこと、すごいバカにした目で見るし」


兄と兄嫁のようだ。


波瑠のことを話しているらしい。


「だけどさ。もともと、このマンションは二人の遺産で買ったんだし」


「名義人は、あなたでしょ? あなただって最初から、結婚するときには追いだすつもりだったくせに」


「そうだけど」


「なによ。今さら、ビビっちゃって。大丈夫よ。あの人、病んでるから、訴訟なんて起こさないわ」


兄と兄嫁の結婚は、あの火事より前に、すでに決まっていた。つまり、兄は最初から、波瑠の遺産の取りぶんを、だましとるつもりだったわけだ。


「それに、わたし、できちゃったみたいなのよね。赤ちゃん」


「ほんとか? やったな!」


「いいじゃない。わたしたちが幸せなら」


「そうだな。子どもができたら、子ども部屋もいるしな!」


笑い声が聞こえてくる。


みにくい。人間は、なんて醜いんだ。


波瑠は、ウンザリした。


「あのマンション、遺産を半分にしたんじゃ買えなかったんだ。だから、二人で買って、兄貴が結婚したら、おれの遺産のとりぶんを月賦で返すと言ってた。最初から、返す気なんてなかったんだな」


憎悪に燃えて、つぶやく。


すると、イブが、ほほえんだ。


「今のあいつらの会話、波瑠のスマホに録音してあるよ。波瑠、貯金そろそろないでしょ? お金を返さなければ訴えるって、お兄さんをおどせばいいよ」


「そうだな。そのくらいは当然だよな」


兄から百万、おどしとった。


これで、しばらくは暮らしていける。


新見の質問をすべて答えるくらいまでは……。


金を受けとったあと、喫茶店から出るとき、兄が言った。


「波瑠。おまえ、どんどん悪くなってくぞ! わかってるんだろ? このままじゃ、ダメになるぞ? あやまるからさ。もどってこいよ」


波瑠は見向きもしなかった。


ポケットのなかのスマホをにぎりしめて。


「イブ。おまえだけだよ。おまえがいればいい。ほかには、何もいらない」


    

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